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17話 悪魔は胡蝶の夢を見ない

『クラージュ先輩は、驚いたことがありますか?』


 ああ、これは夢だな。


 自覚したのは、窓越しの夕日を受けて真紅に色づいた瞳を見た瞬間だった。

 気付いて当然だ。何回も、何十回も、何百回も同じ光景を見てきたんだから。

 最初の一度以外はすべて夢だった。過去の記憶をなぞるだけの夢。

 だから、この先の展開は手に取るようにわかる。


 まあ、分かったところで意味はないんだけどな。

 この夢は鑑賞は出来ても干渉は出来ない。

 俺に出来るのは、いつも目が覚めるところまでやり取りを見守ることだけだ。

 最近は見なくなっていたのにと思っていると、口が勝手に動き出した。


『どうしたんだ、いきなり?』

『少し、気になったんです。

 クラージュ先輩はいつも様々な可能性を想定して動いているでしょう。

 そんな先輩が驚くのは、どんな時なのかと思いまして』


 そう言って、目の前の後輩が穏やかに微笑んだ。

 まるで、どうということのない雑談を楽しんでいるかのように。


『どんな時って……他の悪魔と大して変わらないさ。

 この前、サジェスに複数の魂を融合させたものを見せて貰った時も驚いたしな』

『それは僕も見せて頂きました。

 技術力もさることながら、あの発想はとても真似できません』

『真似しなくていい』


 サジェスは尊敬できる先輩だが、後輩に見習ってほしくはない。

 契約に対する姿勢や魔法の腕前は別だが、あの趣味はどうかと思う。

 社内の休憩室で話していたのでうっかりサジェスに聞かれないよう声を潜めて告げると、後輩は口元を抑えてくすくすと笑った。


『ええ、もちろん。真似する気はありませんよ。

 役に立つかも分からない実験にあれだけの情熱は注げませんから。

 ……ですが、僕が知りたいのはその程度の驚きではないのです』


 うっすらと浮かんだ笑みが消え、普段は柔らかな色の瞳が微かに細められる。

 もうすぐか、と思いながら夢の中でしか思い出せなくなりつつある後輩の声に耳を傾けた。


『思わず放心するほど驚いた経験はないのかと思いまして』

『そうだなあ……』


 夢の中の俺は小さく唸りながら記憶を辿っていた。

 放心した経験ならいくつか心当たりがある。

 変化の魔法に失敗した時やフェーデに脅された時。初めてサジェスに大きな仕事を任された時なんかがそうだ。


 ただ、放心の主な理由は驚きじゃない。

 変化の魔法に失敗した時に心を満たしていたのは「元に戻れないかもしれない」という恐怖だったし、フェーデに脅された時は強大な悪魔への恐れだった。


 なら、サジェスに初めて仕事を任された時か?

 確かにあの時は驚きもあったが、なにより喜びの方が大きかった。

 後輩が求める経験からはこれも少しずれるだろう。


 だったら……いや、これは……。

 過去を徐々に遡り、ようやく答えが見つかったのは数分後だった。

 自信はないが、たぶんこれが一番近い答えだと信じて口にする。


『……同僚が消えた時だな』

『消えた?』

『消滅したって意味だ。

 当時は俺も新しかったし、相手とも多少交流があったから驚いた。

 まあ、それほど親しい悪魔ではなかったからすぐに我に返ったけどな』


 新入社員が消滅するのは日常茶飯事……とは言わなくとも、ままあることだ。

 だが、当時の俺はそのことは知ってはいたが理解はしていなかった。

 どこか自分とは関係のない、遠い世界のことのように考えていた。


 だから知り合いが消滅したと知って驚いたし、怖くなった。

 昨日笑って別れたはずなのに。次は自分の番じゃないか。

 そんなふうに思ったんだ。


『……あ、でもこれも放心の理由は驚愕より恐怖のほうが強いか。

 だとすると、驚きだけで放心した経験は今のところないな。

 期待に添えなくて悪い』

『いえ、とても参考になりました』


 穏やかな微笑を浮かべて、あいつは静かに首を横に振った。

 どうやら後輩の好奇心は満たせたらしい、と判断した俺はいつもの調子で口を開く。


『聞きたいことはそれだけか?』

『ええ』

『なら、そろそろ帰るか。

 明日も早いしな』


 しっかり者の後輩が寝坊するとは思えないが、用もないのに会社に残る必要もない。

 ソファから立ち上がりながら促すと、後輩も静かに続いた。

 自宅のある街へ転移する間際に振り返って、普段通りに別れを告げる。


『またな』

『ええ。クラージュ先輩、お元気で。

 ――さようなら』


 それが、夢から覚める合図だった。






「ん……?」

「あ、先輩! 目が覚めたんすね!」


 目を開けてすぐに飛び込んできたのは、燃えるように赤い夕陽だった。

 思わず目を細めると、それを遮るようにトレーラントが覗き込んでくる。

 人間の顔だ。ってことは、今は契約中か。

 ……契約中?

 

「……今、何時だ?」

「えっと、あと一時間で定時になるところっすね。

 ちょうど今、新しい契約にまつわる調査書が届いたところっす!

 それがちょっと複雑だったんで、一休みがてら作戦を考えてたんすよ」

「そうか…………そう、か?」


 待て、なんて言った? あと一時間で定時?


「……決闘があったのは」

「昨日っすね」

「つまり、昨日から今までずっと寝てたってことか?」


 冷たい汗が今は存在しない背筋を伝うのを感じながら尋ねる。

 俺の願いとは裏腹に、トレーラントはこっくりと頷いた。


「朝になっても起きなかったんで心配だったんすけど、サジェス先輩が「疲れてるだけだから心配ない」って言ってくれたんで、そのまま連れてきたっす」

「さすがに起こしてくれ……」


 休みでもないのに半日も寝過ごすなんて初めての経験だ。

 サジェスも「心配ない」じゃなくて叩き起こしてくれよ……。

 自業自得だと分かりつつも理不尽な八つ当たりをしていると、トレーラントが困った顔で口を開いた。


「先輩、軽い魔力欠乏症にもなってたんすよ。

 だから、無理に起こさない方がいいって」

「ああ、回復が遅れたんだな……」


 魔力欠乏症はその名の通り、魔力不足によって起こる一時的な症状だ。

 疲労感や頭痛から始まり、時には昏倒することもあるが、魔力が補充されれば回復するのでさほど深刻なものではない。

 悪魔の間では、己の魔力上限を知らない新入社員が一度は体験する症状として有名だった。


 俺の場合、トレーラントに魔力を全て渡したのが発症の原因だろう。

 もっとも、そこは予想の範囲内だから別にいい。

 決闘の後はやることもないし、昏倒しようが自発的に眠ろうが魔力は回復する。

 翌日には影響しないだろうと計算したうえでやったことだしな。


 予想と違ったのは、朝になっても魔力が回復しきらなかったことだ。

 首になってから魔力の回復量が低下したことは分かっていたが、見誤ったな。


「悪かった。迷惑かけたな」

「大丈夫っすよ! それに、先輩には昨日もさんざん世話になったんで!」

「元を辿れば原因は俺だから、サポートをするのは当然だ」


 俺がフィデリテをうまく諫められていれば、トレーラントが決闘を吹っ掛けられることもなかったんだ。

 全てが俺のせいとは言わないが、半分くらいは俺に責任がある。


 ……と言っても、たぶんトレーラントは納得しないだろう。

 今が休日なら言葉を尽くすが、あいにくと業務中だ。

 これについては後回しにして、ひとまず仕事をこなすことにした。


「ところで、次の契約はどんな内容なんだ?」

「商売仇を殺してほしいってことにはなってるっす」

「含みのある言い方だな」

「備考欄に「虚偽の可能性あり」って書かれてるんすよ」


 そう言って見せられた書類には、確かにトレーラントの言葉通りの文字が綴られていた。

 なるほど。確かに難しい案件だな。

 主に、相手への対応と手加減が。


 虚偽の理由で悪魔を召喚した場合、幾分かの代償を請求することが出来る。

 だが、請求した代償を素直に支払う人間はまずいない。

 当たり前だ。それが出来るなら初めから嘘を吐いて悪魔を召喚したりしない。


 悪魔は他種族に危害を加えられないが、正当な理由がある場合は別だ。

 代償を支払わない相手を適度に追い詰めることも認められている。


 ただしその場合も手加減は必須だ。

 相手を傷つけすぎたり、殺してしまったりした場合は規則違反と見なされる。

 力加減があまり得意でないトレーラントが悩むのも無理はなかった。

 コンビを組み始めた頃と比べれば格段に良くなったんだけどな。


「召喚者は?」

「名前はルーカス・ヴァイントラウベ。奴隷商っすね」

「奴隷商か……目的は大体想像がつくな」


 奴隷はその用途から大きく二つに分別できる。

 愛玩用の奴隷と労働用の奴隷だ。

 どちらにしても当事者を待ち受けるのは地獄だが、求められる能力は大きく異なる。


 ルーカスが扱う愛玩用の奴隷の価値を決めるのは美しさ。そして珍しさだ。

 人間なら黒い髪や瞳を持つ者やオッドアイの者が高値で扱われるし、そういった見た目でなくとも半獣や人魚、エルフであれば奴隷の価値は跳ね上がる。


 だが、人間の欲望にはきりがない。

 初めは黒髪の奴隷で満足していても、他の者も同じ見た目の奴隷を持っていると知ればもっと珍しいものを欲しがり始める。

 オッドアイの人間を、人魚を、エルフを。


 膨れ上がる欲求の行きつく先はいつの時代も決まっている。

 悪魔を奴隷にしたい、だ。


 自在に姿を変えられる悪魔を奴隷にすれば、どんな見た目も思いのまま。

 核を破壊しない限り死ぬことはないので何をしても失うことはない。

 何より、いつの世も人を見下す種族を下におく支配感がたまらない……らしい。

 以前人間として取引をした奴隷商から聞いた話だ。


 もっとも、悪魔が捕まることはそうそうない。

 今回のようにノレッジからの警告があるし、悪魔は大抵の人間より強いからな。

 もし捕まってもすぐに他の社員――主にサジェスが助けに行くから、俺が知る限り悪魔が奴隷として流通したことは一度もなかった。


 それなのに悪魔を奴隷にしたがる人間は一定数出るんだから、不思議なものだ。

 サジェス曰く、悪魔を捕らえた人間には毎回それなりの罰が与えられているはずなんだが。


「仕掛けてくるならお前が召喚先に姿を現した直後か、契約を結ぶ直前だ。

 こいつの性格的に、前者の方が可能性が高いか」

「そうなんすか?」

「ルーカスの評判は聞いたことがある。

 人間として振舞っている時に、だけどな」


 奴隷を買うのはもっぱら貴族か金持ちだ。

 どちらかに紛れて過ごしていれば、奴隷商の噂は自然と耳に入ってくる。

 ルーカスは奴隷商の中でもそこそこ有名だったから覚えていた。


「欲深いが小心者で、よく言えば思慮深い。悪く言えば考えすぎる男だ。

 仕掛ける前に嘘が見破られる危険は避けるだろう」

「そんな心配、する必要ないんすけどね。

 俺はあえて一発貰っておけばいいっすか?」

「ルーカスに恨みがあるのでないなら、お前が痛い思いをする必要はないさ。

 攻撃を防いだらすぐに捕らえて、代償を搾り取ってやればいい。

 それなら手加減の必要はないだろう?」

「それもそうっすね!」


 方針が決まったので、さっそく転移することにした。

 どんな罠を仕掛けているかは知らないが、相手の企みは分かっている。

 召喚が虚偽である可能性以外は備考欄に書かれていなかったし、大した危険はないだろう。


 この時は、そう思っていた。

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[良い点] クラージュ先輩はいつも飄々としてるというか、びっくりしても柔軟に対処できそうです。 絶句する程の驚きは確かに少なそうですね。 そこまでの爪痕を残すというのは、なかなか大変な出来事だろうなあ…
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