16話 クラージュ
「…………悪魔違いでは?」
あまりに予想外の展開に「おとなしく聞いていよう」なんて殊勝な決意は一瞬で消え去った。
それはそうだ。やってもいない罪で恨まれたらたまらない。
フェーデは確か、サジェスより少し新しい悪魔だったはずだ。
その親なら当然、フェーデよりも古いはず。
年と実力は必ずしも比例しないが、ある程度は保障される。
特に会社が創設される前から生きていた悪魔ならなおさらだ。
サジェス曰く、会社が出来る前はもっと殺伐としていて弱い悪魔にとっては生きにくい世の中だったらしいからな。
少なくとも新入社員に消滅させられることはないはずだ。
そもそも、他の悪魔に危害を加えることは規則違反になる。
フェーデの言葉が正しければ、俺はとっくに核を破壊されているだろう。
俺が知る限り、社長が規則違反を見逃したことはこれまで一度もないからな。
そんなことを考えていると、フェーデがにっこりと笑った。
「だろうねえ。やったのはお前じゃなくて「クラージュ」だし」
「だから――ああ、なるほど」
悪魔の名前は時折、被ることがある。
現在生きている悪魔の中で被った例は聞いたことがないが、消滅した悪魔の名前が別の悪魔につけられることは珍しくない。
実際、トレーラントは生まれる直前に消えた悪魔の名前を貰っているしな。
「前のクラージュが、フェーデ部長の親を消滅させたんですね」
「うん、そうだよ」
「……いや、理不尽では?」
点と点が繋がり疑問が解消した爽快感は一瞬で消えた。
気持ちは分かるが、それって単なる八つ当たりだよな?
思わず呟いた俺を一瞥して、フェーデが顔をしかめた。
「お前と同じ黒髪の、すごくイヤな奴だったんだ。
悪魔を食べたくらいで、さも重罪を犯したかのように糾弾してさあ。
自分だって、実の子が食われかけるまで静観してたくせに」
同族殺しをして消滅させられたのなら、当然の処置じゃないか?
浮かんだ疑問は口に出さず呑み込んだ。
この状況で正論を言えるほど正義感は強くない。
俺だって自分の身(は、ないので首)は可愛いんだ。
だが、さすが役職者というべきか。
俺の疑問を読み取ったのか、言葉を紡いでいた唇にうっすらと笑みが乗った。
「言っておくけど、当時は合法だったからね。
そもそも、共食いと同族殺しは同じ意味じゃない。
クラージュが僕の親を殺す正当性は昔も今もどこにもないんだ。
ただ、自分の子どもを食べられそうになって八つ当たりしただけ。
同族殺しの禁を犯したのはクラージュだけなのに、ひどい話だよねえ」
「……どういう意味ですか?」
尋ねると、こちらを見下ろす緋色に嘲りが浮かんだ。
「お前って、案外鈍いんだねえ。
悪魔が消滅するのはどんな時かも分からないわけ?」
「それはもちろん、核が破壊され――」
そこまで言いかけて気がついた。気がついてしまった。
俺の予想が正しければ、確かにフェーデの親は同族殺しはしていないのだろう。
だが、それはあまりに惨い所業だった。
どうか外れていてくれと願いながら、おそるおそる口を開く。
「……悪魔は肉体が消滅しても、核さえあれば生きられる。
だから、核を傷つけないように肉体だけ喰らえば同族殺しにはならない。
そういうことですか?」
「大正解」
願いに反して告げられた言葉に思わずため息が漏れた。
魔法も使えず、身動き一つできず、それなのに死ぬことは出来ない。
考えただけでぞっとする状況だ。
だが、同族殺しという罪は犯していない。
そして、同族を傷つけることすら禁じられたのは会社の設立後。
フェーデの親が消滅させられた時には存在しなかったはずだ。
当時の基準で考えれば、フェーデの親は無実だったのだろう。
「ま、その状態だと契約出来ないから長くは生きられないけどねえ。
でも、生かす方法がないわけじゃない。実際、僕の親はそうしてた。
クラージュに殺されたおかげで、みんな消滅したけどねえ。
つまり、クラージュは大虐殺犯ってわけ」
「それについてはなんとも言えませんが……事情は理解しました。
俺を嫌っているのは、前のクラージュと似ているからですか?」
「バカじゃないの」
あれ、違うのか。
てっきり、俺の名前を聞くとかつての「クラージュ」を思い出すから嫌われているのだとばかり思っていたんだが……。
「クラージュはさあ、すごくイヤな奴だったけど実力はあったんだよねえ。
許すつもりはないけど、まだ納得出来た。
あいつに殺されたなら仕方ないかな……ってさ」
だから、とフェーデが顔をしかめた。
「新しいクラージュがサジェスに面倒見られるくらい無能だと知った時、僕の親まで貶められた気がしたんだよねえ」
「貶める?」
「だって、僕の親はクラージュに殺されたんだよ。
つまり、クラージュより無能だったってことでしょ。
それでも、あいつは誰よりも力があった。
あいつに殺された僕の親も「一番目に負けた二番目」でいられた」
そこまで話して、フェーデが一度言葉を切った。
何かを堪えるように息を吐き、再度口を開く。
「――じゃあ、クラージュが一番でなくなったら?
当然、そいつに負けた僕の親も二番ではいられなくなる。
クラージュの名が貶められることは、親の名が穢されるのと同じだ」
なるほど。それで前のクラージュより弱い俺を嫌ったわけか。
………………無茶言うな。
前のクラージュが実際にどのくらいの実力者だったかは知らない。
だが、少なくともフェーデが認めるほど力のある悪魔だったんだろう。
そんな相手と生まれたての新入社員を比べるなよ。劣るに決まってるだろ。
いや、今比べられても勝てる気はしないが……。
「言っておくけど、生まれたてのお前にクラージュ並の能力を求めたわけじゃないからね。
僕だって、生まれたばかりの頃は弱かったし」
心の中で呟いた愚痴を感じ取ったのか、眉間に皺を寄せたフェーデがそう付け加えた。
よかった。さすがにそこまでは求められていなかったらしい。
「だけど、それを差し引いてもお前は弱かった。
魔力は低いし伸びしろも大してない。おまけに変化の魔法も使えない。
そんな奴がクラージュを名乗ると思うと、たまらなくイヤだったんだよねえ」
「すみません」
どうやら、俺が思っていたよりも冷静に実力を見極められていたらしい。
名前の件はともかく、魔力の低さと変化の魔法が使えないことは事実だ。
思わず謝る(冷静に考えるとそうする必要は全くないんだが)と、フェーデの目が僅かに和らいだ。
「……まあいいよ。
魔法の才能はないけど、物事を考える脳はあるみたいだしねえ。
特別に、認めてあげる」
「認める?」
「クラージュを名乗っても許してあげるって意味」
それはつまり、今回のように絡むのをやめてくれるって意味か?
尋ねるより先に、フェーデが言葉を続けた。
「先に言っておくけど、お前の実力を認めたわけじゃないからねえ。
頭の回転はそこそこいいみたいだけど、それだって及第点には及ばない。
今回認めてあげたのは、楽しませてくれたお礼だよ」
「楽しませた? むしろ、退屈していたように見えましたが……」
終始冷え切った目で俺たちとフィデリテのやり取りを見つめていたフェーデを思い出して尋ねると「ああ」と肩をすくめられた。
「決闘自体はね。
でも、悪魔が悪魔と契約するっていうのはいい発想だった。
僕ですら、そんなことが出来るなんて初めて知ったもの。
今後も面白いものを見せてくれるかなって期待も込めて認めてあげたわけ。
これに感謝して、せいぜい楽しませてよねえ」
「……努力します」
言いたいことは色々あるが、それらはひとまず飲み込んだ。
日々を平和に過ごすせっかくの機会を逃す手はない。
健気な後輩らしく返事をすると、こちらを見下す緋色に愉悦が滲んだ。
「お前はクラージュより、サジェスに似たんだね。
どうせなら、才能も受け継げばよかったのに」
「俺はサジェスの実の子ではないので……」
悪魔を誕生させるには二つの方法がある。
一つはフェーデのように親が生み出す方法。
もう一つは、この世のどこかにある世界樹から生まれ落ちるのを待つ方法だ。
親となることを選ぶ悪魔は少ないので、大半の悪魔は後者で生まれる。
もちろん、俺も後者だ。
仮に親がいれば、俺の教育係はそいつになっていただろう。
子の養育は親の責任だからな。
親が悪魔であろうと世界樹であろうと、子の能力に差はない。
ただ一つ違うのは、子は親の性質を受け継ぐ可能性が高いという点だ。
絶対じゃないし、具体的に何をどのくらい受け継ぐのかは分からないけどな。
その辺は、他種族と同じだ。
逆に言えば、世界樹から生まれた子は他の悪魔の性質を受け継がない。
魔力が繋がってないんだから当然だ。むしろ継いでいたら怖い。
そういうわけでサジェスの才能を俺に継げというのは無茶な話だった。
まあ、本気で言ったわけじゃないんだろうけどな。
その証拠に、俺の返答を聞いたフェーデは爆笑している。
……そんなに面白いか? この話。
「あはは! 笑わせないでよ、本当に。
この場にいないのにこんなに笑わせてくれるなんて、サジェスって才能あるよねえ」
「ないと思います」
あいつは多分、フェーデが今ここにいることも知らないと思う。
休み明けに頭を抱えるであろうサジェスにひっそりと同情していると、ようやく笑い止んだフェーデが腹を擦りながら口を開いた。
「ああ、笑った……用は済んだし、僕はそろそろ帰るよ。
あいつらが戻ってきたら伝えといてねえ」
「わかりました」
どうやら、ここに残った目当ては俺との会話だけだったらしい。
これ以上フェーデに振り回される心配がなくなってほっと胸を撫で下ろす。
いくら名前の件で絡まれる危険がなくなったとはいえ、苦手であることに変わりはない。
長く話し込みたい相手じゃないからな。
「フェーデさん――」
「クラージュ」
見送ろうとした俺の言葉を遮って、フェーデが口を開いた。
こちらを覗き込む瞳には好奇の色が浮かんでいる。
「笑わせてくれたお礼に、一度だけお前に付き合ってあげるよ。
サジェスには聞けないことが出来たら、精霊部においで。
相手をしてあげるのは僕が暇な時に限るけどねえ」
「…………機会があればお願いします」
何が目的なのかは分からないが、せっかくの申し出を断るのは失礼だ。
ひとまず無難に返事をすると、俺の本心を見抜いたようにフェーデが微笑んだ。
「機会はすぐに来ると思うよお。
だってお前はサジェスの「後輩」で、豹の先輩だもの」
「それは、どういう――」
フェーデの言葉は間違いなく事実なはずなのに、どこか含みがあった。
込められた真意を尋ねようとした俺を無視して、フェーデの姿が掻き消える。
精霊部に帰ったんだろう。役職者は誰も彼も忙しいからな。
気になるとはいえ、事前連絡なしで他部署へ押しかけるわけにはいかない。
先方に迷惑が掛かるし、礼儀にも反する。
フェーデが許されたのは精霊部の部長で決闘の立会者だったからだ。
平社員で特に役目のない俺が行ったところで門前払いされるだけだろう。
はあ、とため息を吐くと途端に頭が重くなった。
フェーデへの対応で気疲れしていたのと、魔力が尽きたせいだろう。
トレーラントが戻ってくるまで休んでいようと、俺はそっと目を閉じた。




