14話 種も仕掛けもございません
決闘の内容を決める時、俺はフィデリテに確認した。
契約の仕方や報酬の計算方法はいつも通りでいいのかと。
トレーラントは普段、俺と一緒に報酬を計算されている。
それはフィデリテも知っているはずだ。
元を辿れば、それが決闘の理由だからな。
その上で、俺の問いにフィデリテは「当然だ」と答えた。
だったら当然、俺とトレーラントの報酬は合算していいよな。
それが「いつも通り」なんだから。
以前の査定で、俺がいなくとも報酬額にはさほど影響しないことは分かっている。
あとで特別手当や指名を受けられる確率はやや下がるが、決闘の結果には障らない。
勝敗は「今日手に入れた」報酬額で決めるからな。
そこで思いついたのがこの取り立てだった。
これなら楽に大量の報酬を手に入れられるからな。
昨日決めたルールには「契約して入手した報酬でないと計算に含めない」とは定めていないから、文句は言えないはずだ。
仮に言えても、ルールに反していない以上は俺の報酬を計算から除外出来ない。
これが、俺が昨夜考えた作戦だった。
「ふーん……裏から手を回すなんて、クラージュらしい陰険なやり方だねえ」
「正々堂々とした勝負がお好みですか」
「根回しも下準備もしないバカ共の争いなんて見るわけないでしょ。
好み以前の問題だよ」
緋色の目に軽蔑の色を浮かべてフェーデが鼻を鳴らした。
俺の質問がよほどお気に召さなかったらしい。
実力が拮抗しているなら、正々堂々とした勝負も面白いと思うんだけどな。
まあ、今回のケースには当てはまらないから言う気はないが。
フェーデの逆鱗がどこにあるのか把握しきれていない以上、余計なことを言って怒らせたくはない。
慣れてきたとはいえ、自分より遥かに格上の相手から敵意の籠った魔力を向けられるのは気分がよくないからな。
「それは失礼しました。
価値のある見世物を提供できたようで光栄です」
「役者がバカと未熟者とクラージュじゃあ、B級もいいところだけどねえ。
暇つぶしにはなるから、一応最後まで見てあげる。
それが仲裁者の義務だし」
「……そうですか」
仲裁……したか? むしろ煽られた記憶しかないんだが。
内心首を傾げてしまったが、もちろんそれを顔に出したりはしない。
他部署の社員と余計な諍いを起こしたくないからな。
こじれたら課長に迷惑が掛かる。
「ほかにも行く場所があるので、俺はこれで」
話に一区切りついたところでそう告げて、ベンチから飛び降りた。
いつまでも雑談に付き合うほど暇じゃないし、慣れたとはいえ刺々しい物言いの相手と長話をしたいと思えるだけの自己犠牲精神は持ち合わせてないからな。
さいわいなことに、引き止められることはなかった。
もしそうされたら「決闘の邪魔をしないで欲しい」と言うつもりだったが、その必要はなさそうだ。
安堵にない胸を撫で下ろしつつ、次の目的地へと首を向ける。
「せいぜい楽しませてね、クラージュ」
背後から投げかけられた言葉にはどこか楽しげな響きが籠っていた。
「おかえりなさいっす、先輩!」
用を済ませて営業部に戻ると、トレーラントが待っていた。
見れば、部屋の中央に設置された水時計は定時を示している。
丁度いいタイミングで戻って来られたみたいだな、と考えていると駆け寄ってきたトレーラントが俺を抱き上げた。
「俺、いっぱい契約してきたっすよ!」
「そうか。結果を見るのが楽しみだ」
血の匂いがしないことにほっとしながらねぎらいの言葉を掛ける。
途端、真紅の目がきらきらと輝いた。
白豹の姿だったなら長い尻尾が勢い良く振られていただろう。
見られないのが残念だと思っていると、背後から棘のある声が投げつけられた。
「どうやら、逃げずに戻ってきたようだな」
「逃げたところで結果は変わらないからな」
俺の返しをどう解釈したのか、フィデリテの目に勝ち誇った色が浮かんだ。
よほど決闘の結果に自信があるんだろう。
「先輩……」
一方で、トレーラントは不安げだった。
それもそうか。トレーラントとフィデリテにはそれだけ大きな差がある。
中位と上位。新入社員と中堅社員。位階と経験の差は覆すのが難しい。
どちらかだけならまだしも、両方となるとまず勝ち目はない。
普通はな。
「心配しなくていい。いつも通り、契約は出来たんだろう?」
「はい。でも……本当にいつも通りなんすよ」
「なら、大丈夫だ」
普通にやって勝ち目がないなら、搦め手を使えばいい。
そもそも初めに暗黙の了解を破ったのはフィデリテだ。
明文化されていない規則なら無視してもいいというのなら、同じことをされても文句は言えないよな。
「役者が揃ったなら、そろそろ始めようかあ」
会話が途切れた時、サジェスの机の上に腰掛けていたフェーデが口火を切った。
手には銀で誂えられた立派な天秤が掲げられている。たぶん、魔道具だろう。
何を計るのかは知らないが、この状況を考えればだいたい察しがつく。
「って言っても、やることは単純なんだけどねえ。
双方、今日得た報酬を皿に置いて」
その説明で、天秤が何をするためのものか分かったのだろう。
トレーラントが右の、フィデリテが左の皿に報酬を載せていった。
フィデリテが得た報酬は予想通り、かなり量が多かった
魂が二つに生命が十以上。そのほかにも色々と得てきているようだ。
一方でトレーラントは、量こそ劣るものの内訳は負けていなかった。
魂が五つに生命が二つ。あとは魔石や大きな宝石などがそれなりに。
中位の悪魔でここまで得られれば上出来だろう。
そんなことを考えていると、こちらを向いたフィデリテが鼻を鳴らした。
「どうした。あまりの差に言葉も出ないか」
「いや、おおむね予想通りだな」
「どれほど虚勢を張ったところで結果は変わらない。
クラージュ、お前の負けだ」
「お前と勝負をしてるのはトレーラントであって俺じゃないだろ」
「そんなことはどうでもいい!」
どうでもいいわけないだろ。
トレーラントを蔑ろにする発言に思わず眉をひそめる。
俺の表情などどうでもいいのか、フィデリテはさらに言葉を続けた。
「結果が出た以上、お前が後輩と組むことは今後二度とない。
だが、それではお前も困るだろう。
この場で謝るのなら、私が組んでやってもいい」
「断る」
「まだ強がるか!」
思い通りの言葉を引き出せないことに苛立ったのか、ブーツのつま先が乱暴に地面を蹴った。
これ以上言い返しても不毛なので何も言わず、トレーラントに視線を向ける。
「トレーラント」
「ごめんなさいっす、先輩……」
「それはいいから、天秤にこれも載せてくれ」
「俺、頑張ったんすけど――これ?」
ライフから受け取ったバスケットを渡すと、トレーラントが小さく首を傾げた。
中を覗き込んだ途端、真紅の目に困惑の色が浮かぶ。
「先輩、これ……」
「俺が手に入れた報酬だ。それも加えてくれ」
「待て! クラージュ!」
俺の言葉が終わる前に、フィデリテから制止が掛かった。
予想していたことなので驚きはない。
「なんだ?」
「これは私とお前の後輩が行っている決闘だ。
お前の介入は許されていない!」
「決闘相手が俺じゃないって自覚はあったんだな……」
じゃあ、なんで毎回俺を挑発するようなセリフを言ってたんだ?
フィデリテの精神状態がやや心配になりながら用意しておいた言葉を返す。
「フィデリテ。俺は昨日、確認したよな。
契約の仕方や報酬の計算方法はいつも通りでいいのかって。
そして、お前はそれを了承した。間違いないな」
「ああ。昨日の会話程度、覚えていないわけがないだろう。
それが――」
そこまで口にして俺の意図に気がついたのか、薄紅色の目が大きく見開かれた。
そのため途中で言葉が終わってしまったが、必要な部分は聞けたので次は課長とフェーデに向き合う。
「フェーデ部長、課長。
今の話を聞いた上で、俺の行動はルール違反だと判断されますか?」
「いいや。お前たちがそう決めたのなら合法だろう」
「弱者が取る手段としては基本だよねえ。
僕だったら絶対引っかからないけど」
それはそうだろ。俺だってフェーデと勝負する時にこんな拙い手は取らない。
そもそも勝負自体どんな手を使ってでも避けると思うが。
ゾッとする想像を頭から振り払い、トレーラントに向き直る。
「というわけで、トレーラント。俺の報酬も合算しておいてくれ」
「あ、はい。先輩!」
我に返ったトレーラントが慌ててバスケットを開け、中身を天秤に置き始めた。
淡い緑に輝く魂に虹色の魔石。表面に星のようなきらめきが浮かんだ宝石……。
それらを乗せるたび、左に大きく傾いていた天秤が徐々に右へと動き出す。
バスケットの中身を全て乗せると、ようやく天秤の動きが収まった。
背後でフィデリテが息を呑んだのを聞きながら、天秤を眺める。
「ぴったり同じか……」
残念なことに、天秤は完全に釣り合っていた。
さすが上位の悪魔。俺の報酬を合算しても引き分けがやっとだったか。
最後にライフから渡された精霊部からの特別手当(湖の貴婦人から加護を受けた冒険者と契約した結果、貰えることになった代物だ)がなかったら負けてたな。
最悪の結果にならなかったことに胸を撫で下ろしつつ、そっとフィデリテの様子を伺う。
天秤を睨むフィデリテの表情は険しかった。
どう見ても結果に納得しているようには見えない。
このままだと、近いうちにまた勝負を仕掛けられるだろう。
現状、どちらの願いも叶わないからな。
――決着をつけるか。
トレーラントの望みが叶えば、俺とフィデリテの諍いに巻き込まれることはない。
そして、俺だけならどうとでもあしらえる。
ここで日和見する理由はなかった。
さいわい、今日が終わるまでまだ時間はある。
普段なら定時を過ぎての残業はよほどの事情がない限り許されないが、課長には既に相談して「一分くらいなら」と許してもらったので止められる心配はない。
「トレーラント」
いつものように名前を呼ぶと、天秤に向けられていた瞳がこちらを向いた。
不思議そうに瞬く瞳を覗き込んでにっこりと微笑む。
「契約だ」
辺りの空気と魔力がピンと張りつめた。