13話 生首先輩の暗躍
翌日、早めに出勤して真っ先に行ったのは課長への事情説明だった。
事の流れを書いた手紙は既に送ってあるが、それはそれ。
顔を合わせて話した方が誤解も減るだろう。
昨日は一方的に説明しただけで、課長の意見は聞いていなかったしな。
「――そうか。では、勝負を認めよう。
ただし、無茶はしないように」
「分かりました」
いくつかの質問と補足を経たのち、課長はため息交じりに頷いた。
ついで、つぶらな瞳が申し訳なさそうに伏せられる。
「それから、昨夜は行ってやれなくてすまなかった。
ちょうどその頃、死神の長に声を掛けられて死生部へ行っていてな。
その関係で、連絡が遮断来なかったのだろう」
死生部にある一部の部屋――会議室や研究室など――には、あらゆる連絡が遮断される仕掛けが施されている。
運命や生死に関わる重要な情報を保護するためだ。
長がわざわざ声を掛けてきたのなら相応の用件だったんだろうし、きっとそういう部屋を使ったんだろう。
それで、課長ではなく他部署の役職者であるフェーデが呼ばれたのか。
役職者が他部署の社員を助けてはならないという規則は無い。
課長の手が空くのを待つより合理的だと判断して、ノレッジが手配したんだろう。
呼んだ基準は謎だが、資料室からもっとも近いところにいたのかもしれない。
ちなみに、サジェスは数日前から屋敷に籠っているので選択肢には上がらない。
勇者から剥がした天使の加護を使って、確かめたいことがあるそうだ。
普段は視野の広いサジェスだが一度集中するとのめりこむ性質だから、仮にノレッジが連絡していても気づいてないはずだ。
昨日送った手紙も、実験がひと段落するまで読まれないだろうしな。
……だが、それにしても呼ぶ相手は選んで欲しかった。
フェーデ以外が来てくれたら、もっと穏便に終わったはずだ。
だいたい、役職者が決闘を推奨するなよ。止めろ、早急に。
心の中で不平不満を漏らしていると、課長が大きくため息を吐いた。
「それにしても、上位が中位に決闘を申し込むとはな」
決闘は本来、同格か自分より立場が上の者に仕掛けるものだ。
そうでないと単なる弱い者いじめになるからな。
フィデリテが決闘を挑んだ相手が俺ならまだよかった。
確かに今の俺は生首だが同期だし、防衛や探知など一部の魔法では俺のほうが上だ。
攻撃魔法なんかはフィデリテの足元にも及ばないが、総合的に見れば並ぶ……とはいえないが、少なくとも「弱い者いじめ」とは思われないだろう。
だが、トレーラントは違う。
フィデリテより千年以上も新しく、経験も魔力も劣っている。
唯一並べるのは、得意としている変化の魔法と演技力くらいだろう。
それでも十分すごいことではあるんだが。
客観的に見て、フィデリテがトレーラントに決闘を挑む正当性は一切なかった。
……ただ。
「俺が煽ったのも原因なので……」
難しい顔をする課長にそう告げたのは、フィデリテを庇うためじゃない。
実際、俺の対応もよくなかったと自覚しているためだ。
守るべき後輩と一緒にいる時に取る態度じゃなかった。
トレーラントの安全を考えるなら、身体が再生してあいつとのコンビを解消した後にやるべきだったな。
「いや、それでも耐えるのが上位の悪魔だ。
確かに我々には特権があり、名誉がある。
だがそれは弱い者や下の者を守る義務と引き換えだ。
力を振りかざし、新しく弱い者を虐げることは決して許されない」
「サジェスには伝えたので、じきに対処してくれるでしょう」
フィデリテはサジェスを尊敬しているし、サジェスもフィデリテの扱いが上手い。
とりあえずサジェスに投げておけば何とかなるだろう。
「どれほど熱心な指導も、それを受ける者が理解していなければ意味がない。
……変われるといいがな」
俺の楽観的な予想とは裏腹に、課長は厳しい表情を崩さなかった。
張り詰めた空気にそっと息を吐き……そこで、近づいてくる魔力に気がついた。
見れば、普段の出勤時間が迫っている。どうやら時間切れのようだ。
課長もそれに気づいたのか、表情を普段のそれに戻す。
それと同時に扉が開き、昨日嫌というほど見た赤い巻き毛が視界に映った。
「……ずいぶん早いのだな」
「ああ、ちょっと用事があってな」
「用事?」
課長の前にいる俺たちを見て、フィデリテが目を見開いた。
自分が遅れたのかと焦るフィデリテに事情を説明する。
「課長への事情説明だ。
契約は業務だから、勝手に決闘の対象にするのはまずいだろう」
「相変わらず、些事にこだわる奴だな」
「気が回ると言ってくれ」
フィデリテが調査書を受け取るのを待ちながら、そんな会話を交わす。
こういう何気ない会話は普通に出来るのに、なんで向かい合うと途端にぎくしゃくしだすんだろうな。
普通、逆だと思うんだが……。
「では、フィデリテ。トレーラント。両名とも、気を付けてこなすように」
「了解しました」
「はい、課長」
課長の言葉にトレーラントたちが頷き、決闘の火蓋が切って落とされた。
……といっても、いつも通り契約者の元へ向かうだけなんだけどな。
ちなみに俺は留守番だ。
「せいぜい楽しみにしているがいい!」
「行ってくるっすね、先輩!」
「ああ。課長も言っていたが、無茶はするなよ」
意気込むトレーラントに言葉を掛けて送り出す。
何故か俺に対して啖呵を切ったフィデリテは知らない。
お前の対戦相手は俺じゃなくてトレーラントなんだからそっちに言ってくれ。
……想像したら腹が立ってきたから、これでいいか。
「さて、俺も行くか」
普段ならトレーラントと共に契約へ向かうところだが、今日は別行動だ。
色々とやりたいことがあったからな。
前日に課長へ申請を出しているので問題はない。
契約には行かないが暇ではないので、そろそろ動き始めるとしよう。
向かうは死生部だ。
「お待たせ、クラージュ」
ころころと転がりながら死生部へ到着し、近くのベンチで待つこと十分少々。
昨日送った申請が無事に通ったことを確認していると、ライフが駆け寄ってきた。
異世界の化粧品を流通させようとした少女を排除した礼として、エアトベーレへの出張権を貰った時以来だが元気そうだな。
「はい、これ。頼まれてた奴。
全部揃えたと思うけど、確認してみて」
そう言って差し出されたのは小さなバスケットだった。
上に被せられた布を捲れば、色とりどりの魂や魔石、生命などがぎっしりと詰まっているのが見えてつい笑みがこぼれる。
全て、俺が今までに手に入れた特別手当だ。
入手時期がちょうど死生部の繁忙期だったせいで、支払いが滞ってたんだよな。
そろそろ催促する頃かと思っていたから丁度よかった。
用意された不死鳥の羽ペンを魔法で操って受け取りのサインをしながら、突然の請求にもかかわらず揃えてくれたライフに礼を言おうと口を開く。
「助かる。突然請求して悪かったな」
「気にしないでいいよ。
元はといえば、支払いを滞らせた死生部の責任だしね。
欲を言うなら、もっと余裕を持って請求して欲しかったけど……」
「今度、蒸留酒のうまい店を探しておく」
「楽しみにしてるよ」
確かに支払いが遅れたのは死生部の責任だが、さすがにこの量を一日で用意しろというのは無茶ぶりが過ぎるからな。
店に行った時は、ライフの好きな蒸留酒のとりわけいい奴を奢るとしよう。
「――それにしても、突然どうしたの?
クラージュが支払いを催促するなんて珍しいよね」
「ちょっと決闘に必要でな」
「へえ、決闘……決闘?! クラージュが!?」
「いや、俺じゃなくてトレーラントだ」
驚くライフに事の経緯を説明すると、海のように青い瞳に呆れの色が浮かんだ。
「クラージュって本当、厄介ごとに好かれるよね。
フィデリテは昔からあの性格だったから「とうとう来たか」って感じだけど、幻獣部の部長との縁とかどこで拾ってくるの?」
「拾いたくて拾ったわけじゃない。欲しいなら引き取ってくれ」
「いやだよ。面倒なのはうちの長だけで十分」
「面倒って、どっちのこと?」
「どっちって――」
そこまで言いかけてライフが口をつぐんだ。
昨日感じたのと同じ濃厚な魔力に一瞬、息が止まりかける。
「なあに? 死神風情がそんなに驚いて。
聞かれて困るようなことでも話してたあ?」
からかいと嘲りが半々で含まれた声に、ライフがぎこちなく顔を上げる。
その視線の先には、にやにやと笑いながらこちらを覗き込む若葉色の髪を遊ばせた少年の姿があった。
魔力を感じ取るまで――正確には感じ取らされるまで全く気付けなかったのはさすが第三位の悪魔といったところか。
「えっと……」
「面倒なのはあの赤毛? それとも僕?」
「フィデリテです」
そんなの、両方に決まってるだろ。
……とは言えないので、無難に返した。
何を思っているのか、緋色の瞳が微かに細められる。
「ふーん……クラージュだから、さすがに誤魔化すのは上手だねえ」
「悪魔の必須技能ですから。
……ところでライフ。そろそろ仕事の時間じゃないか?」
「え? ――ああ、うん。そうかも」
会話が途切れた頃合いを見計らって問いを差し込むと、フェーデの魔力に当てられたのかやや青い顔をしたライフが大きく頷いた。
無理もない。なにせ、上位の悪魔でさえ委縮する魔力だ。
死神のライフにとってはこの場にいるだけで辛いだろう。
ごめんね、と小声で謝るライフに気にするなと伝えて、足早に立ち去る後ろ姿を見送る。
別れ際に貰ったものを魔法でバスケットに押し込んでいると、ライフのいた席にフェーデが腰を下ろした。
どうやら、ライフに興味はないらしい。
他種族に興味を抱く悪魔は多くないとはいえ、下手に興味を持たれたらどう誤魔化そうかと考えていたから安心した。
「それで、何してるのお?
僕はてっきり、お前も契約に行くんだと思ってたんだけど」
「強いて言うなら取り立てです。
この状態で出来る契約なんてたかが知れているので」
トレーラントの協力とサジェスの料理のおかげでだいぶ良くなったとはいえ、今の俺の魔力は生まれたての悪魔並み。
一日駆けまわって契約するより、未払いの報酬を取り立てた方が「報酬を得る」という意味では効率がいいと判断したわけだ。
こんなことをしても次に繋がる契約は取れないし、一度使ったらしばらく使えない手だから普段はしないけどな。
それに、今日はなるべく魔力を節約したかった。
ここまで転移を使わずに転がってきたのはそれが理由だ。
とはいえ、それをフェーデにわざわざ教える必要はない。
一つ目の理由だけ伝えると、フェーデの口の端が微かに吊り上がった。
「赤毛と白豹の決闘なのに、お前がこんなことしても意味ないんじゃない?」
「何を言っているのか、俺にはさっぱり。
これは、フィデリテと俺たちの決闘でしょう」
そう告げると、緋色の目がにんまりと歪んだ。




