12話 仕掛けは上々、細工は流々。あとは仕上げを御覧じろ
「何のつもりですか……フェーデ部長」
糾弾から庇ってくれた後、サジェスが教えてくれた名を口にする。
途端、緋色の瞳に苛立ちが浮かんだ。
「常識知らずの新入社員に常識を教えただけだけど?
まさか、後輩への指導を批難するわけじゃあないよねえ」
思わず問いただしてしまったが、そう言われてしまえば黙るしかなかった。
他部署の社員とはいえ、後輩が知らないことを先輩が教えるのは当然だ。
例えその行いが親切心からではなく悪意によるものだったとしても、それを咎める手立ては現状存在しないのだから。
こうなった以上、俺に出来るのは礼を言うことだけだ。
忙しい合間を縫って適切な指導をしてくれた相手に俺が批難の目を向けたということは事実なわけで、それを放置しておくのはあまりよくないからな。
特に相手は他部署の社員。普段接する機会がない分、こじれたら厄介だ。
フィデリテとの決闘に関しては改めて考えるとして、ひとまず謝ろう。
そう思った直後、フェーデが言葉を続けた。
「でもさあ。こういうのって普通、教育係が教えるものだよねえ」
「そうですね。俺の配慮不足でした」
「こんなことも教え忘れるなんて、無能もいいところだよ。
――そんな無能が「クラージュ」を名乗ってると思うと、腹が立つんだよねえ」
緋色の目が剣呑に細められる。
同時に、周囲の魔力がぐっと濃度を増した。
少年じみた背格好に似合わない老成した魔力に呑まれそうになって、咄嗟に感覚を遮断する。
俺を抱えるフィデリテの腕は微かに震えていた。
当然だ。いくらフィデリテが上位の悪魔とはいえ、相手が悪すぎる。
俺だって、耐性が無かったら冷静ではいられなかっただろう。
そこまで考えてから慌ててトレーラントへ視線を向けると、耳をぺたりと伏せて腹ばいになっている後輩と目が合った。
真紅の瞳に怯えの色はあるが、狂気はない。正気は保てているようだ。
ほっと息を吐いて、フェーデに視線を戻す。
「後輩への指導が行き届いていなかった件に関しては謝罪します。
お手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした。
ですが、名前に関しては俺の力が及ぶ範囲ではありません。
異議があるのでしたら規則通り、社長への申し立てをお願いします」
「前に言ったけど、通らなかったんだよねえ。
お前にはその名前がぴったりなんだってさあ。ふざけてるよねえ」
いや、言ったのかよ。
まさかそこまでしているとは思わなくて、つい心の中で呟いてしまった。
社長への異議申し立てって役職者でもそこそこ手間だったと思うんだが、よっぽど俺の名前が気に食わなかったんだな……。
「まあいいや、今回はそっちが目的じゃあないし」
そう言ってフェーデがトレーラントの前に膝をついた。
緋色の瞳が真紅の目を捕らえ、微かに歪む。
「それで、お前はどうするのお?
拾う? それとも、尻尾を巻いて逃げる?」
「俺は……」
迷うトレーラントにフェーデが柔和な笑みを浮かべた。
だが、その目には優しさではなく残忍な色が宿っている。
「さっきも言ったけど、怖いなら逃げてもいいよお。
その場合、お前だけじゃなくてクラージュの名も地に堕ちるけどねえ」
「え……」
「コンビなんだから、一緒に評価されるのは当然でしょ。
まさか、そんな簡単なことも分からなかったとか言わないよねえ」
フェーデが言っていることは事実だった。
コンビを組む以上、互いの評価は良くも悪くも共有される。
今まではそれで得ばかりしていたが、時にはこうして損をすることもある。
だが、俺の評判をトレーラントが気にする必要は全くない。
これでも一応、千五百年は生きてるんだ。悪い噂のあしらいには慣れてる。
知らない奴から馬鹿にされたところで実害はないしな。
ライフやフィリアが信じてくれればそれでいい。
「ト――」
「お前の意見は聞いてないから、黙っててくれないかなあ。
会話に割り込むなんて礼儀がなってないよ」
もし俺の評判を気にして決闘を受ける気ならやめてくれ。
そう伝えようとした時、冷ややかな声に遮られた。
告げられた言葉は正当だし、向けられる視線には明確な圧が含まれている。
フェーデの怒りを買って状況を余計に悪くしないためにも、黙るしかなかった。
……最初に割り込んできたのはそっちだけどな。
「う、受けるっす!」
結局、決闘は成立してしまった。
仕方ない。トレーラントの評判が落ちなくてよかったと思おう。
俺と違ってトレーラントは悪評へのあしらいに慣れていない。
悪い噂が立てばそれだけで傷つくだろう。
まだ新しいうちから色眼鏡で見られるのもよくないしな。
「じゃあ、勝利した時の要求を決めないとねえ。
赤毛のお前から言っていいよお」
「私は……クラージュとトレーラントのコンビ解散を求めます」
やや不満げな顔でフィデリテが告げた。
勝利した際に出来る要求は、決闘相手に関するもののみだ。
フィデリテは俺ではなくトレーラントに決闘を挑んだから、俺とのコンビ解散は求められても俺と自分が組むことまでは求められない。
それを理解した上でトレーラントに決闘を挑んだんだと思ったんだが、この様子を見るにどうやら違ったらしい。
大方、自分の方が優れていると証明したくて衝動的に魔石を割ったんだろう。
言いたいことはいろいろあるが、なんにせよ大した要求でなくてよかった。
「……ふーん」
フィデリテの要求を聞いて、フェーデがつまらなさそうに鼻を鳴らした。
どうやら向こうもフィデリテの要求の穴に気がついたらしい。
俺が気付くんだ。そりゃあ気付くよな。
言及されるかと思ったが、表情を見るにそのつもりはないようだ。
冷めた色の目が今度はトレーラントに向けられる。
「で、白豹のお前は?」
「俺は、フィデリテさんからのあらゆる接触の禁止を求めます。
期間は俺かフィデリテさんが消滅するまで。
ただし、業務時と俺から接触を求めた時は例外で」
「いいんじゃない。双方、異議は?」
その問いかけにフィデリテもトレーラントも首を横に振った。
要求の釣り合いが取れていない気がするが、決闘する者同士が納得すれば他者が口出しすることは出来ない。
後から要求を変えることも出来ないので、ここまでは安心だ。
「じゃあ、次に決闘の内容ね。
せっかく僕が立ち会ってあげるんだから、チェスなんてつまらないことはやめてよねえ」
「元を辿れば、成績がきっかけとなった決闘です。
明日手に入れた報酬額で競うことを提案します」
「いいですよ」
「一つだけいいか?」
話がひと段落したのを見計らって、問いを投げかけた。
今の俺が出来る精一杯のサポートだ。
……まあ、あの要求だったら別に負けてもいいんだけどな。
可愛い後輩が見下されたままなのは納得出来ないっていう、先輩のエゴだ。
あと、どうせ決闘するならトレーラントの要求も叶えてやりたい。
「なんだ」
「契約の仕方や報酬の計算方法はいつも通りでいいんだよな?」
「当然だ。まさか、私が格下相手に制限を求めるとでも思ったか」
「そこまでは思ってない。ただ、後から揉めたくなかっただけだ。
もしそこに制限が掛かると、課長やサジェスにも迷惑が掛かるしな」
「相変わらず、疑い深い奴だ」
そう言って、フィデリテが眉をひそめた。
お前はもうちょっと、相手を疑った方がいいと思うぞ。
特に俺のことは。
「ただし、後日に報酬や特別手当を得たとしても加算はされない。
あくまで「明日手に入れた」報酬だ」
フィデリテがそう念を押したのは、後から結果を覆される可能性を潰したかったためだろう。
明日の決闘が終わった後、トレーラントが高額の特別手当を手に入れる可能性も皆無ではないからな。
「それでいいか? トレーラント」
「はい、先輩」
トレーラントも頷いたので、これで決闘の準備は整った。
あとは明日を待つだけだが、その前に。
「打てる手は打っておくか」
先ほどの取り決めに、事前準備を禁じる規則は盛り込まれていなかった。
それなら、明日を迎える前に出来る限りの根回しはしてもいいよな。
部屋に戻った後、トレーラントが眠ったのを確認して便箋を取り出す。
わざわざこっそり行動するのは、フィデリテに俺が動いていることを悟られたくないからだ。
ああ見えても高位の悪魔だからな。隠し事を見抜く能力は高い。
明日の勝負に集中させるためにも、これに関してはぎりぎりまで隠しておいた方がいいだろう。
どのみち、トレーラントがやることは変わらないしな。
そんなことを考えながら魔法でペンを動かし、手紙を四通書き上げた。
うち二通は今回の経緯を記したもので、それぞれ課長とサジェス宛てだ。
業務を私用に使う以上、断りは入れておくべきだろう。
……本当は決闘の勝敗を決めるために契約を利用すると決める前に知らせておくべきだったんだけどな。
今になって考えると、俺も相当頭に血が上っていたらしい。
ついでに、課長宛てには明日は俺とトレーラントは別行動する旨を。サジェス宛てにはフィデリテを何とかしてくれという苦情を書き添えた。
フィデリテの面倒を見ているのはもっぱらサジェスだからな。
忙しいのにさらに仕事を増やすのは申し訳ないが、そうしないと俺とトレーラントに被害が及ぶのでここは遠慮なく押し付けさせてもらう。
それから、ライフ宛てにも一通書いた。
業務にまつわる手紙だから本当は死生部宛てにした方がいいんだが、緊急の用事ならライフに直接頼んだ方が早い。
……繁忙期じゃないから、たぶん大丈夫だろう。
最後の一通は必要ないと思うが、念のために書いた。
打てる手は打っておいて損はない。
もし出番がなかったら、トレーラントの教育用に流用すればいいだけだしな。
書き上げた手紙を読み直して誤りがないか確認して封をした後、魔法でそれぞれの宛先へ届ける。
これで今日やるべきことは全て終わった。あとは明日をゆっくり眠って迎えるだけだ。
もっとも、明日は明日でやるべきことはたくさんあるんだけどな。