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5話 元に戻った後の目標:毛布と枕を買う

「先輩、起きてください! もう朝っすよ!」

「朝から元気だな、お前……」


 声変わりを済ませた男にしては少し高めの声に起こされて、渋々目を開ける。

 すると、こちらを覗き込んでいた真紅の瞳がにっこりと微笑んだ。

 ふわふわとした毛並みが頬をくすぐる。


「おはようっす、先輩!

 よく眠れたみたいっすね」

「おかげでな。お前はどうだ?」

「この身体なんで、ばっちりっすよ」


 その言葉を裏付けるように、ふさふさとした尻尾が大きく揺れた。

 目も澄んでいるし、顔色もいい。無理はしてなさそうだ。

 お互い、枕が変わっても眠れる体質で助かった。

 まあ、トレーラントはいつも白豹に姿を変えて眠るから枕は使わないらしいけどな。


 それにしても、白豹って寝心地がいいんだな。

 枕代わりにしていた腹の柔らかさに眠気を誘われながら、欠伸をかみ殺す。

 身体が元に戻ったら、まずは長毛の毛布と柔らかい枕を買おう。

 いや、それよりも白豹を捕まえた方が早いか……。


「先輩。朝ごはん食べられそうっすか?」


 そんなことを考えていると、人型に姿を変えたトレーラントがこちらを振り返った。

 右手には出来立てなのか湯気を立てているパイが乗った皿がある。

 そういえば、サジェスが作った料理を毎日食べる約束だったな。


「ああ、大丈夫だ。悪いな」

「好きでやってるんで、気にしないでいいっすよ!

 ……っと、これくらいでいいっすかね」

「見れば見るほど普通のパイだな……」


 差し出されたのは特に変哲のない、ごく普通のミートパイだった。

 こうして近くで見ても何の肉が使われてるのかさっぱり分からない。

 まあ、特に肉に詳しいわけではないから当然だけどな。


 それに、たとえこれが何の肉だとしても食べないわけにはいかない。

 精神衛生の為にも、肉の正体は考えない方がいいだろう。

 世の中、知らない方がいいことはたくさんある。

 疼く好奇心に蓋をして、差し出されたパイを口にした。


「ど、どうっすか……?」

「……うん、うまい。

 あまり濃くなくて、俺は好きな味だ」


 肉の味に少し癖はあるが、下処理が丁寧なのか臭みはなかった。

 控えめに利かされた香辛料もいいアクセントになってる。


「話を聞いてると、なんかおいしそうっすねえ……

 ……じゃないっす! 食べられるかどうかを知りたいんすよ」

「そっちの話か。それも問題ない」


 昨日の予想通り、この状態でも飲食は出来るようだった。

 飲み込んだパイが断面から出てくる、なんてこともない。

 そう答えると、トレーラントは不思議そうに首をひねった。


「それはよかったっす。

 でも、食べたものはどこに行ってるんすかね」

「満腹感はあるから、栄養にはなってる気がするんだけどな……」


 サジェスならわかるのかもしれないが、残念ながら仕事中だ。

 専門知識のない者同士で適当な議論を交わしているうち、気づけば皿は空になっていた。

 最後の一口を飲み込んだ途端、見計らったように食器が消えていく。

 魔法で自分と俺の身支度を整えたあと、トレーラントが俺を抱え上げた。


「そろそろ行きましょう、先輩。

 今日はどれだけ搾り取れるか、楽しみっすね」

「そうだな」


 人事部に行くと、課長がいつも通り机に向かって書類を書いていた。

 もちろんアザラシの姿で。


 ……あれ、書きにくくないんだろうか。

 アザラシのヒレでペンを握るのは結構無理があると思うんだが。


「おはようございます、課長」

「ふむ、おはよう。クラージュ、トレーラント。

 昨日の契約は問題なく終えたようだな。やはり、お前たちを組ませて正解だった」


 満足げにそう言って、課長が俺とトレーラントの頭をヒレで順番に撫でた。

 それが嬉しかったのか、俺を抱く腕にぎゅっと力がこもる。


「先輩、やったっす! 課長に褒めてもらえたっすよ!」


 トレーラントのように若い悪魔が課長に褒められることは滅多にない。

 単純に、それだけの成果をあげられる機会が少ないからだ。

 だから今回のことは純粋に嬉しかったんだろう。よかったな。俺も嬉しい。


 ……嬉しいんだが、そろそろ腕を緩めてもらわないと窒息しそうだ。

 それくらいで死ぬほど柔じゃないとはいえ、たぶんこのままだと気絶する。


「トレーラント。悪いがちょっと力を緩めてくれ……」

「え? わっ、先輩!?」


 慌てた声が届くと同時に腕が緩められて、ようやく息が出来るようになった。

 見るからに落ち込んだトレーラントが申し訳なさそうに肩を落とす。


「うう、ごめんなさい……。

 あやうく先輩を潰しちゃうところだったっす」

「これくらいで潰れるような柔な作りはしてないから安心しろ」


 それに、万が一潰れてもそれくらいじゃ消滅しない。

 核さえあればいくらでも再生可能だ。


 とはいえ、この状態で頭まで潰されたら本当に何も出来なくなる。

 出来ることなら潰されたくはないけどな。

 そんなことを考えていると、課長が大きくため息を吐いた。


「仲がいいことは結構だが、そろそろ仕事に向かってくれ。

 言うまでもないと思うが、怪我には気を付けるように」

「了解っす!」

「はい、課長」


 いつものように返事をすると、空中に一枚の紙が現れた。

 本日一件目の契約にまつわる調査書だ。

 宙に浮いたまま制止するそれに目を通したトレーラントが「へえ」と声を上げる。


「珍しいっすね。冒険者が悪魔を召喚するなんて」


 冒険者の識字率はあまり高くない。

 ギルドで登録すれば誰でもなれるという都合上、教育を受けられなかった平民が大半を占めるためだ。

 魔術学校を卒業した魔術師や下級貴族もいるが、割合としては少数派だ。


 悪魔を召喚するには、文字の読み書きが出来る程度の教養と金が要る。

 召喚の方法は本に記されているし、それを実行するには高価な素材が必要になるからだ。


 別に教育を受けられなかったり、貧しい人間を差別しているわけじゃない。

 魂の質が教養や財力と比例するわけじゃないからな。

 召喚者の生まれや育ち、冒した罪の数なんてどうでもいい。

 重要なのは「本当に契約する気があるか」だけだ。


 儀式があまりに手軽だと、面白半分で召喚する人間が後を絶たない。

 いくら召喚件数が増えようと、契約出来なきゃ意味がないからな。

 初めから条件を厳しくしておけば、相応の覚悟を持った人間しか悪魔を召喚しなくなる。

 そのために召喚に相応の教養と財力を要求しているというだけの話だった。

 人間、死に物狂いになれば結構やれるものだ。


 だから、悪魔の召喚が補助されることは滅多になかった。

 サポートしたらふるい落としの意味がないからだ。

 悪魔と契約したがる人間は大勢いる。

 一人二人契約者を逃したところで、こっちに痛手はないしな。


 悪魔の召喚が契約に必要な場合や魂の純度が高そうな相手は手伝うらしいが、そんなケースはめったにない。

 それにもかかわらず、この冒険者は召喚を成し遂げた。

 もともと教養のある人間なのか、あるいはそれほどの執念があるのか。


 もし後者なら対応が面倒だが、トレーラントのいい教材になるかもしれない。

 人間の望みをこちらに都合がいいよう誘導するのも、腕の見せ所だ。


 どちらにしても、やることは変わらない。

 規則に反さないぎりぎりまで報酬を搾り取るだけだ。

 今日はどれだけ稼げるか、今から楽しみだった。

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[良い点] どうやって、ヒレでペンをにぎっていらっしゃるのだろー。 そして、わたしも頭を撫ででいただきたい。 枕とかの代わりに豹を捕まえればいいという発想、さすがです。 後輩教育の教材として、人間側は…
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