9話 首になりましたが、営業成績は上がりました
「もうそんな時期なんすね」
サジェスと遊んで数日後。
人事部の掲示板に張り出された成績優秀者の一覧を見て、トレーラントが声を上げた。
「先輩、見に行きましょうよ。
俺たちの名前、載ってるかもしれないっすよ!」
「そうだといいんだけどな」
一覧に名が乗る悪魔は限られている。
常に成績トップを維持しているサジェスは当然として、あとは上位の中でもとりわけ優秀な者ばかりだ。
そのため、ここに名を載せることを目標にする社員は多かった。
トレーラントもその一名のようで、その目はきらきらと輝いている。
正直な話、中位で一覧に名を連ねる者はほとんどいない。
だが、若手ではトップクラスに優秀なトレーラントとそこそこ長く生きている俺が組んだんだ。もしかしたら、と期待を抱いても罰は当たらないだろう。
そんなことを思いながらトレーラントと一緒に一覧に目を通す。
……あ。
「――先輩、先輩! 俺たちの名前、あったっすよ!」
俺がそれを見つけたのとトレーラントが歓喜の声を上げたのはほぼ同時だった。
一覧の中ではずいぶん下の方に記載されていたが、他に名を連ねている悪魔は全て上位であることを考えれば破格の順位といっていい。
むしろ、最下位でなかったことを誇るべきだろう。
「えへへ。俺、ここに名前載ったの初めてっす! 夢みたいっす!」
「よかったな。俺もこんなにいい順位になったのは初めてだ」
「俺たち、やっぱり相性抜群っすね!
来期も頑張りましょう、先輩!」
そう言って、トレーラントがにこにこと笑った。
それにしても、まさかここまで成績が上がっていたとは思わなかったな。
身体が再生した後の査定を思うと、今から気が重い。
いや、今は未来の苦労はいったん忘れて喜びに浸っておくか……。
そう思った時、頭にもふもふとした感触が当たった。
……もふもふ?
「お、トレーラントの名前あったんだ。よかったな」
「クラージュは首になっても変わらないわね~。
今期こそは成績を抜くチャンスって思ってたんだけど」
そう声を掛けてきたのは二名の悪魔だった。
巨大なハシビロコウと、栗色の髪を後ろに撫でつけた男性体の悪魔だ。
男性体の方はトレーラントと親しげにしているし、魔力が新しいからおそらく同期だろう。
それで、ハシビロコウの方は……。
「……久しぶりだな、ケニス」
楽しそうに言葉を交わす二名から目を離し、俺の頭をぺしぺしと叩く翼を振り払いながら返事をする。
途端、いかつい顔に似合わない朗らかな笑みが浮かんだ。
「そうねえ……百年ぶりくらい?
お互い忙しいものね~」
そう言ってしなを作ったのは同期のケニスだった。
正確に言えば俺の方が五年ほど新しいが、悪魔にとっては誤差の範囲だ。
ちなみに百年間会わなかったことに他意はない。
ケニスの言うとおり双方忙しかったのと、ライフと違って予定を合わせて会いに行くほど親しい仲じゃなかっただけだ。
直接会わなくとも、魔法を使えば話は出来るしな。
会社の同僚なんてそんなものだ。
「今回も成績優秀者に入るなんて、クラージュは本当優秀よね~。
昇進する日も近いんじゃない?」
「どうだろうな。今のままだと、当分は難しいと思うが」
「そうねえ……」
実のところ、成績優秀者として名を連ねるのはこれが初めてじゃなかった。
もっとも、ここまでいい順位だったことはない。
せいぜい最下位かその次くらいが関の山だったし、それも運よく指名や出張が重なってようやくだが決して悪い成績じゃない。
むしろ中位の中では優れている方だろう。
それにもかかわらずケニスの言葉に頷けなかったのは主に魔力不足が原因だ。
確かに、上位になるには契約数やその内容が重視される。
だが、魔力の量や質が全く気にされないわけじゃない。
昇進すればその分、下の者を守る義務が発生するからな。
もちろん、相応の対応力があれば多少魔力が劣っていても問題はない。
だが俺は、異世界の勇者とはいえ人間に首にされた。
その時点で昇進は数百年ほど遠のいたはずだ。
むしろ遠のかせないと他の悪魔から文句が出る。
自分の身すら守れない悪魔を昇進させたところで、困るのはそいつとそいつに守られる下の悪魔たちだからな。
前者が痛い目を見るのは自業自得だが、後者が痛い目を見るのは言語道断だ。
ケニスもそれは理解しているのか、凛々しい顔には苦笑いが浮かんでいた。
「でも、今回の一件はクラージュのせいばかりじゃないわよお。
課長もサジェスさんも、その辺は分かってるはずだもの。
そんなに難しく考えなくとも大丈夫じゃないかしら~」
「ああ、確かにサジェスもそう言ってたな。
俺が首になったのは、半分は自分のせいだって」
異世界の勇者と出会ったきっかけがサジェスだった件はすでに聞いていた。
なんでも、ヴェンディミアへ届けて欲しいものがあったらしい。
当時の記憶は飛んでいるから何を託されたかは忘れたが、たぶん大切なものだったんだろう。
確かに、異世界の勇者と出会ったのはサジェスがきっかけだったかもしれない。
だが、相手を撒くなり撃退するなり出来なかったのは俺の実力不足だ。
仮にサジェスに責任があったとして、一割くらいじゃないか?
そう言うと、ケニスが一瞬目を見開いた。
大きなくちばしが何か言いたげに開き、それから閉じられる。
「――クラージュったら、相変わらず真面目ねえ」
「それが俺の取り柄だからな」
投げかけられた言葉を鵜呑みに出来るほど鈍くはない。
だが、感じた違和感を追求できるほど深い仲でもない。
迷った末に選んだのは、なんともそっけなく無難な返答だった。
微笑んだケニスが先ほどより幾分か明るい声で「ええ」と話を逸らす。
「心配しなくても大丈夫よ。クラージュなら絶対昇進できるわ。
昔から、見た目と違って執念深かったもの~。
それに、後輩を育てるのも上手みたいだし。
後進の育成は、うちの会社が今一番求めている事柄でしょう」
そう言って、ケニスがトレーラントたちに目を向けた。
慈しむような視線を追いながら、ふと湧いた疑問を口にする。
「そういえば、あの悪魔はお前の後輩か?」
「ええ、そうよ。あたしもようやく教育係を任せられるようになったの。
あの子、可愛いでしょ。素直で慎重で頭もよく回る、自慢の子なのよ~。
慎重すぎて、石橋を渡る前に叩き壊しちゃうのが難点なんだけど」
「トレーラントと足して二で割りたい性格だな……」
「あら奇遇ね。あたしもそう思ってたところなの」
後輩たちに聞こえないよう、魔法で音を遮断してこっそり言葉を交わし合う。
タイプは違えど、後輩を持つ者の悩みはやはり同じらしい。
「でも、慎重すぎるところもあの子らしさなのよね~。
手は掛かるけど、可愛いからつい許しちゃう。
……けど、それでいいのかしら?
先輩らしく、もっと厳しく指導した方がいい?」
「業務で困っていないようなら、そのままでいいんじゃないか。
欠点のない性格なんてないだろう」
度が過ぎるほど疑り深いのも、呆れるほど思い切りがいいのも個性の一つだ。
そして、個性は長所にも短所にもなり得る。
見方を変えれば疑り深さは思慮深さに変わるし、思い切りが良すぎるのは即断力に長けているとも言えるからな。
もちろん、契約に支障があるなら修正も必要だろう。
だが、そうでないなら無理に治すことはない。
教育係の役割は後輩が業務をこなせるよう導くことであって、自分好みの型に嵌めることじゃないからな。
そう言うと、ケニスがにっこりと微笑んだ。
「ありがとう。クラージュに相談してよかったわあ」
「受け売りだけどな」
「ひょっとして、サジェスさん?」
「俺の言葉がなんでもサジェスの受け売りだと思うなよ。課長だ」
「さすが課長。いいアザラシっぷりね~」
「それ、褒めてるのか……?」
いやでも、課長はあの姿を気に入ってるみたいだしいいのか……?
そんなことを考えていると、ふとケニスが俺の耳元にくちばしを寄せた。
「相談に乗ってくれたお礼に、一つ教えておくわね。
近いうちに、銀鳩ちゃんが会いに来るはずよ」
「あいつが?」
ケニスの言葉に思わず顔をしかめたことに悪気はない。
ただ、ケニスが「銀鳩ちゃん」と呼ぶ相手にいい思い出がないだけだ。
顔を合わせるたびに罵倒されていたら誰だって会いたくなくなる。
ちなみに、当然のことだが銀鳩ちゃんというのは本名じゃない。
そいつが銀鳩の姿を愛用していることからケニスがつけたあだ名だ。
俺や同期のことは本名で呼ぶのにそいつだけあだ名で呼ぶ理由はよく分からない。
ただ、俺があだ名で呼ばれたことも「銀鳩ちゃん」が本名で呼ばれたこともないことから考えるに、たぶんケニスなりに基準があるんだろう。
俺の顔を見て苦笑いを浮かべたケニスが言葉を続ける。
「そんな顔しないで。あの子、クラージュが嫌いなわけじゃないのよ」
「嫌いでない相手をあそこまで罵倒できるってもはや才能じゃないか……?」
「素直じゃないのよね~、銀鳩ちゃん。
もちろん、だから許せと言うつもりはないけれど。
悪魔なら言葉の大切さはよく知っているはずだもの。
自分の選んだ言葉でクラージュに嫌われるのは、銀鳩ちゃんの自業自得だわ」
そう言いつつケニスは右の頬に翼を当て、悩ましげなため息を吐いた。
俺と同様、あいつもケニスの同期だ。色々と思うものがあるんだろう。
「だから今回も、銀鳩ちゃんへの対応に口出しするつもりはないわ。
ただ、一応最後まで聞いてあげて。悪いことにはならないと思うから」
「分かった。気には留めておく」
ケニスは多くの悪魔同様、確証のないことは口にしない。
わざわざ俺にこう言ってくるってことは何か根拠があるんだろう。
頭の片隅にでも覚えておくかと思いながらそう伝えると、トキ色の瞳が細められた。
「ありがとう……って、これだとお礼じゃなくてお願いになっちゃったわね。
相談のお礼はまた今度でもいいかしら?」
「なら、暇な時に愚痴でも聞いてくれ」
「いいわよ~。せっかくだし、飲みにでも行く?」
「身体が再生したらな」
「それなら、きっともうすぐね~。
快気祝いも兼ねて、いいお店を予約しておくわ。
――ペリカンちゃん、そろそろ行きましょう~」
ケニスの声掛けに、トレーラントと話をしていた悪魔が振り返った。
今はトレーラント同様に人間の男性型をしているが、どうやら普段の姿はペリカンらしい。
わたわたと駆け寄ってきたペリカンちゃん、もとい後輩の頭を翼で撫でた後、ケニスがこちらに向き直る。
「それじゃあ、あたしたちはこの辺りで失礼するわね。
クラージュ、白豹ちゃん。また会いましょう~」
そう言いながら投げキッスをすると、ケニスは颯爽と去っていった。
「これはおまけね。
最近、幻獣部の部長がクラージュを探ってるんですって。
何をしたのかは知らないけど、当分はおとなしくしておいた方がいいわよ」
去り際に、ない背筋がゾッとする話を俺の耳に吹き込んで。
……いったい、俺が何をしたって言うんだ。