7話 サジェスの実験教室 ―勇者の魂で遊ぼう!編―
「やってみるか?」
そう言ってサジェスが差し出したのは小さな槌とノミだった。
どちらの工具も、正体は分からないが特殊な素材で構成されているらしい。
金属の部分は星屑のようにきらきらと輝いていた。
「なにをするんすか?」
「これで魂を少しずつ削り取り、勇者の変化を調べる。
さっきも言った通り、魂の損傷度によって精神や肉体に異常が出るからな。
どこまで削れば勇者が壊れるか試したい」
「すごい重要そうな役割っすけど、俺がやっていいんすか?」
心配そうなトレーラントに、サジェスが苦笑を漏らした。
「前のお前なら任せなかったが、最近は力加減も覚えたようだしな。
それに、出来れば俺は変化を調べる方に集中したい。
今のクラージュには任せられないから頼みたいが、出来そうか?」
「……やってみたいっす!」
少し考えた末、挑戦してみることにしたらしい。
大きく頷いたトレーラントの肩を叩いて「任せた」とサジェスが笑った。
「一度に大きく削りすぎないような。
それから、中心部を損傷しないようにしてくれ。
中身を傷つけると、他が無事でも機能が停止する」
「わかりました、サジェス先輩!
クラージュ先輩、俺のこと見ててほしいっす」
「ああ、わかった」
言われずとも見守る予定だったが、頼まれたからにはしっかり観察しよう。
慎重にノミを当てるトレーラントの隣に移動して、その手元を注視する。
治癒魔法で一度勇者の精神を正常に戻したサジェスが頷いたのを確認して、トレーラントが槌を振り下ろした。
石を割る時のような硬質な音が響き、魂の端が剥がれるように割れる。
その瞬間、勇者の目が微かに見開かれた。
加護を剥がされた時と違って苦痛はないようだが、違和感はあるようだ。
「あれ、俺……なんで、ここに。
フィーネは、オリビアは……ベル、は」
「このくらいでいいっすか?」
「ああ。初めてにしては上出来だ」
爪の先ほどの欠片を拾い上げたサジェスが満足げに微笑んだ。
未だぶつぶつと疑問を零し続けている勇者をちらりと見て頷く。
その瞬間、再び硬質な音が響き魂が剥がれ落ちた。
「あ、そうだ。俺は浄化の旅に――なにをしに、きたんだっけ」
コン、とまた音が響く。
「ベル、ベルに召かん、されて……俺は、みんなを、たすけなきゃ」
今度は少し大きめの破片が取れた。
「しょ、うせつみた、いに、いせかいに行、けたらいーの、にな。
そした、ら、みんなおれを見、てくれ、るのに」
魂が欠けすぎて不安定になってきたので、別の方向から削ろうと提案した。
さっきまで削っていた方を下にして、トレーラントが再度ノミを当てる。
小指ほどの欠片がその場に落ちた。これで四割は超えたか。
「オれは、し、しあわ、セ――」
パキ、と音がして大小さまざまな破片が実験台に散らばった。
勇者の顔がどろりと崩れて声が不明瞭に曇り始める。
「あ、ィき、」
勇者の声がしなくなったのは魂の六割ほどを削った頃。
顔が完全に崩壊したのは八割が失われた頃。
九割――中心部以外ほぼ全てを削った頃、魂の輝きが急激に失せた。
サジェスが小さく頷き、トレーラントがノミと槌を置く。
「――これで終わりか。思ったより保ったな。
やはり、異世界人は耐久性が高いらしい」
「魂が欠けると、あんなふうになるんすね。
記憶がどんどん欠けていってるのに自分では気付かない辺りがなんか……怖かったっす。
あれ、記憶が戻ったりしないんすよね?」
魂の欠片を集めていたサジェスが「ああ」と頷いた。
「魂が欠けるごとに、新しい記憶から消えていく。
だから一定以上魂が欠けると狂うんだ。
現状と記憶の差異に精神が耐えきれなくなるんだろう」
なるほどな。確かにそれは俺も耐えられそうにない。
特に今は首だしな。意気揚々と入社したと思ったら物理的に首になっていましたなんてことになったら、平気でいられる自信がない。
もっとも、そこまで記憶が戻っていたらある意味しあわせかもしれないが……。
「これで勇者を使った実験は終わりだが、満足したか? トレーラント」
ぼんやりと物思いに耽っているうち、話が進んでいたらしい。
サジェスの問いに、トレーラントが大きく頷いた。
「すごく楽しかったっす! 砕いた魂も飴みたいで綺麗でしたし!
なんか、見ててちょっとお腹空いちゃったっす」
まるで見計らったかのようにくぅ、と鳴った腹を擦ってトレーラントが笑った。
サジェスが苦笑いを浮かべて肩をすくめる。
「魂喰いは同族殺しと同じく禁忌だからやめておけ」
「本当に食べたりしないっすよ! 食べ応えなさそうですし。
でも、そういう規則があるってことは食べた奴いるんすか?」
「ああ。そもそも同族殺しが禁忌と定められたのも――」
そこまで言って、サジェスが口を閉じた。
言い過ぎた、というように眉をひそめて大きくため息を吐く。
「サジェス先輩?」
「いや――ともかく、魂を食べるのはやめておけ。
禁じられているのは同族の魂を食べることだけだが、癖になるといけない。
魂は肉体や魔力と違って、種族による違いがないからな」
そう言ったサジェスの声は妙にきっぱりしていて、言外にこの話題を続ける気がないことを知らせていた。
これ以上尋ねても話してはくれないだろうし、そもそも話の流れでそうなっただけでそこまで興味があるわけでもない。
同じく感づいたらしいトレーラントと目配せして、話題を変えることにした。
「ところで、その檻は結局なんだったんだ?」
サジェスの足元に置かれた、厚手の布を被せられた檻。
今回の実験に使うのかと思っていたら結局出番のなかったそれに興味を向けると、サジェスもその意図を察したんだろう。悪戯な笑みを浮かべて口を開いた。
「教材だ」
「教材?」
「ああ。これが終わったら人事部に持って行く予定だったんだが……ちょうどいい。
せっかくだから、ここで見て行ってくれ。特別だぞ」
そう言って、サジェスが檻に掛けられた布を外した。
「……エルフ?」
檻にいたのはエルフだった。
淡い金の髪と紫の瞳を持つ美しい少女だ。それも、かなり魔力が高い。
エルフ社会のことはよく知らないが、女王にもなれるんじゃないか?
あるいはすでに女王なのかもしれないが、それはともかくとして……。
「どうしてサジェスがエルフを持ってるんだ?」
「どうしてだと思う?」
「質問に質問で返すのはずるいぞ」
悪戯な笑みを浮かべるサジェスにひとまず抗議して、思考を巡らせる。
サジェスは確かに魔力が高いが、人事部の社員だ。
指名を受けた場合を除いてエルフと契約することは出来ない。
となると、可能性は二つ。
一つは人間がエルフを手に入れて報酬として使った可能性。
だが、魔力で劣る人間がエルフを手に入れるのは困難だ。
エアトベーレが戦争で勝利した時も捕虜にされたエルフは皆、王の命令により森まで送り届けられたと聞く(そのほとんどが人間に敗北したことを恥じて自害したそうだが)。
これはまずないだろう。
もう一つは、エルフがサジェスを指名した可能性だが……これも考えにくい。
エルフは生まれた森から出ることも、新しいものを受け入れることも嫌う。
伝統を守り、古き良きやり方で生きていくことが誇りらしい。
当然、悪魔の召喚にも求めることは同じだ。
先祖代々語り継がれてきたエルフ部の悪魔以外を召喚するとは思えない。
あそこには第一位の悪魔がいるから、願いを叶えるのに力不足だったってこともないだろう。
そこまで考えて、俺はとうとう諦めた。
「…………降参だ」
「さすがのクラージュもこれは分からなかったか」
「俺は人事部の社員であって、探偵じゃないからな」
「それもそうだ」
我ながらとんだ負け惜しみだが、サジェスが気を悪くした様子はなかった。
代わりに、くつくつと笑いながら頬を揉まれる。揉むなよ。
「で、正解は?」
「エアトベーレと引き換えに貰った」
「は?」
……とうとう俺は、身体だけでなく耳まで失ったらしい。
一国と引き換えにエルフを貰ったって聞こえた気がするが、気のせいだよな……?