6話 サジェスの実験教室 ―下準備をしよう!編―
「魂の耐久性……って、そんなものあるんすか?」
「実体を持つ以上、どんなものにも耐久性はあるさ。
魂の場合、おおむね全体の三割を損傷したら精神に変調をきたす。
五割で再生機能に異常が生じ、七割で完全に機能を停止するってところだな。
個体差はあるし、中身が損傷したら他が無事でも駄目になることが多いが」
「そこまで分かっているなら、今さら実験する必要はあるのか?」
「もちろんあるさ」
耐久性に関してはもう調べつくしたんじゃないか?
そう思えるほど詳細な報告だったが、まだまだ未知の部分は残っているらしい。
試験管にいくつかの薬品を注ぎながら、サジェスが言葉を続けた。
「天使に改造されたとはいえ、異世界人の魂だ。
この世界の人間の魂とは、耐久性が異なる可能性もある」
「それだと異世界人の魂だから耐久性が高いのか、天使に改造されたから耐久性が高いのか分からないんじゃないか?」
「ああ。だから、天使の加護はいったん剥がす」
「……大丈夫なのか?」
加護を剥がすだけなら難しいことじゃないが、相手が天使となると話は別だ。
悪魔と天使はただでさえ魔力の相性が悪い。
以前サジェスから聞いた話によると、自分より魔力が上の相手にはこちらの魔法は一切通用しないらしい。
逆に自分より魔力が下の相手には他の種族よりも魔法の通りがいいが、それは向こうも同じこと。
サジェスは第五位の悪魔だ。位階持ちとしては魔力が低い方に相当する。
そして、勇者に加護を与えるのはほとんど第一天使だ。
今回もそうなら正攻法で加護を剥がすのは難しいし、下手に手を出せばサジェスや俺たちが危険に晒される。
もっとも、サジェスのことだ。
俺に言われずとも分かっていると思うが、尋ねずにはいられなかった。
試験管を揺らしていたサジェスがにっこりと微笑む。
「大丈夫でないなら、わざわざ呼ばないさ。
大好きな後輩を危険に晒す真似はしたくないからな」
「その割にはいつも、面倒な仕事を押し付けられてる気がするんだが……」
「信頼の証と言ってくれ」
適当なことを言っているように聞こえるが、サジェスから任せられる仕事はどれも俺の成長に繋がるものばかりだ。
神経と魔力を使うから疲れるものの無理難題を言われたことはないし、報酬もいいから損をしたことはほとんどない。
俺自身、トレーラントに同じことをしている自覚はあるので――サジェスほど無茶は言ってないと思うが――文句は飲み込むことにした。
……あれ。もしかして俺、サジェスと行動が似てきてるか?
「――これくらいか」
地味にショックを受けている間に、準備は済んだらしい。
先ほど脇に置いた小瓶を手に取ったサジェスが、その蓋を静かに開けた。
封じられていた天使の魔力が辺りに広がり、頭が僅かに重くなる。
相性の悪い魔力を摂取した影響だろう。
だが、今の俺でこれなら魔力の濃度はだいぶ薄いはずだ。
サジェスはもちろん、トレーラントにも影響はないとみていい。
ない胸を撫で下ろした俺とは裏腹に眉をひそめたのはサジェスだった。
「調整はしたが、クラージュには少し濃すぎたか?」
「いや、大丈夫だ。じき慣れる」
「そうか……だが、具合が悪くなったら遠慮なく言え」
「ああ」
実験中に無駄な我慢は禁物だ。下手すれば一月は使い物にならなくなる。
昔の経験でそれは分かっているので素直に頷いておいた。
気遣わしげなトレーラントにも大丈夫だと伝え、魂に視線を移す。
「それにしても、綺麗な色だな」
「そうっすねえ。海みたいっす」
話を逸らすため口にした感想だが、内容は事実だ。
トレーラントも同様に思ったのか、嬉しそうに同意してくれた。
肩をすくめたサジェスが魂に魔力を注ぎながら口を開く。
「残念ながら、この色はまやかしだ。
天使の加護に染められているからそう見えるだけで、実際の色は違う」
「加護で魂を染めるなんてこと、出来るんすか?」
魂の色は通常、生まれたときから決まっている。
後天的に魂の色が変わることはまずあり得ない。
目を見張るトレーラントにサジェスが頷いた。
「不可能ではない。ただし、魂を染めるには相応の魔力が必要だ。
この世界でそれが出来るのは、天使でも悪魔でも第一位の者くらいだろうな」
「じゃあ、勇者に加護を与えたのはやっぱり第一天使なんすね」
「そういうことだ……と、準備が出来たぞ」
その言葉と共に魂の一部が形を変え、勇者の姿に変わった。
ただし首から下は肉体ではなく魂のままだ。俺より悲惨だな。
いやまあ、首になっている時点で大した差はないと思うが……。
「、にき……ぁ、さ……」
再生された勇者の目は虚ろだった。
たぶん、まだフィリアに精力を抜かれた時の状態が続いているんだろう。
元いた世界の夢でも見ているのか、半開きになった口からは時折不明瞭な言葉が漏れている。
それを一瞥したサジェスが試験管の中身を魂に垂らした。
「あ゛っ……」
途端、勇者の顔が苦痛に歪んだ。
銀色の液体が魂に触れるたびに濁った悲鳴が上がり、この世界では滅多に見ない黒い瞳がぎょろぎょろと動く。
身を捩って苦痛を逃すことすら出来ないんだから、さぞ苦しいだろう。
だからといって同情する気はないが。
「……お、色が変わってる」
「あ、ほんとっすね! グラデーションが綺麗っす!」
気がつくと、勇者の魂は青から紅へと変わっていた。
以前にトレーラントが手に入れた、勇者の生命を封じた魔石と同じ色だ。
歓声を上げるトレーラントに、サジェスが満足げに微笑む。
「第一天使の魔力を無効化する薬品だ。この前、ようやく試作品が完成した。
魔力の濃度があまり高いと効果はないから第一天使自身と戦う時の武器には出来ないが、勇者のように加護を与えられた人間には効果を発揮する」
「すごいな……数百年ぶりに尊敬した」
「もっと頻繁にしてくれ」
苦笑いを浮かべながら、サジェスがまた薬品を垂らす位置を変えた。
次第に青の箇所が減り、紅一色に戻りつつある魂を見てトレーラントが目を輝かせる。
「青もよかったっすけど、これはこれで綺麗っすね。
俺としては、グラデーションの時が一番好みだったっすけど」
「被験者にとっては、加護を剥がされる瞬間は最も苦痛が激しいんだが……」
「オシャレは我慢ってやつっすね!」
いや、それは絶対に違うと思う……。
痙攣している勇者を尻目に盛り上がっているサジェスとトレーラントを眺めながら、心の中で小さく呟いた。
それにしても、ここまで甚振られても気絶しないのはすごいな。
サジェスが気絶出来ないようにしてるのか、あるいは天使に肉体や魔力を弄られた副産物か?
どちらにしても、今はそれが仇になっているようだが。
「……このくらいでいいか」
そんなことを考えているうち、作業は終わったらしい。
試験管立てに試験管を戻したサジェスが、紅色の魂を満足げに撫でた。
「これで勇者の魂から天使の加護は剥がれ、ただの異世界人に戻った。
剥がした加護は後で回収して別の実験に使うとして、今はこの魂だな」
「確か、耐久性を調べるんすよね? 拷問でもするんすか?」
「いや、もっと直接的な実験だ」
サジェスの声はその顔同様、とても楽しそうだった。