5話 こうして二人はいつまでもしあわせに暮らしましたとさ
「ああ……ようやく会えた。私の小鳥」
連れてきたエラを見て、王子の目が喜色に輝いた。
ほんのりと頬を染めるエラをトレーラントの腕から奪い取り、まるで生き別れになった恋人と再会したかのような熱烈さで抱きしめる。
一度会っただけでここまで熱を上げられるのはもはや才能だな。
「私のかわいい小鳥さん。どうか、私の傍にいておくれ」
「アジール様……」
王子の懇願にエラの目が僅かに曇った。
家からそのまま連れてきたから、今のエラは華やかなドレスも煌びやかな装飾品も纏っていない。出会った時と共通しているのは、ガラスの靴(トレーラントが履かせたほうと対になる靴はエラが持っていた)だけだ。
立ち姿や仕草は下級貴族にしては美しいが高位貴族ほどの品はないし、家事のせいか手は荒れている。
第二王子とはいえ、王族と婚姻を結べる身分でないことは明らかだった。
「その、私は――」
エラ自身、それを自覚しているんだろう。
首を横に振ろうとするエラの手を王子が握りしめた。
「君の身分など関係ない。
一目見た時から、私の魂は君に捕らわれてしまったんだ。
心配になる気持ちはわかる。けれど安心してほしい。
君のために金の鳥籠を用意しよう。そこなら誰も君を傷つけない」
それでもなお不安げにするエラに、王子が言葉を重ねた。
「無論、君の家族のことは心配しなくていい。
愛しい小鳥を慈しんでくれたお礼に出来る限りの支援をしよう。
君を苦しめるものは皆、私が排除する。
だから、どうか私の腕に止まっておくれ。愛しい小鳥よ」
「…………はい、アジール様」
王子の言葉を信用することに決めたんだろう。
長い逡巡の後、エラが小さく頷いた。
「ありがとう、私の愛しい小鳥。
君が私を選んでくれた記念に、これを」
王子が差し出したのは、プラチナ細工の蔓に緑の魔石が散りばめられた美しい首飾りだった。
明らかに高価なそれに困惑するエラの目を覗き込み、王子が口を開く。
「愛する小鳥を飾り立てるのは私にとって、何よりの喜びだ。
私を思うのなら、どうか受け取って欲しい」
懇願する王子に頬を赤らめたエラが小さく頷いた。
途端、濃い青の瞳が希望にきらめく。
「嬉しいよ、私の小鳥」
微笑む王子によって付けられた首飾りはエラによく似合っていた。
きっと、あれが外されることはもう二度とないだろう。
外そうと思うことさえないだろうが。
「――その娘で間違いがないのなら、報酬を」
目の前で繰り広げられる恋愛劇にうんざりしたんだろう。
普段通りの姿に戻ったトレーラントがため息交じりに口を開いた。
はっとこちらを向いた王子が、執務机に置かれていた魔石を差し出す。
「申し訳ない。確かに、私が求めていたのは彼女だ。
報酬として月の涙を渡そう」
「確かに受け取った。
これで契約は完了だ。あとは好きにするがいい」
淡々と告げて、トレーラントが転移魔法を発動させた。
転移の直前、王子の呟きが耳に届く。
「もう二度と、逃がしはしないからね」
どうやら、こちらが思っている以上にエラに執着しているらしい。
めでたしめでたし、では終われなさそうだな。
いや「こうして二人はいつまでもしあわせに暮らしましたとさ」で終わるならハッピーエンドか?
王子がエラに贈ったのは救済の首飾りという魔道具だ。
身に着けた相手を強制的に従わせる隷属の首輪同様、奴隷や犯罪者に付けられることが多いと言えば、効果にも察しが付くだろう。
とはいえ、救済の首飾りそのものに悪い効果はない。
身につけさせた相手――救済者の言葉を少し信じやすくなるだけだ。
効果を発揮させるには長期間の着用と救済者の根気強い声掛けが必須だし、魔道具自体の力もさほど強くないから魔法への抵抗力が強い者や強固な意思を持った者には効き目がない。
だが、一度効力を発揮すれば着用者が自力でそれを解くのは困難だ。
身につけて一年もすれば、救済者の言葉を全て鵜呑みにする人形が出来上がる。
まして、相手から逃げ出そうなんて考えさえしないだろう。
精神的な病の治療に使われることもあるとはいえ、普通は恋人に贈るものじゃない。
だが、「普通」なんてものは当事者たちが決めるもの。
王子はエラのために「金の鳥籠」を用意すると言った。
小国とはいえ王族が誂えたものだ。不自由はしないだろうし、エラが王子の言葉を鵜呑みにする小鳥になったところで問題は何もない。
王子の寵愛が続く限り、エラの幸福も続くはずだ。
俺の予感は外れだったな。
こうして二人はいつまでもしあわせに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし……ってな。
「トレーラント。このあと時間あるか?」
今日の仕事を全て終わらせた後、いつものように白豹へ姿を変えようとするトレーラントに問いを投げかけた。
行動を共にしている都合上、互いの予定は把握しているが一応念のためだ。
「なにもないっすよ」
「なら、実験室に行かないか?
サジェスが勇者の魂での実験をしたいらしい」
「もちろん行くっす!」
昨日、別れ際に預かったサジェスからの伝言を伝えるとトレーラントの目がぱっと輝いた。
よほど楽しみにしていたらしい。
その顔を見るに、勇者への復讐心とは別に純粋な好奇心もあるんだろう。
サジェスの実験は面白いものが多いから気持ちはわかる。
悪趣味なものも同じくらい多いけどな。
実験室の場所を知らないというトレーラントに道を教えながら通信の魔法を発動させる。
相手はサジェスだ。一つ、確認したいことがあった。
本当は昨日伝えるべきだったんだが、忘れてたんだ。
少しして通信に応える気配が届いた直後、尋ねるより前に向こうの声が届く。
『お前の身体なら、屋敷に持ち帰った』
どうやら、サジェスには俺の用件が分かっていたらしい。
投げかけるはずだった問いを正確に読み取った答えにほっと息を吐いた。
サジェスのことだから心配はしていなかったけどな。
トレーラントには、俺が食べていた料理の正体は知らせたくなかった。
規則違反でないとはいえ、知って気分のいいものではないだろう。
あいつは激情家だからサジェスに悪感情を抱く可能性もあるし、俺に食事を食べさせていた自分を責めるかもしれない。
知らなくていい事実は知らせないに限る。
世の中、何でも知ればいいってもんじゃない。
「それならいい」
『ああ、気を付けて来いよ』
そう言われて通信が切れた。
安全なはずの社内で何に気を付けるんだと心の中で突っ込みながら、話し続けるトレーラントをちらりと見上げる。
適宜相槌を打ちつつ魔力を隠蔽していたから、サジェスと通信していたことには気付かれていないようだ。
こういうところはまだまだ新しいな。
「先輩、ご機嫌っすね!
そんなにサジェス先輩の実験が楽しみなんすか? 俺もっすけど」
「まあな。だが、楽しみにしすぎて道を忘れるなよ。
忘れてたら、帰りも歩かせるからな」
転移魔法は本来転移先の座標を把握していなければ発動できないが、悪魔は例外だ。
そうでなかったら、召喚者の元へ転移できるわけがない。
ただしその場合、魔力の消費量が普通の転移する時よりも多くなる。
業務中ならともかく、社内を移動する際には座標を把握――つまり、道のりを知っていた方が後々便利なので今回は歩いて実験室まで向かっていた。
「大丈夫っすよ! 先輩の言葉なら大体覚えてるんで!」
「じゃあ一月前、十二件目の契約中に俺が言ったことは?」
「……先輩、意地悪っすよ」
からかい混じりで尋ねると、当然ながらそんな言葉が返ってきた。
それはそうだ。むしろ覚えていられた方が怖い。
唇を尖らせるトレーラントに謝りながら、進行方向にちらりと視線を向ける。
おっと、危ない。
「ここだ、トレーラント」
「え、ここっすか?」
俺の制止に、トレーラントが焦ったように足を止めた。
話に夢中になりすぎて、危うく通り過ぎるところだったな。
「割と近かったっすね」
「資料室ほど重要な施設ではないからな。
使用者もほぼサジェスだから、人事部からも近い。
だが名目上は社の共有施設だから、お前も使いたければ使っていいぞ」
「実験は見たいっすけど、自分でしたいとは思わないっすね。
準備も片付けも面倒そうだし」
そう言いながら扉を開くと、実験台に寄りかかっていたサジェスがこちらに視線を向けた。
手にしているのは、昨日も見た澄んだ青色の魂を封じた硝子の小瓶だ。
あの時は魔力が遮断されていて気付かなかったが、あれが勇者の魂らしい。
「早かったな、トレーラント。それにクラージュも」
「楽しみだったんで、すぐに来たっす!
それで、今日は何をするんすか?」
「もちろん、実験だ」
手の中で弄んでいた小瓶を実験台に置きながらサジェスが答えた。
その言葉に反応したかのようにカタン、と物音が響く。
見れば、サジェスの足元に大きな檻が一つ置かれていた。
布を被せられている上、魔力も隠されているから中身は分からない。
おそらく、実験に使うんだろう。
試験管や薬品などを実験台に並べながらサジェスが笑った。
「魂の耐久性を調べる、とても楽しい実験だ。
安心安全を心がけているから心配はしなくていい」
楽しげな笑みと不穏な言葉に、勇者の魂が辿る末路を悟った。
この予感が外れることはまずないだろう。
悪魔の手に堕ちた勇者はもう、おとぎ話の主人公にはなりえないんだから。