4話 ガラスの靴をどうぞ、お姫様
「我が名はトレーラント。
アジール・ポドワン・ミニュイ。汝の望みを述べよ」
トレーラントと別々に行動した翌日。
現状の把握は大体出来たとのことで普段通りコンビで行動することになった俺とトレーラントは、ミニュイ王国第二王子の元を訪れていた。
美しさを求める女王といい、国を丸ごと差し出した国王といい、最近は王族の召喚が多いな。
王族の間で流行ってるのか? だとしたら悪趣味すぎる。
ちなみに、トレーラントの単独任務については何の問題もなかった。
若干甘いところはあったがおおむね搾り取ってきたし、その分普段より多めに件数をこなしたようだからな。
少し疲れてはいたが、総合的な成績は俺と組んでいた時とあまり変わらないはずだ。
……じゃあ俺と組んでる意味あるか? とも思うがトレーラント曰く「特別手当とか指名とか、次に繋げられる契約は出来なかったんであるっす!」らしいから、まああるんだろう。
課長も短期的には問題ないが、長期的な目で見ればまだ必要だと言ってたしな。
後輩の成長は嬉しいが、ちょっと寂しい。
以前、サジェスと夕食を共にしていた時に零された言葉の意味が理解出来た。
次に食事を共にする時は少し甘えてみるかと思いつつ(思うだけで、たぶんやらないが)、俺たちを呼び出した王子に目を向けた。
「私の願いはただ一つ。この靴の持ち主を探して欲しい」
濃い青色の目を伏せて、男が懐から小さな靴を取り出した。
繊細な金細工の花があしらわれたガラスの靴だ。
ものすごく見覚えがあるのはたぶん気のせいじゃない。
「昨夜、私と踊っていた女性が身につけていたものだ。
まるで花の蜜を求める小鳥のように愛らしい女性だった」
「つまりどんな女なんすかね……」
うっとりと語り出した男に眉をひそめてトレーラントが囁いた。
全く同感だ。人探しを頼むならまず具体的な特徴を言え。
なんてことは口に出さず、言葉の続きを待つ。
「だが、彼女は十二時になると同時に私の腕から飛び立ってしまった。
こんなことなら、せめて名前を聞いておくのだったよ。
そうすれば、彼女は今もなお鳥籠の中でさえずってくれただろうに」
天を仰いだ男の声が室内に響いた。
整った容姿と大袈裟な身振りのせいか独り芝居を見せられている気分だ。
いたたまれなさを感じつつ、ひとまず話に耳を傾ける。
「兵に捜索させているが、彼女はいまだ見つからない。
彼女に会えない悲しみで、私の胸は今にも張り裂けそうだというのに!
悪魔よ。彼女が誰なのか突き止め、私の元へ連れてきてはくれないだろうか。
あの星のように輝くプラチナブロンド、翠玉の如く煌めく瞳――彼女のことが、今でも忘れられないのだ!」
プラチナブロンドに緑の目。それにガラスの靴か。
薄々分かってはいたが、今の話で確信した。
こいつが探してるのは間違いなくエラだな。
「報酬は」
「無論、ふさわしいものを払おう。
これなどはどうだろうか」
王子が差し出したのは雫型にカットされた青い宝石だった。
掌大の大きさとその色味からして、かなり高価な品だろう。
トレーラントの好みにもぴったりだ。
「我が国の名産「月の涙」だ。
今は青く見えるが、光の加減で緑にも変化して見える。
そして、魔力を注げばこのように色が変わる」
そう言って王子が魔力を注いだ途端、宝石の色が青から赤へと変わった。
魔力に反応して色を変える魔石は少なくないが、ここまで劇的に色を変えるものは滅多にない。人探しの報酬としてはなかなかいいんじゃないか?
「もし彼女を連れて来てくれたのならこれを渡そう」
「アジール・ポドワン・ミニュイ。汝の望み、叶えよう」
そう言って、トレーラントが手を差し出した。
契約成立だな。
「先輩、先輩。あの石、すっごく綺麗っすね!」
「ああ。お前の好きそうな石だったな。
今回の報酬はお前のものにしていいぞ」
「いいんすか? やった!
じゃ、次の契約では先輩に報酬譲るっすね!」
予想通り、トレーラントはあの石を気に入ったらしい。
召喚された当初はうんざりとした色を宿していた真紅の瞳には、期待とやる気が満ちている。
「この靴の持ち主を探せばいいんすよね」
「出来そうか?」
「簡単っすよ」
そう言って姿を変えたのはいつもの豹ではなくて、白い犬だった。
なるほどな。靴の匂いをたどって、持ち主に行き着く作戦らしい。
俺がエラと契約したことは言っていなかった。
もちろん嫌がらせじゃない。
言ってしまうと、経験を積ませる機会が一つ潰れるからだ。
トレーラントは探知魔法が使えない。
正確には、発動は出来るが精度が低くて使い物にならないと言った方がいいか。
俺が変化の魔法を使えないのと同じで、どうにも適性がないらしい。
悪魔はどんな魔法でも使えるが、それは種族としての話。
個々の才能や適性によって使えない魔法というのは存在する。
鳥の中にも病や先天的な欠損などで飛べない個体が存在するのと同じだ。
俺と違って、トレーラントは探知魔法の発動自体は出来る。
時と共に精度も改善するだろうが確証はないし、いつ改善するかも分からない。
それなら今のうちに、探知魔法に頼らない探索の仕方を学ばせた方がいい――というのが、エラの居場所を言わない理由だった。
契約はそれぞれの適性に合わせて課長が割り振る。
出来ることが多いほうが、振られる契約数も増えるからな。
トレーラントはまだ新しい。今のうちに経験を積んでおけば「探索は苦手」から「探索は得意じゃない」くらいにはなれるだろう。
もっとも、この契約に手間を掛けすぎるのも時間の無駄だ。
一時間ほど様子を見て辿り着けなかったら居場所を教えるつもりだったが、トレーラントはすんなりとエラの家を見つけ出した。
犬の嗅覚はしっかり機能したようだ。
「ここみたいっすね」
俺を地面に降ろした後、エラの家を見上げたトレーラントが呟いた。
ちなみに今の俺は鳥の死体に姿を変えられている。
人の首を咥えた犬がうろついていると騒ぎになるが、鳥なら避けられるだけで済むからな。
その代わり、野良犬に餌として狙われる羽目になったが。
「それで、どうやってエラを連れ出す?」
「そうっすねえ……王子様に運命の出会い、と来たら劇的にいきたいっすね」
そう言って、トレーラントが再び姿を変えた。
焦げ茶の髪を後ろに流した精悍な青年だ。
身に纏っているのは第二王子の従者と同じお仕着せだから、相手がよほど王宮の人事に精通していなければ第二王子からの使いだと思わせられるだろう。
鳥の死体からサーベルに姿を変えた俺を腰に差し、王子から預かった靴を手にしたトレーラントが静かに扉を叩く。
「はい。どなたでしょう」
現れたのはエラとは別の女だった。
義母というには若いから、おそらく義理の姉だろう。
二人いるうちのどちらかは分からないが、契約には関係ないから問題ない。
「突然の訪問をどうかお許しください。わたくし、イーラと申します。
アジール殿下からの命で参りました」
「で、殿下から?
あの、何かあったのでしょうか」
王子の名を出すと、女の目に困惑の色が浮かんだ。
それもそうか。サンドル子爵家は貴族ではあるが、エラにデビュタントもさせてやれないほど困窮している。
そんな家に王宮から使者が来るなんてまずないからな。
「実は、殿下は「運命の女性」をお探しなのです」
舞踏会で出会った女性を王子が見初めたこと。
しかし、彼女は名乗らずに帰ってしまったこと。
唯一残された手掛かりがこの靴であること。
トレーラントの話を聞くと、女は静かに首を横に振った。
「でしたら、私共は殿下がお探しになっている「運命の女性」ではあり得ません。
ご覧の通り、我が家は余裕がございませんので……」
さすがに、王家直々に招待状が届けられた舞踏会に参加しなかったとはっきり言うことは憚られたんだろう。
第二王子の探し人との関係をやんわりと否定する女に、トレーラントが悲しげな表情を向けた。
「殿下の命は、招待状を届けたすべての女性に靴を試させることです。
もしあなた方に試して頂けなかったと知られれば、わたくしが罰を受けてしまいます。
どうか、わたくしを助けると思ってお試し願えませんか」
「そういうことでしたら……少々お待ち下さい」
トレーラントに同情したのか、女がおずおずと頷いた。
もちろん、この女が履けるとは思っていない。
エラの足は同い年の女と比べてかなり小さかったし、もし履けそうなら魔法で細工すればいいだけだ。狙いはあくまでエラだからな。
妹たちを呼びに行くと言って家の中に戻っていった女を待つこと数分。
先ほどの女に連れられて姿を見せた二人の中にエラがいた。
さいわいなことに、姉二人は髪の色も目の色もエラとは全く違った。
王子が挙げた条件に当てはまるのはエラだけだ。
トレーラントも三人のうちだれが王子の「運命の女性」か悟ったのか、その目には期待の色が宿っていた。
「さあ、どうぞ。お試しください」
恭しく差し出されたガラスの靴に、姉妹が順番に足を差し入れた。
最初に応対した女――長姉はかかとが入らず、次姉はつま先が入らない。
最後に試したエラの足には、ぴったりと足が収まった。
「エラ。貴方……」
まさか靴が入るとは思っていなかったんだろう。
長姉が驚愕の色を浮かべて息を呑んだ。
次の言葉が発されるより先にトレーラントが口を開く。
「運命の女性はあなただったのですね。
どうぞこちらへ。王宮へお連れ致します」
そう言って、トレーラントがエラに手を差し出した。
困惑に揺れる瞳が姉とトレーラントを行き来する。
「あの……」
「アジール様がお待ちです」
それが最後の一押しだった。
開かれた唇が静かに閉じられ、水仕事で荒れた指先がトレーラントの手に重なる。
どうやら、王子の片思いではなかったらしい。これで「会いたくない」なんて言われたら連れ出す方法を別に考えないといけないから幸いだった。
ところで、王子はエラを手に入れてどうするつもりなんだろうな。
おとぎ話なら、運命の女性と王子様は無事に結ばれてめでたしめでたし――で終わるところだが、あいにくここは現実だ。
莫大な財産も有力な後ろ盾もない子爵家の娘が、第二王子とはいえ王族と結婚出来るほど世界は甘くない。
「夢みたい……」
白い頬を赤く染め、夢見がちに呟く少女がハッピーエンドを迎えられるのか。
俺にはどうにも思えなかった。