3話 おいしいパイを召し上がれ
「――クラージュ?」
室内に残っていた魔力で俺の来訪に気がついたんだろう。
早足でこちらへ来たサジェスが、実験台の上にある肉体とその隣に佇む俺とを見比べてため息を吐いた。
「ばれたか」
「いや、まだ言い逃れ出来る」
あちこちが切り取られた肉体。
本来あるべき内臓が一つもない薄い腹。
全身に染み込んだ自身の魔力。
組み合わせれば自ずと答えは出るが、バラバラならどうとでも言い訳可能だ。
それにサジェスは魔力の偽装が上手い。
他種族の魔力を俺の魔力だと思わせることも出来るだろう。
つまり、サジェスが罪を逃れられる可能性はまだ残っているということだ。
それに何の意味があるのかは、ひとまず置いておくとして。
「なるほど。ここで俺が「この肉体は魔力と見た目を偽装した偽物だ」と言えば、お前はそれを信じると」
「先輩を信頼するいい後輩だろう?」
「そうだな。俺にとって、非常に都合のいい後輩だ」
嘯く俺に、血溜りを思わせる瞳が愉快そうに細められた。
長い指先が俺の髪を梳く。
「だが、一社員としては最悪だ。
この程度の真偽も見分けられないほど耄碌した者を、中位の座に置くわけにはいかない。
もちろん降格されても文句はないよな、クラージュ?」
「さて、動機を聞かせてもらおうか」
残念ながら、自分の地位を賭けてまでサジェスの無実を信じる義理はない。
即座に前言撤回する旨を示すと、サジェスは声を上げて笑った。
「笑い事じゃないぞ。
自分の身体を食わされてきた俺の身にもなってくれ」
あちこちが欠けた身体を眺めながら、再度ため息を吐いた。
サジェスが作ってくれた料理に使われていた肉が何か、分からないのも当然だ。
生まれてこの方、悪魔の肉なんて食べたことないんだから。
部屋を貸してもらう代わりに実験に付き合う、という取引を受け入れたのは俺だから文句を言うつもりはない。
もしかしたら、と考えたこともあったしな。
その時はさすがにないだろうと打ち消したが、当たってしまった以上は理由を聞きたかった。
いくらなんでも、意味も無く自分の身体を食べさせられたとは思いたくない。
「嫌がらせではないよな?」
「まさか。可愛い後輩に嫌がらせなんてするわけないだろう」
「なら、好奇心か?」
「確かに好奇心はあったが、それはついでだ。
お前の身体を早く取り戻させたい先輩心だよ」
そう言って俺を見つめる目は存外真剣だった。
くつくつと煮える音が止まる。
「魔力を有する種族は皆、肉体そのものにも魔力を宿している。
保有する魔力が豊富で質が高いほど、肉体に含まれる魔力も多くなる」
「知ってる。だから、人間たちはエルフを珍重していたんだろう」
悪魔と天使を除けば、エルフはこの世界でもっとも魔法に長けた種族だ。
豊富な魔力を有する肉体を食べれば魔力が増える。寿命が延びる。若返る。
昔はそんな言い伝えが人間の間でまことしやかに囁かれていた。
もちろん嘘だ。
他種族の魔力を摂取したところで自分のものにはならないし、ましてそれで寿命が延びたり若返ったりするはずもない。
入社して間もない頃、サジェスと一緒に言い伝えを消して回った――悪魔に「エルフを捕らえて欲しい」と望む人間があまりに多かったためだ――から、よく覚えている。
そう言うと、サジェスがうっすらと微笑んだ。
「だが、火のない場所に煙は立たないというだろう」
「……言い伝えの一部は事実だった、ってことか?」
「そうだ」
なるほど、一欠片の事実を嘘の山に隠したわけか。
パイ生地を敷いた皿に煮込んだ肉を流し込みながら、サジェスが言葉を続けた。
「他種族の魔力を摂取したところで、自分のものにはならない。
寿命も延びないし、若返りもしない。
全て事実だ。間違いはない」
告げられた言葉を咀嚼して、裏を探る。
事実だと言っている以上、今の言葉に嘘はないはずだ。
それなら――と考えた時、一つの答えに辿り着いた。
出来れば否定して欲しいと思いつつ、半ば確信をもって答えを口にする。
「……つまり、同族の魔力なら自分のものに出来るのか?」
「肉体を喰らえばな」
出した答えをあっさり肯定されてしまったことに思わずため息が漏れた。
咄嗟に浮かんだいくつもの推測を沈めて、ひとまず話に耳を傾ける。
聞くだけでおぞましい歴史だが、そもそも首を突っ込んだのは俺だ。
ここで耳を塞ぐつもりはなかった。
サジェス曰く、魔力を直接接種しても効果はないらしい。
要するに、共食いしないと魔力は増えないそうだ。
まあそうだろうな。大抵の種族同様、悪魔にも同族殺しへの嫌悪感はある。
しなくて済むならそんな手段はとらない。
「魔力の増加量は食べた肉体に依存する。
大抵の場合、保有する魔力の十分の一以下だな。
だから種族的に魔力の少ない人間やドワーフがやっても意味がない。
だが、エルフや悪魔のように豊富な魔力を持つ種族なら話は別だ」
そこまで言って、サジェスが深くため息を吐いた。
「そのせいで、昔はよく生まれたての悪魔が食べられた」
「そこそこの魔力を持つわりに、碌な魔法が使えないからか?」
「ああ。危険を冒さず自分の魔力を増やしたい悪魔にとっては格好の餌食だった」
「嫌な時代だな。誰も止めなかったのか?」
「先々代の王が率先してやっていたからな」
なるほど。確かにそれは誰も止めないな。
むしろ、よく根絶されたものだ。
「先代の王が同族殺しを禁忌と定めたんだ。
……名前通り勇気に満ちた、情の深い悪魔だった」
そう呟いたサジェスの声はどこか懐かしそうだった。
サジェスは今の王、もとい社長がその座に就く前から生きているそうだから、先代の王とは親しかったのかもしれない。
そうか、と相槌を打って中身を抜かれて薄くなった自分の身体に視線を移す。
「それで、俺に自分の肉体を食わせたんだな」
悪魔の肉体を食べれば魔力量が増加する。
一刻も早く魔力を集めて身体を再生させたい俺にはもってこいの食材だ。
どのみち、俺の肉体にそれ以外の利用法はない。
廃棄するよりはよほどいい使い道だと判断したんだろう。
「今まで隠してた理由は?」
「最後まで食べさせたかったからだ。
ああ、お前が約束を守らないと疑ったわけじゃない」
よほど剣呑な顔をしていたのか、サジェスの指が俺の眉間を伸ばすように撫でた。
「ただ、理性は約束を守ろうとしても心は違う。
自分の肉体を食べるという行為に抵抗を抱いた結果、身体が受け付けなくなる可能性があった。そうなるとお互いに損だ。
まあ、結局バレたわけだが」
肩をすくめたサジェスが綺麗に細工が施されたパイをオーブンに入れた。
次第と、室内にバターの香りが満ちていく。
ない腹がくうと鳴いた気がしたのは気のせいじゃないだろう。
オーブンの中を確認し終えたのか、こちらを向いたサジェスが目を細める。
「それで、今の気分はどうだ?」
「そうだな……ひとまず、腹が減った」
そう告げると、サジェスが呆気に取られた様子で口を開いた。
すぐにいつもの表情に戻ったが、あれは見間違いじゃないだろう。
珍しいものが見られたなと思いつつ「腹が減った」と急かすように繰り返す。
「……パイが出来たら、少し食べるか?」
「食べる」
自分でも意外だったが、己の肉体を食べることへの抵抗はいつの間にか失せていた。
たぶん、明確な説明があったからだろう。
それに食べるのは自分の身体だ。俺の一部だったものを俺の中に収めて何が悪い。
「俺が言うのもなんだが、お前けっこう図太いな」
「教育係に似たんじゃないか?」
「言うようになったじゃないか」
サジェスがにやにやと笑って俺の額を小突いた。
痛くはないが転がりそうになるからやめろ。せっかく持ってきた手紙が鍋に落ちたらどうするんだ……と文句を言いかけてここへ来た用事を思い出す。
「忘れてた。課長からお前に手紙だ」
「ん? ……ああ、もうそんな時期か」
「そんな時期?」
封筒を懐に仕舞いながら「ああ」とサジェスが口を開いた。
「もうすぐ営業成績が算出されるだろう。
課長代理である俺の評価も成績に反映されるから、この時期は毎年忙しいんだ」
「そんな忙しい時に俺の食事なんて作ってる暇あるのか?」
「それはある。大した手間でもないし、むしろいい息抜きだ」
そう言いながら、サジェスがオーブンを開けた。
焼き色も香ばしい艶やかなパイから食欲を誘う香りが漂ってきて、ない腹が鳴りそうになる。
自分の身体ながら、なかなかおいしそうだ。
「このくらいでいいか?」
「ああ、十分だ」
夕食前だからか、普段より少し小さめに切り分けられたパイが目の前に置かれた。
銀のフォークが先端を崩して掬い、こちらに差し出される。
サジェスに食べさせてもらうのは初めてだな、と思いながら口を開けるとまだ少し熱いパイがそっと運ばれた。
サクッとした食感の後、バターの香ばしさと甘辛く煮込まれた肉の味が口いっぱいに広がる。
素材の良さが実感できる、いい料理だ。
「こうして味わってみると、俺の肉ってかなり質がいいな」
脂肪が少なく筋肉質だがその分滋味深くて、臭みもない。
見ても動かしてもいい上に食べてもうまいなんて、さすが俺の身体だ。
千五百年間、魔力を注ぎ込んで調整してきただけのことはある。
「真面目に味の感想を言われるとは思わなかったな……。
念のために言うが、嵌るなよ」
「分かってる。ユニコーンのローストの方がずっと好みだ」
そう言うと、サジェスが安心したように微笑んだ。
「お前は本当にユニコーンが好きだな。
身体が再生したら、とびきりの店に連れて行ってやる」
「それは楽しみだな」
サジェスが紹介してくれる店なら期待が出来る。
身体を再生させる目的がまた一つ増えたなと思いながら、差し出されたパイを味わった。