1話 哀れな灰かぶりは夢を見る
「おはよう、クラージュ。トレーラント。
さっそくだが、今日は別々に契約してもらう」
「え!?」
勇者を捕らえた数日後。
出社早々に課長からそう告げられて、トレーラントが呆然とした。
いつものように咥えられていた俺はお決まりのように落とされている。痛い。
「お、俺たちなんかしたっすか?
そんな突然コンビ解散なんて、先輩の身体もまだ戻ってないのに――ひょっとして、先輩首っすか!? そんなのいやっす!」
「落ち着け、トレーラント。
課長は「今日は」って言っただけでコンビを解散させるとは言ってないだろ」
「あ、それもそうっすね」
トレーラントを宥めるとようやく落ち着きが戻った。
まあ、俺も一瞬焦ったから後輩のことは言えないんだけどな。
「クラージュの言うとおり、コンビを解散させるわけではない。
お前達――特にトレーラントがどこまで成長したか確認するための一時的な処置だ。
確かにお前たちの成績は非常に良いが、それは二名合わせての話。
どちらかが片方に仕事を任せきりにしている可能性も否定はできない」
「俺たち、そんなことしないっすよ……」
項垂れるトレーラントを見て課長が困ったように微笑み、頭をヒレで撫でた。
「無論、私もお前たちのことは信用している。
だが、組織というものは「私がこう思う」だけでは回らないものだ。
そろそろ営業成績の査定も近い故、客観的な証明が欲しい。
頼んだぞ、クラージュ。トレーラント」
「わかりました、課長」
課長の言うことはもっともだ。
それに、俺としてもトレーラント単独でどこまでやれるか見てみたい。
昨日、勇者の兄を見事に演じきったように――家に帰った後、感想をねだられたので思い切り褒めておいた――トレーラント自身、試行錯誤しているみたいだからな。
いい成果が出せればそれでよし。もし駄目なら、一緒に改善点を探せばいい。
「でも俺が契約してる間、先輩はどうするんすか?」
「そうだなあ……」
魔法は使えるようになったが、今の俺は生まれたての悪魔よりも弱い存在だ。
単独で契約するのはまだ難しいだろう。
そう思って見上げると、課長は「分かっている」というように頷いて一枚の調査書を差し出した。
「クラージュにはこの契約をこなしてもらう」
対象:エラ・ド・ラ・ルヴェール・サンドル
報酬:支払済
「……ああ、これですか」
「なんすかこれ? 報酬支払済?」
調査書を覗き込んだトレーラントが不思議そうに首をかしげた。
これはまだ教えてなかったなと思いながら口を開く。
「報酬が先払いされた契約だ。
今から十年前、俺はこの娘の母親と契約した。
望みは「娘の願いを叶える」ことで、報酬は母親の魂。
ただし条件として、こちらからの接触は許されていない」
「つまり、先輩が願いを催促しちゃいけないってことっすか?」
「そういうことだな」
契約当時、娘はまだ六歳だった。
こちらからの接触が許されていれば、願いの誘導は容易だ。
悪魔に魂を渡してまで遺した「あらゆる望みを叶える権利」を無駄遣いさせないよう、母親が条件を設けるのは当然だった。
「報酬を受け取った以上、俺には娘の願いを叶える義務がある。
もちろん、受け取った報酬に見合う範囲に限るけどな。
キャンセルや失敗は許されないし、仮にしたら莫大なペナルティが発生する。
それが先払いの契約だ」
「うう、責任重大っすね……」
「そうだな。だから、自信がないうちは先払いさせない方がいい」
もっとも、先払いで契約したがる人間は多くない。
俺も千五百年生きてきた中で十件あるかないかだ。
そう言うと、渋い顔をしていたトレーラントがほっと息を吐いた。
「俺は当分、先払いの契約は受けないっす……」
「働かずに報酬を得られる時もあるから、デメリットばかりでもないけどな」
願いを叶えずに報酬を得るという行為は本来、硬く禁じられている。
だが、未来を予知することはたとえ悪魔でも出来ない。
今回の例で言えば、娘が願いを叶える権利を使う前に死ぬ可能性もあるからな。
もちろん故意にそう仕向けることは許されないが、運よくそういうケースに当たれば労力無しで報酬を得られるってわけだ。
「そう聞くと魅力的っすけど……思い通りに事が進んだら、苦労しないっすよね」
「分かってきたじゃないか」
「えへへ、俺もだんだん世間擦れしてきたってことっすね」
「いや、それはちょっと違うと思うが……」
経験を積むのは結構だが、出来れば真っ当に生きてくれ。
そう言うと、トレーラントはきょとんと首を傾げた。
さては意味が分かってないな……この仕事が終わったら、辞書でも買うか。
「いつまで見つめ合ってる」
「いたっ」
「みゃっ!」
考え込む俺たちに呆れたのか、課長が俺とトレーラントの頭を軽くはたいた。
反射的に声を上げたが、痛さはほとんどない。
だが、このまま呆けてると次は雷を落とされそうだ。さすがにそれは嫌だ。
慌てて向き直ると、今度はトレーラントに調査書が差し出された。
「トレーラントの分はこちらだ。
二名とも、くれぐれも気を付けるように」
いつも通りに締めくくられ、俺とトレーラントは揃って返事をした。
ここまでは普段と同じ。違うのはここから別行動ってことだ。
人型に姿を変えたトレーラントと向かい合い、口を開く。
「頑張れよ、トレーラント」
「はい、先輩も頑張ってくださいね。
俺、いっぱい契約こなして報酬搾り取ってくるんで!」
元気いっぱいに言い切って、トレーラントが転移魔法を発動した。
あの様子なら心配はいらないだろう。宣言通り、搾り取って帰ってくるはずだ。
姿が完全に消えるまで見送った後、俺も転移魔法を発動させる。
行き先はミニュイ王国。悪魔に願いを掛けた娘が住む国だ。
悪魔に縋っても叶えたい願いは一体、どんな内容なんだろうな。