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37話 おいしいものはみんなで山分けしましょう

「お疲れさまでした、ユウトさん」


 甘い声がそう囁いた直後、フィリアの魔力が膨れ上がった。

 大掛かりな魔法を使う際、一時的に魔力が高まることはよくあるがこれは違う。

 まるで魔石から魔力を供給している時のような……と、そこまで考えて先ほどの言葉が脳裏を過ぎった。


 私の魔力が溢れそうになったら吸収して下さい。


 なるほど。あれはこういうことか。

 言われた当時は意味の分からなかった言葉をようやく理解して、許容量を超えて今にも溢れそうになっている魔力を吸収した。


 夢魔は人間の精力を糧とする種族だ。

 そして、得た精力は夢魔の身体と魔力の回復に使われる。

 優先順位としてはまず身体。それが回復したら魔力だ。


 今のフィリアは怪我も体力の消耗もない。

 そのため、得た精力のほとんどは魔力に変換されたんだろう。

 ただ、魔力もあまり消費されていないから溢れそうになっているが。


 魔力を過剰に摂取すると最悪、魔力袋が破裂して魔法が使えなくなる。

 そうなっても悪魔は再生できるが、夢魔だとそうもいかない。

 最悪の事態になる前に気がつけて本当によかった。

 これ以上苦しい思いをさせる前に、さっさと回収しよう。


 不純物をほとんど感じられない澄み切った魔力の中に、人間らしい癖と夢魔の魔力特有の甘みを感じながら吸い取った分を魔力袋に収める。

 収まりきらなかった分は魔石にして、外に排出した。


 石が下着の中に溜まっていくのは不快だろうが、そこは我慢してくれ。

 普段なら吸収しきれたと思うが、この状態()だからな。

 魔力袋にあまり余裕がないんだ。


 心の中で謝りつつも下着から零れそうになる魔石を足元へ転移させ、また魔力を吸収しては魔石に変えていく。

 その間、勇者はフィリアに身体を預けたままピクリとも動かなかった。

 精力を急速に奪われたせいか、最後に掛けられた強力な魅了のせいか、抵抗の意志すら湧かないようだ。


 しばらくすると、フィリアの魔力が落ち着いた。

 夢見るような笑みを浮かべる勇者を地面に横たえながら、フィリアが口を開く。


「おいしかったですか? クラージュさん」

「ああ。勇者の魔力は初めて味わったが、なかなかいける。

 魅了がよく効いたおかげで、とろけるような甘さだった」


 まあ、そう思えるのはフィリア経由で味わったからだろうけどな。

 悪魔にとって、天使の魔力は劇薬だ。

 サジェスならまだしも、俺だと触れた瞬間に身体が溶ける。

 味わうだけの余裕を持てたのはフィリアが先に勇者の精力を吸収して消化し、ほどよく中和してくれたおかげだ。

 なかなか貴重な体験をしたと思いながら感想を伝えると、桃色の瞳が嬉しそうに細められた。


「お気に召したようで何よりです」

「それはいいが、ずいぶん無茶をしたな。

 魔力の吸収があと少し遅れたら、どうするつもりだったんだ?」

「その時は仕方ありません。組む相手を間違えた私の判断ミスです」

「信頼が重い……」


 思わず零した呟きが聞こえたのか、くすくすと笑う声がした。

 思い出せてよかったと安堵しながら改めて胸を撫で下ろす。

 いや、今は俺が胸なんだがそういうことではなく。


「クラージュ先輩! フィリアさん!」


 弾むような声と共に、ふわふわとした白い毛皮が目に(正確には、フィリアの視界に)入った。

 フィリアの肩に前足をついて、ひょいと立ち上がったトレーラントが()を覗き込む。

 ……これ、よくよく考えたら危ない絵面じゃないか?


「先輩たち、無事っすか?」

「ええ、どちらも怪我一つありませんよ。

 それにしてもトレーラントさん、見た目通りふわふわですね」

「えへへ。俺、毛並みには自信あるんすよ!

 ……ところでクラージュ先輩、元に戻るんすよね?」


 不安げに尋ねるトレーラントにフィリアが悪戯っぽく笑った。

 華奢な手が服の上から俺を撫でる。


「あら……ふふ。どうしましょうか。

 クラージュさん、今日からここで暮らしませんか?

 おいしい思いが出来ますよ。特に働く必要もありませんし……」

「ダ、ダメっすよ!? 俺がパートナーなんすから、絶対ダメっす!

 先輩も頷いちゃダメっすからね!」


 いや、そもそも今の俺は頷ける身体じゃないんだが。

 なんてことを言う前に、指を鳴らす音が辺りに響いた。

 直後に視界が切り替わり、ずっと感じていた柔らかさがなくなる。


 気がつけば、目の前に呆れた顔をしたサジェスがいた。

 「あら」と声を上げたフィリアが拗ねたようにサジェスを見上げる。


「女性の身体を暴くなんて、いい趣味ではないですよ」

「後輩を真っ当な道に引き戻したんだ。感謝してくれ」

「私と同じ道を歩むのが真っ当ではないと?」

「せめて隣で歩ませてやってくれ。胸として歩ませるな。

 ――と、ふざけるのはここまでにして」


 苦笑いを引っ込めたサジェスが勇者を見下ろし、もう一度指を鳴らした。

 待ち構えたように現れた影が勇者の身体を丸呑みにする。

 少しして影が吐き出したのは、魂を抜かれた勇者の肉体と紅色の魔石だった。

 魔石を拾い上げたサジェスが、トレーラントの前にそれを置く。


「今回の報酬だ。

 クラージュの分は、お前が受け取れるよう調整してから渡す」

「わかった」


 まあ、勇者の魔力をそのまま貰っても取り込めないしな。

 うっかり触れたら自分が消滅する報酬なんて嫌だから、それで文句はなかった。


「あ!」


 その時、生命を封じられた魔石を前足でつついて転がしていたトレーラントが何かに気付いたように声を上げた。

 ピンと立っていた耳がぺしゃりと伏せられ、尻尾が力なくしな垂れる。


「クラージュ先輩、遊ぶ暇なかったっす……」

「遊ぶ? ……ああ、あれか」


 そういえば、トレーラントを宥める時に「報酬を貰う前に、少し遊べばいいだろう」というようなことを言った記憶がある。

 サジェスの気遣いが裏目に出たな。いや、あいつは何も悪くないんだが。


「なんだ、遊びに行く予定でもあったか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」


 事情を説明すると、サジェスが苦笑しながらトレーラントの喉をくすぐった。

 豹としての本能か、気持ちよさそうに喉を鳴らす様を眺めながら口を開く。


「全く、我儘な猫ちゃんだな。

 今度勇者の魂を使って実験するから、見学するか?

 少しなら手伝わせてやってもいい」

「ほんとっすか!? ありがとうございます、サジェス先輩!」


 サジェスの誘いにトレーラントが目を輝かせた。

 自分で手を下すことは出来なくとも、苦しんでいる姿を見れれば満足らしい。

 まあ実験だから必ずしも苦しむとは限らないが、サジェスの実験材料に使われた個体はだいたい発狂するからトレーラントの目的は果たせるだろう。


「実験、クラージュ先輩も一緒に見に行きましょうね」

「向こうの準備が整ったらな」


 実のところ、勇者を捕まえた時点で満足はしているんだが、トレーラントが楽しそうだからまあいいか。

 それにしても、サジェスの実験を見学するのは久しぶりだな。

 何が出来るのか、今から楽しみだ。



 +++++



「何事もなく終わってよかったですね、サジェスさん」


 クラージュとトレーラントを見送った後、フィリアがおもむろに口を開いた。

 こちらを見上げる桃色の瞳には悪戯な色が浮かんでいる。

 それだけでこれからの展開が想像出来てしまうのは付き合いの長さ故だろう。

 出会ってから三千年は経つからな。お互いの行動パターンは知り尽くしてる。


「からかいたいなら手短に済ませてくれ」

「あら。私はただ、大事な後輩のために気も手も回してお疲れのサジェスさんを労わって差し上げようと思っただけですよ」

「本題は」


 あいにく、今の俺にフィリアと駆け引きをする気力はない。

 回りくどい言い回しを避けて直接尋ねると、華奢な肩が残念そうに竦められた。

 微かな仕草に合わせて薄紫の髪がふわりと揺れる。


「相変わらず、過保護ですね」

「元教育係として当然の配慮だ」

「私の記憶が正しければノレッジの計算上、勇者がクラージュさんたちのもとへ転移する確率はほぼなかったはずですが」

「逆に言えば、皆無ではなかっただろう。

 どこへ置いていても危険が付きまとうなら、目の届く場所に置いた方が確実だ」


 今回の作戦は冗長だった。

 たかが勇者一人を捕らえるのにフィリアやクラージュ、トレーラントまで巻き込む必要は一切ない。俺だけで容易に片を付けられる。

 確かに今回の勇者に与えられたスキルは強力だが、総合的な厄介さはこれまで破滅させてきた勇者たちと大して変わらないからな。


 その上でフィリアたちを作戦に巻き込んだのは、クラージュの安全を確保するためだった。

 今回の勇者は「転移」というスキルを天使から与えられている。

 名前から想像できるとおり、どこでも好きな場所へ転移できるスキルだ。


 一見すると便利なこのスキルには、いくつか弱点がある。

 その一つが、転移先の条件を魔力だよりにしているというものだ。


 例えば、勇者が「悪魔のもとへ転移したい」と望んだとする。

 その場合、転移先は「勇者から一番近い悪魔の魔力がある場所」となる。

 逆に言えば、勇者の近くにいても魔力さえ隠していれば転移先には選ばれない。


 これまでは、その特性を利用して勇者の行動を制限してきた。

 俺の魔力を纏わせた影を勇者の近くに潜伏させて転移先を誘導し、適当に姿を変えて戦闘させ、程よいところで負けさせる。

 そうすれば勇者はほどほどに満足して作戦の準備が整うまで余計な行動をしなくなるし、俺は勇者を排除する口実を得られる、というわけだ。


 あとは勇者をこちらへおびき寄せて捕らえるだけ。

 だが、その前に一つ懸念点があった。

 勇者が普段通り「悪魔のもとへ」転移を望むか、という問題だ。


 今回の勇者は悪魔全般を疎んでいたが、その中でも特に執着している悪魔が何名かいた。

 エアトベーレを滅ぼした悪魔。

 聖女を死に追いやった悪魔。

 そして勇者がこの世界で初めて出会い、消滅させ損ねた黒髪の悪魔だ。


 何も指定せずただ「悪魔のもとへ」転移を望んでくれればそれでいい。

 エアトベーレを滅ぼした悪魔のもとを目指したとしても構わない。

 どちらにしても、目標は俺だ。対処は容易だからな。


 だが、聖女を死に追いやった――実際は死を偽装しただけで死んではいないが――悪魔や、黒髪の悪魔を指定されたらまずい。

 今のクラージュは大した魔法を使えないし、トレーラントは冷静さに不安が残る。


 勇者がクラージュの下へ転移する可能性はかなり低いが、だからといって最悪の事態が起きないという保証にはならない。

 実際、俺は一度それで失敗した。

 以前見た無残な光景が瞼の裏に蘇って首を横に振る。


「ほんの一瞬滞在するだけだから。勇者と鉢合わせる可能性は低いから。

 そう判断して、クラージュをヴェンディミアへ向かわせたのは俺だ。

 同じ轍は踏みたくない」

「運が悪かったとはいえ、クラージュさんが首になったことは事実ですからね」


 当時、上位の悪魔以外がヴェンディミアに近づくことは禁止されていた。

 あそこはこの世界に居場所がない勇者にとって故郷とも呼べる国。

 勇者と鉢合わせる可能性がもっとも高い場所だからだ。


 ただ、当時の勇者は浄化の旅の途中で、ヴェンディミアから離れた場所にいた。

 旅の途中で勇者が帰国することはまずなかったから、俺も油断していたんだ。

 ヴェンディミアへ届け物をしなければいけないのにどうしても手が離せなくて、クラージュなら防衛魔法に長けていて判断力も高いから大丈夫だろうと踏んで任せてしまった。


 その結果、クラージュは首になった。


 直前で勇者が天使から力を追加で与えられてスキルが進化したことや、クラージュにとって不運がいくつも重なったことなど原因はいくつかあるが、大元の原因は俺の判断ミスだ。

 だから今回は僅かな危険でも潰しておきたかった。


 もっとも、勇者が転移先にクラージュの傍を選ぶ危険は排除しきれない。

 そこで考えたのが、いざという時に守りやすいよう手元に置く作戦だ。


 夢魔であるフィリアは攻撃魔法こそ不得手だが、その代わり魅了の術に長けている。

 人間の男なら誰であれ、フィリアに危害を加えることは難しい。

 仮にフィリアがクラージュを匿っていると気づいても、手は出せないだろう。

 俺が危険を察知して駆け付けるまでの時間を稼ぐには十分だ。


 クラージュから離しておけば、トレーラントが危険に晒されることもない。

 あいつの成長度合いを確かめたかったから丁度よかった。


「それに、作戦に協力させれば報酬もやれるしな」

「サジェスさんの発想、まるで孫にお小遣いを渡したがるおじいさんですね」

「……せめておじさんにしてくれ」


 確かにそこそこ年を重ねた自覚はあるが、まだ「おじいさん」と呼ばれる年じゃない。

 大体、それを言うなら俺より年上のフィリアの方が――。


「何か仰いました? サジェスさん」

「なんでもない」


 口に出しかけた言葉を呑みこんで首を横に振ると、フィリアが満足げに微笑んだ。

 昔植え付けられた上下意識は力関係が逆転しても有効らしい。

 早く家に帰ってペットに癒されたいと思いながら、顔を出し始めた月を仰いだ。

これにて前章は完結です。次話はまとめになります。

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