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35話 苦い優しさ、甘い毒

「……エアトベーレが滅んだ?」

「ええ。革命が起きたそうですわ。

 国王は行方不明ですが、王子は殺されたと聞きました」


 呆然とする勇者と違い、巫女は淡々としていた。

 それにしても早いものだ。昨日滅びた国について、もう報告されるとは。

 そんなことを考えていると、我に返った勇者が声を張り上げた。


「すぐにエアトベーレに行こう!」

「……なぜ、エアトベーレに?」

「ベルを殺した悪魔に復讐するんだ。

 滅んだってことは、もう国同士の関係とか気にする必要ないんだろ?」


 ベルを殺した?

 聞き慣れない名前に内心で首を傾げていると、フィリアの声が頭に響いた。


『クラージュさんが以前契約した、聖女ベルティーアのことです。

 あの後、悪魔に殺されたことになったようで』

『なった、ということは事実ではないんだな』

『ええ。枢機卿の一人が彼女を庇うため、死を偽装しました』


 なるほどな。どうやら、事は上手く進んでいるらしい。

 悪魔と契約した痕跡は必ず残る。誤魔化すことは不可能ではないが難しい。

 そして、悪魔と契約した人間の末路は火による浄化(火刑)だ。


 恐れをなした聖女が出奔でもして表舞台から姿を消してくれればいいと思っていたんだが……想定よりもいい方向に転がったな。

 死を偽装した以上、再び表舞台に立つことは許されない。もし立てば、待っているのは死だ。

 聖女が俺たちの契約を邪魔した事実が広がることは今後まずないだろう。


「勇者様は、エアトベーレが滅んだ原因をご存じないのですか?」


 その時、冷ややかな声が叩きつけられた。

 巫女のオリーブ色の目が軽蔑の色を宿して勇者を見つめている。

 それに気がつかないのか、勇者は不思議そうに瞬きをした。


「病気だろ?」

「ええ、病ですわ。原因不明の。

 そんなところへ赴けば、感染するかもしれませんのよ」


 巫女の言葉は至極まっとうだった。

 少なくとも昨日、目の前で砂糖漬けになった男よりは理性的だ。

 聖女の死を持ち出された時は一瞬動揺したが、今はもう落ち着いている。


 この手の人間から報酬を搾り取るのは難しいが、契約相手としては悪くない。

 俺は結構好きなタイプだな。


「でも……それじゃ、ベルを殺した悪魔を放っておけってことか?」

「いいえ、そうではありませんわ。

 ただ、今はエアトベーレに向かうべきではないと言っているだけです。

 勇者様のお気持ちはよくわかりますが、今は堪えるべきです。

 それに勇者様の役割は全ての悪魔を滅ぼすこと。

 役割を全うすれば、いずれ目的の悪魔を討伐出来ますわ」

「それは……そうだけど……」


 巫女とは反対に、勇者はすっかり頭に血が上っているようだった。

 こいつは愚かだが、頭は悪くない。心の底では巫女が正しいと分かっているんだろう。

 だが、自分の考えも曲げられない。曲げたくない。だから味方が欲しい。

 その心を読み取ったように、フィリアが進み出た。


「それなら、こちらから悪魔の住処へ乗り込むというのはどうでしょう」

「住処?」

「あなた、自分が何を言っているのかお判りかしら?」

「ええ、もちろん」


 睨む巫女と、表情は分からないが声色からして微笑んでいるであろうフィリア。

 どちらがよく見えるかは一目瞭然だ。

 まして、自分の味方を欲していた勇者ならなおさら。


「それなら――」

「エアトベーレには行きませんよ。悪魔の住処に行くだけです。

 本拠地といった方が分かりやすいでしょうか」

「どういうことだ、フィーネ?」


 不思議そうに尋ねる勇者に向き直り、フィリアが口を開いた。


「悪魔は今、エアトベーレに滞在しています。

 ではその前はどこに暮らしていたのでしょう。

 私たちが旅先で宿に泊まるように、悪魔も本来の住処――いわゆる実家のようなものがあるとは思いませんか?」

「なるほど、そこで悪魔を待ち構えるんだな!」

「危険すぎますわ。おやめください、勇者様」

「オリビア……」


 必死に止める巫女を勇者が悲しげに見つめた。

 きっと「どうして気持ちを分かってくれないんだ」とでも思ってるんだろう。

 その時、フィリアが勇者に腕を絡めて寄りかかった。


「私は、ユウトさんが思った通りに動く方がいいと思います。

 だって、これはユウトさんの旅なんですから」

「フィーネ……」

「ユウトさんなら大丈夫ですよ。

 今までだって、ユウトさんは悪魔をたくさん倒してきたじゃないですか。

 今回もきっと、聖女様の仇を取れます」


 求めていたであろう言葉に、勇者が顔を輝かせた。

 もっとも、そこに勇者を正しい道へ導いてやろうという優しさは一切ない。

 ただ甘やかすだけの無責任な、だが心地だけはとびきりいい言葉。

 勇者はそれを「優しさ」として受け入れたようだった。


 ちなみに、フィリアは「たくさん悪魔を倒してきた」といったが実際のところ、勇者はこれまで一度も悪魔を殺したことはないらしい。

 勇者が危害を加えた悪魔は俺だけで、あとはサジェスが作った幻影だそうだ。

 あいつの幻影、魔力まで隠蔽されてて俺でも見破るのに時間が掛かるからな……勇者が見破れないのも無理はない。


「そうだよな……これは俺の旅なんだ。

 ベルを殺した悪魔をこのままにするなんて出来ない!

 協力してくれるよな、フィーネ。オリビアも」

「勇者様――」

「ええ、私はユウトさんの味方ですから」


 巫女の反論を遮り、フィリアが甘い毒を追加した。

 これ以上勇者の言葉に反対すれば、自分は勇者の敵ということになる。

 それを悟ったのか唇を噛み締めて俯く巫女に、勇者が無邪気に尋ねた。


「オリビアも、賛成してくれるよな?」


 それがどれだけ残酷なことか、勇者は考えもしないだろう。

 苦い言葉ばかり吐く巫女は、勇者の眼中にはないようだから。

 甘みを求め、苦みを避けるのは生き物の本能だが、成長には時に苦さも必要だ。

 それくらい、知性を持つ人間なら知っていると思うんだけどな。


「……勇者様。わたくし、今は気分が優れませんの。

 少し休んでから考えさせていただけませんこと」

「え? あ、ごめん……気づかなかった。

 大丈夫か? 休むなら宿に戻って……」

「ご心配なく。近くに湖がありましたから、そこで休んできますわ。

 あそこは空気が清浄ですもの」


 気遣いを拒む巫女に、勇者も何か感じるものはあったらしい。

 少し逡巡したのち「分かった」と頷いた。


「何かあったら呼んでくれ。すぐ行くから」

「ええ、ありがとうございます」

「……オリビアも、昔はもっと優しかったのに」


 無表情で踵を返した巫女を見送りながら、勇者が呟いた。

 勇者の腕を抱きながら、フィリアが「勇者様?」と声を上げる。


「浄化の旅をしてた頃、オリビアはいつも俺の行動を褒めてくれたんだ。

 「弱き者を救うのが勇者様のお役目ですから」って。

 火竜を討伐した時も、ケルピーを討伐した時もそうだった。

 護衛の騎士にはよく「旅の日程が狂うから」って止められたけど、オリビアだけは俺を認めてくれたんだ。

 それなのに、どうして最近は……」

「まあ、そうだったのですね」


 ほう、巫女はもともと勇者肯定派だったのか。

 それは裏切られた気持ちにもなるだろうな。

 人は最初から敵対していた者より、途中で裏切った者を嫌いやすい。


 護衛が止めたということは、教会の総意ではないはずだ。

 当時は心酔していたが、旅が途中で終わって目を覚ましたか?


 そんなことを考えていると、不意に息が苦しくなった。

 何かに押しつぶされているみたいだ。

 視界に映る勇者もだいぶ近い。これはもしかして、抱き着いたか?

 その時、甘い囁き声が耳に届いた。


「大丈夫ですよ、ユウトさん。

 私は決してあなたを裏切ったり、否定したりしませんから」


 微量の魅了が混ぜられた声に当てられたのか、勇者の鼓動が大きく高鳴った。

 体温が高まり、目が一瞬虚ろになる。かなり効いてるな。


 魅了は相手の好感度を強制的に高めるものだが、その効き具合には個体差がある。

 初対面の相手よりは二回目に会う相手の方が。こちらを意識していない相手より嫌悪を抱いた相手の方が効き目が高い。

 無関心の相手に好意を植え付けるより、嫌悪を好意に反転させる方が簡単というわけだ。

 相手が元からこちらに好意を抱いていれば、魅了はもっと容易くなる。


『……ところで、これって必要か?』


 夢魔にとって魅了は、食事をおいしく安全に済ませるための手段だ。

 人間の精力を主食にする夢魔の食事方法は大きく分けて二種類ある。

 名前の通り夢に入り込むか、現実で接触して直接回収するかだ。


 フィリア曰く、どちらを選ぶかは好みと実力によって変わるらしい。

 夢を介せば危険をほとんど冒さず精力を得られるが特定の個人を狙うことは難しく、またその味わいは淡泊なものになる。

 現実で接触するのは危険が高いが、濃厚な味わいな味わいの精力を得られる。

 ちなみに、フィリアの好みは後者だと言っていた。


 どちらにしても、夢魔が食事を終えるには少し時間が掛かる。

 その間、相手に抵抗されないよう編み出されたのが魅了だった。


 もともと相手から好意を抱かれやすい体質を持つ夢魔にとって魅了は相性がいい上、相手がこちらに抱く好意が大きくなるほど精力のおいしさも増す。

 そのため、ほとんどの夢魔は食事前に必ず魅了を使用するそうだ。


 だが、今回は勇者を狩りに来たのであって食事をしに来たわけじゃない。

 足止めはトレーラントたちがやるそうだから、わざわざ魅了を掛ける必要はないはずだ。

 不思議に思って尋ねると、桃色の瞳が悪戯っぽく輝いた。


『ええ、もちろん。

 クラージュさんも、おいしいものはお好きでしょう?』

『まあな』


 だが、俺は夢魔じゃないから精力は接種できない。

 フィリアもそれは理解しているはずだから、何か策があるんだろう。

 まあいいか。時が来れば分かることだ。


 今はフィリアの胸として、大人しく心優しい少女の一部を演じていよう。

 まさか、本当にこれだけのために呼び出されたなんてことはないだろうしな。


 ……ないよな?

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[良い点] 本人が欲しい言葉を甘くささやくところが、すごい! 優しさに見せかけた毒を染み込ませてるように感じます。 魅了はおいしい味付けなのかな。 悪気がなくて善意で暴走するひとは、周りも大変そう。 …
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