33話 胸になりました(物理)
「……どういうことっすか?」
休日の昼下がりとは思えないほど張り詰めた空気。
それを最初に破ったのはトレーラントだった。
温度のない声からは普段豊かな感情がすっかり抜け落ちている。どうやら、尋ねるタイミングを間違えたらしい。
それはそれとして、フィリアの回答は納得のいくものだった。
というより、少し考えれば察せたはずだ。
中位の悪魔を首に出来るほどの力を持つ者はそう多くない。
人間ならそれこそ、今話題になっている異世界の勇者くらいだからな。
そいつが俺を首にした犯人なら、サジェスが動く理由も納得がいく。
確か、勇者の魔力や身体能力自体は歴代より秀でてはいなかったはず。
きっと、対悪魔に特化したスキルを持っているんだろう。
そんなものを野放しにして、次の被害者が現れたら大変だからな。
本来は被害者である俺が対処すべき事態だが、あいにく今の俺はただの首だ。
話せて転がれて多少の魔法も使えるが、勇者を処分するには力が足りない。
俺自身、身体が戻るまで犯人探しは後回しにするつもりだったからな。
確かに、首にされた俺には犯人へ報復する権利がある。
今なら相手を殺しても規則違反にはならないだろう。
だが、相手は中位の悪魔を首に出来るほどの力を持っている。
そんな相手を殺せるのか? 生まれたての悪魔よりか弱いこの状態で?
……無理に決まってる。
痛い目を見るのが俺だけならまだいい。
だが、今の俺はトレーラントのパートナーだ。
俺が復讐を望めば必然的に、トレーラントも巻き込むことになる。
トレーラントは危害を加えられてないから、攻撃は許されない。
もし俺に手を貸して相手を傷つければ重い罰則が下る。
かといって何もしなければ巻き込まれて大怪我ないし消滅する可能性が高い。
どちらにしても被害者にすると分かっていて後輩を連れて行けるわけがない。
それに、犯人を殺したところで俺の身体は再生しない。
なら、今は契約やトレーラントの教育に集中した方が有意義だ。
そうすれば巡り巡って、俺の身体も早く再生するしな。
身体が再生すれば、俺も犯人探しに集中できる。
こう見えて防衛魔法は得意だし、へまをしても痛い目を見るのは俺だけだ。
だからいったん犯人のことは忘れて契約と後輩の教育に精を出していたんだが、サジェスからするとじれったく思えたらしい。
かといって、今の俺を急かしても意味がないことはあいつも知っている。
それでサジェスが直々に動いたんだろう。
勇者への報復権を手に入れた方法は分からないが、あいつならどうとでもなる。
俺を作戦に加えてくれたのはきっと、報復を横取りした詫びだろう。
サジェスの行動は本来、あまり褒められたものじゃないからな。
悪魔にとって、代理で報復してもらうのは自分の非力さを示すのと同じだ。
もちろん今回は緊急事態だからあいつを非難するつもりはない。
それは向こうも分かっているはずだ。
ただ、サジェスは古い悪魔だからな。こういうことは結構気にする。
向こうが参加させてくれるなら、ありがたく受け取ろう。
……それで、だ。
「トレーラント、落ち着け」
「だって、勇者が先輩を首にしたんすよね?
同じ目に遭わせてやりましょうよ、先輩」
暗に勇者を殺そうと言い出した後輩にない背筋がひやりと冷えた。
トレーラントは情の深さは美点だが、今回に限ってはむしろ欠点となる。
感情のままに勇者を害されると、誰も幸せにならない結末を迎えかねない。
素直な後輩を宥めるための言葉を探しながら口を開いた。
「お前の気持ちは嬉しいが、同じ目に遭わせるのは感心しないな」
「どうしてっすか? 捕まえるだけなんて――」
「人間は首を刎ねられれば長くても数十秒で息絶える。
たった一度、恐怖と痛みを味あわせるだけで満足できるか?」
そう言うと、真紅の目がぱちぱちと瞬いた。
ぴりぴりと張りつめた魔力が緩んだのを感じながら言葉を続ける。
「今回の作戦は勇者を捕らえるためのものだが、それで終わりとは明言されていない。
狩りの最中に慌しく殺すより、捕らえた後にじっくり料理した方がきっとうまいぞ。
お前の報酬は生命だ。報酬を得る前に多少遊んでも許されるだろう」
「……確かに、それもそうっすね」
どうやら納得してくれたらしい。
わざわざ別世界から召喚された上、長い苦しみが続くことが決定してしまった勇者に同情は……うん、ないな。全くない。
首を刎ねられた時の記憶は一切ないから痛みも苦しみも覚えてないが、仕事を邪魔した代償はきっちり払ってくれ。
「他に質問はありますか?」
「いや、特にない。トレーラントは?」
「俺もないっす。異世界の勇者を完璧に欺いてやるっすよ!」
一点の曇りもない笑顔を浮かべたトレーラントを見てほっと息を吐いた。
それにしても切り替えが早い。
俺は結構引きずるタイプだから、こういうところは羨ましいな。
そんなことを思いながら、フィリアに向き直る。
「それで、俺はどうすればいいんだ?」
「クラージュさんはまず、準備が必要ですね」
そう言うと、フィリアがそっとワンピースに手を掛けた。
滑らかだがどことなく色香のある動作でボタンを外し、胸元を寛げる。
薄紫の下着に包まれた透けるように白い肌と谷間……まで見て、そっと目を逸らした。
悪魔に性別はないが、変化の魔法が使えない俺は生まれてからずっと男性体だ。
自然、感覚も男性体寄りになる。
目の前の光景は俺にとって、少し刺激が強すぎた。
「フィリアさん、胸の形がいいっすね」
「あら、ありがとうございます。
トレーラントさんも女性体の時はとても素敵ですよ」
まるで髪型を褒めるように告げるトレーラントに、フィリアがにっこりと微笑んだ。
トレーラントは変化の魔法が得意だから、こういう光景も特に意識しないらしい。
……俺がおかしいように思えてきたな。
混乱する頭を落ち着かせるために人間の歴史を辿っていると、細い指が俺を持ち上げた。
トレーラントからフィリアに渡されたらしい。
「クラージュさん」
名前を呼ばれてとっさにそちらを見ると、桃色の瞳と視線が合った。
普段と違って怪しげな光をたたえるそれを見た途端、頭がふわふわとしてくる。
以前ペットショップでラミアが使っていたのと同じ魅了だ。
ただし、こっちは夢魔の魅了。その威力は段違いだが。
「ちょっとびっくりするかもしれませんが、痛みはないので安心してくださいね」
ぼんやりとした意識の向こう側で、フィリアの声がおぼろげに響いた。
微睡みの中にいるような心地よい感覚が全身を包む。
閉じそうになる瞼を開いて小さく頷くと、フィリアの手が頭を撫でた。
その瞬間、何かを裂く音と共に俺の視界が真っ二つに咲けた。
痛みはないが、衝撃が強い。
あと、視界があり得ないほど広くなってちょっと便利だ。
……ん?
「フィリアさん?! 先輩に何してるんすか! 先輩?! 先輩――!」
やけに取り乱しているトレーラントを不思議に思う間もなく、視界が曲がった。
同時に、柔らかくてすこし暗い場所へと詰め込まれる。
「窮屈ではないですか?」
「ああ。ちょっとな」
「すみません。ここが一番、見つかりにくいと思うので。
魔法で私の視界を投影しますから、我慢して下さいね。
――ああ、トレーラントさん。大丈夫ですよ。怪我はありませんから」
宥める声と共に、微かな衣擦れの音が頭の上で響いた。
薄暗かった視界が真っ暗になり、すぐに明るくなる。
最初に見えたのは泣きそうに歪んだトレーラントの顔だった。
何故かは知らないが、ずいぶん俯いている。
確かこれ、フィリアの視界を投影されてるんだよな?
トレーラントの立ち位置からすると胸に話しかけてないか?
誰かに見られた時が大変だなと思っていると、目の前に鏡が現れた。
魔法で出したらしい。
鏡に映っていたのは、ずいぶんと姿の変わったフィリアだった。
栗色の巻き毛は葡萄酒色のリボンで彩られ、澄んだ青い瞳がこちらを見返す。
服装は先ほどと変わらず、白を基調とした清楚なワンピースだ。
さっき見た時よりも胸が大きく見えるのはそういうふうに変えたからか。
そんなことを思っていると、フィリアがそっと自分の胸に手を乗せた。
「しばらくはここで、ゆっくりしていて下さいね」
……なるほど、そういうことか。
二つに分かれた自分。やけに下を見るトレーラント。大きくなったフィリアの胸。
却って冷静になった頭を回転させて、答えを導き出す。
どうやら俺は、胸になったらしい。




