31話 おかえりなさいませご主人様。いただきますご主人様!
「……ァ、オォ゛アァ」
「なんすかこれ!? 先輩、これなんなんすか?!」
「俺のかわいいペットだな」
「ペット?!」
魔法障壁に張り付き、恨めしげな呻きを漏らす何匹ものペット。
三流ホラー小説の一場面を想起させる光景に、トレーラントが悲鳴を上げた。
「先輩、アンデッド飼ってるんすか!?」
「ああ。見ての通り、躾は全く出来てないけどな」
「そりゃアンデッドっすからね!」
「ははは……」
上擦った声で告げられたもっともな意見に苦笑を漏らしながら、主を餌としか見ないペットたちの手足を風の刃で切り落とした。
通称「動く死体」とも呼ばれるアンデッドには知性がない。
あるのは恒常的な飢えを満たしたいという本能だけだ。
言葉も話せない相手に躾なんて出来るわけがない。
まず意思疎通すら怪しいくらいだ。
それ故、多くの種族の間でアンデッドの群れはなかなかの脅威とされていた。
こいつら相手に話し合いは通用しないし、疲労や恐怖の概念もないからな。
単体ならいくらでも手の打ちようはあるが、数で上回られたら対処は難しい。
もっとも、悪魔やエルフのように魔法に長けた種族なら話は別だ。
接近される前に魔法で焼くなり、俺のように手足を切り落とすなりすればいいだけだからな。
まあ、魔力切れになると襲われて死ぬが……この程度の数ならその心配もない。
事実、玄関に足を踏み入れて三分も経たないうちに押し寄せてきたペットたちは全員手足を刈られ、戦闘不能になっていた。
諦め悪く芋虫のように動いてはいるが、襲ってくる様子はない。
数も合っているので、世話をしている奴ら全員を無力化出来たようだ。
「よし、奥へ行くぞ」
「……あの、先輩。もしかして毎日これやってるんすか?」
「ああ。普段はもう少し早く終わるけどな」
「なんでまたアンデッドなんて飼おうと思ったんすか……」
「別に、飼おうと思って飼ったわけじゃない。
この聖堂をもらった時、一緒についてきたから世話してるだけだ」
聖堂を手に入れたのは今から千年前。
今は滅んだ自律教会の司祭と契約した時だった。
現在、人間の間で広く信仰されているのはファナティクス教――通称「正教」と呼ばれる宗教だ。
「右の腕を切り落とされたなら残りの腕も差し出し、抱擁せよ」という教えの下、一柱の創世神を信仰し、天使を崇め、堕落した悪魔を滅ぼそうと日々熱心に活動している。
異世界から人間を召喚して勇者に仕立て上げているのもこの宗教だな。
一方、自律教会は信仰する神こそ同じだがその教えは大きく違う。
「右の腕を切り落とされたなら左の腕で反撃せよ」という教えの下、天使も悪魔も各々神に役割を与えられた存在として共存を目指していた。
同じ神を信仰する者の間でそれほど考えが違っていれば当然、争いに発展する。
この二つの宗派もじきに争いはじめ、そして千年前に決着がついた。
どちらが勝ったのかは、今なお正教が信仰されていることから察せるだろう。
自律教会が滅びる寸前、当時の司祭が俺に望んだのは復讐だった。
戦火から逃れるために聖堂へ避難した人々を性別年齢問わず蹂躙し、殺した正教会の兵とそれを命じた責任者への復讐だ。
右の腕を切り落とされた際、抱擁よりも反撃を推奨する自律教会の人間らしい望みだと思う。
代わりに差し出されたのは司祭の魂とこの聖堂。
そこに付属していたのが大量のアンデッドたちだった。
まあ、司祭が意図していたのは前者二つだけだったと思うけどな。
アンデッドは死神の不手際によって作り出される魔物だ。
ライフが魂から記憶を消去し忘れて記憶保持者を生み出してしまったように、死者の魂を回収し忘れればアンデッドが生まれる。
そして不手際が発生しやすいのは多くの場合、忙しい時だ。
当時は異なる宗派間での争いが頻発していたせいで死神は忙殺されていた。
生を運ぶライフでさえ悲鳴を上げていたくらいだ。
まして、死を迎えた魂を回収する死神たちは目が回るほど忙しかっただろう。
結果、大規模な回収漏れが発生した。それがこいつらだ。
俺が召喚された時、聖堂は血と腐敗の匂いに包まれていた。
たぶん、地下の霊廟へ死体を運ぶために時間が掛かったせいだろう。
あの時、夏だったしな。しかも生きていたのは高齢の司祭のみ。
魂を悪魔に渡す前に遺体を弔ってやりたかったんだろうが、魂が未回収の死体を広い聖堂内に匂いが充満するほど長い間放置していたら、そりゃあアンデッドにもなる。
司祭にとって幸いだったのは、霊廟の分厚い扉と聖堂の広く入り組んだ道筋のおかげでアンデッドが契約の場に姿を現さなかったこと。
そしてあまりにひどい匂いにうんざりしていた俺が、さっさと契約を終わらせたいがためにろくに精査せず報酬を受け取ったことだった。
魔法で匂いを遮ればよかったんだけどな。
魔力を節約したらもう一件契約が受けられるかもしれないと思って我慢したんだ。
無駄な我慢はするものじゃないと、あの時につくづく学んだ。
結果、俺は何も知らずに聖堂を受け取り、直後に出張へ赴いた。
くたくたの身体を引きずって出張から帰ってきた俺を出迎えたのが何だったか、言わなくても分かるだろう。
あれは驚いたし、自分の浅慮に反省した。
だが、悪いことばかりでもない。
アンデッドを入手できる機会はなかなかないからな。
基本的に、アンデッドは発見次第死神に回収される。
存在自体が不手際の証拠になるからだ。
回収される前に野生のアンデッドを捕まえたところで、死神から正式に回収を打診されれば手放さざるを得ない。
契約を通さずに魂を入手した場合、死神に所有の優先権があるからな。
そして、アンデッドを報酬として差し出してくる人間はまずいない。
そもそも所有している人間自体滅多にいないだろう。
意図せず珍しい品を入手できた、と考えれば得をしたと言える。
……もっとも、当時は何に使うのか全く決まっていなかったから、とりあえず手足を切り落として霊廟にしまい込んでたけどな。
二百年前に使い道を閃いて引っ張り出してなかったら、こいつらは今でも地下で芋虫のように蠢いていたはずだ。
普通のアンデッドなら千年も放置されていたら魂がすり減って物言わぬ死体に戻るが、悪魔に所有された場合は状態が固定されるからな。
飼い主が死ぬか望むまで何をしても死なないペットと同じだ。
狭い地下で永遠に苦しみ続けるよりは、外に出られただけマシかもしれない。
さすがに、アンデッドの気持ちは考えたことがないから分からないが。
「使い道?」
「主に実験台だな。
知能や強度を確かめるのに丁度いい」
まだ成果が出ていない実験を詳細に語るわけにはいかない。
適当にはぐらかすと、トレーラントが難しい顔で小さく唸った。
「クラージュ先輩って案外、サジェス先輩と趣味似てるっすよね……」
「失礼だな。俺は人間を生きたまま解体したり、実験したりしてないぞ。
サジェスよりは健全だろう」
「どっちもどっちっすよ」
折り重なったペットたちを避けながらトレーラントが嘆息した。
絶対、俺の方がマシだと思うんだけどなあ。
「ところで先輩」
「ん?」
「他にも変なのがいたりしないっすよね」
「……動くのはいないはずだ」
何分、気に入った品はどんどん空き部屋に放り込んでいるから断言はできない。
そう言うと、真紅の目が呆れの色を宿して俺を見つめた。
「先輩って、絶対に掃除が苦手っすよね」
「そんなことはないぞ。
生活スペースは魔法で綺麗に保ってる」
まあ、普段使っているのはこの奥にある祭壇の間だけなんだが。
残りの部屋は全て倉庫になっているが、家では寝るだけだから不便はしてない。
そう言うと、トレーラントが大きくため息を吐いた。
「それを苦手っていうんすよ」
「……そうか?」
「決めたっす。今日は先輩の家を隅々までピカピカにするっすよ!」
どうやら、俺の発言がトレーラントのやる気に火を付けてしまったらしい。
今日は普段使っている部屋の埃をちょっと払うだけの予定だったんだが……まあいいか。
掃除の合間にトレーラントの好みに合いそうな品が発掘できるかもしれないしな。
「……先輩。これ、なんすか?」
「黒豹の剥製だ」
「なんでこんなものあるんすか……?」
「豹の構造を知りたくなったんだ。
初めて作ったものだから、今見るとあんまり出来がよくないな。
これは処分――」
「それはなんか気分的に嫌っす!
これはこのままにしておきましょうよ先輩!」
「そうか? じゃあこれはここに置いておくか。
気に入ったなら持ち帰ってもいいぞ」
「それは遠慮するっす……これは?」
「黒豹の敷物だ」
「じゃあ、こっちは?」
「黒豹の薬品漬けだ」
「…………」
「あとそっちに、黒豹の毛皮で作った上着が――」
「もういいっす……」
比較的よく使う部屋から片付けましょう、と言われたので案内した数分後。
トレーラントはすっかりグロッキーになっていた。
色が違うとはいえ、いつも自分が姿を変えている動物の標本や毛皮に囲まれるのは精神的に来るものがあったらしい。
だから生活スペースの掃除だけでいいって言ったんだけどなあ……。
「やめるか?」
「そうっすね。俺、なんか心が折れそうっす……」
手つかずで終わった部屋の扉を静かに閉めて、トレーラントが頷いた。
予定通り普段使っている祭壇の間の埃を綺麗に払い、部屋の空気を入れ替える。
その作業を終わらせた頃には、トレーラントはすっかり疲れ切っていた。
「せっかくの休みなのに、悪いな」
「それは全然いいんすけど……先輩、身体戻ったらちゃんと大掃除しましょうね」
「時間があればな」
「約束っすよ」
おざなりな返事でもひとまず納得してくれたらしい。
満足げに頷いたトレーラントが祭壇に腰掛け、天井を仰ぐ。
高く昇った日差しがステンドグラス越しに差し込む様は、何度見ても幻想的だ。
トレーラントもその光景は気に入ったようで、真紅の目はきらきらと輝いていた。
「アンデッドは勘弁っすけど、建物自体は最高っすね。
俺も聖堂に住もうかなあ……アンデッドは嫌っすけど」
「昔はともかく、今は難しいと思うぞ。
正教会では基本的に、全ての聖堂は教皇の所有物とされているからな」
聖堂や教区を個々の所有としていた自律教会と違って、正教会は一点集中型だ。
権力も財も教会の頂点である教皇が管理している。
教皇と契約を結ばない限り、聖堂を手に入れる機会はまず訪れないだろう。
自律教会やその他の宗派が所有していた聖堂を入手するのも難しい。
皆、争いが終結した時に破壊されたからな。
「じゃあ、教皇と契約すれば聖堂が手に入るってことっすね!」
「理論上はそうなるが、教皇との契約ならサジェスが担当するはずだ。
俺やお前が担当するのは……まあ、難しいだろうな」
「なんでっすか?」
「今の教皇はエアトベーレの国王同様、魔法に長けた人間だからだ」
もちろん、魔力量で俺やトレーラントを上回っているわけじゃない。
どれだけ上澄みだろうと向こうは人間。中位だろうとこちらは悪魔だ。
種族の壁はそう簡単に超えられるものじゃない。
だが、俺たちには相手を害してはいけないという制限がある。
万が一に備えて、サジェスか上位の悪魔に契約が振られる可能性は高かった。
「加えて、教皇は第七天使の加護を受けてるからな。
中位の悪魔が規則に縛られた状態で手を出していい相手じゃない」
下手に関わると俺みたいになるぞ。
……という冗談はさすがに不謹慎なので飲み込んだ。
まあ、事実だけどな。
悪魔にとって、天使の魔力は毒同然だ。
力関係によっては触れただけで身体が溶けるし、傷は治りにくい。
人間に与えられる力はごく僅かだが、悪魔を首にするのは容易いだろう。
もっとも、逆もまた然りではあるが。
「加護って……なんでこの世界の人間が、天使の加護なんて受けてるんすか?」
俺の説明を聞いて、トレーラントが嫌そうに顔をしかめた。
それもそうか。天敵が関わっていると聞いて、いい顔を出来るわけがない。
その上、天使は人間に加護を与えて悪魔を滅ぼす道具にしてくる。
こちらは規則で契約に関係のない人間は害せないから質が悪かった。
ただし、天使は基本的に異世界の人間にしか加護を与えない。
この世界の人間に力を与えるには、地上に降りないとならないからだ。
よく加護を与えている第一天使を始め、ほとんどの天使は地上を穢れで満ちていると嫌っているから、この世界の人間が天使から加護を与えられるのは異例だった。
「第七天使は変わり者で地上にもたびたび降りるらしいからな。
おそらく何かしらの気まぐれだろう。
さすがに天使の考えることは分からないから、ただの推測だが」
「うう、気まぐれで加護なんて与えないで欲しいっす」
そう言って、トレーラントがしょんぼりと肩を落とした。
よほどこの家が気に入ったらしい。
実のところ住み心地は見た目ほどよくないんだが、言わない方がいいだろうな。
世の中、知らない方がいいことも多くある。
慰めの言葉を紡ごうとした時、厳かな鐘の音が響き渡った。
驚いたのか、トレーラントが目をぱちぱちとさせて辺りを見回している。
「なんすか、この音?」
「来客の合図だ」
「あ、ドアノッカーの代わりってことっすね……」
今日はトレーラント以外と会う予定はなかったはずだが……ライフか?
一瞬居留守を決め込もうかと思ったが、鐘は俺がいる時にしか鳴らない仕組みになっている。いない時に何回も鳴らされたら近所迷惑だからな。
相手がそれを知っていたら面倒なので、対応することにした。
「悪いが、出てくれるか? 応対は俺がやる」
「いいっすよ。それにしても、誰なんすかね。せっかくの休日に」
祭壇から飛び降りたトレーラントが軽やかな足取りで玄関へ向かう。
扉の前に積み重なったアンデッドを思い出したのはそれから数十秒後。
俺同様にすっかり存在を忘れていた(ついでに鼻も慣れていて血の匂いに気付かなかった)トレーラントの絶叫が聖堂に響いた直後だった。
……片付けって、大事だな。