30話 ただいま、我が家
サジェスが指を鳴らした途端、飴に覆われた人間から次々に魂が飛び出してきた。
光り輝く色とりどりの球体がこちらに向かって飛んでくる様は壮観だ。
幻想的な光景に見惚れていると、そのうちの一つを摘まんだサジェスが「ほら」とこちらに差し出してきた。
鈍い銅色に光る手のひらほどの球体。誰の魂かは聞かなくとも想像がつく。
「ライムントの魂か」
「ああ。わざわざ選別するのも面倒だから一緒に回収した」
「悪いな、助かる」
転移を使えばライムントを隠した場所まで一瞬で移動できるが、労力を使わなくていいならそれが一番いい。
軽く礼を言って魂を受け取る(受け取ったのは俺じゃなくてトレーラントだが)と、サジェスがやや不満そうな顔をした。
「昔みたいに「サジェス先輩、凄いですね!」なんて言ってくれないのか?」
「千五百歳にもなる悪魔を捕まえて、今更何言ってるんだ」
確かにサジェスの一挙一動に目を輝かせていたこともあったが、それは昔の話。
今はさすがに、驚きや興味をそこまで表に出したりしない。
千五百年も生きた悪魔がそんな子供っぽい振る舞い出来るか。
「俺からしてみれば、お前もトレーラントもまだまだ子供だ」
「それ、いつになったら子供を脱却できるんだ?」
「さあな」
投げやりに尋ねると、サジェスはくつくつと笑いながら肩をすくめた。
この調子だと、一生子ども扱いからは逃れられなさそうだな。
内心でため息を吐き、トレーラントに向き直る。
「国は滅んで、仕事も終わった。
そろそろ帰るぞ、トレーラント」
「はーい。俺、もうクタクタっす。
目は冴えてるんすけど、頭の奥が重いっていうか……」
「初めて尽くしで疲労が溜まったんだろう。
ぐっすり眠れば明日には治る」
元が好奇心だろうが怒りだろうが、興奮すれば精神は疲弊する。
初めての経験に神経が昂って妙な疲れ方をするというのは俺にも経験があった。
早く帰ろうと改めて促すと、先ほどよりも真面目な声が名前を呼んだ。
「クラージュ、トレーラント。今回はよく頑張ったな。
今夜は夜更かしせず、ゆっくり休めよ」
「お前もな、サジェス」
「サジェス先輩、お先に失礼するっす!」
血溜りのような瞳を細めるサジェスに手を振り、トレーラントが転移魔法を発動させる。
途端、視界がぐらりと揺れて景色が切り替わった。
目の前に広がる見慣れた営業部の光景に小さく息を吐く。
その時、ぺたぺたという足音……もとい腹音がこちらに近づいてきた。
見慣れたアザラシが目の前で立ち止まり、俺たちを見上げる。
促されるより先にその場で屈みこんだトレーラントを見て満足げに頷いた後、アザラシが口を開いた。
「よく帰ったな、クラージュ。トレーラント」
「ただいま戻りました、課長」
可愛らしい見た目に似合わない低音の美声に「ああ、帰ってきたんだなあ」と実感しながら返事をすると、くすんだ赤い瞳が僅かに細められた。
普段は自席で部下を待つ課長だが、出張から帰った時だけはこうして出迎えてくれる。
理由は知らないが、たぶん課長なりの気遣いだろう。
「サジェスから報告は受けている。
称賛も指摘も山のようにあるが、二名とも今は疲れているだろう。
規則により、出張の翌日は休暇と決まっている。
よく身体を休め、次の契約に備えるといい」
「わかりました」
出張は大して気を払わずとも割のいい契約を受けられるといった意味では楽だが、休息自体はほとんど取れない。
確かに悪魔は肉体も精神も頑強な種族だが、さすがに不眠不休で働けば疲労も溜まる。
そのため、出張後は必ず休暇が与えられるよう規則で定められていた。
疲れが溜まれば注意力や判断能力が低下する。
そのせいで消滅させられたなんてことになったら、笑い話にもならないからな。
もちろん指名が入った場合は別だが、俺もトレーラントも中位の悪魔。
下準備や細工もなしに指名を受けることはまずないだろう。
休暇と聞いて顔を輝かせたトレーラントが「先輩」と期待に満ちた目で俺を見つめた。
「せっかくのお休みですし、明日どっか行きましょうよ!」
「疲れを癒すための休暇だぞ」
「今夜ぐっすり眠ったら、疲れなんて吹き飛ぶっすよ!」
「若いなあ」
なんて思わず零してしまったが、実のところその通りだったりする。
悪魔はもともと疲労が蓄積しにくいし、回復も早い。
特にトレーラントは精神が疲れているだけだから、明日にはいつも通り元気いっぱいだろう。
俺は言うまでもなく、肉体も精神も元気いっぱいだ。
そもそも疲れるほど動いてないしな。
助言はしたが、実際に動いたのはトレーラントだ。
休暇は寝て過ごしたいと常々思っているが、ここは頑張った後輩に譲るか。
「どこか行きたいところはあるか?」
「そうっすね……あ、先輩の家に行きたいっす!」
「俺の家? ……そういえば、帰ってなかったな」
魔法が使えるようになるまでは(主に安全上の理由から)帰らないでおこうと決意したきり、すっかり忘れてた。
休むだけなら、サジェスが用意してくれた部屋で十分事足りるからな。
せっかく魔力回路を再生して魔法が使えるようになったんだ。一度帰って部屋を整理するのも俺としては悪くないが……。
「せっかくの休暇をそこで潰していいのか?」
「はい! 俺、他の家って行ったことないんすよ。
だから、一度見てみたくて」
「お前くらいの年だと、自分の家を持ってる奴は少ないだろうしな」
当然のことだが、家は高い。
加えて、新しい悪魔ほど支出は増えがちだ。
経験を積めば大抵のことは魔法で解決出来るようになるが、生まれたばかりの悪魔だと他者に頼るしかないからな。
自然、家を買えるほどの余裕を持てるのは生まれてずいぶん先となる。
契約で家を得られることもあるが、それで手に入るのは人間の世界にある家。
移築するにしても土地は必要だから、結局多額の費用が掛かる。
寮で暮らしていれば不便はないから、無理をして家を買う奴は多くなかった。
「とはいえ、部屋自体は寮とさして変わらないと思うが……まあいいぞ。
ただし、自衛はしてくれよ」
「確か、危険なペットがいるんでしたっけ?」
「ああ。お前なら怪我を負うこともないだろうが、念のためな」
後輩が自分のペットに傷つけられるなんて想像しただけでぞっとする。
そう言い添えると、トレーラントは神妙な顔で大きく頷いた。
「それは分かったっすけど、本当に何飼ってるんすか……?」
「明日になれば分かる」
俺のペットは魔力や気配に敏感だし、食欲旺盛だ。
一歩玄関に足を踏み入れれば、すぐに気がついて姿を見せるだろう。
飼い主と後輩を出迎えるために。
「この町、賑やかで楽しいっすね!」
翌朝、普段よりも一時間遅く起きたトレーラントを連れて俺は久々に自宅へ戻った。
といっても、最寄りの街を伝えてその入口へ転移してもらっただけだけどな。
直接家に転移しないのは、転移除けの魔法が掛けてあるからだ。
サジェスにはあっさり無効化される程度の防衛魔法だが、さすがにトレーラントに破られる程度の強度には設定してない。
後輩を痛い目に遭わせるのは本意じゃないからな。
幸い、トレーラントはこの都市を気に入ったようだった。
調和と公平の街、アモル=パティエンティア。
この世界でもっとも多種多様な種族が暮らす街で、それ故に俺たち悪魔には意図の分からない店も多く並んでいる。
そういう店を覗いては説明を聞き、気になったものは買う――というのが、俺の過ごし方だった。
まあ、使うとは限らないんだけどな。むしろ使わないことの方が多い。
けど、たまに掘り出し物もあったりするから損はしてないはずだ。
……たぶんな。
「ところで、先輩の家ってどこっすか?」
「北の外れにある。そこの道を突っ切れば早く行けるぞ」
「ずいぶん遠くにあるんすね」
「ここはいい街なんだが、暮らすとなると少し賑やかすぎるからな」
それに、俺のペットは生き物の気配に気がつくとすぐ外に出ようとする。
いくら多種多様な種族が暮らす街とはいえ、あんなのが脱走したら大騒ぎだ。
面倒事を避けるためにも、郊外に家を構えていた。
「うーん……ひょっとして、先輩のペットってドラゴンっすか?」
「まさか。ドラゴンなら、この町にも何頭か暮らしてる。
脱走したところでそいつらに諭されて終わりだ」
「ペットじゃなくて、普通に暮らしてるんすね……」
「あいつらは頭がいいからな」
身体がでかすぎるから暮らせる場所に制限はあるが、それはサイクロプスも同じこと。
プライドを傷つけることを言ったり、宝を盗もうしたりしなければよき話し相手だった。
まあ、それはドラゴン相手でなくとも同じだけどな。
「ああ、見えたぞ。あれだ」
「……あれ、家っすか?」
「俺が暮らしてるから、家で間違いないだろう」
俺が示した家を見上げて、トレーラントが目を見開いた。
白を基調とした外壁を彩るステンドグラスに、左右に空高くそびえる尖塔。
壁には複雑で繊細な彫刻が刻まれ、塔の上には巨大な鐘が設置されている。
どこからどう見ても文句のつけようがない、荘厳な大聖堂。
それが俺の自宅だった。
ステンドグラスや天井画、彫刻が山のようにあるから、綺麗なものが好きなトレーラントはきっと気に入るはずだ。
「こんなの、どうやって手に入れたんすか……?」
「家は契約で得たものを移築した。
土地は前の持ち主だったスフィンクスの謎掛けに勝って手に入れた」
「謎掛けの賞品で、土地って手に入るんすね……」
普通は手に入らないと思うが、ここは街の北外れ。
日当たりも利便性もよくないから人気はないが、広さはある。
財宝に囲まれて悠々自適な生活を送るスフィンクスにとって、謎掛けの賞品にしても惜しくはない程度の資産価値しかなかったんだろう。
ちなみに謎を解くのに三年は掛かったし、解いた後で同じ問題をサジェスに出したら三日で解かれた。
あいつが謎解きに参加してたら、俺は未だに家を持てていなかったと思う。
そんなことを考えていると、ペットが玄関に近づいてくる気配がした。
どうやら俺たちの存在に気がついたらしい。
家に魅入っているトレーラントに向き直り、口を開く。
「さ、そろそろ中へ入るぞ」
「はい、先輩。お邪魔しまーす!」
元気いっぱいに声を張り上げたトレーラントが扉を開く。
その直後に絶叫が上がったのは……予想通りの展開だった。




