29話 エアトベーレは滅亡しました
フリードリヒ殿下が死んだ。
その事実は俺たちの望みを叶えるための大きな一歩となった。
強者が甘露を啜り、弱者が虐げられる生活からの解放を。
全ての者が平等に利益を分け合う社会を。
王ではなく、民による政治を。
それが俺たちの望みであり、そこに王家は必要ない。
いや、むしろ邪魔だ。王家があれば、必ず担ぎ上げようとする者が現れる。
未来への禍根を断つためにも、王族は全て殺すつもりだった。
エアトベーレ王家の血を引く者は現在、国王陛下と王太子殿下の二人だけ。
その一人が死んだ。これは喜ばしい事実だった。
実際、殿下の死を確認した仲間たちの士気は上がっている。
俺自身、気分が高揚していた。
強大な魔法使いであり、王家の血を引く最後の一人。国王陛下すら今の俺たちならきっと殺せると思えるほどに。
……いや、きっとじゃない。必ずだ。
改めて決意を固めながら、殿下を殺したイーラという男を見る。
正直な話、最初にイーラを見た時は少し警戒していた。
いかにも繊細そうな見目をした彼が人を、それもまだ六歳になったばかりの幼子を殺せるとは思えなかったからだ。
適当な死体を殿下と偽り、俺たちを欺こうとしているんじゃないか。
そんなことを考えてしまったほど。
だが、遺体の服には王家の紋章が刺繍されていて目は妃殿下譲りの紫色だった。
紫の目を持つ人間は非常に少ない。この国の王侯貴族では殿下と妃殿下だけだ。
確実、ではないが高い確率で殿下だろう。
それに、彼はおそらく狂っている。
親友のものだという生首を先ほどから片時も手放そうとせず、それどころか愛おしそうな視線さえ注いでいるのを横目に眺めてため息を吐いた。
死者にこれほど執着しているくらいだ。
それを奪った王家に対する憎しみはきっと深いのだろう。
ただの狂人は信頼できないが、王家への恨み故に狂ったのなら俺たちと同じ。
そう考えて警戒を解いた。
加えて、魔術師の力は陛下の討伐にも必ず役立つ。
同志たちも彼を仲間に入れることに反対しないはずだ。
「イーラ。もうすぐ着くぞ」
振り返ってそう伝えると、イーラが小さく頷いた。
少し緊張しているようで、生首を抱える腕に力が籠っている。
「大丈夫、我が同志達は寛容だ。
仮に異を唱えられたとしても、俺が守ってやる」
そう言って肩を叩くと、強張ってきた顔が僅かに緩んだ。
故郷に残してきた弟を思い出させる幼い表情にこちらの心も少しほぐれる。
……家族に自分の食事を分け与えて死んだ、賢く優しい自慢の弟。
生きていたら、彼のような魔術師になってたんだろうか。
「アルバン! 陛下と殿下はどうなった」
そんなことを考えていると、同志の一人が駆け寄ってきた。
どうやら、王国軍との争いはあらかた終わったらしい。
あちこちに怪我をしているが、どれも深手にはなってないようだ。
問題ない、と頷いて抱えてきた殿下の遺体を見せる。
「陛下は見つからなかったが、殿下は討ち取った。
イーラのおかげだ」
背後に控えていたイーラの肩を抱いてそう告げる。
途端、同志の目が輝いた。
「ならば、これで……」
「ああ。また一歩俺たちの理想に近づいた。
明日の朝、広場に皆を集めてくれ。捕らえた貴族たちを処刑する。
旧体制を廃し、新体制へと移行する前祝いだ」
そう告げると、いつの間にか集まっていた同志たちが一斉に歓喜の声を上げた。
士気は順調に高まっている。いい傾向だ。
陛下を討ち取り俺たちの理想を叶える為に弱腰ではいられない。
それに、現実的な問題として貴族たちを生かしておけるだけの余裕はなかった。
食料には限りがあるし、貴族は薔薇の病の感染源となる。
薔薇の病が平民に感染した例は聞かないが、不安は出来る限り取り除きたい。
俺たちにはやるべきことが山のようにある。
些末な問題に時間を取られている暇はないのだから。
「わ、私は! 私はこの国の為に、尽くして――」
喚く貴族の首に処刑人が斧を振り下ろす。
飛び散った血飛沫に、簡易な天幕の下に集まった同志や民衆が歓声を上げた。
次の犠牲者を求める声に処刑の順番を待っていた貴族の娘が身を竦ませる。
それでも救いを求めないのは覚悟が決まっているからではなく、諦めているからだろう。
処刑を待つ貴族たちの扱いに制限は掛けていなかった。
殺さなければ何をしてもいい、と伝えている。
俺たち平民はこれまで王侯貴族に押さえつけられ、虐げられてきたんだ。
ほんのわずかな間、意趣返しをさせてもらったって罰は当たらないだろう。
拷問まがいの暴行を受けて息も絶え絶えとなった老貴族。
休む間もなく辱められて舌を噛み切ろうとした令嬢。
砂糖水の雨の下に晒され虫に集られる青年。
これまで魔力と階級を盾に甘露を啜ってきた人間が俺たちの怒りを思い知らされる様を見るのは気分がよかった。
処刑を眺めるうち、自然と口元が緩んでしまうのも無理はないだろう。
「……すごい」
いつの間にか隣に来ていたイーラが小さな声で呟いた。
紫同様に珍しい真紅の目は興味と期待に満ちている。
彼もまた、俺たちと同じ考えを抱いているようだ。
目の前の光景に熱心な眼差しを向けるイーラに向き直り、口を開く。
「俺たちが受けてきた苦しみはこんなものじゃない。
本当はもっと生き地獄を味あわせてから殺してやりたいところだ」
「怖くならないの?」
「まさか!
あいつらは敵だ。情けを掛けてやる必要がどこにある」
王侯貴族は皆、城に集まって食料と水を独占している。
どこからともなく流れ出したその噂を思い出して顔をしかめる。
最初、俺は噂を嘘だと思い信用しなかった。
国王陛下はエルフとの戦争を終わらせた功績者。
慈悲深く公平で、民を思いやる賢王だ……と、思いこんでいたせいだ。
今思えば、それこそが王家の巧妙な作戦だったんだろう。
薔薇の病が広がり砂糖水の雨が降り出した途端、王家の本性が露わになった。
食料や水は配給制となり、飢えて死ぬ人間は次々と増えていく。
そんな中、王家は貴族ばかりを城に集め出したのだ。
民から買い上げた食料と水がある王城へ。
表向きは「魔法で水を浄化するためだ」と言われている。
だが、実際はどうだ?
確かに水の配給は多少増えた。だが、それ以上に死者は増え続けている。
受け取る側が減ったなら配給量が増えるのは当然のこと。
本当に水の浄化など行っているのか?
一度疑問を抱き始めると、次から次へと疑惑が湧き出した。
公平な王なら物資も平等に分配すべきではないのか?
魔法王とも謳われた人がなぜ魔法で民を治療しない?
賢王と称されながら病も雨も止められないのは何故だ?
そして今日。城に踏み入った同志たちから噂は事実だったと聞かされた。
城には着飾った貴族が大勢滞在していたそうだ。
享楽に耽っていたのか疲れ切った彼らを捕らえることは難しいことではなかったらしい。
情けないことだ。国の盾であり剣である貴族が平民に捕らわれるとは。
何よりも。
広場の中央にある晒し台に固定された殿下の首を睨みつける。
城に押し掛けた民衆の一人から、殿下の話を聞いた。
なんでも、殿下は「冷えた清水が流れ出す銀の石」を隠し持っていたそうだ。
そんなものがあるのなら水の浄化など必要ない。
やはり、陛下は貴族たちと共に贅沢を貪っていたのだ。
思いやりのある理想的な王を気取りながら。
「そう……石は見つかったの?」
「いや、まだだ。
殿下の護衛騎士だった男が取り上げたらしいが、そいつが行方不明でな。
話によれば逃げる殿下を追っていったそうだが……イーラは見てないか?」
尋ねると、イーラはふるふると首を横に振った。
殿下を見つけた時は既に一人だったそうだ。
となると、男は途中で撒かれたのか?
話によれば、殿下は王家に代々伝わる隠し通路にいたらしい。
構造が複雑なあそこなら、子供の足でも撒けるかもしれない。
それに……殿下はあの陛下の子だ。
陛下が水や炎を手足のように操り、魔物を倒した話は俺も聞いたことがある。
その子供である殿下なら、大人一人くらい返り討ちに出来てもおかしくない。
イーラは気配を消す魔術が得意だと言っていたから魔法の餌食にならずに済んだんだろう。
明日、石を探すついでに男も探しておこう。
王家の欺瞞を暴いた功労者だ。手厚く葬らなくては。
「アルバン。そろそろ……」
「ああ、わかった。すぐ行く」
同志の一人に声を掛けられてはっと我に返った。
どうやら、処刑は終わったらしい。いつの間にか太陽は真上に昇っていた。
彼らの興奮が冷めないうちに演説を行って、団結を促そう。
それこそが力のない俺たち平民が持つ最大の武器なんだから。
「イーラ、お前も来てくれ。
功労者として紹介したい」
「うん……わかった」
おっとりと頷いたイーラを連れて演説台に上がれば、期待に満ちた目がこちらを向いた。
ざっと見まわした感じ、俺たち決起軍に反感を抱く者はいないようだ。
人は集まると気が大きくなり、粗野な振る舞いをする者も増える。
守るべき民に不埒な行いをして信用を失わないよう、捕らえた貴族たちで発散させた甲斐があった。
彼らに後押しされるように、俺はゆっくりと口を開いた。
「エアトベーレの王子、フリードリヒは死んだ。
我らを虐げてきた王侯貴族はほとんど滅んだ。
残るは国王陛下――いや、マクシミリアンのみ。
皆、あと一歩だ! あと一歩で、この国は我らの物になる!」
「いいや、違うな。この国は俺のものだ」
愉悦を含んだ涼しげな声が俺の演説を遮った。
誰だ、と問うよりも先に簡易天幕が壊れる凄まじい轟音が響き渡る。
次いで、視界が真っ白に染まった。
「なんだ、これ、はっ……!」
むせ返るほど甘い匂いが鼻を突いた。
平凡な砂糖細工職人だった頃、毎日のように嗅いでいたそれに頭の中で警鐘が鳴り響く。
これは、飴だ。
連日のように降り続く砂糖水の雨をさらに煮詰めたような液状の飴が降りつけている。
その温度が火傷しない程度に生ぬるいことだけが唯一の救いだった。
「わあ、めちゃくちゃ甘いっすね。これ」
混乱している俺の耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。
少し口調は違うが、イーラの声だ。魔術で雨を防いでいるのか?
なんにしても、動ける味方がいるのはありがたい。
「イ、イーラ! そこにいるのか?
無事なら助けてくれ!」
「イーラ? また面白い名前を付けたな」
「失礼っすね。結構気に入ってるんすよ、この名前」
先ほど俺の演説を遮ったのと同じ声がくすくすと笑う。
それに対してまるで知り合いのように親しく返すイーラの声に背筋がゾッとした。
まさか、イーラは味方じゃないのか? 目的は? なぜ俺に近づいた?
「……それで、どうだった? 楽しめたか?」
その時、また別の声が耳に届いた。
穏やかで優しい、信頼できそうな男の声だ。
だが、その内容は優しさとは程遠い。
楽しめたか? この状況で楽しめるわけがないだろう!
「もちろんっすよ。
特に、自分が正義だと思いこんで同族を虐げる姿はすごく面白かったっす!」
「まあ、思い込みが激しいのは人間に限らないけどな」
他人事のように話す声の主に腹が立つが、口が動かない。
降りつける飴に全身を覆われつつあるせいだと気がついたのはその時だった。
声にならない悲鳴を上げ、手足をばたつかせた途端バランスを崩してその場に倒れる。
無防備に晒された目を、鼻を、耳を飴が覆った。
視覚も嗅覚も聴覚も急速に失われ、息が出来なくなる。
だが、俺はまだ生きていた。
窒息の苦しみは感じているのに意識は鮮明に残っている。
それは救いではなく地獄だった。
「エアトベーレの新名物、人間の砂糖漬けの完成だな」
「うーん、おいしくなさそうっすねえ……。
ところでこれ、死なないんすか?」
「ああ、細工をしてあるからな。
……そろそろいいか」
指を鳴らす軽やかな音が耳に届く。
それが俺の聞いた最期の音だった。




