28話 狂人の真似とて首を持てば即ち狂人なりや?
「助けて! たすけて、エル!」
契約者の気配を辿っていくと、不意に子供の悲鳴が聞こえた。
続いて肉が切断される音と何かが転がる鈍い音が耳に届く。
トレーラントが俺を落としたときの音によく似てる。
というか、たぶんそれと同じ現象が起きたんだろう。
核さえあれば生きられる悪魔と首を切られれば死ぬ人間。
起きた出来事は同じでも、迎えた結果はまるで違うと思うが。
気配を頼りに曲がりくねった道を進むと、覚えのある後ろ姿が見えた。
身じろぎ一つせず立ち尽くす男を見てトレーラントが首を傾げる。
「……何やってるんすかね、あれ」
「死を悼んでいるわけでないのは確かだろうな」
だが、事切れた王子をさらに蹂躙する気配もない。
まさか感極まって死んだわけじゃないよな?
そんなことを考えていると、男が微かに肩を震わせ始めた。
震えが大きくなるにつれ押さえつけるような声が漏れ出す。
笑いを堪えていたのだと気づいたのはその直後だった。
「はは……ははは! やった、やったぞニーナ!
君を殺した元凶は、陛下の宝はいなくなった!
民を、君を犠牲にしてさえ陛下が救おうとしていた、殿下は死んだ!
ざまあみろ!」
どうやら、あの男の本懐……は遂げられなかったが、第二希望は叶ったらしい。
楽しげに身体を折り、狂ったように声を上げて笑っている。
いや、ようにではなく本当に狂っているのかもしれないな。
どうせ後で魂を回収するんだから、正気の有無はどうでもいいが。
ただ、このままふらふらと外へ出ていかれて死なれたら困る。
さいわい、ここは人気のない地下通路。
おそらく、王族が城から逃れる時の為に作られた空間だ。
特にめぼしいものもないから、目的がなければ立ち入られることはないはず。
国が滅びるまでの間、ここで大人しく留守番していてもらうか。
「ちょっと眠ってるっすよ」
笑い続ける男に触れると、その身体が音もなく崩れ落ちた。
危害を加えたわけでなくただ眠らせただけだから規則違反にはならない。
それから念のため、通路の隅に寄せた男の姿を魔法で隠した。
視界に映るのは息絶えた王子だけ。これなら気付かれることはないだろう。
「さて、これからどうする?
高い場所に陣取って、人間たちの争いを眺めるか?
それとも、人間に混ざって争いを近くで見物するか?
遠見の魔法でいろんな場所の光景を少しずつ覗き見てもいいな」
どの方法で見物するにしても、メリットとデメリットがある。
最初の方法は安全安心に争いを眺められるが迫力に欠けるし、二番目の方法は匂いや熱気などを肌で体験できる代わり全体図は見られない。
そして最後の方法は様々な角度から反乱を見物できるが、音や声が伝わってこない。
俺の説明にトレーラントは少し悩んで口を開いた。
「俺、実際に体験してみたいっす」
「意外だな。お前ならてっきり、高いところから眺めたがると思ってたんだが」
「それもいいんすけど、遠くから眺めるだけだったら舞台と変わらないじゃないっすか。
せっかくなんで、そういうのじゃ味わえない体験をしてみたいんすよ。
……先輩は嫌っすか?」
真紅の目が心配そうに瞬くのを見て、つい頬が緩んだ。
首を横に振る……ことは(物理的に)出来ないから、左右に揺れながら口を開く。
「まさか。俺もそれが一番面白そうだと思ってたんだ」
「えへへ。じゃあさっそく行きましょう、先輩!
俺、どうせなら重要人物の役やりたいっす!」
「じゃあ、王子を殺した功績者になるか?
ちょうど、お誂え向きに死体がある」
このままここに転がしておけば、誰が討ち取ったのかと疑問を抱かれて功績者探しをされかねない。
それで俺たちの契約者が見つかったら事だから、どのみち王子はどこかへ運ばないといけなかった。
なら、功績者に成りすますのが一番手っ取り早い。
俺の提案が気に入ったのか、トレーラントはにっこりと笑って姿を変えた。
派手だが品のある服を纏った非の打ち所がない美青年から、地味な色合いのローブに身を包んだどこにでもいそうな――もとい、ちょっと目を引く大人しそうな青年へ。
……変化の魔法自体は上手いんだが、トレーラントに「平凡な見た目」を求めるのは無理そうだな。
それで困ることはたぶんないから、まあいいが。
「服は血で汚しておけよ。あまり綺麗すぎると怪しまれる」
「それもそうっすね。えっと、剣も借りて……と。
こんな感じっすか?」
ローブと顔、それに手足を血や泥で汚したトレーラントがこちらを見つめた。
全身に目を通して、まあ及第点だなと頷く。
「あとは先輩っすね。
……ひとまず、俺の死に別れた親友ってことでいいっすか?」
「死んだ親友の首を抱えてるのか……?」
控えめに言って、それは相当狂った人間だと思うんだが。
……まあいいか。戦場では、気の触れた奴なんていくらでもいる。
どうせ短い付き合いになるんだ。最低限取り繕えばいいだろう。
最悪、正体がばれたら離脱すればいいしな。
「じゃあ、怪しまれないように先輩も血で汚すっすね」
「人間の血に塗れるのはあまり気が進まないが……仕方ないか」
「俺の血で汚してもいいっすけど」
「悪魔の血で汚れるのも気が進まないなあ……」
冗談を言い合う間にも、俺の肌や髪は容赦なく血で汚されていく。
……自分で促しておいてあれだが、あんまり気分のいいものじゃないな。
「これくらいでいいっすかね」
まんべんなく血をまぶされたところで手が止まった。
満足のいく出来になったらしい。
いつものように俺を抱き上げると、地下通路を早足で引き返していく。
ちなみに王子は魔法で浮かせて運んでいる。人間を抱きかかえるのは嫌らしい。
しばらく通路を進んでいると、複数の足音が聞こえてきた。
どうやら、男の仲間がここまでやってきたらしい。
手頃な突き当たりに血を撒き、王子を寝かせたところで人間たちが姿を見せた。
服装からして王国の兵じゃない。たぶん、反乱を起こした側だろう。
トレーラントを見つけた男が声を張り上げる。
「陛下と殿下は見つかったか!」
「殿下はいた」
静かに振り返ったトレーラントが王子の遺体を剣で指し示す。
途端、男たちの間にどよめきが走った。
最初に声を掛けてきたリーダーらしき男が王子に歩み寄り、その場に跪く。
「……確かに、フリードリヒ殿下だ。
お前がやったのか?」
「うん」
「よくやった」
小さな、だがはっきりとした返答に男が満足げに頷いた。
どうやらトレーラントは今回、物静かな青年として振舞うつもりらしい。
性格と親友の首を抱えているって状況に既視感を覚えたのはたぶん気のせいだ。
「出来れば生かしたまま捕らえ、陛下の居場所を聞き出したかったが……まあいい。
お前、名前は?」
「イーラ……」
「そうか、俺はアルバン。決起軍のリーダーだ。
お前はどこかの勢力に所属してるのか?」
その問いにトレーラントは無言で首を横に振った。
人を不快にさせない程度にゆっくりとした速度で言葉を紡ぐ。
「僕は王家に親友を殺された。
だから仇を討ってやろうと思って、混乱に乗じて忍び込んだんだ。
気配を消す魔術は得意だから……死んでしまった彼も一緒だし」
囁くように告げられた言葉にアルバンがちらりと俺を見た。
次いで、労わるような視線をトレーラントに向ける。
目論見通り、親友の死で少し狂った人間として認識されたらしい。
同情されるだけで排除される様子がないのは、目的を共にしていることと理性的な狂い方(というのもおかしいが、少なくとも誰彼構わず殺そうとはしない狂い方)をしていると判断されたせいだろう。
「お前も辛い思いをしたんだな。その気持ちはよく分かる。
それならイーラ、俺たちと一緒に来い」
「……いいの?」
恐る恐るといった様子で尋ねるトレーラントにアルバンが大きく頷いた。
「お前は殿下の首を取った功労者だからな。
迎え入れれば皆の士気が上がる。
お前だって、一人でいるよりは仲間と共にいた方がいいだろう」
あっさりとそう言いきって、アルバンがトレーラントの手首をつかんだ。
人のいい笑みを浮かべ、自身の胸を強く叩きながら言葉を続ける。
「心配するな。何か言われたら、俺がなんとかしてやる」
「……単純っすね」
アルバンに聞こえない程度の小さな声でトレーラントが呟いた。
そうだな。俺もそう思う。
心の中で同意しながら、先を急ぐアルバンとその仲間たちに視線を走らせる。
明日の昼までにこいつらがどんな面白いことをしてくれるのか、今から楽しみだった。