26話 優しき国王は最期に願う
「召喚される頻度、けっこう下がってきたっすね」
伯爵家との契約を終えた数日後。
送られてきた調査書を眺めながらトレーラントが呟いた。
「人の数がだいぶ減ったからな。
そろそろこの国も終わるだろう」
「なんか呆気なかったっすね。
もっとこう、派手なことが起きると思ったんすけど」
「戦争ならともかく、病と自然現象で滅びる国にそれを言ってもなあ……」
唇を尖らせて無茶ぶりをしてくるトレーラント思わず苦笑いが零れた。
でもまあ、せっかくの後輩の願いなら叶えてやりたいな。
派手なことか……と考えながら調査書に目を通す。
「……ふうん」
「どうしたんすか? 先輩」
召喚者はライムント・クレーメンス・フォン・コンフェクト。
願いの内容は王家の真実を知ること。
補足には、男が王子の元護衛騎士であったこと。薔薇の病に罹った婚約者が火刑に処されたこと。そして、王子に斬りかかった罪で牢に入れられたことが綴られている。
……これは使えそうだな。
通信の魔法で想定通りに事が進んでいる確認を取った後、喉の奥で笑った。
本当に、丁度いいタイミングで召喚してくれたものだな。この男は。
「……? どういう意味なんすかね、この願い。
真実も何も、この状況が真実だと思うんすけど」
俺の視線を追って調査書を読んだトレーラントが不思議そうに首を傾げた。
真実。言葉の意味は「嘘でないこと」だが、おそらく今回求められているのは……。
「相手が「そうあって欲しい」と望んでいること、だろうな」
見たいものを見て、聞きたいことを聞く。
多くの人間はそうして得た情報を「真実」と認識するんだから。
「俺の家族は、友人は薔薇の病に罹って死んだ。
婚約者に至っては迷信を信じた民衆に焼き殺された!
なのに、何故……何故、最初に病に罹ったフリードリヒ殿下だけは生きている?
何故、陛下はその理由を話さない?!」
獄中生活で痛んだ髪を振り乱しながら、男が叫んだ。
その目には憎悪と怒り、そして僅かな怯えが宿っていた。
退屈そうな目を向け、トレーラントが口を開く。
「結局、お前の望みは何だ」
「……殿下の病が何故治ったのか、陛下が何故それを話さないのか。
俺は――真実を知りたい」
知ってどうするんだ? なんて、聞かなくとも予想は出来た。
なにせこいつは一度、婚約者が死んで王子が生き残ったことに怒りを抱いて斬りかかっている。つまり相当な激情家だ。
こういう人間は行動を操りやすい。
「トレーラント」
小声で名前を呼ぶと、トレーラントが素直に耳を近づけた。
相手の耳に入らないよう遮音の魔法を展開しながら、これからの作戦を話す。
もちろん、素直に事実を伝えるつもりはなかった。
言ったところできっと納得しないだろう。
ラファエルが俺たちと契約したおかげで王子の病が治った。王はそれを知らないから、話したくとも話せない……なんて。
こいつが知りたいのは、自分がそうであってほしいと望む「真実」なんだから。
「――さすが、先輩っす」
トレーラントは俺の作戦が気に入ったらしい。
真紅の目をきらきらとさせて笑った後、遠見の魔法を起動させて男に向き直った。
その名から予想できるとおり、離れた場所の様子を見られる魔法だ。
水晶玉のように透明な球体が虹色の光を内包しながら浮かんでいる。
「ならば、見るといい。
ただしその場合、真実がいかなるものであれお前の心を貰う」
「構わない。心など、くれてやる」
男は既に決心を決めているようだった。
強い光を宿した目が遠見の魔法を覗き込む。
途端、虹色の光が渦を巻いて回り出した。
ややあって、見知らぬ部屋が映し出される。
部屋の中央には灰色の髪の男が一人佇んでいた。
足元には見覚えのある召喚陣。口元が小さく動いているのは詠唱しているせいか。
どうやら営業課は、ミルヒエル伯爵家同様この男にも特別措置――今だけは普段召喚に必要な手順を飛ばしてもよいという通達をしなかったらしい。
まあ、この男なら召喚に必要な素材くらい用意できるだろうしな。
他の説明が必要な人間を優先するのは当然か。
なにせ、この男はエアトベーレの国王。
マクシミリアン・グレゴール・エアトベーレなんだから。
「……嘘だろう」
詠唱を終えた王の前に現れた相手を見て、男が呆然と呟く。
召喚陣の中央に佇む王の前に立っていたのは、銀色の髪が眩い悪魔。
サジェスだった。
+++++
「みゃおう」
エル――親友のラファエルの部屋にいつの間にか忍び込んでいた黒猫が蹴落としていった一冊の本。
それを見た時、私は確信した。
もう、これしかない……と。
本の通りに描いた召喚陣を何度も確認し、息を吐く。
恐怖のせいか、興奮のせいか、その息は震えていた。
これを発動すれば、エアトベーレは救われる。
代わりに、私の魂は永久に失われるだろう。
すでに天国へ迎えられた妻と、残していく息子――フリードリヒに心の中で謝る。
だが、召喚をやめる気はなかった。
糖の雨によってエアトベーレの食料や水、交通機関は致命的な被害を受けている。
他国から物資を輸入することも、民を逃がすことも出来ない。
いや、仮に交通機関が無事だったとてそれらの選択肢は存在しなかった。
エアトベーレは既に、悪魔に呪われた国として認知されている。
教会が、ヴェンディミアがこの国の民を受け入れないと決めたのだ。
他国もそれに倣うことは目に見えていた。
それも致し方ないことだ。
原因不明の病に異様な雨。民の間に広がるおぞましい噂。
私はそれらを何一つ解決出来なかったのだから。
今のままでは、この国に未来はない。
そんな時に見つけたのが悪魔の召喚方法が記載されたこの本だった。
幸か不幸か、例の噂――薔薇の病に罹った者を焼けば感染は止まる、というそれに感化された民によって病の感染者はほぼ消えている。
あとは悪魔と契約してこの雨を止ませ、糖に侵されていない水と食料を用意すればエアトベーレの民は何とか生き延びられるだろう。
私の全てを犠牲にすれば、だが。
悪魔との契約に躊躇いを感じないのか、と聞かれれば嘘になる。
私が消えたあと、全ての責はフリードリヒが背負う。
父である私も、母であるシシーもいない。政治を担う貴族すらほとんどいない。
本当なら、まだ六歳のフリードリヒをこんな状況に置いていきたくはなかった。
王としても父としても私は最低の人間だ。
だが、契約しなければ民もフリードリヒもいずれ死んでしまう。
私にできることはもう、これしかなかった。
……それに。
フリードリヒはエルが持ってきた薬を飲んで病が治った。
エルは薬を渡した直後に姿を消した。
悪魔の召喚方法が記載された本がエルの部屋で見つかった。
これだけ材料が揃えば、彼が何をしたか想像はついた。
エルが悪魔と契約したのは、そうせざるを得なかったのはきっと私のせいだ。
フリードリヒの病を治すために尽力しなかったわけではない。
国一番の名医に治療させた。
効き目のありそうな薬は片端から取り寄せた。
呪術師さえ呼び寄せて診察させた。
――だが、それだけだった。
シシーのように、フリードリヒの側についてやれなかった。
エルのように、自らを犠牲にする選択も出来なかった。
私は王だ。個人的な感情で身を危険に晒すわけにはいかない。
そう周囲に言われ、私も納得して。
私が死ねば民が混乱する。
エルフ達も再び戦争を仕掛けてくる可能性が高い。
病が移ったら危険だという大臣や宰相の言葉に頷いたのはそれが理由だった。
その結果はどうだ。
シシーは無理を重ねすぎて死んだ。
エルは悪魔と契約して消えた。
夫として、親友として私は何も守れなかった。
ならばせめて、この国とフリードリヒだけは守りたかった。
王として。何よりも、父として。
召喚陣の中央に入り、悪魔を呼び出す呪文を唱える。
最後の言葉を紡ぎ終えた途端、陣が眩く輝きだした。
強い光に目を焼かれそうになり、咄嗟にマントで視界を遮る。
「初めまして、マクシミリアン・グレゴール・エアトベーレ。
俺はサジェス。知恵の名を与えられし、第五の悪魔だ」
しっとりと落ち着いた心地よい声が鼓膜を揺らす。
いつの間にか、陣の外に男が立っていた。
銀の髪に血のように赤黒い目を持つ、恐ろしいほど整った顔立ちの男。
彼の魔力は魔法王と謳われた私や、以前お会いした異世界の勇者様をも遥かに上回っていた。
人間どころかエルフさえ凌駕する魔力量を持ち得る種族は、私が知る限り二つしかない。
天使か、あるいは悪魔だ。
呆然とする私を嗤って、悪魔がさらに言葉を続けた。
「世間話はお望みでないようだから、本題に入ろうか。マクシミリアン。
お前の望みは何だ? 適正な報酬を払うのなら何でも叶えてやろう。
ただし、死者の蘇生と未来予知以外で」
「私の願いは、この雨を止めること。
そしてエアトベーレの国民全てに新鮮な飲み水と食料が供給されることだ。
無論、継続的に」
一時的な援助では意味がない。
民が立ち直り、元の生活を取り戻すまで最低でも十年。
もしかしたらそれ以上かかるかもしれない。
私の願いに悪魔が考え込む仕草を取った。
「それだけでは曖昧過ぎるな。
国が滅びるまで、という条件はどうだ?」
「それで構わない」
悪魔の提案を拒絶する理由はなかった。
国は民あってのものだ。
それが滅びたとなれば、守るべき民はすでにいなくなっているに違いない。
「報酬は?」
「私の持つ、全てを捧げよう」
私の魂、肉体、財産、名誉……。
欲しいのなら全て持って行けばいい。
民やフリードリヒが救われるのならこれくらい、いくらでも捧げよう。
私の言葉に、悪魔が嬉しげに笑った。
嘲りや軽蔑など一切ない、純粋な喜びだけで作られた笑顔だ。
悪魔でも、そんなふうに笑うのか。
「いいだろう。契約だ」
悪魔が伸ばした手を掴む。
途端、肉体が溶けていくのがわかった。
足が崩れ、身体が支えられなくなって膝をつく。
その時、かろうじて残っていた耳が澄んだ音を捕らえた。
鏡のように艶やかな銀の石が目の前に転がる。
伸ばした指先が石に触れると、冷えた水がさらさらと流れ出した。
匂いのしない、べたつきもしない、ごく普通の水。
この半月、国中の民が求め続けたものがそこにあった。
「お前の血族がその石に触れれば、水でも食料でも好きなだけ手に入る。
願いは叶ったか? マクシミリアン」
「ああ……感謝、する」
フリードリヒには十分後にこの部屋へ入るよう伝えてある。
私の身体が溶け、悪魔がこの場を立ち去る頃には石を見つけるだろう。
あの子は少々気が弱いが、優しくて賢い子だ。
きっと石を有効に使って民を救ってくれるに違いない。
それを傍で見守れないのは残念だが、仕方がない。
悪魔に魂を捧げた者は皆、地獄に落ちるという。
それならきっと、エルもそこにいるはずだ。
再会したら「なんでここに来た」とエルはひどく怒るだろうが、それはお互い様。
地獄で二人、フリードリヒが立派な王になるのを見守っていよう。
その時の光景が目に浮かぶようで、思わず笑みが浮かぶ。
肉体が消えるその瞬間まで、私の胸は希望に満ちていた。