25話 理不尽? いいえ正当な要求です
「いいのか、契約して」
契約を終え、近くの教会の屋根に転移したトレーラントに尋ねた。
今回の契約者、ミルヒエル伯爵家の当主は何か企んでいる。
わざわざ国の救済とは別に「伯爵家の存続」を盛り込んでくるくらいだ。
おそらく、報酬の「血族」というところに仕掛けをしているんだろう。
トレーラントもそれは分かっているはずだ。
そうでなかったら、若手の中ではトップクラスの成績を誇る悪魔があんな安い挑発に乗ったそぶりは見せない。
だからてっきり契約を拒否するか、報酬を変えさせるかすると思っていたんだが……まさかそのまま契約するとは。
「俺、ああいう奴嫌いなんすよ」
「まあ、だろうな」
正当な報酬を支払わない人間を好く悪魔なんていないだろう。
そう言うと、トレーラントは静かに首を横に振った。
「それだけじゃないっす。
あんな嘘が通用するって思われたのが嫌なんすよ。
そりゃあ確かに、俺は若いし単純っすよ。
でも、あれに騙されるくらい愚かだと思われたのが悔しくて。
だからちょっと思い知らせてやりたいんすよ」
「働きに釣り合う報酬を回収する算段はあるんだな?」
「もちろんっすよ」
それならまあ、いいか。
好き嫌いで我を忘れて契約を受けたのならともかく、そうじゃなさそうだ。
せっかくトレーラントがやる気に満ちているんだから、今回は見守るか。
「もし何かあったら手伝うから、ちゃんと言えよ」
「はい、先輩!」
声を掛けると、トレーラントはいつもの笑顔でそう言った。
さて。それじゃあ、契約を遂行しに行くか。
お誂え向きなことに、城の前には大勢の民が集まっていた。
水をくれ。食料をくれ。ラファエルを殺せ。
そんな訴えを飽きることなく何度も口にしている。
どうも、この病と雨はラファエルが国を呪ったせいだという噂が広まっているらしい。
王子が病から回復した……つまりラファエルが俺に回収された直後に病が蔓延し、雨が降り出したようだからそう噂されるのは妥当だろう。
あいつは貴族なのに魔力を持たない、人間の中では異質な存在だからな。
何かあった時の責任を異質な者に押し付けるのは珍しいことじゃない。
むしろ、よくあることだった。
噂の真偽はともかく、一か所に民が集まっているという状況は使えるな。
「感染者に咲いた花を燃やせば、薔薇の病の感染は止まる」
町娘に姿を変えたトレーラントがそんな言葉を囁けば、すぐに噂は広まった。
熱狂した民の間で噂は真実味を帯び、やがて実行に移される。
墓を暴き、火を掛ける者。
葬儀に乱入して遺体を燃やす者。
そして、療養中の感染者を広場に引きずり出して火刑に処す者。
花だけを毟り取って燃やそうという発想は出なかったらしい。
まあ、そんなことをしても全身に根が張ってるから意味ないけどな。
燃やされる側の気持ちを考えなければ、対策としてはむしろ満点だ。
感染していない貴族は王城か自分の屋敷に籠って水を浄化し続けているため、そちらに被害が広がることはなかった。
そいつらまで殺せば水の供給が無くなると判断したんだろう。
その理性がどこまで続くかは不明だけどな。
「すごいっすね、先輩。
ちょっとの時間であそこまで理性を失えるなんて……面白いっす」
「ああ。壮観だな」
王城の屋根の上。国の紋章を象った飾りに背中を預けながら、トレーラントが笑った。
色とりどりの小さな点がひしめきながら悲痛な声を上げている様は確かに見ていて面白い。
なんか、そういうゲームをやっている気分になるな。
「やめてくれ! 彼女は違う! 彼女は治るんだ! 俺の婚約者なんだ!」
肉が焼ける匂いと共に、そんな叫びが聞こえてきた。
どうやら今日もまた感染者が処刑されたらしい。
王城を守る兵士に助けを求めているようだが、あいつらが駆け付けることはない。
そんなことをしたら城の守りが手薄になって、押しかけて来た民が流れ込むからだ。
「――よし、出来たっす!」
「お、どれどれ……いい出来じゃないか」
「さっそく試してみるっす」
トレーラントが作り出したのは雨を浄化する装置だった。
雨除けとして展開していた魔法障壁から腕を出して雨を採取し、浄化してみる。
見た目は何も変わらないただの水だ。匂いと味は……。
「……普通の水だな」
「甘い匂いのしない普通の水っすね」
特別変わった味も匂いもしない「ただの水」。
噂を広めて装置を作り出すまでの数日間で結んだ契約の中に、それを求めるものはいくつもあった。
家族が数日生き延びられるだけの水に命を賭ける短絡的な思考は笑えるが、俺たちにとってはありがたい。
この装置をミルヒエル伯爵家の当主に渡したらその価値も下がると思うと少し残念だ。
「じゃ、あとはこれを渡すだけっすね」
にっこりと微笑んで、トレーラントが立ち上がった。
契約者の元へ戻ると、寝る前なのか丁度髪を梳かしているところだった。
隣には年の割に小柄な少女。
女と同じ緑の目をしているから、おそらく親子だろう。
ちなみに、ミルヒエル伯爵家の人間は全員月の目持ちではなかった。
髪は金色で瞳は緑。どうやらラファエルは突然変異か何からしい。
少し残念だが、まあいいか。
「ずいぶんと時間がかかったようですね」
「だが、病の感染は止めた。
それから、これがお前の求めていた装置だ」
「――確かに、受け取りました」
窓を開けて雨水を採取した女が、装置で浄化した水の味を確かめて頷く。
冷ややかな目でそれを一瞥したトレーラントが口を言葉を続けた。
「では、報酬を」
「あら、気が早いのね。
いくら私でも、シトリーを王家に嫁がせるには少し時間が掛かりますわ。
この子が嫁げるのは混乱が収まり、陛下との話がまとまった後。
少なくとも、あと一年は待っていただかなくては」
「お母さま?」
女の言葉に少女が小首をかしげる。
長い髪がさらさらと揺れた。
自分が報酬にされたことをまだ理解できていないらしい。
させるつもりもないのかもしれないが。
「報酬はお前の血族という話だった」
淡々としたトレーラントの声に女が微かに眉をひそめた。
「ええ。ですから、もう少し待っていただかないと――」
「何を勘違いしている?」
子供に言い聞かせるような女の言葉は冷ややかな声で遮られた。
余裕を保っていた女の顔が僅かに強張る。
「報酬に指定されたのはお前の血族であって、娘の子ではない」
「ええ。ですが私はミルヒエル伯爵家の存続も望みました。
ベリトを報酬とすることは出来ないはずです」
「家の存続とはどのような意味だ?
血縁者が存在していればよいのか? それとも、家の名さえ残ればよいのか?」
「――血を引く者がいてこそ、家の存続と呼べるものでしょう!」
声を荒げた女の言葉に、トレーラントが楽しげに笑った。
ない背筋が凍りそうなほど冷たい声で。
「そうか。ならばお前の娘と長男、それにお前がこれから産むであろう子を報酬に貰っても問題はないな。
お前の大好きな次男は生きているのだから」
「ラファエル、が? そんなはず――」
震える声で呟く女に歩み寄ったトレーラントが、その頬に触れた。
「安心しろ。お前の命は取らない。
一生、子を産み続けてもらうだけだ」
途端、女の姿が掻き消えた。
呆然としている少女にも触れ、今度はその姿をどろどろに溶かしていく。
濃い緑色に輝く魂を仕舞いこんだトレーラントが、上機嫌に微笑んだ。
「ちょっと小さいけど、綺麗な色っすね。
長男の魂が何色か、今から楽しみっす」
その声はいつも通りのトレーラントだった。
さっきのもいいが、俺はこっちの方が話しやすくていいな。
そんなことを考えながら「そうだな」と同意する。
ただの水の価値が下がらなくてよかったな、と思いながら。




