23話 出張先は亡国(予定)です
「クラージュ、トレーラント。ちょっといい?」
ライフと再び顔を合わせたのは共同調査を終えた半月後。
これまでの契約と前にペットショップで魂を売って得た魔石(それにたぶん、サジェスの料理も)のおかげで溜まった魔力を使い、魔力回路を作った頃だった。
魔力回路があれば、体内の魔力を引き出して魔法を使うことが出来る。
その威力は首になる前と比べてかなり劣るが、俺にとっては大きな変化だ。
魔法が使えれば、何かあった時に時間稼ぎくらいは出来るからな。
もっとも、今の俺の魔力量は生まれたての悪魔より低いので単独で契約するにはまだ心もとない。
トレーラント自身の希望もあって、コンビは継続していた。
今日はトレーラントの苦手な魔法の制御について教えようと思っていたんだが、俺の席を我が物顔で占領してこちらに手を振るライフに水を差されたわけだ。
……いや、なんでお前がそこに座ってるんだよ。
「ライフさん? もしかして、また共同調査っすか?」
「あはは、まさか!
……そんな頻繁に問題が起きてたら、僕はとっくに班長を下ろされてるよ。
今まで下ろされなかったのが不思議なくらいだし……」
不思議そうに尋ねるトレーラントに、ライフが苦笑いを浮かべてそう言った。
まあ、そうだろうな。いくらなんでも半月で共同調査は早すぎる。
ライフは転生課――つまり魂の記憶を消去して転生させる役割を担っている死神たちのリーダーだから、そんなことになったら責任を取らされるのは当然だろう。
「今、長にも協力してもらって記憶保持者が増えてる原因を探ってる。
それまではひとまず、魂の記憶を消す作業を二名体制にすることになったよ。
っていっても、こういう対策は今まで何回もやってきたんだけどさ……」
はあ、と大きくため息を吐いてライフが項垂れた。
どうやらだいぶ参っているらしい。
長に相当詰められたんだろうな。あの男は自他共に厳しい性格だ。
雪のように白い髪と紫水晶のような瞳を思い出しながら、口を開いた。
「まあ、何かあったらまた頼ってくれ。
死神と仕事をするのは嫌いじゃないんだ」
「そう言ってくれるとありがたいよ。
死神に協力的な悪魔は貴重だからね。
次に君に頼るのが百年後なら、なおいいんだけど……」
雲のようにふわふわとした髪をくしゃりと掻き上げてライフが笑った。
転生課の死神特有の青い目が僅かに和らいだのを確認して、ほっと息を吐く。
軽い口調と気楽な態度で騙されそうになるが、ライフも死神だ。
根が真面目だから何もかも自分で抱え込もうとする癖がある。
親しい相手が潰れるところは見たくないからな。
「でも、確かにそうっすよね。
俺も、もし先輩がいない時に「死神と一緒に仕事しろ」って言われたら断ってたっす。
なんで先輩は死神に協力するんすか?」
「大した理由じゃない。
短い間でも共に過ごすことで、相手の価値観に触れられるってだけだ。
他種族――特に死神の意見を聞ける機会は少ないからな」
他種族の価値観を知ることは大切だ。
共感や理解する必要はないし、俺もする気はない。
たとえこの先何があっても、俺が悪魔だという事実は変わらないからな。
だが、生きるための参考にはなる。
悪魔は確かに力も生命力も強いが、契約――つまり他種族との関わりなしには生きていけない種族でもあるからな。
共生、利用、搾取……関わり方は様々だが、どれも相手を知らないと話にならないという点では共通している。
契約のためにも、他種族を知っておいて損はない。
……と、俺は思っている。
正しいかは知らないけどな。
「それに、交友関係も広がるしな。
同種族でも他種族でも、気の合う奴と過ごす時間は楽しい」
「種族が違うのに気が合うなんてあるんすか?」
トレーラントが難しい顔で首を傾げた。
まあ、こればっかりは自分で体験しないと分からないだろう。
実際、俺もライフと会うまでは死神は全員融通の利かない真面目な奴ばかりだと思っていたからな。
いやまあ、ライフも真面目であることに変わりはないんだが。
「俺とトレーラントとサジェスは同じ悪魔だが、性格は違うだろう。
それと同じで、他種族にも色々な性格の奴がいる。
なら、その中に気が合う奴がいてもおかしくはないさ。
実際、フィリアと話していて不快に思ったことはないだろ?」
もっとも、あれはフィリアが気を遣ってくれているんだと思うが。
身近な相手を例に出されて納得したのか、トレーラントが大きく頷いた。
「言われてみれば確かにそうっすね。
今度俺も、フィリアさんに夢魔の価値観って奴を聞いてみるっす!」
「そうだな。夢魔と死神は特に関わることが多いから、その考え方を知っておいて損はない」
価値観を知った上で接すれば、嫌われる可能性は減るからな。
どちらの種族も悪魔同様に生きていて、感情を持つ。
一緒に仕事をする相手なら、無駄に敵を作らない方がいい。
もちろん、夢魔も死神も仕事に私情を挟むような種族じゃない。
たとえ嫌われても、仕事に直接支障が出ることはないだろう。
ただ、交流を持っておけば時折悪魔は知らない情報を教えてもらえたり、今回のように評価や報酬が加算される仕事を回してもらえたりする
トレーラントのように魔力の高い悪魔には不要かもしれないが、ちょっとした労力でこれだけの見返りが得られるんだからやっておいて損はない。
「死神に協力的な悪魔が増えてくれるのは僕らとしても大歓迎だよ。
クラージュはついでにその悪癖を何とかしてくれれば、もっと好かれると思うんだけど」
「あいにく、自分の趣味をやめてまで好かれたいとは思わないな」
「うーん、手強い。
まあ、今回も協力してもらったし僕からは何も言わないけどさ。
クラージュの件は転生課じゃなく、終焉課の管轄だし」
終焉課は肉体から魂を回収する役割を担った死神が集う課のことだ。
青い瞳に魂を仕舞ったカンテラを持つ転生課の社員と違い、紫の瞳に魂を刈り取る大鎌を持っているのが特徴で、今の死神の長は終焉課の出身だ。
人間たちがいわゆる「死神」と呼ぶ方だな。
「ところで、今日は何しに来たんだ?
まさか、朝っぱらから愚痴を吐きに来たわけじゃないよな」
顔を見た時から抱いていた疑問を投げかけると、ライフが「ああ!」と声を上げた。
「そうそう、忘れるところだった。
クラリッサ・セリサイトの処分が経過観察に決まったんだ。
あれだけ信用を失えば、もう異世界の知識を広めるのは難しいだろうって。
予定より早く魂を回収することにならなくて助かったよ。
終焉課にまた嫌味を言われるのは、もうごめんだし」
かつてのことを思い出したのか、ライフが嫌そうに顔をしかめた。
その記憶を振り払うように首を横に振り、カンテラから取り出した書類を俺とトレーラントに差し出す。
……毎回思うが、仮にも転生前の魂を仕舞うカンテラに書類やら首やら仕舞っていいのか?
「だから、はい。今回の報酬。エアトベーレへの出張命令書」
「なんだ、結構早かったな」
共同調査に協力すると、本来受けるはずだった契約分の評価と魔力。それに調査に協力したという評価が加算される。
加えて、調査対象の処分が決まると報酬として「条件のいい契約」がもらえるんだが……こっちは通常、支払ってもらえるまで一年はかかる。
死神が支払いに渋っているせいじゃない。
単に、協力者に適切で割のいい契約がなかなか見つからないからだ。
だから今回も年単位で待つつもりだったんだが、今回は運がよかったらしい。
エアトベーレ――確か、ラファエルが仕えていた国だな。
王子を助けたいって言うのがあいつの願いだったか……可哀そうに。
今頃はペットショップにいるであろう人間を思い出し、心の中で呟いた。
出張命令書はその名の通り、指定された場所への出張を命じる書類だ。
その間は滞在箇所で起きた契約しか渡されないが、暇になることはまずない。
理由は簡単。休む暇もないくらい多くの契約が押し寄せてくるからだ。
それも、こちらにとってかなり有利な条件で。
国が滅びるのはどんな時か。
そう聞かれれば、多くの者はこう答えるだろう。
戦争、災害、疫病……そういった非常事態が起きた時だと。
それは事実だ。何も間違っていない。
そして、そういった非常事態下に置かれた人間は生存本能を剥き出しにする。
普段は忌避している悪魔との契約を積極的に行うくらいに。
――つまるところ、出張命令書が発行されるというのはそういうことだった。
せっかく王子が人として、次期国王として生きられるように不利な契約を結んだのに、肝心の国が滅びるなんてラファエルも運が悪い。
あいつが生かしたがっていた王子が無事に人生を全うできることを祈るばかりだな。
俺は祈る気なんて全くないが。
「エルフがエアトベーレを滅ぼせる道具を求めて悪魔と契約したんだって。
一度同じ内容で契約したけど失敗して、今回は二回目みたいだね」
「まだ懲りてなかったのか」
ラファエルと契約を結ぶ際、王子が罹った病やその原因を調べた時のことを思い出してため息を吐く。
あの時、取り寄せた資料には病の原因として悪魔の関与が記載されていた。
エルフが悪魔と契約し、王子に花を寄生させた……と。
悪魔の関与が分かっていて契約を結んだのは、その契約が既に完了していたからだ。
エルフが悪魔に望んだのは「エアトベーレを滅ぼせる道具」。花を受け取った時点で願いは叶っている。
王子を治療しても悪魔の仕事を邪魔することにはならないと判断してラファエルと契約したんだが、まさか同じ契約をまた結ぶとは思っていなかった。
まあ、かつての戦争相手ともなればそれも当然か。
「既にエルフ部の部長からは、人事部が契約を受ける許可は得てる。
契約を結ぶ上での制限は特になし。
これ以上の好条件はなかなかないと思うんだけど、どう?」
「俺は問題ない。
普通に過ごしていたら、出張なんてなかなか行けるものじゃないからな」
なにせ、出張は割がいい。
願いの大半は「自分か家族の救済」か「国の救済」だからな。
前者は適当な国に転移させてやればいいし(その後の生活については自己責任だ)、後者は願いの成就には相応の報酬が必要だと言って下限を提示してやれば大抵の奴が諦める。
もし払えるのならそれはそれで大歓迎だ。
その上、召喚される範囲が決まっているから転移に割く魔力も少なくて済む。
ここまで得な条件を出されて、出張を希望しない奴の方が少ないだろう。
「トレーラントはどうだ?」
「俺もいいっす。
出張は初めてっすけど、先輩がいれば安心なんで!」
いつものように尋ねると、トレーラントがにっこりと微笑んだ。
ライフの話を聞いてもきょとんとしていたから予感はしていたが、やっぱり出張は未体験だったらしい。
まだ二百年しか生きていないならそれも当然か。
それなら丁度いい。
せっかくだから、魔法の制御と一緒に出張についても教えるか。
といっても、何か変わったことがあるわけじゃないけどな。
契約する場所が限定されるだけで、契約の相手もやることも普段と同じだ。
ただ、出張先に指定された場所では召喚の手間が省かれる――わざわざ陣を描かず、一定の言葉を唱えて強く願うだけでいい――ので、普段以上に呼び出される回数が多くなる。
相手も余裕がなく、召喚しておいてやっぱり嫌だと言われることはないからこその特別措置だ。
あと、滅びゆく国独特の切羽詰まった空気は味わえる。
あれはなかなか楽しいから、トレーラントにも体験してもらいたかった。
「交渉成立だね。
じゃ、ここに署名して。はい、羽ペン」
「うう、またこの羽ペンっすね……」
差し出された不死鳥の羽ペンを見てトレーラントが嫌そうにぼやいた。
以前署名した時にからかったことがまだ頭に残っているらしい。
緊張を滲ませながら署名を終え、ふうと息を吐く姿につい笑みが零れる。
署名を確認したライフが大きく頷き、書類をカンテラに放り込んだ。
「うん、不備はないね。確かに受け取ったよ。
出張は今日からだから、準備が整い次第向かって」
「ああ、分かった」
「じゃ、僕はこれで。
君の身体が再生したら、今度食事に行こう。お祝いに奢ってあげる」
最後にそう言い残して、ライフがカンテラを軽くはじいた。
霧のように消えた姿を見送ってトレーラントの方に向き直る。
「俺たちも、そろそろ行くか」
「はい、先輩!
国が滅びる様子、今から楽しみっすね」
「ああ、きっと面白いぞ」
昔に比べて、最近は国が滅びにくくなったからな。俺も見るのは久々だ。
期待にない胸を躍らせつつ、俺たちもエアトベーレに向かった。