21話 夢の終焉
「皆さま、本日はぜひこちらをお持ち帰りくださいませ」
参加予定の招待客が全員揃った頃。
侍女たちにこの日のために用意した試供品を運ばせると、席に着いていた貴婦人たちから上品な歓声が上がった。
「まあ、素敵なお色……」
「容れ物も細工が素晴らしいですわ。
どなたの作品ですの?」
「見ているだけでうっとりする品ね。
明日のお化粧が今から楽しみ」
試供品は予想以上に好評だった。
やっぱり、いくら魔力で色を変えられるからっていっても透明一色は飽きるよね。
化粧品は付けている間だけじゃなく、手に取った瞬間からときめかないと!
「皆様、よくお似合いの色が配られておりますのね。
お一人ずつ色を変えて下さったのかしら」
コレール嬢が零した疑問に胸がドキリと高鳴った。
彼女の言うとおり、渡す色は相手によって変えてある。
皆に似合う色や好きな色を贈った方が、使ってもらえる確率が高いと思ったからだ。
こういう細やかな気遣いをしておけば、気付かれた時に好感度が上がるかもしれない……という打算もある。
「え、ええ。その通りです」
けどまさか、コレール嬢に気付かれるなんて。
出来れば彼女には気付いてほしくなかったなあ、と思いながら手元の試供品に視線をやった。
赤を基調にしたドレスを着こなしている彼女にはあまり合わないであろう青系統の色や、侯爵家を象徴するマラカイトグリーン。それらに合うくすみピンクの口紅。
ぱっと見では分からないけど、よく見れば間に合わせ感が滲み出る取り合わせ。
これは……使ってもらえないかなあ。
彼女が青系のメイクが好きな人であればいいんだけど。
そんなことを考えていると、試供品を見つめていたコレール嬢が嬉しそうにはにかんだ。
「私、普段はあまり青を基調にしたお化粧はしませんの。
ですから、どんな仕上がりになるのか楽しみですわ。
ねえ、あなた」
「そうだね。君ならきっとどんな色でも纏いこなせるよ」
幸いなことに、私の心配は杞憂だったらしい。
仲睦まじく寄り添う、というかいちゃつく夫妻を見てほっと胸を撫で下ろした。
「お嬢様」
侍女の一人が焦った様子で耳打ちしてきたのはその時だった。
「マラカイト侯爵夫人がいらっしゃいました」
「え?!」
想定外の知らせに思わず声が裏返る。
……大丈夫。ここにいる人たちはみんな、試供品に夢中だわ。
平静を装って席を外すと、私はすぐに侍女を問いただした。
「どういうこと? マラカイト侯爵夫人は来られないはずでしょう?」
「い、いえ。それが……遅れて参加する旨を送ったはずだとのことでして。
おそらく、手違いでこちらに届いていなかったのではないかと……」
だから、招待状の返事が来ていなかったんだ。
コレール嬢をサロンに案内した時に感じた違和感の正体に今更思い当って、唇を噛みしめた。
通常、パーティーに出席しようが欠席しようが返事は必ず送る。
それが届いていないのは手違いがあったということだ。
前世でパーティーに招かれたことなんて一度もなかったから、すっかり忘れてた。
侍女やお母さまも、言ってくれればいいのに……。
「いかがいたしましょう、お嬢様。
その、もうお渡しする試供品が……」
侍女の言葉にはっと我に返った。
そうだ。今はなぜ返事が届かなかったかより、これからどうするかを考えないと。
サロンには余裕があるから、席を用意することは出来る。
お茶や軽食もすぐに準備させればさほど待たせずに済むはずだ。
ただ……今日最大の目玉である新作の試供品はもう在庫がない。
急いで作ろうにも材料がないし、時間もかかる。
ああどうしよう。招待しておいてこれではなんていわれるか分からない。
社交界で悪評をばらまかれたら、私のお店が……。
「お困りかしら」
その時、甘く澄み渡った声が耳に届いた。
慌てて振り返れば、心配そうな色を浮かべた真紅の瞳と視線が合う。
その手には先ほど渡した試供品が大切そうに抱えられていた。
「あ、ええと……」
「もしかして、私がお招きに預かったせいでご迷惑が掛かったのかしら。
ごめんなさい。憧れの方にお会い出来て、はしゃいでしまったみたい」
「いえ、そのようなことは――」
まるで捨てられた子猫のようにしゅんとしてしまったコレール嬢を前に、私は首を横に振るしか出来なかった。
確かに彼女のせいで試供品が足りなくなったのは事実だけど、さすがにそれを直接言うわけにはいかない。
でも、言わないとマラカイト侯爵夫人の不興を買ってしまう。
迷っていると、絹の手袋に包まれた指先がそっと私の手を包み込んだ。
マスカラなんて必要なさそうなほど豊かな睫毛が微かに震える。
「お困りならどうか、お話して下さらない?
私、貴女にお会い出来ただけで胸がいっぱいですの。
貴女のお力になれるのなら、これほど嬉しいことはありませんわ」
「ええ……その……」
澄んだ声で囁かれると、不思議と思っていることを口に出せた。
来ないと思っていたマラカイト侯爵夫人が来てしまったこと。
彼女の分の試供品をコレール嬢に渡してしまったので在庫がないこと。
社交界の中心である侯爵夫人の不興を買えばお店が潰れるかもしれないこと。
「まだ作りたい化粧品はたくさんあって……今はチーク、じゃなくて頬紅とマニュキュアを研究していますの。
商品化はもう少し先になりそうですけれど、順調に研究は進んでいて――」
気がつけば、今研究中の商品に関する情報まですっかり話してしまっていた。
私、どうしてこんなことを話しているんだろう。
答えが出るよりも早く、コレール嬢が微笑む。
「クラリッサ様は研究熱心ですのね」
その言葉と共に、大切そうに抱えらえていた試供品がそっと差し出された。
「こちらの品はお返しいたしますわ。
きっと、私よりもマラカイト侯爵夫人に似合いますもの」
「え、でも……」
あんなに気に入っていた様子なのに、いいのかしら。
差し出された包みを受け取るか迷っていると、コレール嬢は少女のように無邪気な笑みを浮かべながら「お気になさらないで」と言葉を重ねた。
「先ほど申し上げた通り、貴女のお化粧品は私のお気に入りですの。
ですからこれは、私のためでもありますのよ。
マラカイト侯爵夫人の怒りを買ったらきっと、大変なことになりますもの」
「ありがとうございます……!」
私の商品をこれだけ気に入ってくれている人から試供品を取り上げるのは申し訳ないけど、今後のことを考えると仕方ない。
あとでお礼の品を贈ることを約束して、今は彼女の厚意に甘えることにした。
サロンを後にした彼女を見送ったあと、侍女に命じて侯爵夫人を出迎える準備をさせる。
迷っている間にだいぶお待たせしてしまった。
その分、丁重におもてなししないと。
どうして招待状の返事が届かなかったのか。
どうして初対面のコレール嬢に研究中の化粧品に関する情報まで話したのか。
どうして彼女はあれほどタイミングよく表れたのか。
その疑問は、忙しさに紛れていつの間にか消えていた。
「この店は、毒を売っているのか!」
怒声と共に投げつけられた陶器の容器が胸に当たり、床に落ちた。
その拍子に零れた青緑の粉がお気に入りの白いドレスを汚す。
けれど、それを咎める声はどこからも上がらない。
普段は化粧品を求める人で賑わっている店内は、しんと静まり返っていた。
孔雀の紋章が刺繍されたマラカイトグリーンの上着。
家名と同じ石をあしらったカフスボタン。
私の足元に散ったアイシャドウと同じ色の瞳。
「マラカイト、侯爵……」
私にアイシャドウを投げつけたのは、愛妻家で有名なマラカイト侯爵だった。
以前お店に来てくれた時は店員にも穏やかな態度で接していていい人だと思ったのに、今は顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけている。
どうして? と疑問が頭の中をぐるぐると巡った。
先日のパーティーでは最後まで丁重に夫人をおもてなししたはずだ。
夫人も終始上機嫌で、試供品をお渡ししたら「さっそく夫に見てもらいましょう」と嬉しそうに微笑んでいた。
それから今日まで、直接会うどころか手紙すら交わしていないのに。
混乱する私に答えをくれたのは侯爵本人だった。
「昨夜、妻が倒れた。
そなたが「試供品」と称して渡した化粧品を使った途端だ!
調べさせたところ、化粧品から魔力毒性の強い物質が検出されたというではないか!
そのような毒を妻に渡して、言い逃れできると思っているのか!」
「魔力、毒性……?」
侯爵の言っている意味が私には理解出来なかった。
だって、化粧品はどれも自然由来の安全な成分を使っている。
容器の消毒もきちんとしているし、保管も冷暗所で行った。
侍女に使ってもらって、効果のほども確かめたのに。
第一、魔力毒性なんて私は知らない。
そんなの、日本になかった。
「この者を捕らえろ!」
私が何か言うよりも先に侯爵が声を張り上げた。
兵士が私の腕を乱暴に掴み、店の外へと引きずっていく。
「いたっ……放して!
どうか、お話を聞いてください! マラカイト侯爵!」
声を上げる私に、新商品を求めて集まった来店客の視線が刺さる。
少し前まではあんなに私を褒めてくれた人たちの目はとても冷ややかだった。
まるで、前のように。
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「これで、異世界の化粧品は市場から駆逐出来たかな」
「ああ。魔力を持つ貴族にとって、あの化粧品は致命的だ。
目新しいだけの毒をわざわざ買う奴はいないだろうよ」
魔力毒性というのはその名の通り、魔力に触れると毒に変わる成分のことだ。
平民のような魔力を持たない者にとっては無害だが、貴族のように魔力を持つ者……特に王族や高位貴族といった高い魔力を持つ者にとっては、命を脅かす凶器となる。
その上、今回クラリッサ・セリサイトが新しく売り出した化粧品には大きな欠点があった。
一つの商品で一つの色しか楽しめない、という欠点だ。
普通の化粧品は魔力さえ込めれば自在に色が変えられるからな。
裏を返せば「色を変えるには魔力を操作しないといけない」という短所にもなり得るが、いくら魔法の下手な人間でも普通の貴族ならそれくらいの操作は容易に出来る。
むしろ魔力の制御技術を見せつける道具として使用されている面もあるから、仮に今回の妨害が上手くいかなくとも新商品が売れることはなかっただろう。
魔力のない平民に売るにしても、値段が高すぎる。
それでもわざわざ細工をしたのは、クラリッサ自身を潰すためだ。
化粧品と異なる分野で異世界の知識を生かした活動をされたらたまらないからな。
社交界の中心人物を害したとなれば貴族としては死んだも同然。
更に、今回起きた「事故」の責任を取らされて病死する可能性もある。
そうなってくれれば安心だ。
さすがに二回連続で記憶を保持したまま転生はさせないだろう……たぶん。
「ところで先輩。今回のこれ、規則違反にならないっすよね?
あの、他種族を害しちゃいけないって奴」
一輪の薔薇を思わせる令嬢の姿ではなく、普段通りの青年の姿――こっちも本来見惚れるほど綺麗なんだが、見慣れたせいで称賛の言葉が浮かばない――を取ったトレーラントが不安そうに眉をひそめた。
その腕の中で身を捩り、目線を合わせてから大きく頷く。
「ああ、問題ない。細工したのはライフだからな」
コレールが注目を集めて、ライフが細工する。
それが今回の作戦における役割分担だった。
逆は難しいからな。主にトレーラントが目立ちすぎるって意味で。
ちなみに俺はライフの行動を周囲に見られないよう辺りを警戒する役だ。
ライフが人間の目に留まるようなへまをするわけがないから、実質何の役に立っていないとも言う。
……カンテラに押し込められた首に、あんまり期待しないでくれ。
「わざわざ細工なんてしなくともよかった気もするけどね。
あの化粧品、微量の魔力毒性を含む素材が使われてたし。
今回は毒性の濃度を上げたからすぐに症状が出たけど、使い続けていれば五年後くらいには侯爵夫人みたいに倒れる人が続出したと思うよ」
呆れた顔でそう言って、ライフが肩をすくめた。
死人が出るか、飽きられて廃れるか。
どちらの未来が早く訪れたかは分からないが、いずれにしても時間が掛かる。
細工をして正解だろう。何もしなかった俺が言うべきことでもないが。
「まあ、今回はトレーラントが働いてくれたからね。
クラージュは休んでくれててむしろ正解」
「そうなんすか?」
不思議そうに尋ねたトレーラントに、ライフが苦笑いを浮かべて頷いた。
「でないと、僕の役割がなくなっちゃう。
あんまり悪魔に働かせると僕が長に叱られるんだよ。
お前は一体、何をしに行ったんだー、ってさ」
「種族が違っても、上が厳しいのは変わりないんすね……」
「そりゃあ、それが上司の役割だからな」
あんまり叱りすぎるのも悪影響だが、かといって甘やかすのもよくない。
ほどほどに褒めて叱って、部下のやる気を保つこと。
それが上司の最大の役割だと、前に課長がぼやいていたことを思い出す。
「それはわかるっすけど、怒る時に雷を落とすのはやめて欲しいっす……」
「フスティシアの雷はねえ……僕も一回落とされたけど、痺れるよね……」
「あれはライフが悪いと思うが、それはそれとして痺れるのは同意する」
雷(比喩表現)じゃなく、雷(自然現象)だからな。
過去の記憶を思い出しつつ、三名揃ってため息を吐いた。