20話 転生少女は夢を見る
「それで、俺たちは何を手伝えばいいんだ?」
「まずは異世界の知識がどこまで知られているか。
それから、これ以外に異世界の知識が使われた商品が開発されていないかを調べたい。
そこで、これ」
そう言ってライフが取り出したのは一枚のカードだった。
上質な紙に流麗な文字で、今日の午後からパーティーを開催する旨が記載されている。
主催者はレイチェル・セリサイト。
宝石の産出国として有名なリトス王国にある、セリサイト子爵家の女主人だ。
パーティーの名目は娘であるクラリッサの誕生祝い……なるほどな。
「主催者の娘が新商品の開発者か」
「うん。新商品の宣伝も兼ねたパーティーみたい。
手っ取り早く彼女に接触するにはこれが一番早いからさ。
そういうわけで、トレーラント。僕のパートナーになってもらっていい?」
「俺っすか?」
驚くトレーラントにライフが大きく頷いた。
テーブルの上に置かれた小箱を取り、トレーラントの手のひらに乗せる。
「それで、この化粧品を使ってほしい。愛用者の振りをすれば接触しやすいから。
本当は僕がやるべきなんだけど、死神は変化の魔法が使えないんだよね」
「そういうことならいいっすよ」
了承の返事を終えると同時に、トレーラントの姿が変わった。
優雅に結い上げた金の髪と真紅の瞳。細いがしっかりとメリハリのある体型に淡い紅色のドレスがよく似合っている。
どこからどう見ても良家の令嬢に相応しい姿に、ライフが満足げに頷いた。
「いいね、ばっちり……でも、ちょっと肌が綺麗すぎない?
おしろい使う余地あるかなあ」
「別に、肌が綺麗でもおしろい使う人間はいるっすよ。
質感や色合い変えるのに便利なんで。
悪魔は使わないっすけどね。姿変えればいいだけですし。
入社したての頃は細かい変化が出来なくて、使ってたっすけど……」
そう言いながら、トレーラントは慣れた手つきでおしろいをつけ始めた。
他にもうっすらと化粧を施した後、こちらを向いて淑女の笑みを浮かべる。
「どうっすか? 先輩。俺、ちゃんと綺麗になりました?」
「そうだな、薔薇も羞恥で枯れるくらい綺麗だ」
「クラージュ、君ずいぶん手慣れてるね……」
「当たり前だろ。どれだけ男性体をやってると思ってるんだ」
女性をエスコートし、時に称賛するのは男の義務。
そういう風潮が人間の貴族社会にはある。
契約の関係でその中に溶け込まないといけない時もあるから、褒め言葉のバリエーションは多種多様に取り揃えていた。
変化の魔法が使えない俺の場合、些細なことでも違和感を持たれるのは致命的だからな。
それはそれとして、トレーラントが綺麗なのは事実だが。
「僕はどうしても照れが勝るから、そういうところは尊敬するよ……。
ああそうだ。クラージュはこの中に入っててね」
そう言って、ライフが俺を取り上げてカンテラの中に放り込んだ。
……比喩や表現ではなく、そのままの意味だ。
さほど大きくないカンテラのどこに俺を入れられるスペースがあるのかは知らないが、中は案外快適だった。
中心にある蝋燭は邪魔だが近寄っても熱くないし、身動き出来る広さはある。
外の様子もしっかり見え……いや大丈夫か、これ。外から見えないよな?
「大丈夫。これは僕が望めば不可視の状態に出来るから。
使用中は無理だけど、パーティー会場ではまず使わないし」
「ならいい」
「君って、変なところで大雑把だよね」
俺の言葉に小さくぼやいて、ライフが肩をすくめた。
次いでカンテラを軽くはじいた瞬間、白いローブが高位貴族の正装へ変わる。
変化の魔法は使えなくとも、こういう魔法は使えるらしい。
「そろそろ出かけようか。
お手をどうぞ、ええと……」
「この姿の時はコレールで」
「わかったよ、コレール。僕のことはそのままライフでいい。
癪だけど、ライフ・ラ・モールは長いからね。癪だけど」
「ええ、承知しました」
言葉遣いを変えたトレーラントがしとやかに告げて、ライフの手を取った。
瞬間、転移魔法を発動したのか視界がぐらりと揺れる。
何事もなく調査が済めばいいんだが。
+++++
私には前世の記憶がある。
それも、この世界とは異なる世界の記憶が。
かつての私は日本という国に生まれたごく普通の女性だった。
取り立てて美人でもないけれど、醜くもない。
中小企業の事務員をしていて、残業は多いけれど土日祝日は休み。
貯金はそこそこ。彼氏はいないけれど、猫がいる。そんな生活。
名前は忘れてしまったけれど、目立たない名前だったことだけは覚えている。
そんな私の趣味は手作りの化粧品作りだった。
化粧水に乳液、ファンデーションやアイシャドウ。
自分好みの素材を調合した世界に一つだけの化粧品を使うと、不思議とその日一日頑張れるような気がした。
実際、化粧品を分けてあげた友人たちもこぞってそう言っていたから、私の化粧品作りの腕前はなかなかのものだったんじゃないかなと思っている。
だから、この世界にも広めようと思った。
いかにも中世ヨーロッパ風の文化に魔法や精霊の存在。
まさにファンタジー風異世界といったこの世界の文明が現代日本より遅れていることは、記憶を取り戻してすぐに分かったから。
前世の記憶を生かして異世界で物づくりなんて、よくあるパターンでしょ?
改善したいものはいろいろあった。
重いドレスや苦しいコルセットから早く解放されたかったし、料理もおいしいけど私にはちょっと油っこい。
ジャージに和食……とまではいかないから、せめてもうちょっと楽な服装でお米が食べたいって思うのは日本人として当然だと思う。
それになにより化粧品。
驚いたことに、この世界にはファンデーションがなかった。
あるのは肌の色を明るく見せるためのおしろいだけ。
いくらなんでもこれはちょっとひどすぎる。
その上、口紅やアイシャドウも色の選択肢が全くない。透明一択だ。
魔力に反応して色が変わってくれるから、っていうのが理由らしい。
そんなの、魔力がない人とか魔力の操作が苦手な人はどうするのよ。
前世の記憶を生かして化粧品を作るのに、この身分は役に立った。
セリサイト子爵家は国内でも有数の資産家で、お金には困らなかったから。
高価な材料でも簡単に手に入れられるし、完成した商品を売りたいと言ったら店舗まで作ってくれるんだもの。
前世では友人にあげるかネットで販売するくらいしか出来なかったから、夢みたい。
おかげで、十四歳の誕生日を迎える前にはファンデーションが完成した。
さっそく売り出したところ評判は上々。店舗は連日売り切れの嵐らしい。
異世界革命大成功!
話題になっているうちに次の商品を売り出そうと思ったら、お母様からストップがかかった。
といっても私の事業に反対しているわけじゃない。
お母様は私の作った化粧品を一番最初に試してくれて、今でも愛用してくれているもの。
『クラリッサ。せっかくなら、発売前に新商品のお披露目をしてみるはどうかしら。
貴女の誕生祝いも兼ねて、ね?』
その提案によって、今度新しく販売する予定の口紅とアイシャドウをお披露目するパーティーを開くことになった。
主催者は私。本当はお母様だったのだけど、急遽変わった。
数日前から体調を崩しがちだったお母様が、昨晩倒れてしまったからだ。
主治医であるグリム先生によれば、疲労が溜まった結果らしい。
さいわい今朝には起き上がれるくらい回復していたけれど、無茶をさせるわけにはいかない。
そこで、私が女主人を務めることになった。
前世でも今世でも初めての立場に少し緊張しているけれど、同時に楽しみでもある。
だって、これってまさに異世界転生物によくある展開じゃない。
これで私を見染めてくれる王子様でも現れたら完璧なんだけど……。
「……ありえない話じゃないと思うのよね。
今世の私って、結構かわいいし」
ふわふわと波打つ金の髪に、零れ落ちそうなほど大きな青い瞳。
新商品としてお披露目する予定のアイシャドウや口紅のおかげで、愛らしい容貌が更に引き立って見える。
うん、やっぱり世界で一つだけの化粧品っていいよね。
子爵令嬢ってところはマイナス判定かもしれない(小説だとだいたい、王太子妃になれるのは伯爵令嬢からって設定あるし)けど、我ながらなかなかの美少女な上に資産家の娘で、新しい化粧品の発明家ってところはプラスじゃない?
王太子妃は無理でも侯爵家とかには嫁げるかも。
うん、未来は明るいわね。
「ご挨拶よろしいでしょうか」
そんなことを考えていると、また一人誰かが挨拶に来た。
パーティーって華やかだと思っていたけど、思ったより重労働だ。
人の顔を覚えたり、主催になるとこうして挨拶も受けないといけない。
面倒だなと思いながらそちらを向いて、つい息を呑んだ。
「お初にお目に掛かります、クラリッサ様。
ライフ・ラ・モールと申します。
それから、彼女はコレール。私の妻です」
雲みたいにふわふわな白い髪を揺らして微笑む男性には申し訳ないけれど、私はその隣の女性――コレール嬢から目が離せなかった。
私よりも鮮やかな金の髪に白い肌。猫のような釣り目がちの瞳はルビーのように真っ赤で、見ているだけで吸い込まれそう。
淡紅色のマーメイドドレスと相まって、まるで一輪の薔薇みたいだった。
その人だけきらきらと輝いて見えるのは、きっと私だけじゃないだろう。
今日の主役は私のはずなのに本当は彼女こそが主役だった気さえして、さっきまでの明るい気分が一気に萎れていく。
その時、こちらを向いた彼女がふと微笑んだ。
「初めまして。本日はお招きいただき、ありがとうございます。
私、この日を待ちわびておりましたの。
貴女が開発されたおしろいのおかげで、お化粧がすっかり楽しくなりましたもの」
あ、この人も他の人と同じ、私の商品のファンなんだ。
夢見る少女のように頬を赤らめて私を賛美する彼女の姿に、心が軽くなった。
じわじわと浮かぶ優越感を噛みしめながら、彼女の言葉に耳を傾ける。
「それにしても、今から楽しみですわ。
今日はどんなお化粧品が発表されるのかしら」
真紅の瞳が私を捕らえる。
その瞬間、口が勝手に動いたと感じたのは私の錯覚だろうか。
「お気に召して頂けたようで嬉しいですわ。
よろしければ、こちらのサロンでお話いたしませんか?
コレール様の美しさをさらに引き立てる商品をご紹介できると思いますの」
お得意様だけを招くはずだった新商品のお披露目会。
そこに初対面の彼女を誘ってしまったのはなぜなのか、自分でもよく分からない。
本当はそんなつもり、欠片もなかったのに。
このパーティーでお披露目する新商品は二種類ある。
一般客向けの品と、お得意さま向けの品だ。
材料の関係で、後者はあんまり量が作れなかったのよね。
だから、持ち帰り用の試供品も人数ぴったりの数しか用意してない。
お披露目会で興味を持たせた後、実際に試供品を使ってもらって効果を実感してもらう。
なんなら近いうちにある王家主催の舞踏会につけてもらえれば――今回サロンのお披露目会に招待したのは、お得意様の中でも社交界でも影響力の強い人ばかりだから――、うちの店の宣伝にもなる。
そう思っていたんだけど……ああ、どうしよう。
「ええ、喜んで」
繊細なレースの扇を口元に当てて、コレール嬢がしとやかに微笑んだ。
……微笑んでしまった。
まあそうだよね。あんなにうちの商品を褒めてくれたんだし。興味ないわけないか。
たとえその気がなかったにしろ、誘ったのはこっちだ。
「やっぱりなしで」なんて言えるわけない。
かといって、彼女にだけ試供品を渡さないのも感じが悪い。
頭を抱えかけた時、ふとあることを思い出した。
そういえば、マラカイト侯爵夫人から出席の返事をもらってない。
パーティーにも来てないし……もしかして欠席?
社交界の孔雀菊と呼ばれるマラカイト侯爵夫人は、この国の淑女皆の憧れだ。
彼女が身につけたドレスが、アクセサリーが、化粧品が次の流行を決める。
だからお店に来てくれた時は私自身が対応したし招待状も一番早くに送ったのだけど、やっぱり来なかったか……。
まあそうよね。うちの店、まだ出来たばかりだし。
でも、それなら試供品に一つ余りが出る。
だったら、それを彼女に渡せば問題ないよね。
本当はマラカイト侯爵夫人にも来て欲しかったんだけど……今回は仕方ない。
運がよかったと思おう。
「では、どうぞこちらへ」
侍女に小声で指示を出した後、私は笑顔で彼女たちをサロンに案内した。
招待状の返事が来ていないという事実に僅かな違和感を覚えながら。