19話 こんにちは、死神です
「休み明けって憂鬱っすね。
つい、あと一日休みがあればなあって思っちゃうっす」
「そうだな」
翌朝、白豹の姿で伸びをするトレーラントが零した言葉に俺はすぐさま同意した。
休日の翌日って、なんでこんなに仕事に行きたくなくなるんだろうな。
千五百年生きたが、いまだに謎が解けない。
もっとも、謎が解けたところで仕事に行かないって選択肢はない。
せめてもっと魔力があれば契約頻度を減らせるが、今の俺には夢のまた夢だ。
無駄な空想はやめて、報酬を搾り取ることに集中するか。
「あら、クラージュさん。トレーラントさんも。おはようございます」
「ああ、おはよう。フィリア」
トレーラントに咥えられて職場へ行くと、フィリアが出迎えてくれた。
今日は運がいいなと思いながら課長の席に目を向けるが、席は空っぽだ。
どこへいったのかと尋ねるより先にフィリアが口を開いた。
「フスティシアさんは会議に向かわれましたよ」
「そうなのか。今日の契約にまつわる調査書は預かってないか?」
「いえ……お二方には、別の案件を任せたいとのことでしたので」
「別の案件?」
「そ、僕との共同調査。もちろん手伝ってくれるよね? クラージュ」
おっとりとした甘い声に視線を向けると、見知った相手と目が合った。
雲のようにふわふわと癖のある白い髪と、種族特有の海のように澄んだ青い目。
左手に持った銀製のカンテラからは中の蝋燭が煌々と燃えているのが見える。
「なんだ、ライフか」
そこにいたのは死神のライフだった。
俺にとっては数少ない同年代の朋友だ。
種族が違うから、会う頻度はあまり高くないけどな。
「なんだとは失礼だな。せっかく来てあげたのに」
「好奇心に駆られて覗きに来たの間違いだろ」
「まさか! 言ったでしょ、共同調査だって。れっきとした業務。
まあ好奇心もあるけどね。
これまたずいぶん風変わりな姿になっちゃって」
そう言いながらトレーラントの前にしゃがみ込んだライフが、俺の頬をつついた。
咥えられた状態でつつかれると揺れて酔いそうだ。
「おいやめろ、酔う」
文句を言うと、ライフが声を上げて笑った。
雲のようにふわふわとした白い髪が動きに合わせて揺れる。
立場が逆なら俺も同じ反応をするだろうから文句はない。
文句はないが、あとで覚えてろよ。
「――もう、先輩をあんまり虐めないで欲しいっす!」
心の中で悪態をついていると、不意に視界に映る景色が変わった。
どうやら、俺が虐められていると思って白豹から人型へと姿を変えたらしい。
俺とライフにとってはこれくらい挨拶代わりなんだが、まあいいか。
こちらを見上げるライフが満足げに頷き、立ち上がった。
「ごめんごめん。虐めたつもりはないけど謝るよ。
それにしても……話に聞いてたとおり、変化の魔法が上手いね。
これなら調査の協力相手としても問題なさそうだ」
「さっきからなんすか、調査って?
俺たち、今から契約に行くんすけど……」
「今日は一日、契約はないぞ」
首を傾げるトレーラントにそう告げると、真紅の目が大きく見開かれた。
「えっ、俺たち首っすか?!
ひょっとして、もう一日休みが欲しいって思ったのバレたんすかね……」
「いや、そんなことで首になるわけないだろ」
というか、それで首になるなら全社員の大半はとっくに首だ。
あからさまに動揺するトレーラントの予想を否定して、言葉を続ける。
「今日はライフ――死神の調査に協力する。だから一日、契約はなしだ。
ただし、本来受ける予定だった契約と今回協力した調査分の評価は加算されるし、後日条件のいい契約を回してもらえる報酬付きだ。
損はしないから安心しろ」
「そうなんすね。それは安心したっすけど……なんで俺たちが死神に協力するんすか?」
「今回の一件は君たち悪魔の業務にも関係あるからだよ」
俺が答えるよりも先にライフが口を開いた。
「そもそも、君たち悪魔の仕事は何だと思う?」
「人間と契約すること……っすよね」
「そうだね。でも、もう一つある。
世界を管理することだ」
そう言いながら、ライフが手のひらほどの小箱をテーブルに置いた。
陶器の箱の中には淡いベージュがかったパウダーがたっぷり詰まっている。
それを一瞥して、ライフが言葉を続けた。
「これは最近発売されたおしろいだよ。
既存の品より肌を美しく魅せると銘打たれて発売された化粧品だ」
「……よかったっすね?」
「そうだね。この世界の知識で作られた品なら、だけど」
ああ、やっぱりそういうことか。
おしろいを出された時点で頭をもたげていた疑惑が確信に変わって、ついため息が出る。
そんな俺に視線を移して、ライフが苦笑いを浮かべた。
「クラージュが思ってる通り、これは異世界の知識で作られた化粧品だ。
材料はこの世界のものだけどね」
「それがどうかしたんすか?
人間の使う化粧品なんて、俺たちには関係ないと思うんすけど」
「それがそうもいかないんだ」
優れた知識を異世界から輸入する。
それは一見いいことのようだが、決して利点ばかりじゃない。
その知識を発見するまでの間に得られたであろう他の知識を零れ落としてしまうからだ。
例えば錬金術。
数百年前に盛んにおこなわれたこの研究の目的は魔法や魔術に頼らず卑金属を金に変えることであり、賢者の石と呼ばれる永遠の命をもたらす霊薬を手に入れることだった。
そのために何百人、何千人が錬金術に生涯を捧げたと言えばその熱狂ぶりも伝わるだろう。
結論から言えば、二つの目的はどちらも達成不可能だった。
魔法や魔術なしで金を作り出すことは出来ないし、不老不死の霊薬も手に入らない。
目的を達成する、という意味では錬金術は失敗だったと言えるだろう。
では、最初から結論を伝えれば人々は時間を無駄にせず済んだのか……といえばそれは違う。
錬金術を研究する過程で発見された魔法薬や、魔法や魔術の知識は数多くある。
たとえそれが今では使われていなくとも、現代の研究の基礎となったことは確かだ。
最初に結論だけ伝えられていたら、人間の文明は今より発展が遅れていたかもしれない。
「だから、異世界の知識をこの世界に広めるわけにはいかないんだ。
この化粧品がいいとか悪いとかじゃない。まだ早いから駄目。
生まれて間もない赤ん坊に壊れやすい陶器の人形なんて渡さないだろ?
仮に持っていたとしたらすぐ取り上げるはずだ」
「確かにそうっすね」
その光景を想像したのか、トレーラントが小さく頷いた。
ライフが笑みを浮かべ、更に言葉を続ける。
「同じ理由で、異世界の知識が広まったらすぐに断絶しないといけない。
それが君たち悪魔の、世界の管理者の役割というわけ」
「そういう役割もあったんすね……俺、悪魔なのにぜんぜん知らなかったっす」
「気にすることじゃない。本来なら、上位になってから教わることだからな」
俺が知っているのは単に、死神との共同調査に駆り出されることが多かったせいだ。
あと、教育係がサジェスだったからって言うのもある。
あいつ、必要な知識以外にも色々教えこんできたからな。
そう言うと、トレーラントが目をきらきらと輝かせた。
「そうなんすね。でも、だとしてもすごいっす!
だってそれって、上位にならないと教わらないようなことを知れる業務に昔から携わってきたってことなんすよね?」
「言いようによってはそうなるが、いいことばかりでもないぞ」
「そうそう」
昔を思い出してつい渋い顔になった俺に同調して、ライフがくすくすと笑った。
「確か、六百年前だっけ? 異世界の勇者が「乙女ゲーム」の知識を広めたせいで、それを元にした小説が出版されたのは。
あの時はクラージュ、大変そうだったよねえ。
話題になる恋愛小説書いて、例の小説の評判掻き消せって言われてさあ……」
「あれは地獄だった」
契約の関係で小説を書いたことは何度かあったが、納期が十日もなかったからな。
しかも、この世界にはない斬新さで話題になった小説より、世間に受けるものを書かないといけないと来た。
フィリアを始めとした営業課が小説の評判を広めてくれたおかげでなんとかなったが、あんな思いはもう二度としたくない。
……ん?
「ところでライフ。今回の知識はだれが持ち込んだんだ?
確か、今回召喚された勇者は男だったよな」
この世界で勇者と呼ばれる人間は二種類いる。
一つは特別な功績を上げて勇者の称号を得た、この世界の人間。
昨日ペットショップに売った月の目持ち――ラファエルがいい例だな。
調査書によれば確か、エルフの女王を倒したことで与えられたんだったか。
それから、異世界から召喚された人間。
悪魔にとって厄介なのはこっちの方だ。
天使の加護で魔力も身体能力も桁外れに強化されているからな。
もちろん、いくら強化されていても人間は人間。
勇者の魔力も身体能力も悪魔の敵じゃないが、問題はそこじゃない。
悪魔の天敵ともいえる天使の魔力を微量ながら受け継いでいることだ。
おかげで、勇者に攻撃された傷は通常の治癒魔法では快癒しにくい。
多少のかすり傷ならともかく、手足を失ったりしたら魔力で身体を作り直す必要がある。
ちょうど、今の俺のようにな。
そのため、勇者が召喚された際には必ず情報が共有されるようになっていた。
それによれば今回召喚された勇者は男。
しかも、化粧品づくりに専念するほど余裕のある性格じゃなかったはずだ。
つまり……。
「あー、うん……異世界の記憶保持者みたい」
「またかよ……」
目を逸らしたライフに思わずため息が出た。
まあ、薄々予想はしてたけどな。
死神は悪魔のように世界を管理しているわけじゃない。
もし勇者が化粧品を作ったのなら、共同調査を持ち掛けに来る理由がないからだ。
「先輩、異世界の記憶保持者ってなんすか?」
「簡単に言うと、異世界の記憶を持ったまま転生した奴のことだ」
この世界に生きるすべての種族は皆、死後に転生する。
ただし、全てじゃない。
あまりに転生を繰り返しすぎて疲弊した魂や、死神が転生すべきでないと判断した魂などはそのまま消滅することになっていた。
当然だが、そうなると時が経つにつれ次第に魂の総量が減っていく。
大抵は新しく魂を製造することで解決するが、どうしても製造が間に合わない時は異世界から魂を輸入することもあった。
もちろん、異世界の記憶は残らない。
転生の際、魂の記憶はすべて消去されるのが決まりだからな。
だが、決まりとはいえ死神も生き物。
時には記憶を消し忘れたまま魂を転生させてしまうこともある。
それが記憶保持者だった。
「消し忘れたのがこの世界の記憶なら、まあいいんだけどね。
異世界から輸入した魂の記憶を消し忘れると高確率でこうなるんだ。
そうなると影響の範囲とか深度とか調査することが山積み。
調査の結果によっては予定よりも早く魂を回収する必要も出てくる。
それで他の死の予定が狂わないようにしないといけないし、もう本当に大変なんだよ」
「でも、それって自業自得じゃないっすか?」
トレーラントのはっきりとした物言いに、ライフが顔をひきつらせた。
「……クラージュ。君の後輩、遠慮ってものを知らないね」
「事実だろ。というか実際、ここ最近は多すぎる。
この二百年で何回目だ?」
「…………十回目」
通常、異世界の記憶保持者は数百年に一人いるかいないかの頻度でしか現れない。
死神は厳格な種族だし、全ての死は生まれた時点で予定されている。
悪魔がその予定を大幅に乱さない限り、異世界から魂を輸入すること自体ないからな。
それがここ二百年のうちに、頻度が大幅に増していた。
ライフも自覚はあるのか、がっくりと項垂れている。
まあ、こいつのせいじゃないのは分かっているけどな。
「僕らも原因究明に勤めてはいるんだけど、全然分からなくて……。
ごめん。本当に悪いとは思っているんだけど今回も付き合って」
「まあ、そもそも課長に指名されてる時点で俺たちに拒否権はないしな。
頼まれなくとも付き合うさ」
それに、公平と中立を掲げる死神に恩を売れる機会はなかなかない。
特に俺は飼っているペットの件で死神に目を付けられているから、今回の頼みはむしろありがたかった。
これでまた当分、死神からの追及をかわせるからな。
「ありがとう、助かるよ。
死神に友好的な悪魔って少ないから、クラージュ以外と組むと気まずいんだよね。
……ああ、そうだ。自己紹介がまだだったね」
胸を撫で下ろしていたライフがそう言ってトレーラントに向き直った。
にこりと微笑み、カンテラを持っていない方の手を差し出す。
「僕はライフ・ラ・モール。死生部転生課西班の班長だ。
短い間だけどよろしく。
ちなみに「ライフ・ラ・モール」で一つの名前だから、気軽にそう呼んでいいよ」
「全然気軽じゃないっす……」
「気にせずライフでいいぞ。俺もそうしてる」
「はい、先輩! こちらこそよろしくお願いするっす、ライフさん!」
「ああ、もう! これだから悪魔は!」
仕方ないだろ、死神の名前は長いんだから。
どの種族にも名前を省略されて呼ばれる死神のさがを今回も味わっているライフを眺めながら、テーブルに置かれた化粧品に視線を移した。
美しい絵付きの箱に入った、新しい化粧品。
これをどう市場から駆逐しようかと考えながら。