14話 不治の病に罹った王子様を助ける簡単な方法100選
フリッツが病気になったのは、すこし前のことだった。
ガラスのようにすきとおったバラが全身から生える病気だ。
原因はわからない。治療法もわからない。
ただひたすら、やわらかい腹を、好奇心でかがやいていた目を、楽しげな笑い声をあげていた喉をつきやぶって、バラが生える。
それだけの、でも人間を殺すにはじゅうぶんな病気。
俺はいままでずっと、フリッツを守ってきた。
暗殺者から、魔物から、フリッツが苦手なおおきな犬から。
……おおきな犬は、そのうち慣れて苦手じゃなくなったみたいだけど。
そのためなら命だって惜しくなかった。
俺を救ってくれたマックスへの恩返しには、それでもたりないくらいだ。
マックスとマックスの大切なものを守るためなら、俺のすべてを捧げたっていい。
だけど――だけど、病からはどうすれば守れる?
俺は頭がよくない。剣を振るうしか能がない。
暗殺者なら、魔物なら剣で退けられる。犬なら手懐けられる。
じゃあ、病は?
『みゃあ』
その時、どこからか入りこんできた猫が一冊の本を落とした。
ふるびた表紙の、だれかの日記。
たぶん、城の書庫からたくさんの本を持ってきた時にまぎれこんだんだと思う。
フリッツの病について調べるためにもってきたけど、けっきょく役に立たなかったな。
そんなことを思いながら、ひらいた状態で落ちたそれをひろって裏返す。
悪魔を召喚した記述が目にとまったのは、そのときだった。
どんな病でも毒でも治すことのできる、生命樹の葉。
それがあればきっと、フリッツの病気は治る。
さいしょは、自分で取りに行くつもりだった。
先の戦争でエルフの女王を殺したとき森に行ったから、道はおぼえてる。
でも、すぐにダメだと気がついた。
エアトベーレからエルフの森まではそうとう距離がある。
魔法がつかえない俺じゃ、どんなにいそいでも帰ってくるまで半年はかかるだろう。
それに、あのときはマックスがいたから女王のところへ行けたんだ。
俺だけで森の奥深くで守られている生命樹にたどりつけるとは思えない。
そのまえにほかのエルフに見つかって殺されるのがおちだろう。
俺が女王を殺せたのは不意を突いたからだ。
たくさんのエルフに真正面からいどまれたらまず勝てない。
だいいち、そんなことをしてばれたらまた戦争だ。
戦争になったらマックスがこまる。次の国王になるフリッツもこまる。
マックスがやっと終わらせた戦争を再開させてはいけないことくらい、頭のわるい俺でも理解できた。
だから、悪魔をよぶことにした。
悪魔はなんでも願いを叶えてくれるといわれているけど、ほんとうはそうじゃない。
死者の蘇生や未来予知を願って契約をことわられた例を俺は知ってる。
実家にいたころ教えられた。
そうなったらもう一度召喚しなおさないといけない、とも。
不老不死はよくて死者の蘇生はダメだったり、未来の予測がよくて予知がダメだったり、ことわられる基準はよくわからない。
でも、記録にのこされた願いなら契約をことわられる心配はないと思う。
日記には生命樹の葉を手にいれた契約の詳細がていねいに記されていた。
そのとおりにすれば、きっとだいじょうぶだ。
……結果的に、俺は契約をことわられた。
まさか、悪魔が代替わりしてるなんて思ってもいなかった。
運がよかったのは、召喚した悪魔が連れていたべつの悪魔――首しかなかったけど、たぶん悪魔だと思う――が「フリッツの治療を願えば契約できる」と言ってくれたことだ。
フリッツが元気になるなら、方法なんてなんでもいい。
首の悪魔と契約を結んだあと、俺はさっそく悪魔にたずねた。
「それで、どうやって治療するんだ」
「簡単なことだ。魔力袋と魔力回路を潰せばいい」
「………………え?」
こいつ、いまなんていった?
「王子に寄生した薔薇は、人間の魔力と生命力を吸い取って繁殖している。
どちらかが欠ければ繁殖は出来ない。
生命力を失くすのは無理だから、魔力を失くす。
お前にも理解出来る簡単な理屈だろう?」
「そんな……そんなの、みとめられるわけないだろ!」
王侯貴族はみんな、魔力をもって生まれる。
青い血をひいているのに魔力をもたないのは神に見放された証拠。
それがこの世界の常識だった。
魔力をうしなえば、フリッツは王になれない。
それどころか、人として生きることさえゆるされないかもしれない。
マックスやシシーがみとめても、貴族や教会が認めないはずだ。
だって、俺がそうだった。
伯爵家の次男として生まれたのに魔力をもたない子ども。それが俺だ。
俺が生きるのをゆるされたのは月の目が伯爵家の役割を果たすのにつかえるからであって、俺自身がみとめられたからじゃない。
だから俺は、マックスがひきとってくれるまで自分が人間だってしらなかった。
月の目の「付属品」だってずっとそう言い聞かされてきたから。
マックスがいなかったらきっと、死ぬまでそう思いこんでただろう。
いまの俺にはたくさんの勲章がある。
王の側近としての地位もある。
エアトベーレの勇者という称号もある。
だけど貴族や教会が俺を人間だとみとめることはこの先もけっしてない。
魔力をもたない王侯貴族は存在しない。してはいけない。
それがこの世界の常識だからだ。
俺が生きられるのはマックスが庇護してくれたからだ。
マックスは俺より二つ年上で、この国の王だ。
たぶん俺より先に死ぬことはないし、俺が死なせない。
だから生きられる。生きることをゆるされている。
でも、フリッツは?
マックスもシシーも俺も、みんなフリッツよりさきに死ぬ。
そのとき、フリッツはだれが守れる?
魔力をうしなえば、たとえ命がたすかってもフリッツの人生は死ぬ。
そんなのダメだ。みとめられるわけがない。
そういうと、黒髪の悪魔はやさしげに笑って言った。
「残念ながら、お前との契約内容は「王子を治療する」ことだけだ。
将来なんて知ったことじゃないし、王子の治療にお前の許可を得る必要もない」
「やめてくれ!」
悪魔の言葉は正しい。俺はたしかに「フリッツの治療」だけを願った。
俺の承諾がないと治療できないなんて条件、つけなかった。
つける必要もないと思ってたから。
どうすればいい。
治療すれば、フリッツの人生は死ぬ。
でも、治療しなかったらフリッツの肉体が死ぬ。
もともとかしこくない俺の頭は、もうパンク寸前だった。
悪魔との契約は家で教わったとおりにできた。
でもそこから先のやりかたなんて俺にはわからない。教わってない。
俺の役割は悪魔と契約して、月の目を捧げること。それだけだったから。
「魔力を失わせるのはそんなに嫌か?」
「あたりまえだ……」
「我儘な人間だなあ」
そういってわらう悪魔の声は慈愛に満ちていた。
もしかしたら、俺の懇願を聞きいれてくれるかもしれない……なんて、思ってしまうくらい。
「だが、そうだな……契約は互いに納得して終わらせるものだ。
お前が望むなら、別の方法で治療してやってもいい。
ただしその場合、新たに契約を結んでもらうことになるが」
「……どんな、契約だ?」
悪魔が提案する契約なんてろくなものじゃない。
わかっていたけど、聞かないわけにいかなかった。
くすくすとわらいながら、悪魔が口を開く。
「フリードリヒの治療案を出すごとに、報酬を支払う。そんな契約だ。
今の契約内容だとこちらは、治療をするまで報酬を受け取れないからな」
「……それでいい」
俺が損をする契約だってことはわかってた。
いくら頭が悪くとも、それくらいは理解できる。
でも俺の願いをかなえるためには、不利な契約でも結ぶしかない。
どうせ、魂はもう差し出してるんだ。こわいものなんてなにもない。
ふたたび悪魔の頭にふれて契約を結ぶと、ブドウ酒色の目を細めた悪魔がにっこりとほほえんだ。
「二つ目の契約も成立だな。
次の治療を提案をするにあたって、お前のその目を貰おうか」
「わかった。
でもそのかわり、フリッツが魔力をうしなう治療はやめてくれ」
「いいだろう」
悪魔が頷いて、俺はほっと胸をなで下ろした。
なで下ろして、しまった。
悪魔はやさしい生き物じゃないって、わかっていたのに。
「それなら、焼き払おう。
多少の耐火性はあるが、所詮はあれも植物だ。
二時間も焼けば駆除できるだろう」
「……そんなことしたら、死ぬじゃないか」
「死なないように最低限の配慮はしてやるさ。
跡は残るし痛みで発狂するかもしれないが、魔力はそのままだ。
お前の願い通りじゃないか」
のんきに笑う悪魔に、目の前がまっくらになった。
跡が残る? 発狂する? そんなのみとめられるわけがない。
「ダメだ……フリッツがくるしまないやりかたにしてくれ」
「それはいいが、報酬は何にする?」
「……財産を。俺のもってる財産をすべてやる。
金も家も、この剣も。ぜんぶだ」
「いいだろう」
満足げに頷く悪魔に、もう反論する気もおきなかった。
このままだと提案だけで時間がすぎてしまう。
フリッツがくるしむ時間が長引く。
なんでもいい。はやく、はやくしてくれ。
「それなら、虫にバラの根を食わせるのはどうだ?
安心しろ。王子が治療で苦しむことはない。
もちろん魔力も失わない。お前の理想通りじゃないか」
「……その虫は、死ぬんだよな?」
「宿主が死ねばな。
そうそう。虫は腹を空かせると宿主を食い始める。
虫のためにも、薔薇を駆除した後はしっかり食事させろよ。
なに、一日中食べものを口に詰め込んでいれば死なないさ。
王族なんだから飢えに悩まされる心配はないだろう?」
その提案も、もちろんことわった。
一日中食事をしないといけない生活なんて、させられるわけがない。
俺の言葉に、悪魔が目を細めた。
「なら、次だ。何を差し出す?」
「称号を。俺の、勇者としての称号を。
かわりに、フリッツが治療後にくるしむやり方もなしだ」
「そうか。なら――」
それから提案されたのはどれも、フリッツには受けさせられない治療法ばかりだった。
悪魔が提案して、俺が首を横にふる。そのくりかえしだ。
そのたびに、俺はいろいろなものをうしなった。
地位、名誉、表情、涙……すべて報酬としてわたしたものだ。
「――仕方ないな。それなら、薬を使うのはどうだ」
黒髪の悪魔がそういったのは、さいごに記憶を差し出したころだった。
もう俺の手元にはなにものこってない。
月の目も財産も身体さえ、ぜんぶ報酬としてわたしてしまった。
たぶん、悪魔はこれを狙っていたんだろう。
それがわかったところで、怒る気力もなかったが。
「くすり……?」
「薔薇を枯らす薬だ」
「……それで、フリッツはたすかるんだな?
魔力もうしなわないし、いたみもくるしみもない。
後遺症もないんだよな?」
「ああ。少し苦いが、人間が許容できる範囲内だ」
「なら……それでいい」
「わかった。トレーラント」
その声に、俺がさいしょに召喚した悪魔が小瓶を差し出してきた。
中には青とも緑ともつかないふしぎな色の液体がつまっている。
これで、フリッツをたすけられる。
いまの俺には、それがゆいいつ残された救いだった。




