13話 過去に縋るのはおやめください
石造りの床に描かれた緻密な召喚陣。
その中央には、白い騎士服を着た若い男が立っていた。
あれが今回の召喚者、ラファエル・フォン・ミルヒエルだろう。
男を目にしたトレーラントが嬉しそうな声で囁く。
「先輩。あいつの目、すごく綺麗っすね!」
「ああ、月の目だな」
「あれが噂の……俺、初めて見たっす!」
男の目は、角度によって青にも緑にも見える不思議な色をしていた。
サジェス曰く、ごく一部の人間にしか現れない貴重な瞳らしい。
悪魔には月の目を持つ人間のコレクターまでいる程だとか。
もっとも、月の目そのものにはなんの効力もない。
ただその美しさと希少性だけが価値の鑑賞品だ。
それなら宝石や魔石を集めたほうがいいんじゃないかと話を聞いた当時は思っていたが……なるほど。確かにこれは集めたくもなるな。
瞬く度に、身じろぐ度に微妙に色を変える目は見ていて飽きない。
美しいものが好きなトレーラントが夢中になるのも頷ける。
そんなことを考えていると、男が口を開いた。
「俺の名はラファエル・フォン・ミルヒエル。
悪魔トレーラント。どうか、生命樹の葉をとってきてほしい。
報酬は……この目をさしだす」
男は悪魔との契約方法をよく知っているようだった。
こちらに怯える様子もなく、自分の価値もよく理解している。
慣れているのか、調べたのか……どちらにしてもいい契約相手になりそうだ。
こういう人間は搾り取るには向かないが、気持ちよく契約を結べることが多い。
まあ、契約しないから意味ないんだけどな。
「契約を拒否する」
「……拒否? のぞんだのは生命樹の葉だぞ」
「だからだ。こちらの手には負いかねる。
生命樹の葉が欲しくば、別の――」
「そんなはずはない!」
トレーラントの説明を遮って、男が声を上げた。
激昂で淡い緑色に染まった瞳がこちらを睨みつける。
「悪魔トレーラント。
お前はかつて、これとまったくおなじ契約をむすんだはずだ。
二百五十年前にできたことが、どうして今はできない?」
「どうしてって……」
男の追及を受けたトレーラントが、困惑した様子で俺を見つめた。
「こいつが言ってること、訳わかんないっす。
俺、二百五十年前は生まれてすらいないっすよ」
「ああ、分かってる。お前は無関係だ」
だが、心当たりはあった。
あの契約が今もなお語り継がれているとは思わなかったが、考えてみれば当然か。
人間にとってはおとぎ話に過ぎない生命樹の葉をもたらしたんだからな。
懐かしさを覚えながら、口を開く。
「ラファエル・フォン・ミルヒエル。
確かにお前の言うとおり、トレーラントはかつて生命樹の葉をもたらした」
「それなら、どうして……」
「だが、それは同じ名前の別の悪魔がおこなったことだ」
「だったら、そいつをつれてきてくれ!」
「それは出来ない」
出来ていたら、今俺を抱えているトレーラントはこの世に存在しない。
同じ名前の悪魔が同時に存在することは決してないからだ。
悪魔の名前は全て社長が決めているから、間違って付けた可能性もない。
何度もサジェスに教えられたからよく覚えてる。
「……生命樹の葉をもたらしたトレーラントは既に消滅している。
だから、呼ぶことは出来ない」
背後のトレーラントが小さく息を呑む気配がした。
それはそうだろう。自分とは無関係だと分かっていても、同名の悪魔が消滅したと聞かされれば動揺する。
俺も、今回の一件がなければ言うつもりはなかった。
「だが、おなじ名前を引きついでいるんだろう。
それなのに、どうして」
「悪魔の世界について、人間に口出しされる謂れはない」
「……すまない」
余計な言葉を遮ると淡い緑に染まっていた瞳が大きく揺れ、伏せられた。
謝罪を口にする男に対する不快感がじわりと滲み、心に溜まっていく。
「そもそも、お前はなぜ生命樹の葉を欲する」
このままだと埒が明かない。
話の方向を無理矢理変えると、こちらを見る瞳の青みが僅かに増した。
迷っているのか、問いに対する返答はない。
その間にトレーラントへ一つ頼みごとをしていると、ようやく男が口を開いた。
「……王子が病にかかった。
原因不明の病だ。このままではながくない。
だから生命樹の葉が必要なんだ」
ああ、やっぱりそうか。
生命樹の葉はありとあらゆる病や毒を癒す効力を持っている。
男は健康そのものに見えたからおそらく、二百五十年前の契約同様に他の誰か――大切な相手のためだろうと予想はしていた。
まあ、それ以外に生命樹の葉を望む利点なんてないしな。
王子の治療を望まなかったのはおそらく、病が原因不明だったせいだろう。
契約を断った時、男は「のぞんだのは生命樹の葉だ」と言った。
まるで「だから契約拒否なんてしないはずだ」とでも言いたげな目をして。
たぶん、契約を断られることもあると知ってたんだと思う。
そこで引き受けてもらえるか分からない治療ではなく、生命樹の葉を望んだ。
王子に残されたわずかな時間を無駄にしないために。
俺からすれば、指名をせず王子の治療を望んだ方が早く済んだと思うけどな。
課長は人事部に所属する全社員の実力を把握して契約を割り振っている。
時には社員の成長のために今の実力では難しい案件を渡してくることもあるが、それでも今回のようにあまりに危険な契約は振って来ない。
トレーラントが指名されていなければ今回の案件はきっとサジェスに振られただろうし、今頃はとうに契約を終えていたはずだ。
俺が知る限り、医療知識であいつの右に出る悪魔はいないからな。
契約の仕組みについて調べたことが、却って仇になったのかもしれない。
「先輩、届いたっすよ」
その時、トレーラントが小さく囁いて俺の前に一枚の紙を差し出した。
さっき頼んでもう届いたのか。さすがだな。
礼を言って、差し出された紙にさっと目を通す。
紙にはこの案件の詳細――具体的には、男が生命樹の葉を望む理由とその背景がびっしりと書かれていた。
生命樹の葉を望む理由はさっき聞いた通りだから別にいい。
男から聞いた話に嘘がないことさえわかれば十分だ。
重要なのは王子が罹った病やその原因だが……ああ、やっぱりそうか。
「トレーラント。この契約、俺が結んでもいいか?」
「それはいいっすけど……先輩が生命樹の葉を手に入れるんすか?」
「大丈夫だ、生命樹の葉は必要ない。
願いの変更を提案するつもりだからな」
生命樹の葉を使ったところで、王子の病は治らない。
それはこの男の本望ではないはずだ。提案が断られることはないだろう。
大体、トレーラントを危険に晒したくないから契約を断ったのにコンビを組んでいる俺が同じ条件で引き受けたら意味がない。
「それならいいっすよ」
「悪いな。埋め合わせはする」
「そんなの別にいいっすよ。もともと断る予定だったんすから。
それに俺たちコンビなんすから、どっちが受けても同じっすよ」
トレーラントの返答はあっさりしたものだった。
まあそれもそうか。俺が受けようがトレーラントが受けようが、一緒に行動するのは変わらないしな。
指名された分の評価は既にトレーラントの成績に反映されているし、この契約を俺が受けることで規則に反することもない。
規則で禁じられているのは「他種族を介さずに召喚を促すこと」と「召喚された悪魔以外が契約すること」だからな。
今回指名されたのはトレーラントだが、コンビを組んでいるから自動的に俺も召喚されたことになる。
さすがにトレーラントが受けるつもりの契約を横取りするわけにはいかないから了承は得たが、それさえ解決すれば問題はない。
さっそく契約を持ち掛けることにした。
「エアトベーレの第一王子、フリードリヒ・アロイス・エアトベーレの治療。
それを望むなら、契約してもいい」
「ほんとうか?!」
興奮のせいか、男の瞳が淡く輝いた。
すぐにでも頷きそうな男に「ただし」と条件を付ける。
「お前と契約するのは俺だ。
それから、治療の報酬としてお前の魂を貰う」
「……分かった」
俺の提案に男は存外静かに頷いた。
魂を渡せと言ってこれだけすんなり受け入れられるのは珍しい。
もしかしたら、覚悟していたのかもしれないな。
海を思わせる深い色合いに染まった瞳がこちらを見上げる。
「そのかわり、今日中に治療してくれ。
さっきも言ったが、フリッツ――王子にはもう時間がないんだ」
「分かってる。安心しろ」
頷くと、男は安心したように息を吐いて俺の頭に触れた。
これで仮契約成立だ。
さて、さっさと済ませるか。
本当に、指名なんてしなければよかったのにな。