はじまり
『魔王』。
この世界には、絶対的な力が存在した。
そんな絶対的な力と渡り合えるのは、『勇者』なんてものじゃない。所詮、人間がどれだけ強くなっても、奴らにとって僕らはゴミクズに等しい。
絶対的な力には、絶対的な力をぶつけるしかないのだ。
「選べ。」
抱えているのは人々の想いではなく、頼りなく、固く目を閉じた仲間の亡骸。
目に見えているのは希望ではなく、逃げられない黒く禍々しい支配の渦。
溢れてくるのは勇気ではなく、この冷えきった場所で唯一熱を帯びている、血の混じった涙だ。
「このままやり残したまま、無様に殺されるか。」
男か女か分からない声で、声の主は続ける。
「服従し、死ぬことを許されず永遠にこき使われるか。」
声の調子を保ったまま、コツ、コツと近づいてくる。
「それとも逃げて、『勇者』にあるまじき醜態を晒す?」
それまで顔を床に伏せていた僕の首を、ぐいと掴み、僕の意思など無視して、遥か高い天井の方を向かせる。
そこには、目を見張る美しい『魔王』⸺ではなく、どこにでもいそうな、つまり、平凡な顔立ちの、少年がいた。
だが、確かにそこには、なんとも言えないような不思議な美しさがあった。
碧く、光を映すことを許さない美しい瞳。それと対になって、神々しいまでに白く輝く髪が合わさり、見惚れてしまうほどの美しさだった。
僕はその美しさが、不気味だった。
「…どうした。話が進まないだろ。」
先程よりトーンが下がった声、そして一瞬で張り詰めた空気に、僕は背中から汗が吹き出るのを感じた。
とりあえず何かを言おうとして⸺⸺。
「他には…、他には無いのですか」
情けなくも、震えた声でそんなことを言ってしまった。
内心自分で自分に驚きひどく焦ったが、すぐにいや、これが僕の本心なんだな、と静かに思った。
こんなところで死ぬのは嫌だ。すでに死んでしまった仲間たちには、申し訳ないが。いや、仲間たち以外にも、この死地、『魔王』のすみかではいく何万と僕たちより前の勇者たちが殺されてきたのだろう。
まるで、運命が決まっているかのように。
無駄な戦いをして、殺されることが決められているかのように。
そんなことを今更、考えても意味がない。
もちろん、他の選択肢も最悪だ。死ぬことよりも、ずっと嫌だ。生まれてきたことを後悔しそうになる。それが勇者の運命だ定めだなんて誰かに言われてしまったら、世界中を呪いそうになる。
こんな欲に塗れた『勇者』なんて、救いようもないのは分かっているが。
ただ、普通の暮らしをしたかったんだ。それだけだった。
きっと僕は殺されるだろう。さっきの選択肢も、『魔王』の遊びだ。結局はどれを選んでも殺される。初めから選択肢は一つだけ。
ましてや、他の選択肢なんてあるはずも⸺⸺
「あるよ?」
その言葉が、さっきの僕の言葉に対するものだと気づくのに、少しかかった。
気づいたとしても、それがどういう意味なのかを考えるのは、更に時間がかかった。
「…へっ」
思わず、間抜けな声を出してしまった。