イーヴィシュ・ワイスへ
「イーヴィシュ・ワイス」、賢者ワイスを創設者とする、由緒ある学園。魔導士を育成するのみならず、騎士や貴族、令嬢を対象とした学部も存在する。
「ふむ、だいぶ変わったようだね」
イーヴィシュ・ワイスへ向かう道中、揺れる馬車の中で人目を惹く集団がいた。その集団は三人組であり、年端もいかない少年少女である。少女らは髪の色以外瓜二つで、その容姿も相まって美しい人形のようであった。一人が一人を抱え、密着している。抱きかかえられている少女の腕の中に、さらに金髪の少年が抱きかかえられているという、何とも奇妙な光景があった。けれども、仲の良い兄弟という表札に収まる範疇であり、特に指摘する人もいない。
「ワイス、そろそろカランを喜ばせる魔法とやらは何なのか教えてくれないかしら?」
「まあ魔法というほど大したことはないのだけど、特別入試さ」
ワイスを抱きしめるアザレアが問いかける。その問いに、振り向くことなく答えるワイス。腕の中のカランの頭をなでる。すると、カランは猫のように喉を鳴らしながら振り返る。
「姉さま、特別入試って何ですか?」
「ああ」
弟の疑問を解消するべく、つらつらと説明を始めるワイス。曰く、イーヴィシュ・ワイスの入試は通常12歳にならないと受けられないが、特別な条件下で行われる入試に合格すると、その年齢以下でも入学できるとのことだった。
「特別入試ねえ・・・そういえばそんな制度作ってたわね」
「才能の原石を風化させたくないからね」
過去を追憶するように遠くを眺めるアザレアに、わずかに膨らみ始めた胸を張ってこたえるワイス。ただし、その制度は毎年入試方法が変わり、試験が始まるまで公表されないとのこと。
「ふむ、微妙に変わっているな」
「まあ何百年とたてば変わることもあるでしょう」
はたから聞いたら微妙に何を言っているのかわからない会話を繰り広げるワイスとアザレア。会話についていけないのは弟であるカランも例外ではなかった。
「置いてけぼりにしてしまったね、すまない」
「いえ、でも僕・・・うまくできるか」
頭をなでられる少年はうつむく。両親に無理を言ってついてきているのに、もし入学できなかったらどんな顔で家に戻ればいいのか。それでも暖かく迎え入れてもらえるだろうが、何より愛しい姉と離れたくなかった。
「大丈夫さ、カランは天才だからね」
「そうよ、胸張ってなさい」
不安げな弟を激励する双子の姉、それでもなお、カランの緊張はぬぐえていないようだった。
どうしたものかと頭を悩ませていると、三人に近づく人影があった。
「あなたたち、イーヴィシュ・ワイスに行くの?」
「ええ、そういうあなたも?」
「そうなの!」
声をかけてきたのはワイスと同い年と思われる少女だった。明るい赤髪のショートカットが良く似合う、快活な少女である。そのままでは失礼に当たると判断し、姿勢を変える。
「ごめんなさい、盗み聞ぎするつもりはなかったんだけど聞こえてきちゃって・・・」
「いえ、お気になさらず」
随分と耳が良い子だとひそかに感心するワイス。聞かれてまずい会話をするつもりはなかったが、念のため音を遮断する魔法を使っていたのだ。とはいえ完全に遮断していたわけではないので、彼女のように耳の良い人が集中すれば聞こえても不思議ではない。
「田舎から出てきたんだけど、ずっと一人で不安だったの・・・。そうだ、まだ自己紹介もしてなかった!私シネラリアって言うの、よろしくね」
「私はワイス、こっちが妹のアザレアで、こっちは弟のカランといいます。よろしく」
「ワイスさんとアザレアさんとカラン君ね。よし、覚えた!」
常人の数倍元気なシネラリアの様子に、知らず知らず笑みがこぼれるワイス。紹介され、カランとアザレアは会釈した。
「それにしてもワイスさんとアザレアさん、お顔も髪もとってもきれい、お人形さんみたい・・・」
「ふふ、ありがとうございます。母譲りの自慢の髪なんです」
「そうなんだー!。ほんとに綺麗な銀髪・・・。触ってもいーい?」
「ちょっ!触るならアタシのにしなさい。双子だから、たいして変わらないわ」
「やったー!アザレアさんありがとう」
ワイスの髪にうっとりした様子で見入るシネラリアは、触りたいと許可を願う。ワイスが答える前にアザレアが割り込むが、会話を妨げられた不快感よりアザレアが答えてくれた嬉しさの方がはるかに勝っているようだ。アザレアは何も言わず髪をいじられるがままにしているが、褒められて悪い気はしないのか、頬が緩んでいた。
「アザレアねえさま・・・」
「カランは僕のを触るといい」
その様子をうらやましげに眺めていたカランに、ワイスが自らの髪を差し出す。髪そのものがうらやましかったのではなく、姉がとられている嫉妬心がもたらした行動であると推察できるが、ひとまず自分ので我慢してもらおうとする。
「ふん、随分と姦しい馬車だな。落ち着いて寝られやしない」
そんな和やかな空気を濁らせる声が響く。もう一人の馬車の乗客、茶色の髪をした少年であった。先ほどまで静かだったのは、眠っていたからか。馬車の揺れも気にせず乗れる豪胆さには似合わない口ぶりに疑問を感じつつも、ワイスは謝罪を口に出す。
「これは申し訳ない。遮断魔法をかけておくので、どうか許していただきたい」
「遮断魔法・・・?とにかく、静かにしてくれるなら何でもいいさ」
「もしよければ私の枕をお貸ししましょうか?枕が変わるとどうにも寝付けず、いつも持ち歩いているんです」
「は・・・?あ、ありがとう?」
あまりにも予想外な返答だったのか、不機嫌そうだった顔から口を開けた間抜けな顔に変わる少年。考える間もなく差し出される枕を受け取ろうとするが、その手を阻むものがいた。アザレアである。彼女はワイスの枕と自らの枕を取り換える。
「こっちにしなさい、素材は一緒よ」
「なんだお前・・・。別に要らないよ枕なんか。静かにしててくれ」
「ふん、偉そうに」
結局少年は枕を受け取らず、寝返りを打って反対側を向いてしまう。アザレアは不機嫌そうに、ワイスは残念そうに枕をしまう。
「ははは!さっきから嬢ちゃんたち、楽しそうな会話してるなあ」
少年が静かになったと思ったら、今度は馬車の先頭から声が響く。ワイス達が乗る馬車を操縦してくれている御者のおじさんであった。
「すみません、騒がしくしてしまって」
「いやいや、いいんだ。おじさんにも君たちくらいの娘がいてねえ。そうだ、さっきイーヴィシュ・ワイスと聞こえたが、嬢ちゃんたち、入学試験を受けに行くのかい?」
「はい、こちらの方はどうだかわかりませんが」
寝たふりをしているのか、はたまた本当に寝ているのか。会話に参加する気のない少年を眺めつつワイスが答える。
「そうかそうか、うちの娘もあそこの生徒でねえ。もし会ったら仲良くしてやってくれい」
「ふむ、お名前をうかがっておいてもよろしいですか?」
ワイスの返答に、驚いた様子で目を見開く御者の男性。あくまでも社交辞令として振った話題を、本気にされると思わなかったのかもしれない。しかし、その驚愕をすぐに隠して笑みを浮かべた。
「クラリアだ。青い髪で、俺の娘とは思えないほどよくできた娘でなあ」
「クラリアさん。覚えたよ御者のおじさん!」
子煩悩ともとれる男の話を、笑みを浮かべて時折うなづくワイス。一方シネラリアは元気に返事をしていた。
穏やかに時が流れる馬車に、異変が訪れる。緩やかに安全な速度を保っていた先ほどと違い、出せる限りの速度で馬をかけさせていた。
「すまねえ嬢ちゃんたち、しっかり掴まっててくれ。・・・にしてもなんだってこんなところに魔獣が出やがるんだ!」
今にも暴れだしかねない馬を制御するのは、熟練した手さばきを見せる御者の男。ワイス達乗客は、揺れる馬車の中で振り落とされないように耐えていた。
そんな馬車を追うのは小柄ながらも容易に人を殺せる力を持った竜。レッサー・ドラゴンと呼ばれる魔獣であった。翼こそ持たない代わりに、小柄な体躯を活かした素早い動きで獲物を翻弄して仕留める。
普通の少年少女ならば、太刀打ちできない相手であった。そう、普通の少年少女ならば。
「おじちゃん、しばらく馬車走らせて、あとで迎えに来て」
そう言って飛び出したのは、赤い髪をたなびかせるシネラリアである。揺れる馬車から飛び出したにもかかわらず、華麗な着地を決めたことから只者ではないことがうかがえた。
「僕たちも行ってきます」
シネラリアに続き、重力を無視して飛び降りるワイス。その両手にはそれぞれ弟と妹の手が握られていた。
「おい、嬢ちゃんたち!」
一切の衝撃を感じさせず着地したワイスは、一人戦うシネラリアのもとへ向かう。
「むー、すばしっこい!」
少女としては大柄とはいえ、それでも不釣り合いな大槌を振り回すシネラリア。空を切る音が鳴り、当たれば絶大な威力を発揮するであろうその攻撃も、軽々とよけられてしまう。
「ケキャキャキャ」
「むきーっ!」
その様子をあざ笑うように鳴くドラゴンに腹を立てたのか、勢いよく突っ込むシネラリア。しかし、それは敵の罠であった。分厚い鱗に守られた喉が赤く光り、炎を吐き出す。方向転換をしようにも、時すでに遅し。シネラリアの体が炎に包まれる。
「防御魔法」
寸前、青き光が彼女を覆う。炎はシネラリアを中心に二つに割れ、彼女の小麦色の肌を傷つけることなく通り過ぎた。
「シネラリア、下級であろうが竜は竜だ。警戒しなさい」
「ごめんワイスちゃん!ありがとう!」
炎に突撃を阻まれたシネラリアは大きく飛び退き、ドラゴンから距離をとる。その横に剣と盾を構えたカランが並び、アザレアとワイスは二人の後ろで援護する体勢をとった。
「カラン、シネラリアは奴をひきつけてくれ、その隙に僕が倒す」
「僕たちが、でしょう」
不敵に笑うアザレアに笑い返すワイス。戦場に高揚感と緊張感が充満するころ、声が響く。竜が飛び回ったり、剣と盾をたたき合わせて威嚇したり、様々な音がごった返す渦中にもかかわらず、異常なほどよく通る声だった。
「動くな」
その声が響いた直後、軽快に飛び回っていたレッサー・ドラゴンの動きが止まる。予期せぬ事態に、大きな声で喚き散らす。
「ゲギャギャギャ!」
「黙れ」
「・・・」
口を開くことも禁じられ、いよいよその場にはりつけにされる竜。レッサーとはいえ、ドラゴンをいともたやすく封じ込めた声の出所を見ると、もうひとりの乗客である少年が立っていた。その右頬には茶色に輝く魔法陣があった。
「いかに大振りでも動かぬ敵には当てられるだろう。もっと素早さを磨くことだな」
「ありがとうー!えっと・・・ほっぺ光ってる人!」
「・・・ふん」
悪態のつもりで投げた言葉が善意によって塗り固められ、かえってきた事実に鼻を鳴らす少年。それは不満げでありながらも、どこか照れ隠しのようにも見えた。
「えい!」
大きく振りかぶられる槌が直撃し、骨が砕ける音が響く。魔獣は大粒の輝く玉を落とし、砂となって消えた。その球を拾い上げ、珍しく笑顔を曇らせて不安げに話すシネラリア。
「あの・・・これ私がもらっちゃダメかな・・・?お願い!」
「ふん、そんながらくた、別に要らん」
「僕も大丈夫だよ。どうぞどうぞ」
「左に同じく」
カランを除いた面々が了承したことに、ほっと息を吐くシネラリア。その手中にある光る石を、輝いた目で見つめる存在がいた。カランである。
「きれー」
「か、カラン君・・・これ、ほしい?」
「欲しいです!」
人見知りな心より、未知の光る石に対する好奇心が勝っているのか、身を乗り出して答えるカラン。その様子に葛藤するシネラリアだったが、カランに渡そうとする。
「カラン、我慢しなさい。アンタも、そんな顔しながら渡すんじゃないわよ」
「あ、でもカラン君が」
眼前に迫ったおやつを取り上げられて、うつむくカラン。その頬を両手で挟み、目線を合わさせるアザレア。
「今度お姉ちゃんが別の光る石買ってあげるから。ね?」
「うう・・・わかりました」
「よしよし、いい子ね。カラン」
カランの頭をなでるアザレアを、申し訳なさそうに見つめるシネラリア。
「ごめん、アザレアさん」
「__アタシ、謝られるの嫌いなの」
「あ、ごめ・・・いや、ありがとう。アザレアさん」
「別にいいわよ、それから」
曇っていた顔が晴れ、お礼を告げるシネラリア。それを見てなお、言いたいことがある様子のアザレアに、シネラリアが首をかしげる。
「アタシもちゃん付けでいいわよ」
「ほんと!ありがとうアザレアちゃん!」
「な・・・抱き着かないでよ、暑苦しい!」
顔を真っ赤にして抗議するアザレア。しかしその声音は言葉とは裏腹に、喜びをはらんでいた。
「なあ君、その頬の魔法陣。良く見せてくれないか!頼む後生だ!」
「よ、よるな気色の悪い!」
ひと段落したと思ったのもつかの間、別の方角が騒がしくなる。魔獣を圧倒した少年の魔法陣に、ワイスが興味津々といった様子で顔を近づけていたのだ。少年はわずかに頬を上気させ、ワイスの肩を抑える。さっきは低く響かせていた声も、時折裏返っていた。
「んなあ!ワイス何やってるの!」
「えへへ、みんな仲良しだー。混ぜて混ぜてー!」
「ワイス姉さま、僕、頑張りました!」
「頼む、少しでいいんだ。痛くしないから!」
「誰かコイツを止めてくれー!」
少年少女のにぎやかな交流は、あまり時を置かずに戻ってきた馬車が到着するまで続けられた。
「おじちゃん、すんごい謝ってたね」
「当然だろう、乗客を危険にさらすなど、御者失格だ」
「もー、あそこに魔獣が出るなんて初めてだって言ってたじゃん!」
「ふん」
イーヴィシュ・ワイスがある街に到着した一行は、街を歩いていた。少年は一人で人ごみに消えようとしたのだが、ワイスやシネラリアが逃さなかった。そのワイスは、今はカランを肩車している。迷子にならないようにとのアザレアの進言だったが、真意はワイスの好奇心を抑え、姉としての庇護欲を増大させることだった。
「おじちゃんが教えてくれたお店、美味しいのかなー!」
「ふん、まずかったら承知しないぞ」
「文句言う割にちゃんと行くのね・・・」
何度も謝罪していた御者のおじさんは、十分な仕事ができなかったといって料金は払わなくてよいと主張した。しかし、シネラリアをはじめとして断固拒否。ワイスが折衷案を出し、イーヴィシュ・ワイスの美味しい料理屋を教えてもらうことになったのだ。
「おいしいものには目がないんだ」
「ろくにご飯食べなかったあなたが良く言うわよ」
とは、馬車内での会話の断片である。
御者のおじさんが勧めた料理に舌鼓を打ち、いよいよイーヴィシュ・ワイスの中心である学園に向かうワイス達。ややこしいことに、街全体も学園単体もイーヴィシュ・ワイスと呼ばれているらしい。
学園ができた後に街ができたので、新たに名付けられることがなかったのだとか。
「さて、ここでお別れだね」
「えーん寂しいよー!」
学園の入口にて、ワイス達は別れを惜しんでいた。入学を希望する学部が異なると、申し込む会場も異なるのだ。
「入学したら何度でも会えるさ」
「にゅ、入学できるかな・・・不安になってきた」
「__シネラリア、君は笑顔が良く似合う素敵な人だ」
「はえ?」
唐突な誉め言葉に、虚を突かれて気の抜けた声を漏らすシネラリア。
「その笑顔が曇らないうちは、きっと大丈夫だよ。お互い頑張ろう」
「・・・えへへ、よくわかんないけどありがとう。元気出たよ」
かすかにぎこちなさが残るが、笑みを浮かべるシネラリア。その様子を見て、アザレアが口をはさむ。
「要は、楽しみなさいってことよ。もし落ちても、一緒に遊んであげてもいいわよ」
「なるほどー!、ありがとう。ワイスちゃんも、アザレアちゃんも」
合点がいったというように手を鳴らすシネラリア。その後二人と握手して、カランにも手を差し出す。
「カラン君、石譲ってくれてありがとう。今度、お礼するね」
「・・・はい」
人見知りなカランにしては珍しく、姉の背から出て手を握った。弟の成長に、笑みを浮かべるワイス。
最後に残された一人とも握手をかわそうとして、思い出したように首をかしげるシネラリア。
「あれー、そういえば君のお名前聞いてない」
「ふん、お前たちに名乗る名など」
「今度じっくり二人でお茶でもどうかな?」
「アルフィだ。握手はしないぞ」
ワイスと二人でお茶をするくらいなら、名前を言った方がましだと言わんばかりに吐き捨てるアルフィ。差し出した手をさまよわせ、上にあげて左右にふりながら、シネラリアは大きな声で叫んだ。
「アルフィさーん!いろいろとありがとうー!またねー!」
「・・・アルフィでいい。お前にさん付けされると違和感しかない」
下げたままの右手を一度握り、首をかいて告げるアルフィ。その言葉に満面の笑みを咲かせると、シネラリアはますます大きく手を振る。それをわずかに振り返ってみたアルフィは、前を向いたまま右手を挙げた。
「かっこつけてるわね―あいつ」
「そういうお年頃なのかな?」
「実に興味深い魔法陣だった・・・ぜひとも分析したい」
「アタシがいるときにしなさいよ」
三者三様の言葉を述べたのち、シネラリアと別れた。向かう先は魔術学部の入試受付である。長い階段を上った先は、多くの人々で賑わっていた。