第四話 ブラックライト
黒戸 栄一郎は、私立三ヶ原高校に通っている高校二年生だ。転校生でもなければ、委員長でもなく、ましてや頭脳明晰ということでもない。こんな、誰もが通るであろう、誰もが語るであろう肩書きしか語れないのには、理由がある。いや、むしろ理由などなく、そんな壮大な物語があるはずもなく、ただ単に僕には、特別、突出した才能なんてものはない、ただ平凡だというだけのことである。一見悲しいように思えるかもしれないが、世の人々のその大部分が、同じようなものである。とは、言いつつも、子供の頃は、というか、数年前までは、やはり何か自分だけの個性を欲しがったり、何か自分には才能があるんじゃないかと信じちゃったりしていた。今でも思うことはある。思いたい。と言うように、儚くも人間らしいと言える僕だけれど、そんな僕だからこそ、やはり平凡であると言わざるを得ないのかもしれない。
今から、七年前のことである。僕が十歳になるという頃、僕と、僕の両親、妹の真理、それから、当時の友人数名で、この旅館に訪れたことがあった。今となっては、その友人とは、全然、連絡すらも、会うことすらしていないけれど、中々に楽しい日々を送っていたと思う。今まで、忘れてしまっていたが、当時僕たちは、十年後、つまり、二十歳になり、飲酒が可能となる歳になってから、またここ、紅月館へと来ようと、酒を交わす、約束を交わしていたのだ。今もその約束が有効か、はたまた誰の記憶からも忘れ去られ、無効になっているのかは分からないけれど、僕だけが、たった一人、約束の年よりも、その歳になるよりも、三年もはやく、見つけてしまったのだ。
十歳の僕から、二十歳の僕へ宛てた、一通の手紙である。
『二十歳の僕へ、元気か?』
未来の自分への手紙の書き方という教科書があるとするならば、本書の説明、目次を経て、四ページの一行目に載っていそうな常套句だなおい。他に何かなかったのか?
『お酒は美味いか?』
二言目でこれかよ、さては教科書を捨てやがったなこいつ。というかまだ未成年だわ!いや、でもこれに関して言えば、二十歳に読むという約束を破ったのは、僕の方なのだから、今現在、十七歳である僕からは、言う必要も、言われる筋合いもないわけか。
「それで、何と書いてあるのだ」
「まだ読み始めて一分も経ってないわ!」
「いや、二週間くらいは待ったと思うぞ」
……こいつは一体何の話をしているんだ。勉強のやり過ぎで、とうとう頭の構造どころか、時間の流れ方まで変化したとでもいうのか。まぁいいや、ほっとこ。
『ビッグになったか?金メダルは何枚とった?彼女は何人出来た?』
質問しか書くことねぇのかよ!てか何だこの質問、何考えてるかさっぱり分からん。酒を飲んでるのはお前じゃないだろうな、十歳の僕よ。そして、一枚とっただけでも充分すごいはずの金メダルを、何をして、そんな複数枚とるつもりだったんだ。そして本当に彼女が欲しいやつは、そんな小学生になって友達をつくろうとしている子供のように、何人出来るかで目標は立てないんだよ!
「いや、二週間くらいは待ったと思うぞ」
「時間差で、二回言うなよ!聞こえてるから!聞こえててあえて見逃したんだよ!」
「早く読んでくんね」
まじ吹き飛ばそ、こいつ。
…………………………………………………そうか、段々と思い出してきた。その手紙のほとんどが、まるで無理難題、内容も支離滅裂な質問ばかりだったけれど、その全てに共通して、二十歳になる僕への期待が、その質問たちには込められていた。この質問一つ一つは、気になったこと、ということではなく、おそらくは、十歳の僕が、これから努力することへの、文字通り、自分から自分へ、自分自身への覚悟の表れなのだろう。残念ながら手紙の中には、達成しているものは、ただの一つとして無かった。
「なるほどな、質問というよりは、まるで星に祈る願いのようだな。そしてそのことを、今の今まで忘れていた自分に対し、自責の念にかられているわけか」
「うおぉおい!勝手に読むんじゃねぇよ!ついでに、僕の心も読むな!」
「将来の自分へ向けた手紙か。俺も、幼い頃、道徳の授業で書いたことがあったな」
「そんな綺麗なものじゃねぇよこれは。ただ、今の自分が嫌で、変わりたくて、でも無理だから、だから未来の自分に託したんだ。本当に情けないぜまったく」
「でも、まだ間に合うじゃないか」
「え?間に合うったって、僕には金メダルをとれるような特技は無いし、彼女だって、一度たりとも出来たことはないんだぜ」
「だからよ、その手紙は二十歳のお前への手紙だろう。後三年もあるじゃないか」
あ。
「まぁ、本来であれば十年をかけて、達成しようとした願いだ。今から出来るかは、俺には分からないけどな」
そうだ、時間はある、今から本気で頑張れば……。いや。
「そうだな。だけどいいんだ」
僕には僕の道がある。その道は、進めば進むほど形を変え、行き先さえも不確かなものだ。それが例え同じ一人の人間だとしても、時間が経ってしまえば、その道から見える景色はまったく違うものとなる。だから…。
「無理して達成する必要もないだろ。十年前の僕だぞ、何も知らないガキと一緒さ。僕は今の僕として、新しい目標を達成してみせる」
「あぁ、それがいいさ」
「これで一件落着だな。さて、それじゃ夜も遅いことだし、眠るとするか」
そうして僕達は、ひとしきり温泉旅行を楽しんだ。今は帰りの電車の中で、遠くに立ち上がる湯けむりを、眺めている。
「ところで黒戸。お前は七年前にあの旅館へ訪れていて、その手紙はその時、お前の両親があの女将に預けていたってことでいいんだよな」
「ん、あぁ、そうだろうな」
「なぜあの女将は三年も早くお前に手紙を渡したのだろうな」
「あぁ、そのことなら……」
僕へ渡した手紙が、最後の一通だったらしい。その他の、僕の旧友たちは皆、何年か前に訪れていたそうだ。誰も約束を守るつもりはなかったらしいが、そこで、余計なことを喋ったやつでもいたのか、『もう渡しちゃっても大丈夫だと思いますよ。』的なことでも女将が言われたのかは分からないけれど。
「それで、お前の新しい目標とやらは、思いついたのか?」
「おいおい、まだ昨日の晩のことなんだぞ、そう簡単に思いついてたまるかよ。でもまぁ、手始めに……」
「あれぇ!クロじゃん!」
「彼女百人作ろっかなぁ!なっちゃ…て………」
増渕 俊也が、そこには立っていた。
「ぉおう、じゃぁ、また学校で……な」
「ちょぉとまてええててぇぇ!!!」
「な、なんだよぉクロぉ」
「お前は変な勘違いをしている。変なこと言うんじゃねぇぞ」
「何のことだよ、だがクロ、俺はな、例えお前が男の道を踏み外そうとも、その道がお前の道だ。クロはクロだ。俺はお前を受け入れる」
「何も分かってねぇし!というかお前まで僕の心の中を読めるっていうのか!」
「む?なんだ?お前の友人か?」
「豊彦くぅ〜ん、一回黙ってようか」
「どうも初めまして。クロの同級生でクラスメートのTOSHIYAです」
「俺の名は後藤・D・豊彦。海z」
「黙れ!ホストはお呼びじゃねぇんだよ!チェンジだチェンジ!そしてDの一族も呼んでねぇ!海でも泳いでろ!」
決して混ぜてはいけない二人が出会った瞬間だった。
──九月一日──
「はいおはようございます。今日から二学期が始まります。どうだ?夏休み満喫できたか?」
あの先生はずっと家にこもってゲームでもしてそうだな。
「先生はずっと家にこもってゲームしてました」
やっぱりか。
「テストも控えてるからな、油断するなよ。ホームルームは以上だ」
あーあ、夏休みも終わっちまったな。
「おい、黒戸」
数人の男子生徒が、こぞって僕の机へと集まってきた。
「お前………セ〇レが百人いるって本当かよ…」
この日僕は、増渕俊也を今後一切信用しないと、十年後の僕に誓った。
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