第三話 Go To トラベル
黒戸栄一郎高校二年生夏休み。
後藤 豊彦とは、中学からの付き合いで、おそらく、僕が今までで出会ってきた人間の中では、家族の次くらいには、付き合いが長いのではないだろうか。知り合って何年になるか、となると、その限りではないのだろうが、一緒にいた、一緒に過ごした時間ということとなると、どうだろうか、彼以外に思い当たる節も、あるという訳では無いため、認めたくないのだが、認める他ない。いや、文末を『認める他ない』と、してしまっては、実際に認めたみたいになってしまうから、『認める他ないのだが、認めたくない』と言い直しておくとしよう。これで少しは、『彼とは仕方なく付き合っている』という感じになるだろか。まあどうでもいいか。
一言で後藤豊彦を表すと、変人で話が終わるのだが、それだけでは、芸がないので、もう少し、後藤豊彦について語ろうと思う。僕と違い、別の道へ、彼は県内有数の進学校へと入学していった。まぁそれでも、頻繁に連絡は取り合うし、よく集まって、そのまま何もせず帰るなんてことも、よくあることである。
変わっていると言えば、出会い方も普通ではなかった。あれは確か、五年前…………。っと、ここで回想に入ってもいいのだけれど、それは今回の話しとは少し違うので、またの機会にぜひという形で閉めさせてもらうとして。
八月二十日。
「豊彦と二人で、遠出するのも久しぶりだな。中学を卒業してからは、初めてなんじゃないか?」
「うむ。確かにそうかもしれないな。それにしても、男二人で温泉旅行など、一体何を考えているのだ。まったく」
「誘ったのお前だけどな」
先日、豊彦から連絡があり、温泉旅行へと誘われた。福引きでペアチケットを当てたらしい。誘う相手が高校の誰かではなく、僕を誘うあたり、僕まで悲しくなってくるから、本当にやめてほしい。誘いにのる僕も僕なのだが。
「俺の高校の連中は、この夏休みを一分一秒でも受験勉強に費やしていたいやつらばかりでな。その点お前は暇だろうから、声をかけたまでのことよ」
受験まであと一年と半年もあるってのに、進学校に通うやつらの本気度というか、やっぱり、覚悟が違うなと思い知らされる。
「んで豊彦、お前は温泉なんかに入ってていーのかよ」
「俺はこの間の全国模試でいい結果を出せたからな。周りと比べて余裕があるのだよ。やはり、自分の成長が目に見えると、魂に響くものがあるな…フフ」
こいつは何に喜びを感じて、何を生き甲斐としてるのだろうか。いや、絶対に知りたくないのだけれど。でも、こうして電車の中から外の景色を眺めているだけでも、来て良かったと感じなくもない。こころなしか、どこか落ち着く。
「あとどれくらいでつくんだ?」
「うむ、もう一時間はしないと思うが、なんだ?小便か?」
「ちげーよ。なんなら電車内にあるだろ、トイレは。お前さっき行ってたよな?」
「俺が行ったのは大の方だ」
「知るかよ!」
「?だから固体の方だと…」
「汁じゃねぇよ!!イントネーションで分かれよ!!どんな表現技法を使えば小便が汁になるんだ!」
「初歩的なことだよ、ワトソン君」
「僕はお前の助手になった覚えはないし、これからなるつもりも予定もない!」
これだけ聞けば、そろそろ分かったと思う。こいつのだるさ。中学の三年間、こいつと過ごし続けた僕に、誰か、国民栄誉賞的なものを与えてくれても、バチは当たらないと思うのだが、それでも、僕が未だに認めて貰えていないということは、こいつが国単位で手に負えないという、国からの救援信号ではないだろうか。
八月二十日、午前十一時十四分、空布留温泉、到着。
そら…ふりゅう?くうふうりゅう?読み方は分からないが、温泉愛好家ならば、一度は来てみたい温泉ランキングのベスト10くらいには、毎年ランクインしているそうで、温泉にどんな効能があるだとか、どんな景色が見えるだとかは、僕の知るところではないけれど、それにしても人が少なすぎやしないか。
温泉街とまではいかずとも、温泉のすぐわきには、小さな浴場らしきものが、いくつかあるし、下町を抜けると、そこそこ大きな商店街だってあるというのに、盛り上がっていない訳ではないのだろうが、ここまで静まり返っていると、少し不気味だよな。こいつに、この温泉の読み方を聞いてしまえば、すぐ分かるのだろうが、なんか癪だな。
「ここは宿も良いらしく、人気があるみたいだが、泊まってゆくか?」
「まぁそうだな、男二人でって思ったけれど、それも今更何を言っているんだって感じもするし、せっかくの夏休み、満喫するべきだよな」
「そんな、定言命法的なことばかり言っていると、いつか、身を滅ぼしてしまうぞ」
そのなんとか法ってのは知らないが、こいつのことだし、特に深い意味もないだろう。
「一度宿に、荷物を置いてから、温泉をめぐるとしよう」
以前から思っていたことだが、こいつ、以外とマイペースすぎるとこあるよな。僕のことを、勝手に後ろをついてきてくれる、遊び人か何かだと勘違いしてるなら、格闘家に転職した後、背後から後頭部めがけて、一発、上段回し蹴りをかましてやりたいところだが、こいつ、空手の有段者なんだよな、首の裏筋だけで返り討ちにあいそうなので、今のところは、遊び人を演じておいてやるとするか。この世界の平等性を疑うぜ、まったく。
「ようこそ、おいで下さいました」
紅月館。僕たちが今日一泊する予定の宿である。迎えてくれたのは、この旅館の女将と思われる人だった。よくいる、温厚そうなお婆さんだ。よくいるとは言ったけれど、ここまで人に安心感を与えてくれる人なんて、今どきじゃ珍しいんじゃないか?ここまで優しそうなお婆さんなんて、他には、のび太のお婆ちゃんくらいしか、思い浮かばないぞ。
「お部屋までご案内いたします」
1/fゆらぎだったか、リラックス効果を生むとかなんとか、女将の声はそれに近そうな気がする。別に知らないけれど。
豊彦が言うには、ここは人気の旅館らしいが、人気というだけあって、女将にはそれなりの品性が漂っている、というか、オーラを纏っているのが見えそうだ。豊彦の隣りに立つだけで、誰でも上品に見えるものかもしれないが、それを取り除いても、やはり品性を感じる。
「ごゆっくりどうぞ」
うーん。ふむふむ。ほー。
「どうだ、黒戸よ、中々の部屋だろう。ここから見える、北方まで連なる山脈を、一望した気分は」
「悪くないな。いや、むしろ最高だよ」
こりゃすごい。ここまでの絶景、この部屋もすごくいい。旅館の人にも、問題が見られるどころか、とても素晴らしく、僕たちをもてなしてくれている。 だというのに、なぜここまで観光客が少ないのかが、さらに分からなくなる。
「それじゃあ、行くとするかい」
「ん、そうだな」
やっぱりこいつマイペースだよな。もう少し、この景色を堪能していたいところだが、本命は温泉だということだし、それに、これ以上の楽しみは、夜景として、夜の分までとっておいても、損はないだろう。
「そういや、昼飯はどうするんだ?家を出るのも朝早かったし、僕はそろそろお腹が空いてきたんだが」
「うむ、それもそうであるな。温泉へ向かうついでに、食べ歩きでもするか」
「なるほどな、食べ歩きに最適なスポットと言われれば、確かに適していると言えるかもしれないな」
確かに、食べ歩きというのも、温泉街を楽しむためのテクニックとして、月刊温泉街みたいな、そんな特集記事があるのならば、中ぐらいの見出しでとりあげられていても、多くの人が納得しそうなものではある。実際にこうして、のんびりと店を見て回ったり、どうしようもなく下らないことについて喋ったり、別に温泉でなくとも、泊まりでなくも、ましてや、普段しているような会話が、実は、一番楽しかったりするものかもしれない。と、いうのが数分前の僕の心境ではあるが、こうして、温泉に浸かっていると、やはり温泉に勝るものはないと思い知らされる。つい先程までは、静かすぎて不気味だなんだと言っていたけれど、温泉で大騒ぎされるより全然、いやむしろ断然、静かな方が、風情はあるのだと思い至る。
「ふぅうー、こりゃいいや。全身にあらゆる効能が染み込んでくるのが分かるぜ」
「なんでも、この温泉は、肩こり腰痛の改善が期待できる他、日々の疲れやストレスの軽減を売り文句としているようだぞ」
普段から、疲れを溜め、ストレスを溜め、自律神経を乱しに乱し、この身を削って、理不尽な社会を生きている、僕からすれば、実にありがたい効能なこって。
「この露天風呂も中々に広いな。目を閉じて空を見上げるだけで、絶世の星空がイメージできちまうよ」
確か星ってのは、冬の方がはっきりと見えるのだったか、そんなことはよく覚えていないけれど。
「そうだな、宿に戻って、夕飯は食べて休憩でもした後に、もう一度来るか。その頃には、イメージ以上のものが見れるだろうよ」
いつものように、勝手に決める豊彦であったが、こればかりは僕も、是非にとお願いしたい。………と、ここまでは、何の変哲もない、ただの旅行、ただの友人と、ただの夏休みに訪れた、ただの温泉。ただ一つ、たった一つの違和感。
僕たちはその後、予定通り、夕食を終え、二度目再び温泉へ浸かり、再び宿へと戻った。星空は雲に包まれていた。そして、事件は起こる。事件というほど、被害が出たり、犯人がいる訳ではなく、それはただ、ただ一人僕にとっての事件であった。
「失礼いたします」
事件は、女将が持ってきた一通の手紙で始まり、そして、同時に終わった。
「黒戸様宛に手紙をお預かりしております」
そうして女将は、ボロボロの封筒を差し出し、ただ黙っていた。誰からの手紙かと尋ねたが、女将は少し微笑み、そして、何も言わずに去っていった。
「えぇ……」
困惑。
「うむ?少し、いや、むしろかなり、怪しくはないか?その手紙」
「ほんとだよな」
封筒に、切手もなければ、差出人の名すらなく、ただ一言、黒戸栄一郎へ、と記されてあった。
「切手がはられていないってことは、差出人は直接、この手紙をここまで、持ってきたってことだよな」
「それもあるが、あの女将は、なぜお前が黒戸栄一郎だと分かったのだ?」
え?
「この部屋は俺の名前でとったんだぞ」
僕の全身を、脳を、精神を、恐怖、何も分からないことが、分かることへの不気味さが、全身全霊を駆け巡った。体感にして、わずか2秒。この数字に意味はなく、ただ、この感覚を伝えるためには、充分すぎるはずだろうという、僕の計らいである。
「とりあえず、お前が確かめるべきだろう」
そう言って、豊彦は手紙を渡してきた。違和感。
「何が書かれているのだ。……おい、怪しいとはいえ、お前宛の手紙だからな、覗くのは抵抗があってだな、早く教えてくれ、何が書かれているのだ。………黒戸!」
僕はその呼びかけに、答えることは出来なかった、出来るはずもなかった。
「これ書いたの……………僕だ」
手紙の文末には、『黒戸栄一郎より』と、まるで申し訳なさなど、欠片も感じられず、堂々と、高大に、記されていた。
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