7月雑記⑦気付きを得るとき
下書きがたまりすぎなのでポイポイ投げていくスタイル
なんとか「ランキングを維持したまま駆け抜ける」を目標にして日々食いつないではいるものの、精神は疲弊していく。ああ、どうしてもっとちゃんと書きためをしておかなかったんだろう……と後悔してもあとの祭りである。
なろうで小説を書くのも、受験勉強も一緒だ。自分が強くなったと思いきや、相手もどんどん強くなる。
地元の中学校から進学校に入学し、そこで落ちこぼれるのを想像してもらえればわかりやすいと思う。
なろう作家に起きるイベントを人生に例えるならば、今はちょうど「そこ」だろう。
なろう作家がぶち当たる第二の壁──上には上がいる、の始まり──本当の、始まりの場面なのだ。ここから先はもっとヤバい世界なのである。
目に入るのは「自分より上のポイントを取っている」作品のみ。
書籍化作家、書籍化はしていないけど短編が人気の作家、新人……。
なんだか私みたいに、中途半端な経歴の人っていないみたいだな、と思った瞬間に急激に恥ずかしさが込み上げてくる。
実際にはそんなことはない。私が気にされていないように、私もまた他の作者の気持ちなんて考えないからきっと違うだろうし、どこかの誰かに「この一発ネタ女邪魔……私はこいつ以下なのか……」と思われている可能性すらあるだろう。
平均よりは抜け出したかもしれないが、特筆すべき存在ではない。自分は、この程度の、上に行けるような人間ではない。
三下であり、日曜日の特撮番組で1話で消化されるモブ怪人なのだなあ……などど思い始める。
……と、このようなくだらないことを考えている暇があればさっさと書く、プロットを練る、筋トレをするとか、やりようはあるのだ。
停滞していないこの状況で、本当に停滞し始めたら、今度はどうなってしまうのか? とにかくそれが恐ろしい。
ここを抜けると次は「テンプレを連発するか、好きなものを書くか」の分岐が来て、トレンドを外すと読まれないことを納得して続けるか、それともランキングにがんじがらめになって生きるかの選択を迫られるだろう。
考えるだけでしんどい。
140文字のTwitterを10回やれば1400字である。もっと言うと、このエッセイを2万字書くぐらいなら、小説を書いたほうがいい。
理解しているつもり……でも、実践できないのが、いわゆる凡人ってやつである。天才どころか、秀才にもなれないカテゴリの人間。
それが、私である。何せ、ちょっと前の立ち止まるな、と言うアドバイス一つすら実践できていない体たらくなのだから。
私は立ち止まって考える。考えてしまうのだ。その行動に意味はないし得るものも特にない。でも考える。基本的に「妄想するのが好き」だからだ。
「読者が面白いと思う事」がよくわからないし、自分のこともわからない。
正直言って、私は自分には絶対書けそうにない話が好きだ。だから作者の私が読者の私を満足させるものを書くことは多分永遠にできないだろう。
※私の「面白い作品」のハードルはめちゃくちゃ高いのも一因だと思う
話かなー。うーん、それとも文章力かなー。普通に考えたら両方かなー。
大体において「これはこういう話だな」と思ってそのまま出力するだけなので、読者ウケを追求して話を再構築することは出来ない。
ネットではなろう小説の文章力についてあれやこれやと取り沙汰されていることがよくあるが、自分の感覚からすると恋愛ジャンルではきちんと文章力も採点に加味されている(そうじゃないと、すぐ上がれる人と上がれない人の説明がつかないので)
キャラクターのあやふやさ、台詞回しのダサさ、無理やり書いている感がめちゃくちゃ否めない。
面白い話ってなんだろう? と別にもうこれでいっか。質より量だよ。が交互にやってくる。
ネットを見ていると、自分の作品に自信を持っているっぽい人の方が多いように感じられる。自分を鼓舞するためのハッタリなのか、それとも心から自分の事を信じているのだろうか? と私は首をひねる。性格の違いと言えばそこまでだが……。
自分の作品がまだまだだと思う、それはポジティブな言い方をするとまだ成長の余地があるという事なんだが、それは人生と同じくここからレベルを上げていく、というのはより難しくなっていくわけだ。
短い階段を上りきって、一息ついたところに先が見えないぐらいのものすごく長い階段がある。
終わりはない。書き続ける限り、書き続けても、永遠にゴールには辿りつかない。
苦しいと言っても、それが喜びを上回るわけではない。やらないよりはやった方が自分のためである。それはわかる。わかるのだが……
……そこまでして、平均寿命としてはまだまだ若い、人生の貴重な時間を費やすほどのことだろうか? とちょっと思ってしまうのだ。




