あるなろう作家の死
この日の夜、不誠実と言うか、矛盾していると言うか……
とにかく、私の精神状態は普通ではなかった。
思えば、土曜日から睡眠不足で、小説の事が気になりすぎて食事を忘れがちになり、常に心拍数が上がっている様な感じだった。
執筆が手につかず、小説情報のページを更新するだけの時間が続いた。感想が増えていく。嬉しい自分と、状況についていけない自分。
「面白いです」
そうか……これ、面白いのか? そうなのか。正直、執筆中は「ちょっと真面目すぎたからもう少しふざけてもよかったかな」と思っていたぐらいだ。
一応は「自分の中の基準」を満たしてから投稿しているけれど、頭の中にある話を出力しているだけなので『プロットを練る』『意識的に読者を誘導する』なんてテクニックは持ち合わせていない。
書いている途中で展開が変わることもあるし、これも実際最初の内容とはだいぶ違う話だけれど、考えて作られた作品ではない。
今までのどの作品も、「自分だったらこうするのにな」と思った作品たちなので、好き嫌いで言えば「好き」だ。
でも「面白い」とは思わない。「頑張った」はあるけれど。
私がここに注目してほしい。と思った部分にはあまり触れられず、意識していない部分に関する感想が沢山来た。私の視点と、読者の視点は全く違うのだ。
「テンポよく読めました」
そうなのか。テンポが悪いとは言われた事がない気がする……けど『テンポがいい』ってなんだろう。いや意味はわかる。
でも、私の目にはもっさりとして、洗練されていない文章だと感じる。すらすら書けている部分と、話の整合性を合わせるために無理矢理『接続した』場面がどうなっているのか、私にはよくわからない。
「タイトルがいい」
今回は、いわゆる「タイあら」がよかったのだと思う。冗談のつもりで思いついたタイトルだったので、狙った訳ではないけれど。「追放」より「島流し」の方が「河童の川流れ」みたいでいいよね、ぐらいの気持ちだった。
確かにこのタイトルだと「どんな人が」「何をされたのか」がわかる気がする。されました、されまして、より「されましてよ」の方が明るい雰囲気がある。
しかしまあ、考えた訳ではなくて完全にまぐれの産物なので同じだけの閃きが今後出るかと言うと、難しい。
ぼんやりと、『ここが私の限界到達点なのかな……?』と、考える。
投稿した時は「イマイチだから、もっといいものが書ける」と思った。これは通過点で、とりあえずの習作。コツコツと、経験を積めば、いつか自分も読者も納得してくれるものが書けるだろう、と。
ポイントは増えていく。
このままだと、明日の朝には1位になるかもしれない。私はそれが怖かった。
「頑張っている私」は永遠に「まぐれの私」を超える事ができないかもしれないのだ。
「底辺だーw」とネタにしていれば、傷付かずに済んだ。
「いつかはランキングに!」まだまだいけるんだ、と未来への希望があった。
でも、今はどうだろう?まだ書いていないものが沢山あるのに、ここで限界が来てしまう。
婚約破棄。ざまぁ。悪役令嬢。追放。他にも色々あるけれど、人気タグがないと、読まれないのかもしれない。
私はまだ変わっていないのに、きっとこれからどんどん良くなるはずだったのに、麻薬に手を出してしまった。
きっともう、次の作品を出したって読まれないに決まっている。
これからずっと、過去の自分を超えられないまま書いていかないといけないのか……。
ぐるぐると、そんな事を考え続ける。喜ばしい事なのに、こんな事を考える自分は間違っている。私は悪い人間だ。そんな事を、明け方近くなるまで考えていた。
底辺作家から始まって、『私の書いた小説がすっげーつまらない』なんて題名のエッセイを書いて、ネタにして。テンプレに手を出して、良い評価をもらって、目標を達成して。
『底辺作家から脱出する、たった一つの冴えたやり方、それはテンプレです』
綺麗にオチがついた。これ以上ない、完璧なエンディングだと思う。
私は、作品と一緒に自分の作家生命まで完結させてしまった、のかもしれない。
暗い話はここでおしまいです。最後は明るく締めます。




