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 満腹屋。それは王都のメイン通りから一本外れた小路を通り、丁度突き当りにある店である。ラルフが中に入れば、賑わう店内で店員が声をかけてきた。連れがいるからと辺りを見渡せば、ひらひら手を振るオーエンが、店の隅に座っていた。


「悪いな。遅くなった」


「おう、もう一杯やっちまったぜ。飯は適当に頼んどいた。それで、やっぱ巻き込まれちまったのか?」


 すでに出来上がっているオーエンに発泡酒を注がれながらラルフはため息をついた。その横でルカが果実水を飲んでいる。


「報酬上乗せするから頼むってさ。旅に金は必要だし、稼げるときに稼がねえとと思って引き受けたよ」


 ぐっと一気に流し込み、ぷはっと息を吐くと、オーエンが笑う。


「昔っから変わんねえな、そういうとこ」


「あ?どういうとこだよ」


「お人よし」


「うるせーよ。こういう性格なんだ。個性だと思え」


「俺のダチは相変わらず口が汚ねえなぁ」


「てめぇには言われたかねぇよ。それよりなんか分かったか?」


 もも肉の甘辛合えを頬張りながらラルフはオーエンに尋ねた。


「それがよ。調査してみたら結界は正常に機能してたんだ。なのに魔物が出る。どう思う?」


「…内部犯かよ」


「ご明察。その線で調査続行中だそうだ」


「魔物関係だと魔法士か、それに連なるものだろ?限られてくるんじゃないか?」


「王も頭が痛いだろうさ。次から次に身から錆が出るようなもんだ。ったく、俺もおちおち寝てられやしねえ」


「オーエン、てめぇ、今役職何やってんの?」


「俺?第5兵団の団長だが?」


「…マジかよ」


「マジだよ」


「団長がこんなところで呑気に飯なんざ食ってていいのかよ」


「良いんだよ。俺んとこの部下は優秀だからな。それに、飯ぐらいゆっくり食わせろってんだ」


 ブツブツ言いながら肉にかぶりつくオーエンに、ラルフは頬杖を突きながら尋ねる。


「犯人が王宮の内部の者なら、少なからず王族に連なる連中の中に、関係してるやつがいるんじゃないか?」


「ああ。俺もそう思う。なんていうか現王の信用失墜を狙っているように見えるんだよなあ。奴隷の件も大公の仕業だろ?その大公もどうやら誰かにそそのかされた様子があるって…」


 言葉を続ける前にオーエンの目が見開いた、そして噴き出す冷や汗。ラルフは肩にのしかかる抱き着く腕に、ため息をついた。


「あらやだラルフじゃなーい。久しぶりねぇ。私と離れている間浮気しなかった?って、子ども??ラルフ貴方私というものがありながらどこで作ってきたのよ!」


 女性の剣幕にルカが目を白黒させていると、ラルフがもう一度ため息を吐く。


「ハウラ、とりあえず落ち着け。そして座れ。オーエン、お前こいつも呼んだの?」


「んな訳ねえだろ?こいつとは部署もランクも違うんだ。落ち着いて話したいから呼ぶわけねぇ」


「ハウラ、どうやってここに?」


「ん?王宮で見かけたから、部下に見張らせておいたの。だって愛しいラルフに会えるんだもの。なんでもするわぁ」


 しな垂れかかるハウラを見て、ルカがラルフの袖を引っ張った。それに気づいてラルフは笑う。


「ルカ、こいつはオーエンと同じで昔の修行仲間だよ。出が貴族なもんで…って、ハウラお前今仕事なにやってんの?」


「第2衛兵隊隊長よ」


 いきなりの爆弾投下にラルフの頭が真っ白になった。衛兵隊は王宮内の警護及び取り締まり部隊。兵団は主に町や村を警備する。


「お前、マジでなったのか?あのおっさんは?」


「あのおっさん?ああ、前の隊長のこと?そんなの、ねぇ」


 含み笑いに悪寒が走る。


「ちょっと突いたら、いろいろ出てきてねぇ。お縄になっちゃったのよ。あの時は一日いい気分だった。うふふ。ねぇ、それよりその子はなんなの?」


「ルカは俺の弟子だよ」


「なんだぁ。早く言ってよねぇ。私ハウラよ。ヨロシクね」


 ウィンクされてルカの顔が真っ赤になる。


「やだ、ちょっとこの子可愛い」


 そこからのハウラの行動は早かった。ルカの横に移動するなり、構い倒し始めたのだ。最初はアワアワとしていたルカも最後の方にはハウラに甘えるようになった。


「相変わらずの手管だな。俺は勘弁だが」


「それで何人骨抜きにしたんだよ、ハウラ」


「あらやだ。オーエンなんて一生口説かないから安心して。ラルフ、男の嫉妬は醜いわよ。そおねぇ。70超えた辺りから数えるの止めちゃったわぁ」


「オーエン、女って怖いな」


「同感だラルフ。こういうタイプはそっとしとくのが一番だな」


「ああ、触らぬ神に何とやらだ」


「うふふ。それよりラルフ、貴方魔物の件、協力してくれるんでしょう?衛兵隊に来ない?王都の宿よりうちに来ればルカも安全よ?」


「それは願ったり叶ったりだけどいいのか?」


「良いわよ。ただし条件が一つ」




 翌日第2衛兵隊の隊長室には、ハウラと副長のアーディラ、そして数名の兵士、ラルフがいた。ハウラの艶々とした顔と、疲れたようなラルフの様子に兵士たちは憐れみの目を向ける。


「隊長、もしやまさかとは思いますが」


「うふふ。またよろしくね。ラルフ」


 甘えたようにラルフの腕に絡まるハウラに、アーディラは頭を抱えた。


「貴方は…一般人巻き込んで何してるんですか」


「あら、ラルフは一般人じゃないわよ。A級の魔法剣士で冒険者だもの。今回の件に協力してもらうついでに美味しく頂いちゃった」


 語尾にハートマークがつくぐらいの甘ったるさと軽さである。そう、ルカの身の安全のため、ラルフはハウラに夜中拘束されていたのだ。


「お前には脱帽だよ。さすが衛兵隊隊長…」


「久しぶりにヒートアップしちゃったわぁ」


「ちゃったわぁ…じゃないですよ。そんな頬染めてないで仕事してくださいよ仕事」


 机に積み重ねられた書類と泣きそうなアーディラにハウラは、仕方ないわねぇと言いつつ高速で処理し始めた。


「うちの隊長がすみません。私が副長のアーディラと申します」


「いや、構わねえ。部下は大変だな。俺はラルフ。さっきハウラが言った通りだ。魔物の件で協力することになった。よろしくな」


 握手を交わすと、現在集まっている情報を整理していく。


「ラルフ殿には、魔法士として部署に配属ののち、内部を探っていただきたいのです」


「良いけど、ちょっと時間もらえねえか。俺、一回ディストに戻って、会わなきゃいけない人がいてさ。あ、奴隷の件で世話になった人なんだけど」


「ああ、それなら、うちに転移軸があります。それを使ってください」


「転移軸…あれ、活用できるようになったんだな」


 昔修行中に、師匠が言った理想が、現実のものになっていてラルフは驚く。


「うふふ。一日往復5回までしか使えないから貴重なのよ。私の身内に魔法士がいてね。その子にお願いして5年かけて作ってもらったの。今後は回数を増やすのが目標だって言ってたわ」


 気づけば机の書類は片付き、先ほどまで一緒にいた部下たちはすでに書類と共に消えていた。 


「それでは、ラルフ殿には5日後に魔法部署へ配置できるよう準備をしておきます」


 そう言うと、アーディラも隊長室を後にする。ハウラはラルフを連れて、隊の内部を案内した。


「ここが詰め所ね。ヨシュ、居るかしら?」


 呼ばれた若い男がスッと前に出てきて敬礼する。


「お呼びでしょうか」


「ルカは何処かしら?」


「坊やならそちらの応接室で、イジーが世話をしてます」


「分かったわ。仕事に戻ってちょうだい」


 応接室を覗くと、隊員の膝の上でルカが寝ていた。


「あら、可愛い寝顔ねぇ」


「隊長。先ほど眠られました。旅で疲れていたみたいですよ」


 眼鏡をかけた優男がこちらに小声で話す。それを見て、ラルフはハウラに言った。


「転移軸を使って行き来するのに時間はどれくらいかかる?」


「行き来するには一瞬よ」


「なら、ルカを任せていっていいか。連れて行こうと思っていたけど、せっかく寝てるんだ。休ませたい」


「うふふ。頼ってくれて嬉しいわ。良いわよ。すぐ行くの?」


「ああ。片づけれるものはさっさと片づけるのが良いだろ?」


「そういうラルフのとこ、好きよ。イジ―、しばらくルカのことお願いね」


「承知しました」


「ラルフ、転移軸に案内するわね」


 一旦廊下に出て反対側のドアを開けると、こじんまりした部屋の中央に魔法陣が描かれていた。


「これ、身に付けておいて。帰るときはこれに魔力を流せば帰れるようになってるから」


 そう言うと、ハウラは身に着けていたネックレスをラルフに付ける。そのままラルフを引き寄せて首に抱き着くとそっと頬にキスをした。


「ラルフ、すぐ戻ってきてね」


「はいはい。まったく、昔からお前も変わんねーよな」


「うふふ。誰が何と言おうと私は私のままよ」


 そんなハウラの背中をさすると、彼女は少し震えて、そして離れた。ラルフは魔法陣の中央に立つと、魔力を展開する。一瞬の浮遊感の後、気配が変わり目を開けば、驚いて固まるヘレナとゾルダンがそこにいた。



「っ?!お主、ラ…ラルフ??」


「よ。ルカは無事に着いたから安心しろよ。いろいろ助かったぜ」


 目の前に一瞬で現れたラルフに、ヘレナは悲鳴を上げるのも忘れ、淡々と迎えた。傍にいたゾルダンも目を丸くしている。


「助かったのはこちらも同じじゃ。よくあそこまで周到に用意したものだ。ところで貴方いったい何者なのだ?だたの用心棒ではなかろう?」


「はは。俺はA級の魔法剣士だ。ちょっと魔法が得意なだけだよ」


「どおりで。保護した用心棒たちはケガも治りそれぞれ仕事に戻ったわ。ミラも金貸のラズも捕まった。おかげで全て解決じゃ。礼を言う。これは約束の報酬と、こっちは助かった用心棒たちから」


 そう言って渡されたのは、お金と掌サイズの鉱石だ。


「これ…」


 今度はラルフが目を丸くする番である。石の間に挟まっている薄紫色の水晶を見て、目を見開いた。


「ディストの地下鉱山でしか取れないディスタリアという鉱石だ。少量摂取すると、魔力回復に効果がある。他には加工して装飾品として売っても高額になるの」


「すげぇ。良いのか?こんなもん貰って」


「気持ちなんだから受け取るのが良かろうよ」


「そういえばイシュマルは元気してんのか?」


「ああ、あ奴か。あれほど注意したのに、花に入れあげての。救いようがなく自滅しおったわ」


「あいつ、ヘマして減給になってたんじゃ…」


「今は無給で働かせておる。あそこまで阿呆とは。母親も忍ばれんのう…」


 しばらく話をし、そろそろ暇をと告げると、ヘレナが立ち上がっていった。


「ほんに助かった。お主のお陰じゃ。気をつけての。また立ち寄っておくれ」


「ああ。あんた達も元気でな」


 ハウラに借りたペンダントに魔力を籠めると景色が滲んでいく。次に目を開けると魔法軸の上にいた。トンと地面に足が付けば、王宮に戻ってきた実感が湧く。時間にして3時間あまり。すぐに横から抱き着かれてラルフは苦笑する。


「お帰りなさい」


「ルカ、待ってたのか?」


「はい。目が覚めたらラルフさんいなくて、イジ―さんに出かけていると聞きました。ここで待たせてもらってました」


 ギュウギュウに抱き着いてくるルカの背中をポンポンと叩けば、少し力が抜ける。


「大丈夫だ。もう一人にしねえよ」


「そういって、ラルフさんは気づいたら居なくなってそうです」


「はは。信用ねーなぁ。そういやハウラは?」


「急にお仕事が入って2,3日いないそうです」


「そっか」


 魔法軸の部屋から詰め所に顔を出すと、アーディラが気づいて駆け寄ってきた。


「ラルフ殿、お疲れ様です。用事はお済になりましたか?」


「ああ」


「手続きは終了しました。5日後魔法部署へご案内しますね。それまではゆっくりお休みください。ルカ君もね」


「はい。ありがとうございます」



 休みの4日間は王都を観光したり、ルカの魔法操作の練習に付き合ったり、オーエンの愚痴に付き合わされたりと、充実した毎日を過ごしていたラルフだった。

5日目の朝、魔法部署の制服を身にまとったラルフは青藍色がよく似合い、違和感など微塵も見せず、アーディラたちを驚かせた。


「ああん。ラルフったら素敵よぉ。何でそんなに男前なのかしら。もういい加減お婿に来てちょうだいよぅ」


 絡みつくハウラをベリッと引きはがして、ラルフはアーディラへ身柄を引き渡す。引き渡されたアーディラはイジ―に隊長室へ押し込めておくよう依頼。任務は速やかに遂行された。


「本当にうちの隊長が申し訳ありません」


「いや、あんたのせいじゃねーし。それより道案内よろしくな」


 隊長室へと押し込められたハウラの喧騒を後に、ラルフは魔法部署へと足を踏み出した。



「汚…」


 ラルフが魔法部署で最初に放った言葉はそれだった。アーディラに連れられて部署のドアを開ければ、その奥には腐海が広がっている。


「ちょっと!窓ぐらい開けなさい!」


 アーディラがズンズンと奥に向かい窓を開け放す。異様な匂いに包まれていた部屋はさっきよりましになった。しかし。


「見事にぐっちゃぐちゃだな。こんなとこで研究とかできんの?」


 意外に綺麗好きのラルフは顔をしかめながら見渡した。乱雑に置かれた書類の山に、何かの実験に使うのであろう器具、出しっぱなしの本に、食べかけと思われる食事。


「アーディラ、俺無理」


「ええっ。ラルフさん、何もしないうちから諦めないでくださいよお」


「だって、あそこなんて見てみ。何か分らん植物が生えてるし、隅のソファじゃ、あいつ絶対何日もシャワーしてないぜ。いや、もう、何かな…」


「よ、弱気にならないでください。何か解決策が、そう、きっとあるはずです」


 当初の目的をすっかり忘れてそんなことを言い合う2人に、奥から間の伸びた声が聞こえた。振り返ると、制服を着崩した魔法士があくびをしながら立っていた。


「アーディラさん、今日から来る新人、その人?」


「エリオさん!そうですけど、言いましたよね。新人が来るから片付けておいてくださいと!」


「いやー、急な案件が入ってしまいまして、みんな忙しく。僕も完徹でさっきやっと休憩したとこなんですよね…」


 ぼさぼさ頭に目の下には濃いクマを抱えて、エリオは言いながらラルフの前に進み出た。


「はじめまして。僕はエリオです。ここの一応副長してます。すみません。迎えの準備もできないくらい忙しくて。ついでに人員も少ないもので、この有様で」


「ラルフだ。よろしくな。とりあえず、片づけても良いか?」


 そう言うとラルフは魔法を使い、書類などひとまとめにしたり、本を本棚へ片づけたり、風魔法で塵を払ったりした。今まで見えなかった床が見え、ゴミは粉塵になり外へと吐き出された。


「うわ。器用ですね」


「そうか?お前らがズボラなだけじゃねぇの?」


「う、ごもっともな意見です。僕は掃除が苦手で」


「まあ、片付いたし良かったじゃん」


「ラルフさん、私はこれで失礼しますね。後はエリオさんに引き継ぎます」


「アーディラ、世話んなった。なんかあったら相談乗ってもらっても良いか?」


「もちろんです。じゃ、エリオさん、後よろしくお願いしますね」


 アーディラが出ていくのを見送って、ラルフはエリオに向き直った。


「改めてラルフ・ジーンだ。よろしくな。で、その急な案件って何だ?」


「実は上から探査魔法の改良を頼まれたんですけど、今の機能だと約30メートルと範囲が狭いんですよ。だからその倍は探査出来るようにしてほしいと要望が来てるんです。ラルフさんは魔物の件はご存じですか?」


「町や村を襲ってるらしいな」


「どこから湧いてくるのか分からないから、探査魔法の範囲と精度を飛躍的に上げろと、しかも期限は一週間なんですよ。言われたこっちは大混乱です」


「この部署何人で回してるんだ?」


「僕を含めて今は6人。君を入れて7人です。他にもする仕事がたくさんあるのに、追いつかなくて」


「その探査魔法の資料見せてもらえねーか」


「え。結構複雑な高位魔法ですが…、いや、分かりました。ちょっと待っていてください」


 フラフラとおぼつかない足取りで隣の部屋へと消えたエリオは両手に一杯の書類を抱えて帰ってきた。


「何だこの膨大な資料は」


「いや、整理してなくていろいろ混じってるんですよ。多分この中に資料があるはずです」


「そこからかい!」


 ラルフの魔法部署一日目は書類整理で終わった。


「エリオ、これじゃねーの?」


 2日目も資料整理をしていたラルフは、仮眠から戻ってきたエリオに数枚の資料を渡す。寝起きのエリオが受け取ると、徐々に明るい笑顔になった。


「ラルフさん、凄いですね。あの山からどうやって見つけたんです?」


「いや、普通に一枚一枚確認しただけだぞ?」


 ラルフの横には目を通した書類が分類別に整理して置かれていた。


「ううう。もっと早くにラルフさんが来ていれば。こんなきれい好きで整頓まできちんとやってくれる人他にいません!」


「いや、この部署の人間に得意な奴が居ないだけだろうが」


 呆れた目でラルフが言えば、エリオが資料を返してきた。


「この資料で間違いありません」


「ところでこの魔法陣書いたの誰?」


 一枚の書類をエリオに見せるとすぐに返事が来る。


「え、うちの所長ですけど」


「今どこにいるんだ?」


「ああ、今の時間だったら長級会議に出席しています。昼には一回こちらに戻ると思いますよ」


「じゃあ、帰りを待つとして…。なあ、もしかしてここ、詰め所以外の部屋も腐海なのか?」


 どこからか漂ってくる異臭に、ラルフは顔をしかめた。


「あー…ごめんなさい」


 奥にある署長室をはじめ、他の部屋もよくこれで仕事していたなと思うくらいの汚染度にラルフはため息をついた。中には書類に埋もれたまま寝ている同僚を発見し驚く場面もあった。


「エリオ、メイドの申請した方がいいんじゃねーの?」


 一部屋ずつ片づけながらラルフはエリオへと提案すると、彼は首を横に振る。


「中には重要な書類もあるので、外部からの人間は要れないようにと署長が」


「けどな。そんな重要書類すらそこら辺に落ちている状況だぞ」


「ううう。ごもっとも」


 資料室は見るも無残に散らかり放題だった。年代別に本棚があるにも関わらず、バラバラに収納された資料。床にも本が乱雑に置かれ、これでは資料を使う際に時間がかかるし、非効率である。


「人数少ないってのも分かるけど、こういう所が仕事量を増やしている最大の原因だと俺は思うぞ。っと、エリオそういや他に仕事あるんじゃなかったっけ?」


 片付けを一緒にしていたエリオに問えば、否と答える。


「署長が帰ってこないと先に進めないので、昼までは手伝えます」


「そう言ってもらえるとありがたいが、少しは休憩したら?」


「えっ、でも仮眠してきたばっかりだし」


「あんま寝れてねーだろ。目の下クマがひでぇ事になってっぞ。片付けはやっとくから、休める時に休んどけ」


ラルフが頬を片方摘みながら言うと、エリオは涙を浮かべた。


「在勤2日なのに、ラルフさんが頼もしすぎる!」


「ぶはっ。何だそりゃ。いいから寝とけよ。仮眠室は後で掃除するから詰め所のソファ使えな」


ルカにやるように、いつもの癖で頭をポンポン叩くと、すいません、お願いしますと言って、エリオは振り返った。


「やだ、尊い。尊すぎる」


 振り向いたエリオが目を丸くして立ちすくむ。


「ク、クラリス?!いつからそこに?というか、鼻血、鼻血出てますよ」


いつから居たのか、詰め所へ通じるドアの隙間から女性がこちらを覗いていた。

頬を染めて鼻血を垂れ流している様はまさに変質者だ。

エリオはワタワタしながらハンカチを差し出すが、それにかまわずスススとラルフへ近づく。


「お初にお目にかかります。クラリスと申します。お会いできて光栄です」


「あ、ああ。俺はラルフ。あんたここの人?」


「はい。主に魔法道具の修理を担当しております。よろしくお願いいたします」


 握手を求められたためラルフも応じる。ついでにポケットからハンカチを取り出すと、クラリスの鼻元に充て、覗き込んだ。


「本当に大丈夫か?」


 ボン!!


「お、おい?!」


 崩れ落ちるクラリスを支えると、彼女は顔を真っ赤にして気絶していた。


「エ、エリオ。こいつ熱あるぞ??」


「ええっ??ちょっ。本当だ」


「落ち着け。エリオ、休憩は後回しで、治癒院に案内してくれ」


「は、はい!」


「はにゃぁ…」


 クラリスを抱えて治癒院へ来ると、治癒師が驚いた表情で迎えた。手前のベッドへ下ろすよう指示されそれに従う。


「まあまあ、クラリスちゃんたら、また徹夜で何かしたわね。…まあ、39度もあるわ。とりあえず今日はお仕事お休みね。エリオ君、署長に伝えておいてくれる?」


 テキパキと使う薬を棚から引っ張り出しながら治癒師が言うと、エリオが返事をする前にラルフが首根っこを掴んで治癒師に差し出した。


「すまねーが、こいつも寝かせてやってくんねーか。連日仕事でほぼ寝てねーからよ。報告は俺がしとく」


「ちょ、ラルフさん!」


「良いじゃねーか。少し休めよ。ソファよりこっちのが寝心地よさそうだし」


「あらぁ。確かにクマちゃんが凄いわね。今日はそんなに患者もいないし、ベッドで休んでいきなさい。一人も二人も同じだから」


「じゃあ、頼んだ。エリオ、ちゃんと寝ろよ?」


 そう言うとラルフは治癒師にエリオを預けてその場を後にした。


「見ない顔だったけど新人君?」


「あ、はい。昨日からうちに来ているラルフさんです。クラリスさんが彼を見ただけで倒れちゃってびっくりしました。尊いとかなんとか言ってましたけど、どういう意味ですか?」


「まぁ!ちょっとエリオ君、寝る前にその時の状況聞いていい?」


 結局エリオが横になったのはそれから30分以上経ってからだった。



 ラルフが魔法部署へ戻ると、署長はまだ来ておらず、先ほどの掃除の続きを黙々とこなす。資料室を終え、窓を開けて署長室を片づけ始める。散らかっているのは机近辺だけだったため、それほど時間はかからなかった。


「おお、凄い。ピカピカやん」


 入り口を見ると、細身に魔法部署の制服を来た若者が立っていた。金縁のモノクルに、釣り目。左腕には魔法部署長の証である腕章がされていた。


「あんたが署長さんか」


「ああ。君はもしかしなくても新人君?」


「ラルフだ。よろしく」


「出迎えも出来んと悪かったなあ。俺はブラッドや。よろしゅうな。ところでエリオを知らんか?」


「ああ、徹夜続きでフラフラしてたから治癒院にぶち込んどいた。クラリスって奴も熱出して同じく」


「はぁ。まあしゃあないわな。やれることやっとくか。あ、掃除やらしてホンマごめんな。なんせその方面トンとダメな奴ばかりで」


「いや、別に構わねー。あと3か所で終わるから、そのまま掃除してていいか?その後、ちょっと相談がある」


「お?何や、仕事の話かいな?今日は午後からここに居るさかい。終わったら来てもろてかまへんよ」


「分かった。じゃあ、後でな」


 ラルフが署長室を後にすると、ブラッドは改めて机の上を見て感嘆を上げた。


「おおお!書類が整理されとる。なんやなんや、まじええ奴来てくれたなあ」


 ブラッドが感動で涙ぐんでいる頃、ラルフは次の部屋のドアを開けていた。


「うっ…、今日一番の汚臭が…」


 見れば何か虫らしきものが飛んでいる。ラルフは鼻にタオルを当てて短く呪文を呟いた。すると、何年も開けていなかったかのようなギシギシという音を立てて、両開きの窓が開いていく。埃を全て外へと風で送ると、だいぶ臭いが薄れた。

 真ん中の机には、設計図や、器具やらが散乱し、その中に、汚臭の元が隠れていた。臭気に誘われて羽虫が飛んでいる。


「おい!」


「…」


「生きてっか?」


 近くになぜか火かき棒があったため、ラルフはそれを使って、その物体を突く。何の反応もないため、ラルフは小さく呪文を唱えた。


雷伝 (らいでん)


 ビクビクビクっ!!


「ふおっ!!」


「…生きてた…」


「誰?」


 電気ショックに机から顔を上げた物体は頭をぼりぼり掻いた。随分と洗っていないのか、長髪はボサボサで、しかも掻く毎にフケが舞う。


「おま、ちょっ、掻くの止めろ!せっかく綺麗にしたのにまた汚れるだろ!」


「え?」


 寝起きでぼんやりしているのか、辺りを見渡す物体。


「おお。床が見える」


「オリビア、居ったんかい」


「あ、署長。4日ぶり」


 ブラッドがびっくりした顔で入り口から覗く。


「お前オリビアっていうのか?つか、女?」


「お前、失礼な奴。さっきから聞いてるけど誰?」


「ラルフだ。昨日からこの部署に来た。よろしくな」


「そう。で、何してる?」


「掃除だ。ついでにお前も掃除してやる」


 言われた言葉の意味が分からずオリビアは首を横にする。そうこうしている間に、ラルフは彼女を脇に抱えて部屋から連れ去った。


「え?ラルフ?どこ行くさかい!」


「これをちょっとシャワー室にぶち込んでくるわ」


 言うが早いか、ラルフは廊下へと出て突き当りのドアを開けた。


「ちっ、ここもかよ」


「清潔魔法、かける方が早い」


「清潔魔法だけじゃその汚れは取れんだろが!ちょっと待ってろ」


 ラルフは先程と同じく埃を出し、シャワー室を使えるようにした。蛇口をひねって水が出ることを確かめると、スイっと人差し指を動かす。見る見るうちに水が竜巻のようにうねって、床や壁を舐めていく。すぐに収まったそれを見て、オリビアは伸びた前髪の奥で目を見開いていた。


「高等魔法。なのに、用途が掃除…」


「ああ?なんか言ったか?」


 ぶんぶんと頭を振るオリビアに振るなと注意して、脱衣場に入れる。


「とりあえず、浴槽があったから、湯も沸かしといた。綺麗にしてこい。その間に部屋の掃除終わらせるから」


 バタンと閉められたドアを、オリビアは呆然と見ていた。



ラルフは綺麗好き…


「腐海の中で仕事しろってのか?お前も掃除してやろうか?」


Σ(゜∀゜ノ)ノヒィッ


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