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「ジオ、ルカを奥の岩陰に。ルカ、お前は隠れてろ」
手で指示すると、ジオは頷いたルカの背中を小突いて岩陰の方へ誘導していく。それを確認してから、寝るときに張った結界とは別の結界を張った。
「ここも結界を張っちゃいるが、時間の問題かもなあ」
巨大な水蛇2匹のお陰で増水した小川の周囲は水浸しである。どうやら喧嘩をしているようで、威嚇、攻撃を繰り返していた。
雨は先ほどから様相を変えて、滝のように降ってくるし、雷は鳴りやまないしで、周囲は騒然としている。
下を眺めながらラルフはぼやいた。
「できればご退散願いたいんだがなぁ…」
幸いこちらにはまだ気づいていないようで、ラルフは広げていた荷物をまとめる作業をしつつ、水蛇たちの動向を横目で確認していた。片づけ終わってジオたちの方に来ると、ラルフも隠れた。
「ラルフさん、ここ大丈夫かな」
「んー、どうだろうな。本当はここを離れたいけど、下は小川が増水、目の前じゃ蛇たちが喧嘩。滝のような雨で視界が悪くて雷は止まない。これじゃあ身動きとれねえよ。中々できない体験だけど。ジオ、やばそうだったら起こして。俺ちょっと寝るわ」
「フォン」
「ラルフさん寝るの?」
「何もできねえときは焦っても仕方ねえだろが。人間、休めるときに休むのが大切だぜ?」
そう言うと、ジオの横に転がる。
「ルカは寝るか?」
「僕は起きてるよ。今日はまだ魔力の練習してなかったから」
そう言うと、傍らで目を閉じて瞑想に入る。
重くなる瞼をそのままに、ラルフは意識を手放した。
「ふぇっくしっ。冷てぇ…」
「ラルフさん、大丈夫?」
「大丈夫に見えてたらお前の目は節穴認定だ」
「しっかし派手にやってくれたなぁ」
ジオに起こされたのがついさっきで、その数分後には、寝ていた所が跡形もなく潰されていた。少し離れた場所に移動し、下を見ると、水蛇たちの喧嘩は、まだまだ盛大に行われており、ルカとジオを庇ったラルフは全身濡れ鼠である。
「なんか、頭きた」
「ラルフさん、目が据わってる」
「ブフォ」
「ちょっと倒してくるから。ジオ、ここが危険そうだったら、道、上がれる所まであがれ。良いな?」
「フォン」
ルカをジオの背中に乗せると、ラルフは水蛇に向かって駆け出した。
ザバーーーン!!
《シャー!!》
「斬撃!」
2匹の間に切ってかかると、水蛇たちは止まって、敵を探すために周囲を見渡した。
「どこ見てんだよ」
言い終わらない内に1匹が地響きをあげて川に倒れた。それを確認することもなく、ラルフはもう一匹にも切り掛かる。
蛇の前方から体を駆け上がり、空中へと飛んだ。
《シャー!!》
口から出る水攻撃をヒラリと躱すと、ラルフはその喉に剣先を突き出す。
「斬撃!」
剣は見事に水蛇の喉に突き刺さり、絶叫した後に事切れた。
「さっさと喧嘩終わらせときゃ死ぬ事も無かったのに」
ラルフは何食わぬ顔で水蛇の喉元から剣を引き抜き、血糊を振り払った。倒れ伏した二体から素早く鱗を数枚剥ぎ取り、腰のポシェットにしまう。そうこうしていると、水蛇の口元からポロリと魔石が吐き出された。
水色のそれは、掌に収まるサイズで、雨の中でもキラキラと輝いていた。それらも回収して、上で待つルカの元に戻る。
「遅くなったな。少し雨も弱まったから、先を急ごう。とりあえず今日中に山を抜けたい」
そう言うと、ジオにまたがり、ルカを手前に抱える状態で、ラルフは手綱を握った。
辺りは雨のせいで、白くけぶり酷く視界が悪く、泥濘が酷い。
「ラルフさん、大丈夫?」
下から見上げてくるルカを視線だけ落として、ふと笑った。犬耳フードの上から雨具フードを着こんだルカは、まるでどこぞの人形のように可愛らしかった。
「大丈夫だ。昨日も言った通り、この辺には大きな魔物はいねーよ。さっきの蛇どもは例外だがな」
「そういえば、ラルフさん、さっき濡れてたのに乾いてる?」
「ああ、温風あてて乾かしたんだ」
「魔法ってそんなこともできるんですね」
「コントロールがいるが、慣れたら色々と楽だぜ?」
ゆっくりだが、確実にラルフ達は山を下りて行った。昼過ぎには雨も上がり、雲の間から光も見えだす。
「この辺りで飯食うか」
山道の途中に休憩用の山小屋があり、そこに立ち寄ることにする。山小屋の横には馬舎があり、そこにジオを繋げた。馬車が止まっており、誰か先客がいるようだ。
ラルフがルカを下ろして、山小屋のドアを開けると、中は暖かく、ロッジ風の小屋の中には、暖炉と毛布があった。暖炉の前には家族風の3人が何やら話をしていた。
「邪魔するぜ」
玄関では靴を脱ぐらしく、雨具をフックにかけ、靴を脱いで上がった。ラルフはルカの雨具も取ってフックにかけると、暖炉の方から声がかかった。
「やあ。君らは何処から?」
「ザドから来た。あんたらは?」
「私たちはこの先の村から、家族でザドへ行く途中だよ」
そう言ったのは、40過ぎの小太りな男性だ。
「行商か何かか?」
「いや、実は親戚の結婚式に呼ばれててね。けど、今日は朝から雨でここから動けなかったんだ。雨も止んだことだしそろそろ発とうかと話をしていたところだよ」
そういうと、三人は荷物を抱え、立ち上がった。
「雨は止んだが、道中気をつけてな」
「ああ。君たちも気をつけて」
それぞれ挨拶をして、三人は出ていった。少しして馬の嘶きが聞こえ、馬車が窓越しに過ぎていく。それを見送って、ラルフはふっと息を吐きだした。
「ルカ、フード取って良いぞ」
「え、でも、もし誰か来たら…」
「気配は分かるから、それまでは脱いでいていい。少し冷えたか」
ルカの冷たい頬に触れて、ラルフは荷物からコップを取り出した。何も入っていなかったのに、あっという間に水が満ちて、さらに湯気が上がっている。
ラルフが飲み物を用意する間、ルカは耳付きフードをそっと脱いだ。後ろで一つ括りにした肩に付くくらいの銀の髪が暖炉の火に照らされて鈍く光る。
ラルフはルカの髪を見るともなしに見ながら、蜂蜜と香辛料を入れてルカに差し出した。
「少しピリッとするが、体が温もるぞ」
「ありがとうございます」
ルカがそう言って一口飲むと、口の中に蜂蜜の甘さと、香辛料のピリッとした辛さが広がった。手に持ったカップでじんわりと温まる。
ラルフも同じものを作って、チビチビ飲み始めた。
「昼は堅パンだけだが良いか?」
「はい。そこまでお腹は空いてませんから」
そう言うと、ラルフは、保存用に硬く焼かれたパンを荷物から取り出し、一つはルカに渡し、もう一つは自分で食べた。硬いのでスープや飲み物につけ、ふやかしてから食べる。その様子を見て、ルカも同じように食べた。
「浸しても硬いですね」
「日持ちもするし、味もそこそこ良いんだけどな。よく噛んで食べろよ」
「街まではあとどれくらいかかりますか?」
「そうだな。2分の1は過ぎたから、急げば次の村に入れると思うぜ?そういや、ルカ、お前なんで敬語使ってんだよ」
「え?」
きょとんとするルカに、無自覚かよとラルフは呟いて、続けて言った。
「別に敬語使わなくったって良いんだぜ?むしろ、俺は口が悪いから、砕けた言葉使いで全く構わねーし」
「そういえば。何でだろ?」
さらに不可解とばかりにルカは顎に手を当てて首をひねっている。
「まあ、もしかしたら、昔からそういう言葉使いだった可能性もあるしな」
「ラルフさんは、嫌いですか?」
「いや、別に。まあ、よそよそしいってのは感じちまうけど、それだけだ。それに、そっち方が、対外的には印象が良いしな」
そう言って頭を撫でると、ルカは気持ちよさそうにされるがままになる。
「ふふ」
「楽しそうだな」
「僕、こうやって誰かと一緒に旅するの初めてだから。次はどんなところかなって」
「それこそ旅の醍醐味だな。所変われば人も変わる。国が違えば文化も変わる。
デヴォスは乾燥地帯で、砂漠が国の4割を占めてる。乾燥と高温をし凌ぐために、大体朝か、夕方が活動時間だ。そして向こうの飯はあまり旨くねえ」
「砂漠って何ですか?」
「砂だらけの土地のことだ。辺り一面砂。今周りにある木も、そのうち少なくなってくるぞ」
昼休憩をして、ラルフと共に出発したルカは、下へ降りるにつれて景色が変わっていくの驚きとともに見ていた。
ラルフは途中途中で襲ってくる魔物をその都度退治しては、素材を荷物にためていく。
「木が少なくなってきました」
「これからもっと少なくなるぜ。今は背の低い草も生えてるが、もうしばらくすると、地面がむき出しになってくるからな」
夕方近くに差し掛かって、西日が正面からあたる頃、石造りの城壁が現れた。
「ルカ、日没前に着いたぜ。ここがディスト。デヴォスの東にある村だ」
城壁には門があり、そこで通行人を検めていた。
商人や、旅人などがラルフ達と同じように並んでいる。ラルフはジオから降りて手綱を引き、ルカを乗せたまま進んでいく。
「こんばんは。身分証をお願いします」
ラルフ達の番になり、役人からそう告げられて、ラルフは胸元からギルドカードを提示した。
「冒険者ですか」
「ああ。こっちは俺の弟子だ」
「ご苦労様です。良い旅を」
すんなり通された門の内側には、あちこちでテントが張られている。土壁の低い家が軒を連ねて、ひしめいていた。ラルフがジオにまたがり、早足くらいで通りを進んでいく。
「ラルフさん、あの人たちは?」
「ああ、テント張ってるやつら?あいつらは商人とか、団体さんだな。宿が少ないからああやってテント張れる場所に陣取ってる。俺たちみたいな単独で行動している人間は大体宿だな。ルカ、これからギルドに行くけど大丈夫か?疲れてないか?」
「少し疲れてるけど大丈夫です」
「よし。じゃ、宿はあとで取るとして、先にギルドだな」
表通りは人でごった返しており、ラルフは裏道に入った。人通りはほとんどなく、こちらは馬専用といった感じだ。しばらく進むと、目の前に2階建ての建物が見えた。
ラルフは迷いなくそこまで行くと、ジオを建物の脇に繋げて、ルカを降ろす。ややふらついた為、ラルフは腕にルカを抱えた。
「うわっ、ラルフさん。僕大丈夫ですよ」
「フラフラしてて、よくそんなこと言えるな。まだ慣れてないんだから、お前は黙って甘えてろ」
あきれた様子でラルフに言われてしまえば、ルカも従わざるを得ない。そのまま、ギルドの中へと進んでいく。
入ってきた二人を見て、むさ苦しい冒険者たちは一斉に視線を二人に注いだ。その視線に、ルカはラルフの腕の上でオロオロする。
「ルカ、大丈夫だ。取って食おうなんて奴は殆んど居ねえし、居ても俺がぶっ潰すから」
「ラルフさんの方が物騒ですね」
「はは。冒険者なんざこんなもんだぜ?」
「こんばんは。御用をお聞きします」
カウンターへ行くと、受付らしい女性が笑顔で声をかけてくる。
「素材の換金と、何か、仕事が無いかと思って来たんだけど」
ラルフは荷物とポシェットから来る道中で集めた品々をカウンターの箱へ置いていく。
「ギルドカードをお預かりいたします。ラルフ・ジーン様ですね。ご希望の職種はございますか?」
「1週間ほど滞在予定なんだけど、村の中での用心棒とか募集ない?」
「素材の鑑定と募集の確認をしてまいりますので、しばらくそちらの椅子でお待ちください」
ギルドカートを返して、職員は素材の入った箱を持って奥へと姿を消した。
ラルフはルカを抱えたまま、椅子に座る。
「ラルフさん、僕椅子に座れます」
「そうか?」
そう言うと、ラルフは横の椅子にルカを降ろした。犬耳フードを装着していて、目元半分は隠れているが、それでも愛らしさは漏れるようで、近くにいた厳つい冒険者に話しかけられた。
「おっす。子連れか?」
「弟子だ」
「へえ、まだちっせえのに頑張るなあ」
「こんばんは。おじさんはここの村の人ですか?」
「おうよ。ここのとある宿で用心棒の仕事してるぞ。今日は休みだったんで単発の仕事をしてきたんだ。俺も換金待ちだぜえ」
男の言葉にラルフが反応する。
「用心棒やってるのか?」
「ああ、この先の花街でな。まあ、こっちの坊主にはちっと早いがな」
ガハハハと豪快に笑って、ルカの頭をポンポンと撫でた。大きな手の割に、触れる力は優しい。ルカは花街?と頭に疑問符を浮かべている。
「ラルフ様、お待たせいたしました」
丁度に呼ばれて、ラルフはルカの手を引いて、カウンターへ行くと、職員がなぜか目をキラキラさせてこちらを見ていた。
「あの水蛇の鱗はどちらで手に入れられたんですか?質も品も上等で、一枚につき3万で引き取らせていただきます」
「え、3万?」
「ええ。全部で4枚ですので12万ですね」
「おお。ラッキー。実はザドからこっちに来るときに遭遇してさ。倒した後すぐに採っておいたんだ」
「倒したのですか?お一人で?」
「ええ、ああ。俺しか居ねえしな。あいつらの鱗は時間が経つと硬くなって光沢もなくなるから、すぐに採ったんだが、良かった」
その後、他の素材と合わせて、しめて13万ちょっととなる。お金を少しだけ引き出し、後はカードに入れてもらった。
「用心棒の募集ですが、今は村の中での募集を行っていません。商人等、旅団からの要望はあっているのですが」
「ああ、なら、他の…」
「それなら、俺のところ来ねえか?」
「あ、さっきの…」
後ろから声をかけてきたのはさっきの厳ついおじさんだった。
「期間はどれくらいだ」
「1週間」
「ちょうど、仲間が休むってんで、人探してたんだ。丁度いい。来ねえか?」
「願ったり叶ったりだ。よろしく」
「おう、よろしく。俺はイシュマルだ」
「俺はラルフ、こっちはルカだ」
そういって、握手をする。その光景を見ていた職員が、良かったですねと声をかけ、その場を後にする。
ラルフ達はそのままイシュマルと共に、ギルドを出た。
「うわっ。そいつはヒュンメル種じゃねえか」
「ああ。来る途中、馬が必要で借りたんだ。すっげえ賢いぜ?」
「フォン」
当たり前だとでも言う風にジオが鳴く。それを見て、イシュマルは目を丸くした。
「気性荒くねえのか?」
「気に入らなきゃ叩き潰される可能性はあるよなあ。今のところ、俺らは大丈夫だけど」
ルカをジオに乗せて、ラルフはイシュマルの横を歩いた。すでに日は落ちて、辺りは松明の光が灯されている。ぼんやり浮かび上がる村の風景にルカはキョロキョロと見渡した。
「お前ら宿は取ったのか?」
「いや、まだなんだ。どこか良いところを知らねえか?」
「なら、俺が使ってる長屋に来いよ。ちょうど隣が引越して空いてるんだ。大家にも声かけるぜ?」
「1週間だけど良いのか?」
「大丈夫だ。空くより埋まった方が大家も喜ぶ」
そう言ってイシュマルは村の外れにある長屋へと二人を案内した。入り口傍の馬舎にジオを繋いていると、後ろで話し声が聞こえた。
ラルフとルカが振り返り見ると、長屋の入り口近くで洗い物をしていた老人が顔だけこちらを見て言った。
「イシュマル、遅かったじゃないか」
「おう、悪いな。あ、ラルフ、俺の母ちゃんだ。母ちゃん、冒険者のラルフだ」
「どうも」
お互い挨拶を済ませると、イシュマルは大家に話してくる。待ってろ。とその場を後にする。
「ラルフさんって言ったかね。うちのが迷惑かけたんじゃないかい?」
何を思ったのか、イシュマルの母親が心配そうに尋ねてきた。
「いや、俺たちはここに着いたばっかで、イシュマルには仕事と寝床を紹介してもらった。感謝こそすれ、迷惑なんか掛かってねーよ」
「それならいいがね。あの子は昔からけんかっ早くて。最近も村で騒動起こして、大変だったんだ」
「騒動?」
「ああ、実は…」
「母ちゃん、余計な話はするなよ。ラルフ、許可はもらってきた。一日5千で借りて良いって」
「本当か。助かる」
母親がなおも何か言おうとして、イシュマルが目で制したのをラルフは無言で見ていた。
イシュマルが案内した部屋は丁度角部屋で、ベッドとテーブルと椅子が置かれている簡素な造りだった。
「トイレは向こうの中庭の方のドアを出てすぐ右な。風呂はないから、村の公衆浴場を使うか、仕事場で湯をもらうかだ。水は井戸からくんで、この瓶に入れておく」
イシュマルから説明を受けながら、ラルフは頷く。湯は無いというが、ラルフは火魔法が使えるので問題ない。
「本当に5千で良いのか?普通なら1万はするだろ?」
宿の相場を言ってラルフはイシュマルを見ると、イシュマルは言った。
「実は大家ってのは俺が働いている花街のオーナーでさ。融通利かせてくれたんだ」
「なら、ありがたく使わせてもらうわ。で、用心棒の話だけど」
「明日から良いか?とりあえず、仕事の説明とか、オーナーに挨拶行ったりとかするが」
「ああ。よろしくな」
そう言って、玄関から見送り、静寂が辺りを包んだ。
「ラルフさん?」
ラルフの後ろで成り行きを見守っていたルカが心配そうに見上げているのに気づいて、ラルフはルカの背中に手を当てた。
「ルカ、とりあえず飯食いに行こう。話はそこでする」
長屋から一旦村の中心まで出ると、夕食時のためか、通りは賑やかだった。ルカの手を引いて、ラルフは一軒の食堂に入る。中はごった返して、酔っ払いの叫び声やら店員の注文を取る声やらで中々に騒々しい。
ラルフは丁度奥まった所の席が空いているのに気づいて、そこに座った。ルカは横に座らせる。
店員に適当に注文を済ませ、先に出てきた果実水で二人は喉を潤した。
「ラルフさん、あの、イシュマルさんって大丈夫なんでしょうか」
アツアツのグラタンをフウフウと息をかけて食べながら、ルカは思ったことを口にする。
「んあ?ああ。多分裏があるんだろうな。ルカは注意しとけよ」
突然の警告に、ルカは目を白黒させる。
「どういう意味ですか?」
「お前、花街の意味知ってんのか?」
「いえ」
「見目の良い女や男を好きものな奴らが買う場所だよ。つまり」
ラルフはルカの耳元で囁くように言った。
「お前が攫われる可能性が大ってことだ」
その言葉にルカはスプーンにのせた具をさらにこぼした。恐る恐るラルフの方を見れば、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「もともとお前は奴隷だった。見目も良い。ここの花街に売られていた可能性も大だったってことだ。フードは被っていても顔や表情は近くに寄れば分かる。ま、イシュマルも分かりやすくて良いっちゃ良いんだけどなあ」
そう言いながらラルフは大盛のスパゲッティをもりもり食べていく。
「長屋の代金も安くしといて後から利子追加とかありえるなあ。でもまあ、寄る予定の花街に用心棒としていけるのはありがてえ。ルカ」
「はい」
「あとでちょっとお前いじるけど、良いか?」
「いじるって何をです?」
「それは帰ってからのお楽しみ。冷める前に食っちまえ」
話に夢中で止まっていた食事をルカはちまちまと再開した。これから何が起こるのか分からないままの不安を抱えて、ルカはラルフを見上げる。
視線に気づいても、頭をポンポンとされるだけで、ラルフはこれ以上のことをその後は一切しゃべらなかった。
翌日、イシュマルと共にラルフとルカは、長屋からほど近い花街の門を潜っていた。朝のためシンと静まり返った通りを3人は歩いていく。
「ここだ」
そう言って案内されたのは、花街でも1,2の大きさを誇る娼館だった。入り口や廊下には屈強な男たちが用心棒として目を光らせている。
ルカは怖くなってラルフの手にしがみついた。若干の震えを感じ取って、ラルフは小さく握り返すと、ルカは安堵したようだ。
奥にある階段を上って4階に辿り着くと、そこは大部屋になっているようだった。イシュマルがドアの隣に立っている用心棒に話をつけると、ドアが開かれた。
中に入ると、大きなソファに座った女が、こちらをじとりと見ている。
「連れてきました」
「ん。お前は下がっていろ」
女の言葉にイシュマルはドアの外へと消えた。
「お前がラルフか?」
「ラルフ・ジーンだ。イシュマルに用心棒の話と寝るとこ紹介された。あんたは?」
「私はヘレナ。ここのオーナーよ。とりあえず前に座りなさいな」
女の言葉にラルフはルカの手を引いておとなしく座った。
「へえ。子連れかい」
「ああ」
「その子の顔を見せておくれ」
「見ていい気分にはなれねえと思うが?」
「どういうことだい?」
訝しげにヘレナが言うのと、ルカのフードが外れるのはほぼ同時だった。ルカの顔を見て、ヘレナがうっと顔をそらせる。
「な?」
「良いからフードを早う戻しゃれ」
そういうルカの額には大きな切り傷が斜めに深く貫いていた。昨日長屋に戻ってラルフがしたのはルカへの偽装だ。傷を幻影で作って顔に張り付け、髪の色もラルフと同じ緑にした。
ラルフは内心ニヤリとしながらルカにフードを被せる。
「まさかそんな醜い傷があろうとはな。イシュマルに騙されたわ」
「やっぱりなあ。こいつをここで売って、金にしようとしてたんだろ?」
「はぁ。あやつは減給じゃ。して、ラルフ。用心棒の話、どこまで聞いている?」
「仲間が休むから丁度いいってくらいだな」
「休む…言い得て妙じゃ」
「というと?」
「最近、少し見目が良い用心棒が消えている」
「消える?」
「最初はの、ただの仕事放棄じゃと思っていた。だが、すでに9人も短期間で消えるとな、さすがに放棄の方は考えづらくなったんじゃ。そこで、お前に依頼したい。奴らの行方を捜してほしい」
「報酬は?」
「お主は一週間の滞在じゃろ?」
「の、予定ではあるけど、まあ、内容次第じゃ延ばすことも可能だ」
「なら、この件が片付くまでとどまってくれるとありがたい。報酬はそうじゃの、日当1万。あとは出来高制じゃ。解決が早ければ早いほど報酬を上乗せしよう」
「そこから長屋代を引いてくれ。差し引いた分でその条件乗ってやる。そうだな、行方不明者のリストと、消えた前後でかかわった人物のあぶり出しを先にするか。リストはあるか?」
ラルフが言うとヘレナは鈴を鳴らした。奥のドアから使用人らしき人物が顔を見せる。
「ゾルダン、行方不明者の詳細等々、こやつに教えてやれ。ラルフ、これはゾルダン、私の側近じゃ。何か質問があればこやつに聞け。日暮れ前にはここにきて私に報告をしておくれ」
「分かった」
その後は、ゾルダンに連れられて奥のドアから廊下を渡りある部屋に通された。こじんまりとした内部には机と書物、そして書きかけの紙が置かれている。
「ゾルダンです。よろしく」
長身に、柔和な顔立ちをしているゾルダンは歓迎しているように見えた。
「早速ですが、こちらが9名の詳細です」
渡された紙にラルフは目を走らせた。ある特徴に気づいて眉を顰める。
「年は10代後半から20代前半まで。見た目痩身が多いな」
「はい。でも用心棒として雇ってますから、腕っぷしは悪くない人ばかりです」
「消えた場所は各々違うか」
前日の行動が分かる範囲で示されていたが、食堂で夕飯を取った後や、用心棒の仕事の交代後など、場所は違うようだった。
「近頃変わったことは無かったか?」
「うーん。私が知る限りでは…。あ、でも、ケルンは」
ケルンと聞いてラルフは紙を探す。
「ケルン、23歳。黒髪に青い瞳。180㎝、半年前から用心棒。今日から1週間前に失踪。性格温厚、か。こいつが何か?」
「いなくなる前、少しいらだっていたようだったんですよ。普段は穏やかな気性なのにどうしたのかと」
「ふーん…」
その日からラルフは、花街をうろついた。とりあえず、不明者の行動などを確認しているが、成果は思わしくない。
ルカはヘレナが預かるといって、部屋に置いてきた。傷を見て顔をそむけたものの、同情したのか、ヘレナはかいがいしくルカの世話をしている。
ルカも話すのが楽しいのか、気づけば懐いているようだった。その光景を思い出して、ラルフは頭を振る。
「いや、寂しいとかは無え。断じて無ぇぞ」
拾ってから今まで傍にいたルカが隣にいないことに違和感を覚えながらも、ラルフは頭を振り仕事に切り替えた。
昼過ぎになって、小腹が空いたラルフは花街にある食堂に顔を出した。中ではラルフのような用心棒や、小間使いたちがご飯を食べている。
カウンターに腰を落ち着かせると、肉野菜炒めの大盛を頼む。ほどなくして出てきたそれを、もしゃもしゃ食べていると、近くに座っていた用心棒たちがしゃべっているのが聞こえた。
「なあ、あいつも消えたんだってな」
「ケルンだろ?なんか、花に入れ込んでたらしいぜ?」
「うわ、マジかよ。俺らの給料じゃ、すぐ底ついちまうだろ?」
「それがさ、何か金貸しに脅されてるって話してたぜ?」
「え、じゃあ、マジで消されたんじゃ」
「さあな。お前も気をつけろよ」
怯える用心棒に目を向けながら、ラルフはお前じゃ攫う価値もねえよと心の中で思った。どうやら犯人は巨体には興味がないようだから。
「なるほどねえ」
食後ぶらぶらと街を歩き、ヘレナの娼館へと戻ると、すぐにゾルダンがいる部屋へと足を運んだ。
「金貸し…ですか?」
「ああ。ここいらで金貸しをしている奴を教えてほしい」
「ですが、よそ者には貸し渋ると思いますが」
ゾルダンはラルフが金を借りようとしていると勘違いをしているようだったが、ラルフはそのまま話を続けた。
「ケルンが金貸しに手を出した様子がある」
「そういうことですか。この花街に金貸しは二軒。東のラズ、西のヴァルです。見た目ラズは温厚、ヴァルは粗野ですが、内面は違うものと思われれます」
「どうしてそう思う?」
「私はヴァルに助けられたことがありますから」
とりあえずゾルダンに言われた場所に向かえば、ラズの店があった。白壁に朱塗りがテカテカと映えている。一見すると花街の他の宿や店と同じように見えて、細部には凡人が見ても分からない細工がされており、羽振りの良さが伺えた。
店に入ろうとすると、用心棒がラルフの前に立った。
「紹介はあるか?」
「いや。ちょっとラズっていう人と話がしたくて来たんだ。通してくれねえか」
「紹介が無いものは通せない。お引き取り願う」
威圧感半端ねえなあとラルフは半眼で男を見上げた。190㎝オーバーの筋肉お化けを見て、ため息をつく。諦めたかと用心棒が気を抜いた瞬間、ラルフは目の前から消えた。
「なっ」
姿を見失って、用心棒は辺りをキョロキョロと見まわす。しかし、既にラルフは店の中にいた。
中では業務にあたる人間たちが右往左往しながら仕事をしている。その間をすり抜けて、左にある階段に素早く身をねじ込ませた。
『ラズの店は正面入って左奥に階段があります。そこから2階に上がって一番奥にあるのが彼の執務室です』
ラルフがゾルダンの言葉を思い出しながら上がると、奥の部屋の前には用心棒が2人立っていた。
階段の横にある物陰に隠れていると、下から先ほどの入り口にいた用心棒が慌てながら駆け上がってきたのを確認する。
「おい、どうした」
「いや、こっちに侵入者が来ていないか?」
「は?いや、来てないが?」
「良かった。さっきラズ様に会いたいって奴が来たんだが、気づいたらいなくてよ。中に入られたかと思った」
「お前が慌てるからどうしたのかと思ったぜ。とにかく来てねえから安心しろ。それに、ラズ様なら今ヴァルの店に行っている」
それを聞いてラルフは元来た道を滑るように通って、表の通りに出た。
「行き違ったか。ヴァルの方に先に行けばよかった」
ラルフが一人ごちて、ヴァルの店の方へと足を向けた。
そのころヴァルの店では、ヴァルが渋い顔をしてラズの対応をしていた。
「お前いい加減にしとかねえと、そのうち天罰下るぞ?」
「相変わらずヴァルは頭が固いね。そんなだから私に勝てないんだよ」
温厚そうな顔に、鋭い瞳の奥を隠して、ラズは微笑んだ。
「勝つとか負けるとかまだそんなこと言ってんのか?とりあえず俺は手を貸さねえ。いくらお前が幼馴染でもな」
「はあ。ヴァル、せっかくこの私が頼んでるのに、酷いじゃないか」
「何度頼まれても同じだ。それに、そんな仕事をしなくても飯は食えてる」
「お金はいくらあっても良いじゃない。ねえ。お願い」
しなを作るラズに、ヴァルはため息をついた。8つ下のこの幼馴染は、ヴァルが女や子ども、弱者に弱いということを昔から知っている。上目遣いでウルウルと見られれば、ヴァルは頬が引き攣った。
丁度その時、側近のレイシスが来て、ヴァルの耳元に囁く。これ幸いとヴァルが立ち上がった。
「ラズ、帰れ。俺はこの件には手を貸さねえ。それと、男がしなを作っても、気持ち悪いだけだ。やめろ」
あとは振り向くことなく背を向けた。残されたラズは頬杖をついてむっとむくれる。それを冷たい目で見ながらレイシスはヴァルの後についてその場を離れた。
ラルフが通された部屋は一階の応接間だった。シンプルな調度品が並ぶその中に置かれたソファにどっと座り上を仰ぐ。しばらくそうしていると、ドアが開いた。居住まいを正して目を向けると、先ほどの青年と、30代と思しき人間が入ってきて、それがヴァルだと悟った。
「いや、助かった。俺がヴァルだ。ゾルダンの知り合いとか?」
そう言って向かいに座ったヴァルに、レイシスがお茶を入れて差し出すと、それを豪快に一気飲みして一息つく。
「俺は冒険者のラルフ。おっさんに相談したいことがあってきた」
そう言うと、ラルフはゾルダンからもらってきた、行方不明者のリストをヴァルに手渡す。
それに目を通したヴァルはちらりとラルフを見た。
「これは?」
「ここ数か月でヘレナの娼館から消えた用心棒のリストだ」
「…」
「そこに書かれていた奴の一人が金貸しを利用していた。どうやら花に夢中で、借金を作っていたらしい」
ヴァルは先ほどついたため息よりもさらに長いため息をついて、ラルフにリストを返した。
「たぶん、それの一端を担っている奴のことは知っている」
「ラズか?」
ラルフの言葉にヴァルはしばらく沈黙した後、ソファの背もたれに沈んだ。
「あいつは利用されているだけだ」
「利用ねぇ。なあ、ミラって女を知ってるか?」
「ミラ?ああ、花街一の娼館の…。彼女がどうかしたのか?」
「…あんたは何処まで知ってるんだ?」
「ラズが人さらいに手を貸している。その人さらいについては俺も詳しくは知らない。ラズが良いように利用されているのは分かっているんだがな。今日も手伝えと言ってきたが断ったばかりだ」
「なあ、その話、今度来たら乗ってもらえねえか?」
「は?何でだ」
「こちらにも事情があってな。今回の人さらい事件を利用しない手はねえと思う。それに、俺はさっさと解決して、北に行かなきゃなんねえ」
「北?」
「これも別件だけどな。俺はいろいろと巻き込まれちまう体質らしい」
苦笑するラルフに、ヴァルは考え込んだ。金貸しは信用が一番だ。それ以上でもそれ以下でもない。今手を貸していいものか、思案する。
「…いいだろう。何をすればいい?」
ヴァルの言葉にラルフは口角を上げた。
「え?」
「しばらく留守にする。ルカはその間、ヘレナのとこに泊まれな?話はつけてるから」
夕方、ヘレナに報告を終えて長屋に戻ったラルフとルカは、屋台で買ってきたご飯を食べながら話をしていた。言われた言葉にルカは俯く。
「でも」
ここ数日、別行動をしていたルカは、ラルフを心配していた。
「大丈夫だ。厄介ごとにゃ慣れてる。とりあえず、人さらいと思われる大本に潜入することにしたから、そのつもりでな」
「僕も行っちゃだめですか?」
「無茶言うな。巻き込むわけにゃ行かねえよ。お前は言うこと聞いて、俺の出してる課題をきちんとこなして待ってろ」
「本当に大丈夫?」
「心配すんなって。俺を信じとけ」
その2日後、一人の用心棒がヘレナの娼館から姿を消した。10人目の行方不明者が出たことに、周囲は騒然となる。