燃える桜
春になっても、近所の桜はつぼみのままで、変だとは
思っていた。毎年、あの桜を見てからが私にとっての
新しい季節の始まりだったからだ。
桜のある公園に、車が行きかう国道を挟んで、ドラッグストアが
ある。洗剤やシャンプーはそこで買っていた。もう桜が咲いたかと
目を向けてみても、一向に気配すらなく、ささやかではあるが
異常な現象と思っていた。
夜になると、春の陽気と冬の厳しさが混濁した空気がただよって、
気分がおかしくなる。ちっとも眠れずにおり、咲かない桜が
急に憎たらしくなった。午前3時の真夜中に、ジャージに着替えて
外へ出た。
公園に、ちんけなライトで照らされた桜の木。
「電気のムダ。」と独り言を吐いたまま、明かりを落とそうと
ライトに触れた。やたらと熱い。触らなければよかった。
右手が燃えている。「何で燃えてるの。意味がわからない」
気を失って、このまま永遠の眠りに入るのも悪くない。
それくらい嫌な気分だったが、桜の木に目をやると、つぼみが開いて
いく様子が見えた。音声加工したような声が聞こえる。
「今年は獲物がいなくて、枯れ果てるところだった」
「そうだね、夜が寒くてニンゲンが来ない」
「一人いればいい。枯れない方が大事。燃やそう」
桜の枝が言葉を話している。事情は分からないが、私を
犠牲にして栄養にするのだろうか。それは嫌だった。
咲かない桜にケチをつけに来たのに、ひどく屈辱的だ。
ぺちゃくちゃ喋る枝を無視して、木の幹に歩み寄る。
「こっち来るなよ」
「燃えちゃうからやめて」
私の燃える右手を、幹に当てると、太い声が響いた。
「頼む。そのまま燃えてくれ。光が必要なんだ」
「光なら、昼間に浴びれるでしょ。人を燃やさないと花が咲かないの?」
火の燃え移りに怯えるのを、冷静に抑えて事情を話してくれた。
「日の光では意味が無いんだ。人間が作る熱エネルギーには、
神秘的な力がある。夜ならそれだけを吸収できる。今年は
まったく人が来ない。足りない。枯れてしまう」