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狐狸の千年天下取り  作者: 日生
三章 百目巨人
8/13

1.死馬の行方

 馬捨て場というものがある。


 田畑を耕し、物を運び、人を乗せて、生涯を費やした馬を捨てる場所である。

 牛を捨てれば牛捨て場とも言う。


 死骸だけでなく、まだ生きていようが老いればそこへ捨てられた。

 人のほうにどんなに情があったとしても、働けぬ者に天命尽きるまで食い扶持を与える余地が、貧しい民草の懐にあろうはずもない。


 通りすがりの者が気まぐれにいいを撒き、そこで牛馬はほんのわずかの余生を過ごす。

 いずれ、捨てた者や施す者が進んで屠殺することはない。

 それが彼らなりの人情であり、慈悲であった。


 これまで苦楽を共にしてきた牛馬への情。また別に、落伍者たちへの慈悲である。


 牛馬の皮は諸事に重宝し、その肉を喰らわば腹も満ちる。

 よって馬捨て場には、浮世に喘ぐ者らが集まり、老いた牛馬を殺しては、皮を売り肉を喰らって生き延びていた。


 実は獣らも同じく慈悲にあずかっており、その中には狐狸も当然含まれるのだが、それはともかく。


 此度の話の始まりに、とある馬捨て場にて死骸を漁っていたのは、一人の憐れな男であった。




 その男、もとは何者であったか定かでない。

 男自身も、もはや忘れていただろう。白い蓬髪にも皺だらけの肌にも、長年の落ちぶれた日々が刻まれている。

 これより何者にもなれなくとも、今はただ生き延びるため、各地の馬捨て場から糧を拾い、どうにか食い繋いでいた。


 しかし、その日男が訪れた馬捨て場は、いささか奇妙な場所にあった。


 牛馬の死骸、あるいは老いたものが捨てられるのだ、馬捨て場とは村からそう離れた場所にはできぬ。

 ところが、その馬捨て場には不思議と近くに村が見当たらなかった。


 藪の中の窪地に、腐った死骸が乱雑に打ち捨てられている。


 よく見れば人の手足のようなものも死骸の狭間に生えている。それも一つ二つの数ではない。

 五十か百か、いやもっとか。


 肉や皮を取りに来て、獣に出くわし己が糧となってしまった浮浪者どもか。あるいは近隣在所の者が、合戦で死んだ武者でもまとめて捨てていったのか。それが証拠に鎧や刀も死体の山の中にある。

 あるいは、あるいは・・・。


 男とて少しも怪しまぬわけではなかったが、手つかずの新鮮な牛馬もそこにあればこそ、手を出さずにはおれなかった。

 なにせ、男はしばらくまともな物を喰えてない。さらには、ここから程遠くない場所に、皮を売るのにちょうど良い町がある。ここで稼がずどこで稼ぐか。


 夢中で馬の皮を剥いでいると、やがて日が暮れてきた。


 欲掻く者は、忍び寄る闇に気を留めなかった。

 それが最大の損であった。


 日暮れと共に、男の背後の土が盛り上がる。

 敷き詰まった死骸を押しのけ、巨大な手が大地を叩いた。


 何者か。

 振り返った男の目を、百個の瞳が見返していた。


 顔に、胸に、手に足に。


 体中の至るところ、人のような、馬のような、牛のような、大小さまざまな形の瞳が埋め込まれ、一様に赤く光っていた。


 そやつが身を起こせば、いかほどの高さになろう。

 男はその巨人の腰にも背が届かなかった。


「あ、あ、あ」


 叫ぶこともできなかった。これほどまでにおぞましく、醜悪なものは見たことがない。


 口の中が妙に酸っぱくなり、嫌な汗が出る。

 あぁ死ぬのかと男は思った。


「・・・今ぁ、何時いつか」


 すると巨人が口を利いた。

 男からは影になってよく見えぬが、目ばかりの顔にも口があったらしい。

 生臭い息が上から降りてくる。


「い、いま、いまか」


 どういうわけか巨人は襲って来ぬ。

 もしや助かる道があるのか。希望を持った男は必死に気を振り絞った。


「今はぁ、酉じゃ。日暮れじゃ」


 ちょうど山影に沈みきった日の、残光が西に見える。


 すると問いは続いた。


「キクリが死んでどれだけ経った」


「は?」


 今度は答えがわからなかった。

 キクリとやらを男は知らぬ。人の名だとしても、滅多に聞かぬ音である。

 

「どれだけ経った」


 巨人は問いかけながら迫り寄る。

 そのたった一歩で男は股の下に入ってしまう。


「十か、五十か、それともやっと百年か」


「し、知らん!」


 耐え切れず、男は喚いて逃げ出した。


 すると巨人は、


「そうかい」


 ぷつりと、片手に潰してしまった。

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