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狐狸の千年天下取り  作者: 日生
二章 蝦蟇坊主
6/13

3.二匹、まみれる

 雨はしとしと降り続く。


 心なし、田の蛙どもの声が大きくなってゆくようだ。


 黒雲の途切れた村の外では月が照っており、遠く東の空に顔を出したものが、わずかに青く雨滴を光らせていた。


 その時、ひたりと。


 山林の闇よりいづる影があった。


 ずんぐりと丸まった背。子供のように身丈は低く、あるいは老人が長い杖を突き歩いているようでもあった。

 蓑をかぶっている。

 その下に襤褸ぼろを巻いている。

 蓑から出ている手足の形は人に似ているが、指は四本きりで、弾力のある枯葉色の皮に包まれていた。


 尖った爪が真っ先に桶の蓋に触れる。


 すると影は風船のように膨れた喉を鳴らした。

 まこと、ぐぇぐぇ嬉しそうに。


 これぞ幻夜のおぞましきもの。

 千年妖、蝦蟇坊主。


 桶にはいつの間にやら子分の蝦蟇どもがへばりつき、大合唱をしていた。


「さあ出ておいで。今宵の嫁御」


 ゆっくりと蓋が開く。


 その隙間を目がけ、先に声が走った。


「ゆけ!」


 一瞬後、刃がまっすぐに蝦蟇坊主の膨れた喉を突く。


 さえの渾身の刃は、柄まで皮に突き刺さった。

 そこには短刀に化けた、いち子の勢いも乗っている。


「ぐえぇ」


 たまらず蝦蟇は悲鳴を上げた。しかし、断末魔というものではない。

 

 鳴いた拍子に蝦蟇の潰れた喉が再び膨れ、さえは弾かれ桶の中に尻もちをつき、短刀は高く宙に上がった。


「刺さらんか!」


 宙でいち子は変化を解くや、今度は己の帯から短刀を抜く。

 落ちざまに脳天を狙ったが、蝦蟇の杖で容易く切っ先を逸らされた。


 水溜まりに転げ、ついでに蝦蟇を数匹背で潰す。


「狸かや」


 一度刺された喉をさすり、蝦蟇坊主はじっとりと笑む。

 皮膚は油ぎってまこと厭らしい。

 いち子は何やらそれが異様に腹立って、間髪入れず再び坊主に斬りかかった。


 先日喰った悪鬼一口と違い、小坊主のような蝦蟇は非力に見えた。

 そのため、いち子はつい無謀になっていたのだ。


 殺気を湛えたその顔面に、とびきり大きな蝦蟇が張り付いた。

 桶に取り付いていたうちの一匹である。


「っ、なんやあ!」


 慌ててひっぺがしたいち子だが、気づけば脛に蝦蟇どもがへばりついている。

 しかも、足を振り上げ思いきり潰したとて、青い雨滴が死体に当たると、潰れた体が元通りになってしまう。


 払っても払っても、きりがなかった。


「ひっ! ばかっ、触んなあ!」


 素肌に張り付く蝦蟇は、いち子の半袴の中にも入ってくる。あるいは小袖の合わせ、後ろ襟の隙間を狙い、ぶよぶよした体をねじ込んでくる。

 いち子に気にする余裕はなかったが、桶の中に落ちたさえも、すでに蝦蟇にまみれて姿が見えなくなっていた。


 こうなればもう、千年妖を仕留めるどころではない。


「あ、あ・・・」


 必死に着物の端を押さえたとて間に合わない。ぬるぬると蝦蟇が肌を這い、そのおぞましさにいち子は涙目となっていた。

 蝦蟇などに弄られるならばいっそ、身を切り刻まれるほうが遥かにましである。


「良いのう、良いのう。何を企んでおったか知らぬが、狸娘もなかなかうまそうじゃあ。おぬしら、たっぷりほぐしてやれよぅ」


 両手を揉み擦り、蝦蟇坊主は満悦の顔である。

 

 とうとう腰を抜かして倒れたいち子の上に、その時、影がぼたりと落ちた。


 蛇である。

 それも一丈もある青大将であった。


 途端に子分の蝦蟇どもは泡を吐く。そうしていち子のもとから蝦蟇が離れると、その腿や胴に大蛇がからみついた。


「今度はうまく化けられたぞ」


 眼前にもたげた首が得意げに言う。

 いち子は起き上がるや、その首を掴んで力まかせにひっぺがした。


「早う助けい!」


「すまんすまん。つい見入っちまった」


 悪びれぬ蛇をいち子は力いっぱい蝦蟇坊主へぶん投げる。

 さすがの千年妖が逃げ出すことはなかったが、大蛇の姿にわずか恐怖は芽生えたのだろう、杖をいらぬほど大きく横へ振ってしまった。


 長い体は杖にからめとられたかに思えたが、そのすんでで蛇は小僧の姿に変わっていた。

 がら空きになった蝦蟇坊主の脳天めがけ、太郎が刀を振り下ろす。


 今度こそは弾かれない。

 坊主の頭の皮は薄く、刀身が骨にめりこんだ。


「ぐぅ」


 後ろに倒れかける千年妖へ、さらに太郎が迫る。

 しかし先に蝦蟇坊主は己の杖を引き寄せ、二股に分かれたその先から鉄砲水を放った。

 

 軽く吹っ飛んだ太郎を、すかさずいち子が横合いから腕を掴んで助け出す。

 鉄砲水は山を出で、遥か遠くの田んぼまで飛んでいった。


「仲間がおったかよ。しかも男か。つまらぬのう」


 脳天より血を流しつつ蝦蟇坊主が呻く。

 とはいえ、太郎といち子が優位にあるわけでもなかった。

 二匹の周囲には一度散った蝦蟇が再集結しつつある。どころか、もっと数を増やしつつある。


「いち子、畳みかけるぞっ」


「うんっ」


 蝦蟇が取りつく前に、二匹は駆ける。

 それぞれ得物は持っていない。いち子は蝦蟇にまみれた時に、太郎は鉄砲水に飛ばされた時に武器を失っていた。

 互いの爪は鋭いが、長い杖が相手にあっては届かない。しかもこの蝦蟇、水まで吹く。

 左右から同時に狙われたとて、術の得意な蝦蟇坊主は、水鉄砲を二つ放てば容易に退けられるのだ。


 ところが、千年妖は少々心得違いをしていた。

 この二匹、むろん相手を喰うのは当然として、目的がもうひとつ、術勝負を挑むつもりなのである。


 蝦蟇坊主が二つ鉄砲水を放つ直前、二匹は突如、一匹となった。

 

 走る途上で太郎のほうが刀に変じ、それを転げるようにして拾ったいち子が、下段から蝦蟇の腹を斬り上げる。


「ぐえ」


 あいにくそこの皮は厚く、うまく斬れなかったが、苛立った蝦蟇坊主はいち子を目がけ、鉄砲水を杖から放つ。

 ところが、今度はいち子が刀に変じてかわす。同時に元の姿に戻った太郎が尾の生えた柄を取り、またしても蝦蟇の脳天を殴りつけた。


「ぐうぅぅ」


 宙に飛び上がった狐を杖で突こうとしても、またもや刀に変じてかわされ、元に戻った狸娘が狐の刀で殴りつける。

 蝦蟇の視界は、今や地震なえのごとくにぐらぐらしていた。


「た、たまらん、たまらん」


のがすか!」


 背を向ける蝦蟇坊主を二匹は追う。

 だが、その頃にやっと手下の蝦蟇どもが追いついた。


 高く跳び上がって次々二匹の体にへばりつく。振り落とし、踏み潰したとて雨に当たれば蘇ってしまう。


「もう嫌やぁこいつらあ!」


 いち子はまた蝦蟇まみれになる前に、蛇に変じて太郎に巻きつく。腰から首もとまでを締め上げられ、太郎は非常に迷惑した。


「こりゃあ、雨を止めんと殺せんぞ」


 ひとまずいち子ごと木の上に避難し、着物に入り込んだ蝦蟇をつまみ出して、太郎は相も変わらず冷静に断ずる。

 足止めされている間に、蝦蟇坊主のほうも雨を浴びて傷が治りつつある。

 雨の中ならば己も手下も無限に蘇る。これこそ、この千年妖の最も手強いところであった。


「あの杖が水を喚んでおるのだ。あれを折ろう。それから殺す。あいつはなかなか斬れぬが、噂どおり組み打ちはそう得意でないと見た。二人がかりで時をかけりゃあ、殺せんことはない」


「うち、もう蛙にひっつかれるのはご免じゃっ」


「気張れ。俺らに退路はなかろ?」


「そんなん、わかっとるけど」


「わかっとるならやるぞ。終わったらいをを喰いにゆこうじゃないか。な?」


「・・・うん」


 蛇が元のいち子に戻る。

 二匹は太郎が木のうろに隠しておいた短刀を手に手に、気を入れ直し飛び降りた。


 蝦蟇坊主へ襲いかかる間もなく、大量の蝦蟇が二匹に覆いかぶさる。


 着物の端すらも見えない。

 どんどん、どんどん蝦蟇が積み上がり、このまま生き埋めにするつもりである。


「やれやれ」


 傷の癒えた蝦蟇坊主は、杖を振り雨ともにさらに蝦蟇を降らせる。

 千年妖からすれば、小蠅のように湧いた狐狸二匹。とっとと始末をつけてしまいたかった。

 

 ところが、蝦蟇坊主はその金目を急に、ぎょろりと回す。


 山をなす彼の手下ども。その中に尻尾の生えた者がいた。

 一つは茶黒。一つは赤茶。


 蝦蟇坊主はじっとり笑んだ。

 あの小憎らしい狐狸どもから、人の匂いがすることには気づいている。半妖であれば変化はうまくない。

 化けて隙を狙うつもりであったのだろうが、しくじったのだ。


 蝦蟇坊主はすばやく山に手を伸ばし、赤茶の尻尾をむんずと掴んだ。


「間抜けよの」


 そのまま喰ってやるつもりで大口開けて引き寄せる。

 すると。


「お?」


 目の前に持って来た蝦蟇は、よく見れば尻尾が二つ生えていた。

 茶黒と赤茶。

 それが左右に分かれ、これ見よがしに揺れていた。


 ――刹那。


 蝦蟇坊主の背後より影が伸び上がる。


「俺らの変化のしくじりは、五回にいっぺんじゃ」


 太郎の振るった短刀が、坊主の杖を真っ二つに斬り折った。


 すると降り続いた雨が止む。

 後は木の葉に残った露が零れ落ちるのみ。

 蝦蟇どもは皆、呆けて空を見上げた。


 そのうちに坊主の手を抜け出し、いち子は足を振り上げ手下の蝦蟇を踏み潰す。

 先の恨みを晴らすかのようである。

 潰れた蝦蟇は、二度と元には戻らない。


「タマぁ、よこせや」


 蝦蟇坊主はようやく悟った。

 人の匂いに紛れていた半妖二匹の妖力が、生来のものではないことを。


 間抜けた面はどこへ消えたか。

 二匹は悪鬼のごとき笑みを浮かべ、悪鬼のごとき怪力で、蝦蟇を滅多打ちに打ち据える。


 もとより狐狸にとって蛙は餌だ。

 千年過ぎて、蝦蟇坊主はそのことを思い出した。



 ――そうして夜明けの頃に。

 無残に頭を潰され、蝦蟇の妖魅は、とうとう死んだ。

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