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狐狸の千年天下取り  作者: 日生
二章 蝦蟇坊主
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2.二匹、便乗す

 さて、化け物破れ寺から山一つ向こうには、青田の広がる村があった。


 この頃は茎の中で穂のもとができ始め、百姓どもがそろそろ田の水を抜こうかとする時期であったが、山沿いのその村だけは、なぜか梅雨の黒雲が凝り固まり、鍋蓋のように頭上を押さえこんでいた。


 絹糸のごとき柔らかな雨が村へ絶えず降り注ぐ。稲は葉先まで水に没する寸前である。


 人の姿はなく、蛙ばかり八方で唱和していた。


 すると酉の刻、日暮れが迫る頃になると、にわかに泥だまりの畦道に、棺を運ぶ行列が現れた。


 人一人のための桶を神輿のように男衆が担いでいる。皆、陰鬱な面であった。


 彼らがこうして桶を運ぶは三度目になる。しかもこれで仕舞いとなるか定かでない。四度五度とまだ続くやもしれぬ。それでも、こうするより他にない。


 男らは桶を墓地でなく、木々に縄を張った山の入り口へ置き去りにした。


 楢の葉に溜まった雫が、時折、ぼたと桶の蓋に落ちる。あとはひたすらに蛙の声が響くのみである。


 しかし、よくよく耳を澄ませば、実は桶の中からさめざめと泣く女の声が絶えず漏れていた。それが雨音にそっくりであるため、外にいる者には届かぬのである。


 男らは桶の中身が生きていることを知っていた。だが、これから死ぬ。そのことは桶の中の女も先刻承知である。


 やがて、桶の蓋が乱暴に叩かれた。


 中で小さくうずくまっていた女は震え上がり、泣くのをやめる。


 女は、さえという名の娘であった。齢は十七になる。髪も眉も墨を溶かしたごとくに黒い、麗し娘であったが、なんの因果か桶に詰められ蓋を叩かれ脅されている。


 蓋を開ける勇気なぞない。己の指を噛み、悲鳴を上げぬだけで精いっぱいである。


 闇の中、黒々とした瞳を開き、これより現れる化け物を待ち構える。その後どうなるか、さえは知らぬ。いずれ、どうにもできぬ。この村の生殺与奪は件の化け物が握っているのだ。


 さえの尋常でない震えが桶を揺らす。


 それを物ともせずに、ゆっくりと、蓋が開けられた。


「お? 人が詰まっとった」


 まだ光の残る外の景色に、影が二つ。


 さえよりわずかに若げな小僧と小娘。いずれも間の抜けた面をしている。蓋は小娘のほうが抱えていた。


「ぬしはなんじゃ。ここで何をしとる」


 桶の縁に肘かけ、生意気そうに小僧が問う。

 さえはしばらく口を開けたまま、雨水を飲んでいた。


「あんた、顎はずれてしまわん?」


 小娘のほうがおかしな心配をしてくる。

 その頃に、さえはやっと己を取り戻すことができた。


「あ、あんたらこそ、なにぃ?」


「俺らか。俺は太郎、こっちはいち子という。聞いたからには覚えろよ。ぬしはこの村の娘か?」


「う、うん」


「なぜ桶に入っとる」


「いけ、いけにえ・・・」


 雨に打たれ続け、さえは寒さで口がうまく回らなかった。

 それでも太郎といち子にはぴんときた。


「もしや、ぬしは蝦蟇坊主への生贄か?」


「そう、そうよ。あんたぁ、知っとるの?」


 喋るうち、さえの声も目も潤んできた。さえには太郎といち子とやらが何者かはわからぬ。村の者、また近隣在所の者でないことだけ匂いでわかる。だがその間抜けた面二つが、奇妙な安堵をこの娘にもたらしていた。


「蝦蟇が、あんたをよこせ言うたの?」


「ううん、そんなん、うちでなくたって。奴は生娘が欲しいんじゃと。若い娘がうまいんじゃと。奴が満足したら、雨を止めてくれるんじゃと。うちでもう三人目」


「ははあ、そりゃ村の娘どもを喰い尽くすまで続くだろうよ」


 何が愉快か、太郎のほうはにやにやしている。

 いち子のほうも特に同情してみせるでもない。


「太郎、どないする?」


「使おう。いち子、ぬしが桶に入れ」


「またうちを囮にしよるか」


「そういや、ぬしは生娘か?」


「やかましっ」


 いち子が太郎をぶっ叩く。派手に飛び散る頭の雫を、さえは唖然と見ていた。


 しかし二人の話を聞くだにどうやら、小娘のいち子のほうが桶に入ると言っている。

 もしや代わってくれるのか。さえはにわかに期待した。


「あんたら、うちを助けてくれるの?」


 純朴なる村娘は天の救いと見たが、この二匹、あいにく人助けなぞする余裕はない。


 いち子が桶に足かける。

 底に詰まったさえの上へ、頭から落ちる途中に、その身を短刀へと変じた。


 茶黒の尻尾を柄に生やした抜き身のものが、さえの曲げた足に落ち、娘はたまらず悲鳴を上げた。すっかり二匹を人の子と思い込んでいたのである。


 尻尾はぴょこぴょこ時折跳ねる。それが娘には気味悪い。慌てて桶を出ようとしたが、立ち上がる間もなく、すでに太郎が蓋を閉めんとしているところであった。


「根性据えろ」


 わずかな隙間から口だけ覗かせ、太郎は村の娘へ言い含める。


「きっと刃を構えておれよ。蓋が開かばまっすぐに刺せ」


「まって、まって!」


 隙間へさえは必死に手を伸ばす。


「あんたらはなんじゃ、うちをのがしてくれんのか、どういうつもりじゃ」


「俺らは蝦蟇を喰らいに参った狐狸の半妖じゃ。悪ぃなあ、ぬしに化けて替え玉になってやる手もあるが、どうも俺らの変化はまだ半端でな、もしばれては互いに困ろう。よってぬしにはこのまま生贄を務めてもらいたい。なぁに、うまくゆけば生きて帰れようさ。ぬしが蝦蟇をきっちり刺し殺してくれりゃあ、な」


「まっ・・・て」


 太郎は自分勝手に蓋を閉じる。


 そこを己で開けて、飛び出す勇気は、さえにはなかった。もとよりそれがあれば、とっくにこんな村から逃げ出している。


「ええから早う、うちを構えい」


 再びの闇の中、刀になったはずのいち子が喋る。顔がないくせにどこで偉そうな口を利いているのか、さえには皆目見当がつかぬ。


「あのな、うちも太郎も化け物やけど、命がけじゃ。あんたも命がけじゃろう。運のなさはどうしょうもない。それでも生きていたけりゃあ、一緒に殺そう」


「・・・」


 喰うか喰われるか、死ぬか殺すか。

 刃はそれしかないと言う。


 諭され励まされ丸め込まれ、さえは尾の生えた妖刀を震える両手で握りしめた。

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