3.二匹、契る
満月からわずかに欠けた明かりの下、二匹は大妖の体を余さず開き、やっと分厚い舌の間から、珠を一つ見つけ出した。
大きさは一寸ばかり。
透明なガラス玉の中に、橙の光が揺らめいていた。おそろしく綺麗であった。
「んじゃあ、割るぞ」
崩れた御堂の前で小僧と小娘、向かい合って座り、小僧が地面に置いた珠に短刀を突き立てた。
ぱきん、と珠は真っ二つ。
互いに欠片を一つ取り、口の中へ放り込む。
さっそく胃の腑へ落ちれば、そこからじわりと熱が広がってゆく。
手足の先まで満ち満ち、小娘は鼻血を噴き出した。
正面の小僧もすでに血まみれである。
「ん、んっ」
「お、おっ」
おかしな呻きを上げて、二匹は熱がなじむまで、しばし地面を転げ回った。
やがて落ち着いてからは、元の場所に戻ってはあはあ肩で息をする。
「な、なんかすごいなこれ」
「う、うん。力が漲るって、こういうことを言うのやろうか」
「だろうよ。もう少しして、落ち着いたら変化を試してみるか。今なら十回と言わず、五回に一回はうまくいきそうな気がするぞっ」
「うちもっ。珠の話はまことやったんやねえ」
「なんだ疑ってたのか?」
「そう言うあんたは信じ切れとったの?」
「いいや」
小僧は正直であった。
しかしどんなに信じ難い話であれ、この二匹はそんな話にでも縋らねば、救われぬ者たちであったのだ。
「まあまあ、これで俺らも力を付けられることがわかったわけだ」
途端に小僧は景気よく、声の高さを一つ上げた。
「しかも俺とぬしとは幸いにも相性が良さそうだ。このまま共に天下一を目指すということで、ぬしも異存ないな?」
「うん、ええよ。あんたは狐らしく頭がうんと回る。うまくいかん時も慌てんもの、度胸があるんやね。うちは感心した」
「ふふん、まあな。だが度胸ならぬしもなかなかあるぞ。俺もぬしが気に入った。そこでどうじゃ、共闘の証に義兄弟の契りを結ばんか?」
「義兄弟? 番じゃなくて?」
「お? ぬしが良けりゃそうするが。いや俺もゆくゆくはと思っとった」
「えぇ・・・うちは狸で、あんたは狐やのに?」
「なぜ引く。ぬしが番と言ったんじゃろが」
「そうやけど」
小娘は渋い顔をする。
仕方なしに、小僧は折れた。
「まあ今は子をこさえる時でなし、義兄弟でも良かろう。どんな形であれ、ぬしとは絆を強めておきたいのだ」
「うん、ええよ、義兄弟になろ。盃は猪口でもええ? でも酒はないなあ」
もともと御堂の前に散らばっていた、無事な猪口を拾い上げるも、そこに注ぐべきものは、どんちゃん騒ぎをしていた妖の中に消えている。
水でも入れよかと、小娘が言ったところで小僧が再び短刀を取り出した。
「水よか、互いの血にせんか。血を酌み交わした兄弟じゃ。より繋がりが強くなりそに思わんか?」
「はあぁ、あんたは面白いこと思いつくなあ」
小娘も乗り気になった。
そこで小僧が先に指を切り、続いて小娘が同じ場所を切る。猪口の縁に指先を添え、血が溜まるのを待つ。
「なあ、先に名を決めんか」
待ちながら、小僧が言った。
小娘も小僧も、親にもらった名がすでにある。しかしそれは命を司る《真名》とされ、みだりに言いふらしてはならぬ決まりとなっている。なぜなら真名さえわかっていれば、死の呪いをかけることもできてしまうのだ。
よって小僧にも小娘にも、別の呼び名が必要である。
それも天下一の半妖として、世に広める呼び名である。
「わかりやすく、俺が太郎で、ぬしが次郎でどうだ。太郎次郎なら世の覚えも良かろう。こういうのは覚えやすいのが肝心だ」
「絶対嫌っ!」
小娘は断固、抗議した。
「次郎じゃ、うちは男になろうが!」
「だからこそ覚えが良くなろうよ?」
「嫌! それにあんたが太郎じゃあ、うちがあんたの下みたいじゃ! 子分みたいじゃ!」
「だって、ぬし、いくつだ?」
「五十」
「勝った。俺は八十。ぬしが下じゃ下」
しかし、小娘はこれに関してちっとも譲る気がない。
「三十年ぽっちでえばるなっ」
「ぽっちじゃねえだろ」
「五十八十と言うから差があるように聞こえるだけじゃ。うちが千歳の時あんたは千三十歳じゃ、ほぼ違わんやろっ」
「そら、そこまで生きりゃあなあ」
「生きるんやろう、うちらは」
ずいと小僧の鼻先まで迫る。
気を呑まれた小僧は、しかし間もなく得心した。
「――そうだな。よぉしわかった、だったら俺が太郎で、ぬしは、そう、いち子でどうだ。一番の《いち》じゃ。長女らしかろう?」
「いち子? ふうん?」
己の口でも繰り返し、小娘はふふと笑む。
「うん、ええよっ」
「んじゃあ、決まり。ぬしと俺とは上下なし、ぬしは俺の姉で俺はぬしの兄だ。義兄姉というわけじゃな。太郎といち子ならまあ、そんなに覚えも悪くなかろう」
互いに納得したところで、猪口に血が溜まりきった。
まず小僧が半分飲む。
続いて小娘が残りを飲み干す。
真っ赤な唇を互いの耳に寄せ、己の真名を囁き合う。
これで契りは交わされた。
「まずは千年よろしく」
血濡れた笑みを浮かべた二匹の名が、天下に隈なく轟くは、ここからまだしばらく先のことである。