2.二匹、狩る
「あそこが《一口》の寝床じゃ」
天の高きに日のある時分、小娘は山中の破れた御堂へ、小僧を案内した。
昨夜は運悪く、酒盛りをしていた妖らの傍を通ったがため、肴として追われる羽目になった小娘である。
御堂の前には、やれ酒瓶やら猪口やら、人骨やらが散らばっていた。御堂の中からは、一口の豪快ないびきが聞こえる。
骨は子分の骸骨どもである。日中で妖力が弱まり、元の亡骸に戻っているのであった。
一口は千年間もあらゆるものを喰らって生きる大妖だが、その子分の力は大したものでない。
「一口は意地汚くて頭が悪い。千年妖の中じゃ、まだ倒しやすい部類だ」
小僧は小娘にそう語っていた。
おぞましき妖の中にも高貴卑賎の区別あり、力強く高潔な魂を持つ妖のもとには大勢の有能な子分が集い、力ばかりの者にはろくな子分が来ぬ仕組みとなっている。
かくいう小僧と小娘は、子分にすらしてもらえぬ下の下の半端者。
「妖であり人であり、妖でなく人でない。俺らの利点は、昼と夜とで出せる力が変わらぬところだな」
山木に絡んでいた藤蔓で、御堂の前の骨を集めて縛り、小僧は得意げに言った。
日中の内に子分どもを縛って遠くへ埋めておき、永久に手出しをさせぬ算段だ。
「昼も夜も起きとったら眠いけどねえ」
明け方に少し休んだだけの小娘は、骨を縛りながらあくびする。
それ見て小僧は笑っていた。
「これから千年妖と戦うというに、ぬしは暢気者だな。さすがは狸だ」
「あんたは眠くないん?」
「眠い。が、あくびしとる場合でないぞ。これから深ぁい穴を掘らねばならん」
骸骨どもを遠くへやった後、二匹は川で拾った板切れを使い、御堂前にせっせと穴を掘り始める。
小僧の作戦では、この穴に寝惚けた一口を落とすという。動けぬところを上から矢だの刀だので、死ぬまで突き刺すのだという。
武器の類は、あらかじめ小僧がいくらか人間の合戦場で拾っていた。
貉の穴に隠してあった数打ちの刀を、今は小娘ももらって袴の帯に差している。
しかしその作戦は良いとして、大きな妖をすっかり落とせる程の穴を、掘るのは一苦労で済まなかった。
「穴なんか掘らんでも、寝てるとこを刺したらいけんの?」
「殺せぬうちに起きたらどうすんじゃ」
「ほうか、ほうじゃなあ」
小娘はあっさり納得した。半妖は人より怪力であるが、武芸者ではないのだ、確実に仕留められるとは限らない。
「板っきれじゃ掘りにくいなあ。あんた、鋤にでも化けられん?」
「やってみよう」
板切れ放り、ぴょんと小僧は飛び上がる。
瞬く間に姿が変わり、再び地に着いた時には膝から下が丸太棒になり、あえなく転んだ。
「削ってやったら鋤になりそうやな。胴体は切る?」
「待て待て、もういっぺんやってみよう」
「無理せんでええよ」
「これでも十回に一回は成功するんだ。あと九回失敗すりゃうまく化けられるかもしれん」
「無理せんでええよ」
諦め、地道に穴を掘る二匹。
やがて三丈も掘れたところで、くたくたになり、もう良かろうということにした。
日はすでに西に傾き、あと数刻で暮れる。いよいよ時が迫っていた。
小娘は御堂の遣戸に、そろりと手をかける。
ちらと後ろを窺えば、弓を構えた小僧が穴の傍で力強い眼差しを送ってくる。
「これでうちが喰われたら恨むけん。覚悟しいよ」
「心配すんな。口ん中飛び込んででも助けてやる」
今はその言葉を信じ、小娘はおそるおそる遣戸を開けた。
薄暗い御堂の中、大の字になった一口がいびきをかいている。
頭だけで小娘の倍はあり、投げ出した体と大きさが同じ。
たった二頭身、されど全体が御堂の壁を突き破るほど巨大。
しかも全身、血を浴びたように真っ赤であった。
呼気からは酒と腐った血の匂い。半妖の小娘でも吐きそうなほど臭い。
小娘は袖を鼻にあてがいながら、右足を伸ばし、一口の鼻先をかすめた。
途端、ぐわりと真っ赤な口が開く。
素早く身を翻した小娘の匂いを追って、ばくん、ばくん、と口を開けたり閉じたりし、寝惚けた大妖が御堂を這い出る。
そして小娘が必死に穴を飛び越せば、一口はあえなく底へと落ちた。
「よっしゃあ!」
喜々と小僧が穴へ向かって矢を放つ。小娘も同じく弓を拾ってつがえた。
ここにも狐の悪知恵が働き、鏃には毒が仕込んである。それも何種類もの毒草を狐の唾と糞尿で捏ねたもの。大妖とてたまらぬ攻撃だ。
しかしここで思いも寄らぬことが起きた。
二匹の放った矢は、一口の石頭にことごとく弾かれたのである。
「な、なあ、どうすんじゃあ? これ」
「か、刀じゃ、刀で刺そう」
うろたえながら今度は腰の刀を抜くが、やはり石頭には刺さらない。では体のほうをと狙っても、大き過ぎる頭が蓋となっており、矢でも刀でも届かない。
痛くも痒くもないのか、一口は穴の底でいびきをかいている。
一方の二匹の顔色は、凍った湖よりも青ざめていた。
「・・・なあ、逃げよ?」
「いや、ここまでしてもったいなかろうっ。待て、待て、今考える」
真っ先に小娘は怖気づいたが、小僧は諦め切れていなかった。
間もなく、妙案思いついたと言って小娘の手を引っ掴む。
「重い岩でも入れて押し潰してやろう! 手伝え!」
二匹は近くの谷底から、なるべく大きな岩を見繕い、えっちらおっちら運んで穴に投げ入れた。
ついでに穴を掘り上げた際の土を隙間に流し、駄目押しとする。
埋められた穴から、はみ出た岩の角が生え、二匹はひとまず額を拭う。
辺りはすでに薄暗くなっていた。
「これで死ぬのを待とう」
「いつ死ぬん?」
「わからん。明日の朝までこのままだったら死んでんじゃないか?」
「こんなんで死ぬんやったら、千年妖も大したことないねえ」
小娘がのんびり言った。そうして油断をすれば、事が起きるのが世の常である。
西に日が沈みきるやいなや、岩が跳ね飛んだ。
泥まみれの真っ赤な妖が、地の底から這い上がる。
「全然死んどらん!!」
「射れ射れ! いいから射れ!」
半狂乱で小僧も小娘も弓を引く。しかしそのどれも、固い筋骨に弾かれ刺さらない。
「おどれら、なんじゃあ?」
大妖の口からは、怒りが煙となって噴き出していた。
その呼気だけで二匹は気を失いかける。
だが、相手は一口でなんでも喰らってしまう化け物だ。動きを止めれば命はない。
二匹はぱっと左右に散った。
抜き身の刀を携え、縦横無尽に御堂の周りを逃げ回る。
さしもの一口も、ばらばらになられては一口で喰えぬ。
そこで大妖は大足を振り上げ、どん、と地を揺らしてみせた。
軽い二匹は毬のように転げる。
それを素早く一口は両手でつまみ上げ、二匹を大きな黄色いぎょろ目の前に持って来た。
「おう、一匹はゆうべの狸娘でないか。もう一匹は、どれ、ふぅむ、こいつは狐じゃな」
小僧の体に鼻を押し付け、大妖は嬉しそうに言う。
「やれやれ健気な子らよ。わしに喰われに来おったか。良いぞ、今すぐ喰ってやろ」
「させん!」
赤い地獄が広がるその前に、鼻を押し付けられていた小僧が、刀を穴に突っ込み斬り上げた。
「ぎゃあ!」
と叫んだ拍子に手が外れる。
着地した小娘は、すかさず大妖の腹を刀で斬りつけた。
しかし皮が薄く切れただけ。血も出ない。腿や胸を斬っても同じこと、むしろ刀のほうが刃こぼれした。
「離れろ!」
遅れて落ちた小僧に腕引かれ、下がったところに牙が刺さった。
鼻血を流し、怒り心頭の大妖は、土を食んでなお募る憎悪を二匹へ差し向ける。
地を揺らして襲い来る者から、二匹は御堂の床下へ辛々逃げ込んだ。
「あいつ体のほうも刃が通らんっ。どうすりゃええの?」
小娘は半泣きの声を震わせている。
床下に潜れぬ大妖は、御堂自体を食みながら二匹へ迫っていた。
しかしその中で、小僧は冷静に策を練っていた。
小僧は生まれた時から母に命を狙われている。危機はもとより小僧にとって身近なものだ。
「なあ、あいつ中からなら刺せるかもしれんぞ」
「え?」
小僧は両手にしっかり、刀を握る。
「奴が来たら刀を立てろ。怖かろうが逃げるなよ。逃げれば死ぬぞ。俺を信じろ」
信じろと言われたとて、昨日今日会ったばかりの相手である。
しかし小娘は言ったのだ、天下一の半妖になると。
そうすれば、死んだ優しい母も浮かばれよう。父に目に物見せてやれるだろう。
ならば、逃げてはならぬのだ。
小娘もまた、刀を強く握り直した。
途端、二匹を隠していた床が吹き散らされる。
暗中でも真っ赤な大口が、頭上に覆いかぶさった。
二匹は刀を抱え込んで、まっすぐ立てた。
口の中に入ると同時、二本の刃が裏から妖の上顎に刺さる。
おぞましき咆哮が喉の奥から発せられた。
それに弾き飛ばされ、二匹は涎まみれで投げ出される。口内で叫びを聞いたせいで、頭がくわんと揺れていたが、すぐ持ち直し敵を見やった。
黄色いぎょろ目から、ちょうど二本の刃が生えている。
しかし、死んでいない。
視界を奪われ、瓦礫に突っ伏しながらもまだ死んでいない。
「お、ど、れ、らぁ・・・っ」
目から鼻から口から、とめどなく血を垂れ流し、呪詛を吐き散らす。
それでもうまく立ち上がれぬらしい。
とどめを刺すなら今しかない。
小娘は矢を持って、小僧は一本だけあった短刀を抜き、首や頭、脇腹を刺すがやはり、通らない。伏せているため心の臓は狙えない。いずれにしても刃は通らぬだろう。
「死ねっ、もう死んでくれ!」
小娘は必死に大妖のつむじへ、願うように何度も矢を突き立てた。
こうしている間にも、一口は立ち上がろうとしている。
あの大口がまた開けば、今度こそ小娘も小僧も喰われる。
その時、ぐっ、と大妖の体が大きく持ち上がった。
「俺を使え!」
やおら小僧が飛び上がり、宙で身を変じるや、斧となって小娘の手元に落ちた。
柄からは狐の尻尾が生えていたものの、今度はまともに斧である。樵の持つものより大きな、刃広の戦斧であった。
小娘は両手で掲げ、一息に大妖のつむじへ振り下ろす。
がつん、と固い骨に当たる音。
一撃、二撃と叩きつけ、かち割ったところへ最後の一撃を振り下ろした。
ぐじゅん、と中身が潰れた。
飛び散った血や肉片が小娘の顔を塞ぐ。
大妖の身は一度跳ね、それから二度と、動かなかった。断末魔の叫びもなかった。
小娘が大妖の頭から降り、斧を放すと小僧が元の姿に戻る。
そちらも全身が真っ赤に染まっていた。
「勝った・・・? うちら勝った・・・?」
小僧は、ぐいと口元の血を拭い、震える小娘に応えてやった。
「ああ勝った」
小娘は両の目を拭う。
「あんた、すごいね。変化うまくいったね。十回に一回じゃ言うてたのに」
「よくよく数え直せば、あの鋤の失敗で前のとあわせて九回目だった。十回目ならしくじらん。まあ尻尾は出ちまったがな」
己で笑い、小僧は涙が止まらぬ小娘の肩を、そっと抱き寄せた。
「ちっと川で身を洗おう。それから珠を一緒に喰おう」
「うん・・・なあ、珠は体のどこにあるん?」
「さあ、開いてみぬことにはわからん」
「金玉にあったら嫌やなあ」
「良いじゃないか。ちょうど二つある」
「嫌やあ・・・」
弱々しく、小娘も笑った。