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狐狸の千年天下取り  作者: 日生
一章 悪鬼一口
1/13

1.二匹、出会う

 これは海のどこぞに浮かんでる、ちんけな島国でのお話。




 ある満月の夜、人里離れた山中を若い娘が全速力で駆けていた。たった一人、裾を腰まで端折った小袖に半袴、足元は草鞋で他にろくな装備もない。

 はたからは、なぜこんな小娘が真夜中にこんな場所にいるのか、まるで見当もつけられない。


 しかし今、小娘のほうはそれどころではなかった。走る合間にちらと後方を窺えば、月明かりが生い茂った木の葉をすり抜け、無数の追手を白く光らせる。


 その正体は骸骨だ。ボロ衣をはだけた骸骨が、喧々鳴きながら小娘を追っている。


 肉も筋もないくせに、骸骨どもは異様に速い。しかし負けぬ速さで小娘も駆ける。その腰元からは、太い何かがぴんと伸びていた。

 もし夜目の利く者がよく目を凝らして見たならば、それが獣の尻尾とわかるだろう。


 小娘は見上げた健脚だったが、すでに亡者となり体力底なしの骸骨どもが相手では徐々に差が縮まってゆく。やがて骨の指が、後ろに流れた小娘の髪先を絡め取った。


「捕らえた!」


 獲物を引きずり倒し、骸骨が嬉々と叫ぶ。

 途端に小娘の丸い眼が尖り、間髪入れず右手を思い切り骸骨の細腕目がけて振り上げた。


「やかまし!」


 ぽきんと軽く骨が折れ、ついでに爪に引っかかった骸骨の着物の端も一緒に裂けた。

 小娘は一旦逃れたものの、足を止めてしまったせいで、骸骨に囲まれてしまっている。


「このっ・・っ」


 忌々しげに小娘が呟いた時。

 満月を覆い隠す、真っ赤な大口が頭上に現れた。


 開けた口があまりに大き過ぎ、小娘にはその化け物の顔も体も見えない。

 丸呑みされる――

 覚悟も絶望もなく、動かし難き結末だけが迫っていた。


 ところが、小娘のか細い命は皮一枚で繋がった。

 突如闇から伸びた手に、尻尾を引っ張られたのである。


「ぎゃん!」

 

 と鳴いた小娘の鼻先を、化け物の牙がかすめた。


「こっちだ!」


 正体のわからぬ助っ人に今度は腕を掴まれ、共に茂みに飛び込んだ。

 伏せた場所には、おそらく貉あたりが掘った穴倉があり、こっちこっちと急かす助っ人に背中を押され穴に潜る。

 どうやら助っ人も小娘と同じくらい小柄らしく、自分も後から穴に潜り、入り口を用意していたらしい草叢で覆い隠した。


「しー」


 と助っ人に言われぬでも、小娘はうつ伏せた体勢で息を殺している。

 地上からは、どこじゃどこじゃと煩い骸骨どもの声がする。


「なんじゃ、逃げられたか」


 中でも恐ろしげな声音が一つ。小娘の肝を縮こませる。

 先ほど丸呑みしようとしてきた化け物だ。獲物をなんでも一口で食ってしまうから、そのまんま《一口》とあだ名されている。

 手下の骸骨どもを操って、たまたま通りかかった小娘を追わせていたのである。


「狸、喰いたかったのによぉ」


 しばらく一行は粘って辺りを探し回っていたが、月の傾きを見ては諦めることにしたらしい。

 しょんぼりした声を残し、気配は遠のいていった。


 用心深い二人が穴倉を出たのは、それから四半刻も経った後のこと。


「あんた誰じゃ?」


 地上に出てまず、小娘は助っ人に訊いた。

 月光に見えたのは、同じ年頃の小僧である。胸元開けた直垂に括り袴、草鞋を履いた手ぶらの小僧。赤茶の髪と同じ色の、ふさふさした太い尻尾を腰に生やしていた。


「そう言うぬしは狸か?」


 小僧は、小娘の茶黒の尻尾を指して訊く。

 声は何かを期待するように弾んでいた。


「そうじゃ。あんたは狐じゃろう」


「いかにも。狐の半妖だ」


「半妖?」


 小娘は丸い目をさらに丸くし、興奮した調子で己を指した。


「うちも半妖じゃ! ととが妖狸でかかが人!」


「んじゃあ、俺とは逆だ。俺はかかが妖狐でととが人。だが変化のへたくそ加減は俺と同じだな」


「ほんになあ」


 小娘も小僧も自然に顔を綻ばせている。

 長命にしてあらゆる術を操る妖と、短命にして非力な人間との混血児に、二人とも出会うのは互いが初めてであったのだ。


「狐でも変化が下手になるんやね。やっぱり人の血のせいなんやろか」


「そら、そうだろう。人の血で妖力が薄まっとるんじゃ」


「やっぱりなあ。うちは変化苦手じゃ、どうしても尻尾を隠せん。ほじゃけん、町におれんくて、山におったら怖いのに見つかってもうた」


 ぷるりと小娘は身を震わせる。


「そういう時はな、腰に巻き付けて帯じゃと言い張れば良いのよ。俺はそれで町に行っとる」


 急に兄貴風を吹かせ、偉そうに小僧は教えてやっていた。


「そんなん、すぐばれように」


「人が多いところは案外ばれんぞ。世の中にゃ色んな者があるからな、皆いちいち気にしておらんのだ」


「そんなもんか?」


「そんなもんじゃ。ぬしは町に行ったことがないのか?」


「ないことは、ないけど」


 小娘の歯切れが悪いのは、少々昔のことを思い出したためである。


「うち、かかと二人で暮らしとったんじゃ。ととは故郷の妖狸どもの総大将やったけど、半妖のうちを迎え入れてはくれんかった。ととの他の奥さんや、兄弟たちがうちを気持ち悪がるの。かかがうちを育ててくれたけど、人にも気味悪がられるけん、うちらは山小屋で暮らしとって、たまに用事で里に下りるといつも嫌な目に遭った。ほじゃけん、うちはあんまり人のおるところが好かんの」


「ふうん? その辺も俺と逆だな」


「そうなん?」


「俺はなるべく妖のいる山にいたくなかった。かかに見つかると喰われるから」


「なんで?」


 小僧は飄々と仔細を話す。


かかにとって人は食い物なんだ。ととのことだって、まぐわいながら喰っちまったらしい。生まれた俺のことも大きくなったら喰うつもりで育ててくれた。間一髪で逃げたけどな、今もまだ追われとる」


「ははあ、おそろしいかかやねえ」


「そらなあ。千年も生きとる妖狐じゃもの」


 小娘がまた震える。

 それ見て小僧は恐怖を払拭させるよう、殊更に声を明るめた。


「どうせ半妖に生まれるなら、俺も狸の親が良かったな」


「なんで?」


「金玉でかくなろうが」


 すこぶる下卑た顔をする。小娘は怖いのを忘れ呆れてしまった。


「ぬしのととは何畳じゃ?」


「知るか。金玉ばっかでかくてなんになる」


「そら、色々と得になろう。ぬしは雌に生まれて残念だったな。でも乳袋がでかいから良いか」


「やかましっ、見るなっ」


 片手で乳を押さえ、もう片手で小僧の顔を押しやる。

 それから小娘は気がついたのだ。


「あんた、山におるのが怖いのだったら、なんでここにおるの?」


 小僧は待ってましたとばかりの笑みを広げた。


「俺はあるものを喰うために来たのだ。なあ、ぬしは《たま》を知っておるか?」


「金玉か?」


「一旦忘れろ。知らんのなら教えてやろう。あのな、《珠》というのは《千年妖》、千年を生きた妖の体の中にできる、妖力の塊のことだ」


 そんな話を聞いたこともなかった小娘は、興味をひかれ、小僧のほうへ身を乗り出す。


「要は珠を喰えば妖力を高めることができるんだ。つまり、強くなれるということだ。こうして妖から逃げ回ったり、変化の下手さを嘆かなくて良くなるということだ」


「へえ? でも、どうやって喰うん?」


「千年妖を殺して珠を奪う」


「無茶言うなあ!」


 乗り出していた身を、小娘は一気に引いた。


「うちらは半妖じゃ! 半分人じゃ! 千年妖どころか生まれたての妖よりも弱かろう!?」


「だから、ぬしと俺とで組もう。一人よか二人いりゃあ、なんとかなるだろ」


「なるかあ!」


「標的はさっきの《一口》だ。ぬしは目を付けられておろう? どちらにせよ、殺しておいたほうが良かろうが。なあ聞け、要はやり方だ。弱い俺らのやり方で戦うんじゃ」


 絶対逃がすまいと小娘の細い肩を鷲掴み、小僧が詰め寄る。


「ぬしは悔しい思いをしたことはないのか。妖からも人からものけ者にされ、いつも怯えて陰に生きとる。情けなくはなかったか。やるせなくはなかったか」


 小娘は途端に押し黙る。何も言い返せないのだ。


「妖であれば、逃げ隠れてでも千年生きさえすれば力が手に入ろう。だが人の血が入っとる俺らは千年も生きられん。いっても二百年が良いとこだ。逃げ隠れておっても望む力は手に入らん。千年妖どもを皆殺し、その力そっくりいただこう。そうすりゃ晴れて俺らの天下だ!」


「うちらの・・・?」


 わずかにあった反応に、小僧はさらに勢いづく。


「俺とぬしとで天下を取ろう! な? な? 俺のかかも殺して喰らってやる。ぬしも、ぬしをないがしろにしたととを殺せ。それから二人で千年も万年も生きよう」


 小僧の語りは、小娘にとっても夢のようだった。

 まるで実現しそうにない。狐の化かし手のようである。


 しかし、このまま怯え暮らしてなんになろう。小娘の大事だった人間のかかはとうに死んでいる。

 妖の子を身籠ったけがらわしい者として、石を投げられ続けた人生だった。

 望んで身籠ったわけでなしに。小娘とて望んで生まれたわけでなしに。


 そう思えば、山より高く怒りがせり上がる。

 小娘はたくさん嫌な思いをしてきた。これ以上、何に耐えねばならないというのか。


「・・・ええよ」


 小娘は肩を掴む小僧の手を取った。

 気の抜ける丸い瞳に、野心を燃やして。


「天下一の半妖になったろうよ!」


「おうよ!」


 ちんけな二匹、月の沈んだ宵空へ、身の程知らずに吼え立てた。

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