09 禁じられた恋
泣くのはもうやめた。
泣いたところで手に入るものはなにもない。
どれだけ泣いたところで失ったものは戻らない。
元の生活には戻れないのなら、新しい生活のために動き出さなければ。
クレゾンと結婚することはできないと、かなり昔から両親に言い含められていた。
相手は男爵といえど貴族。そして我が家はどれだけ貢献しようとも庶民。
両者の間にある階級はそう簡単に覆すことのできるものではない。貴族には貴族のルールがある。婚姻を、ただ家族を増やす行為としか考えていない庶民には立ち入ることのできないルールがあるのだ。
しかしそれをステラは理解できなかった。
結ばれたい相手と、どうして結ばれてはだめなのだろう?
そしてそれをクレゾンも理解してくれた。
なにか策がないのかと考えていたところで出会ったのが、森の吸血鬼だった。
森の吸血鬼は約束したのだ。
捧げ物をすれば、自分たちを吸血鬼にしてくれると。
だから捧げた。
二人の両親に村人に兄まで捧げた。
吸血鬼になれば貴族も庶民も関係ない。だから二人は結ばれることができる。
強制的にあの世に行かされた家族や他の被害者からすれば「そういう問題ではない!」と叫びたくなるだろうが、二人は本気だった。
あるいはもはや、二人の価値観は別の世界へと旅だってしまっていたのかもしれない。
そして、その精神に従って、二人は肉体も別の世界へと移行してしまいたい。もはやそうすることでしか二人が結ばれることはない。
そんな風に考えてしまっているのかもしれない。
「もう、十分に捧げたと思うんだけど」
「そうよね」
「……あの男、本当にステラになにもしていないよね?」
「もちろんよクレゾン。あんな人、わたしの好みじゃないわ」
「よかった」
「もう、クレゾンは心配性なんだから」
「だけど、耐えられないんだ。ステラの側に他の男がいるなんて。ルナークだってもう我慢できなくなったんだから」
「ええ、そうね。そう……わたしも我慢できなかった。あなたに婚約者なんて連れてきたのが悪いんだから」
「そうだね。本当にそうだ」
「「わたしたちは、わたしたちだけがいれば良いんだから」」
「ああ、そうかい」
その声で二人はおれがいることに気付いた。
いや、おれだけでなく女吸血鬼もいる。
「紹介しようイルヴァン・ディーナ嬢だ」
まだ名乗っていないということだったから紹介してやった。
それなのに、二人は自分たちの裸体を隠そうとシーツを引き寄せている。
まったく、他人を罠にかけておいて自分たちはよろしくヤっているとか、その精神を疑いたくなるね。
「ディーナ……だって?」
ようやくその意味に気付いたのか、クレゾンが呟いた。
そう、クレゾンの家名はディーナ。
この女吸血鬼は何代か前のディーナ家の娘なのだ。
「先祖になるのかね? まぁでもそういうことだな」
「わたしは流れの吸血鬼に襲われて吸血鬼化したの。お父様たちはわたしを殺すことができなくて、あそこに封印した」
イルヴァンが沈んだ声で告げる。
どうやらいまだにおれに負けたことがショックなようだが、そんなことは知らない。
おれの前には裏切者がいる。
おれを排除しようとした奴がいる。
それだけがおれの全てだ。
「……お前ら、吸血鬼になりたいんだったか?」
「そうよ!」
おれの質問にしばしの逡巡の後でステラが答えた。
「わたしたちを認める人たちはいなかった! わたしたちの仲を認めてくれる人はいなかった! それなら、わたしたちはわたしたちだけの場所へ行く!」
ああ、そうかい。
自分たちの悪事を見咎められると感じたのか、ステラは必死に叫ぶ。
そこにはもう、おれに蒸し芋をご馳走してくれた素朴なかわいさがある村娘はいなかった。
「……吸ってやれ」
「「「え?」」」
おれの言葉にステラとクレゾンだけでなく、イルヴァンまでも驚いた顔をした。
「どうした? もう十分だろう? 望みを果たしてやれよ」
おれのもう一押しにイルヴァンは戸惑っている。なにかの罠だと疑っているのか? おれと二人を見比べる。
「さあ!」
そんな吸血鬼を一押ししたのは今度もステラだった。
イルヴァンは動く。
自ら喉を晒した村女の首に牙を打ち立て、血を啜る。
「はぁぁぁ……」
陶酔を晒して仰け反るステラには苦しみはない。
やがて十分に血を吸ったのかイルヴァンが離れ、ステラは震えてベッドに倒れる。
「……どうする? あなたは?」
血に塗れた牙を剥き出し、イルヴァンがクレゾンを見る。その目は血のように赤く光り、己の末裔を睨んでいた。
「頼む」
だが彼は、そんな威圧に震えながらも喉を差し出す。イルヴァンは振り返り、おれの気が変わっていないことを確かめると、彼の喉にも牙を打ち立てた。
クレゾンもベッドに倒れ、イルヴァンはおれの隣に戻った。牙は引っ込み、そこには二人分の精気で妖しい魅力を増加させた金髪美女が立っている。
血を吸われた二人は立ち上がることもままならず、声もなく視線を交わし、そして手を重ねる。
「…………そういえばこんな話を知っているか?」
そんな二人に、おれは声をかける。
「吸血鬼に吸われて吸血鬼になるのは、清童と処女だけだそうだ。お前らってまさか婚前交渉とかしてないよな?」
清童ってのは童貞のきれいな言い方だ。そして処女はご存じの通り。婚前交渉ってのは……ああもういいか。
おれのしらじらしい問いかけに、二人が残った生命力を振り絞って驚愕の表情を作る。
資格のない者が血を吸われたらどうなるか、その結末はもう、十分に見ているはずだ。
「二人だけの世界へ行け。お前らが吸血鬼になってこの世に残るなど、ただの迷惑だ」
怒りの声を発することさえままならない。
二人の体は見る間に皺が浮き、肌は白を越えて青黒くなっていく。精気を失った肉が腐敗防止の効果を得ている証拠だ。
急速にゾンビになっていくお互いに、二人は声なき悲鳴を放ち、そして重なっていた手が離れた。
そしてそこで動きが止まる。
完全にゾンビとなったのだ。
「うろうろされたら二人でいられないだろ?」
おれはステラにもらった剣で二人を切った。
さて、これでおわった。
おれは身分証だけをもらって家を出る。
村は静まりかえっている。
ゾンビを恐れて夜の内はなにがあろうと出てくることはないだろう。
「……あれの兄の血を吸ったときに聞きました。二人に騙されたことに気付き、最後に叫んだのです」
おれの後ろに付いて歩いていたイルヴァンがポツリと呟く。
「おまえたちは兄妹なんだぞって……」
「はっ、そいつは……」
つまりあれか?
クレゾンの父親はステラの母親に手を出したってわけか。
「領地を富ませた学者の妻に手を出すとは、貴族って奴は……」
とことん、庶民をバカにしている。
いや、ステラの父親が……という可能性もあるのか? いや、ないか? わからん。どちらにしろめんどくさい関係だったということだ。
そして、言葉にされないその複雑さが、あるいは二人の未来を狂わせたのかもしれない。
「わたしは、自分の一族を滅ぼしてしまったのですね」
「……吸血鬼になったお前を殺すこともできずにあんなところに封印した連中に同情か?」
「同情ではありません。だけど……」
「なら、こう考えろ」
月光を散らす美女の嘆きをおれは一言で切って捨てる。
「因果だ、因果が応報したのよ。お前を殺せなかったときから、お前の一族はお前という因果に応報される運命だったんだろうよ」
試練場の宝物庫には実にたくさんの宝物があった。物語もあった。敵を倒すには役に立たないが、おれの心にある正気の種を維持する役はあった。
因果応報とはその中にあった言葉だ。
「そしてお前は、こうして一族の因果から解放されたわけだ。これはそういう物語だ」
「そしてわたしは、あなたに捕まったのですね?」
「物語が終われば、その次にあるのは人生だ」
それは嫌味だったのかどうなのか、とりあえず、おれはそう言っておくことにした。