83 路傍の石のように 3
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ユーリッヒが魔王を前にしていたとき、セヴァーナはゴブリンの魔太子とその隠密部隊と死闘を演じていた。
「ここから先に行かせるな!」
セヴァーナの叫びは周囲の氷片を飛ばし、他の戦士たちと戦うゴブリンたちの背中に突き立つ。
空気を凍てつかせる氷の魔力は、しかし戦士たちの心と体を凍らせはしない。
周囲を舞う氷片はただの土砂混じりの雨が凍ったものではない。セヴァーナに憑依した聖霊によるものだ。
その氷は主人に敵意あるものにのみ襲いかかり、その冷気は敵の動きを奪い取ろうとする。
【氷血毒陣】というセヴァーナ独自の魔法だ。
「厄介な女だ」
氷片はすぐに砕けるような脆さでありながら、その切れ味はカミソリのように鋭い。ゴブリンの魔太子クウザンは両手のナイフを素早く動かし氷片を砕いていく。
「貴様、どうやってここまで来た?」
氷片に振り回されるクウザンにレイピアを突きつけるが、それはするりと避けられる。
「どうやって? 壁を昇ってよいしょとだよ。努力を惜しまないものでな」
「ふざけるな!」
「ふざけてなどおらんよ。努力を惜しまぬからこそ、いまこうやって人類の大要塞を破壊するまで後一歩となっておる」
クウザンの声音は人間からすればその体躯や容姿を裏切るかのように野太く尊大だ。
「素晴らしい話だとは思わんか? 努力が実を結ぶのだ。お前たちも好きな話ではないのか?」
笑うクウザンの体が不意に二つに分かれた。
そのまま三つ、四つ……クウザンの体が次々と増えていく。
「……いつもの目くらましか」
クウザンの使う聖霊の性質は霧だ。
その霧は幻を操り、虚実を眩ませる。クウザンのいつもの戦い方だ。
惑わされてなるものかと、セヴァーナは周囲の氷片を操り全てのクウザンを薙ぎ払う。
だが、その全てが同じように氷片の群を薙ぎ払い、あるいは避けた。
「っ!」
その事実にセヴァーナは目を見張った。
いつもとは違う。
幻のクウザンならば氷片は通り過ぎるのみのはずなのに、いまはそうではない。
しかも全てのクウザンが違う動きをしているため、本体の動きを真似ているだけという仮定は思い浮かべる暇もなく否定された。
「ならば……」
【爆氷陣】
レイピアを指揮棒のように振るい、宙を舞う氷片を再配置する。
視界が役に立たなくとも聖霊の感覚までは誤魔化せない。氷結の罠を周囲に張り、待ち受ける戦術を選択する。
さらに、ただ待つのではなく、【氷矢】の魔法で他のゴブリンたちを狙い、城壁で戦う戦士たちの援護をする。
セヴァーナの戦い方は最前線に立って武勇を振るうという類のものではない。後方から他の戦士たちを援護し、こちらの有利な状況に仕立て上げていくのを得意とする。
対するクウザンも破壊工作などを得意としている。
お互いに正面を切って戦うという性格のものではない。
クウザンを近づけないようにしつつ【氷矢】の連射で他のゴブリンたちを狙っていく。
ゴブリンたちは驚くほど簡単に【氷矢】に撃たれて倒れていく。
その簡単さに訝しんだときには、遅かった。
気付いたのは床に流れた血だ。
セヴァーナに憑依した聖霊が撒く【氷血毒陣】の冷気は敵の血にも影響を与える。だから床に流れた血も凍らなければならないはずなのに、それは普通に流れていく。
つまりそれは、敵ではない?
「まさか!」
「そのまさかだ」
クウザンの笑い声がすぐ側でした。
【爆氷陣】の罠をどうやって潜り抜けたのか、声とともに熱い感触が胸に入り込み、セヴァーナの視界は赤く染まり、息が苦しくなった。
クウザンのナイフが胸を刺していた。
わずかに身じろぎしなければ、そのナイフは心臓を裂いていたことだろう。
それでも切っ先は肺に届いたようで咳き込んだ唇から血が溢れた。
「ひどい仕打ちをするものだな」
慌てて飛びのくセヴァーナに、クウザンは笑いながら霧の一部を払う。
そこには倒れたはずのゴブリンたちがいて、代わりに倒れているゴブリンが戦士たちの姿に変わった。
「ま、さか……」
「味方の背中を撃つ気分はどうだね?」
クウザンの嘲笑がセヴァーナの言葉を肯定する。
霧の幻が敵と味方の姿をすり替えていたのだ。
聖霊は騙されることなく【氷血毒陣】の効果を及ぼしていたはずなのに、セヴァーナの目は騙された。
結果として、味方を援護するつもりで放った【氷矢】は味方を殺す結果をもたらしてしまったのだ。
「…………」
思わぬ事態にセヴァーナはその場に膝を付いた。
戦意が消失してしまったのだ。片肺を潰された息苦しさが思考を鈍らせ、さらに味方のためにしたことがそうではなかったという事実にセヴァーナの摩耗した精神が思考放棄を選択してしまったのだ。
「……前からわかっていたが、お前の心は弱いな」
動かなくなったセヴァーナにクウザンはゆっくりと近づいていく。
「努力とは人間だけの特権ではないのだ。心の強さも、世の複雑さもまた同様よ。成功によって他者を踏みつけるのも、また人間だけのものではない。だから心配するな。お前の苦しみはこれで終わる」
「いや、勝手に終わらせられては困るんだけどな」
振り上げたナイフが受け止められ、クウザンは目を剥いた。
この魔太子クウザンがこんな距離まで他者の接近を許すとは!
見ればクウザンとセヴァーナの間に腕のみ差し込み、ナイフを持つ手を握っている。
「な、何者か!?」
「人間だ。こっちの大要塞にいてもおかしくないだろう?」
当たり前の質問に当たり前の答えを返し、おれはそのゴブリンを見た。
どうも魔太子っぽいな。
「ゴブリンの魔太子ってことは、クウザンだったか?」
ケインの講義で聞いた名前を思い出す。
そういえばあいつらどこに行ったんだ? とりあえずぶん殴らないと気が済まないんだが。
それはともかくとして、セヴァーナが死にかけているから回復しておく。
【上位急速回復】だ。
即座に治療が行われる代わりに激痛に襲われる。
「っ!」
その痛みの前では茫然自失などしていられない。目の焦点が即座に定まり、悲鳴の代わりに肺に溜まっていた血を吐いた。
「おっ、気絶はしないか。さすがさすが」
そのことを褒める。
だからといってすぐに戦えるってわけでもなさそうだ。
おれはクウザンに目を向けた。
「で? 派手にいろいろしたみたいだが、まだ帰らないのかい?」
「なぜ帰らなければならない。今夜、この大要塞を破壊するのだからな」
「そいつは別にかまわないんだが、おれとしてはまだ用が終わってないんだ。後日ってことにしてくれんかね?」
おれの言葉が意表を突いたのか、小柄なゴブリンは奇妙な顔をした。
「ハッタリにしてはつまらないな」
「いや、ハッタリじゃないけどな」
わりと本気で大要塞がどうなろうと知ったことではない。
来た時には万感の想いがあったものの、だからといってここに居座って人類の守護者になろうという気には少しもなれなかった。
一度も来たことがないまま、おれにとってここは思い出の地のようなものになってしまっていたのだろう。
思い出となった以上は実在していようとしていなかろうとどっちでもいい。
「誰かは知らぬが勇者でもない者が我らの戦いに入り込むな」
やれ、と……クウザンは部下のゴブリンたちに命令を下した。
しかし、気が付いていなかったのか。
「悪いが、お前の部下はもういないぞ」
「なっ!?」
おれの言葉で、クウザンは周囲に立っているはずの部下のゴブリンが皆、その場に倒れていることに気付いた。
「お前はもう一人だ。それでもまだ、やるのか?」
のんびりと問いかけるおれは【蛇蝎】状態だった黒号を引き戻した。
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