72 魔族領へ 5
他の試練場も試してみたかったが、それはとりあえず色んなことが落ち着いてからでいいだろう。
しかたないので試練場に付属した街の様子を観察した。
建物の様相は人間とはかなり違う。
ただ、やはり他民族で形成される魔族なだけあって、街の様相は色分けされている。
自然木の形をなるべく残したがるエルフに、人類のそれに近いけれど、挑戦的な形がどこかにあるドワーフ。岩と泥の組み合わせたドーム状の建物を際限なく積み重ねようとするゴブリンとオーク。
川から引いた人工沼の上に高床式の家を作るリザードマンとその沼に足を付けるトレント。その近くにある森林ではハーピィがひっきりなしに出入りしている。
住処にこだわりがないのか、オーガは冒険者ギルドらしきものの近くにある宿舎に住んでいるようだ。
多彩な民族性を眺めているだけでも十分に面白いが、他にも目を見張るものがたくさんあった。
鉄の馬に運ばれる馬車。荷下ろしを手伝うゴーレム。
手のないハーピィが街で暮らすのを補助する義手を付けている。
食堂を覗けば厨房では各種の精霊が料理を補助している。
日常的に使われている魔法や魔法の道具の数が多い。
魔法文化的にはおそらくは人類側でもっと進んでいるだろう歓楽都市ザンダークよりも先を行っているとおれは感じた。
「ここって田舎と都会なら、どっちだ?」
「ここまで民族性が豊かなのは魔族領内でも少ないけれど田舎に入るでしょうね。だって試練場のための街ですもの。冒険者ぐらいしか用のない街よ」
「そうか」
それなのに、これか。
「こりゃ、人類は負けてるな」
「やっぱり?」
おれの感想にラーナは嬉しそうに笑った。
「これ全部、ラーナがやったのか?」
「まさか。わたしはただ、紋章術が国のために使えないかと考えただけだ。生活で使える魔法や道具を考え、発展し、国中に広めたのは魔族の皆だ」
「そうなのか」
「そうさ」
しかし、紋章術でラーナが国のために行ったこと……色々あるのだろうが最も功績が大きいのは転移門の設置ではないだろうか?
物を運ぶための時間と労力を大幅に減少させた功績は多大だろう。
そしてなにより強いのは紋章術を使えるのはラーナだけという点だ。
彼女の機嫌が損なわれればそれだけで魔族領内中の物流が止まる。あるいは遅くなる。
兵を自在に派遣できる。
ラーナ自身の実力も伴えば、彼女が魔族領の絶対君主として君臨するのに十分すぎる条件が備わっているといえるだろう。
「……魔族内でラーナに逆らう奴がいるとは思えないな」
いるとすれば、そいつは本気で命知らずのバカだ。
「そのバカが、案外いるんだ」
「いるのかよ」
「ああ。この間も言った悪樹王なんてその急先鋒だな。わたしがいれば大要塞を抜くなんて簡単だろう? としつこいんだ」
「なんて答えてるんだ?」
「わたし一人でできるならお前たちはいらないな。いますぐその首置いていけ。って言うとその場は黙る」
「他にもいるのか?」
「オーガ、オーク、ゴブリン、コボルト辺りだな。この辺は人類領にいる同類の救援という大義名分を掲げているから特に強い」
「そこら辺の奴ら、人類領だと言葉もろくに喋れないぞ」
「そうらしいな」
以前にゴブリンも平和な場所にいれば平和な性格になるという本を読んだことがあったが、魔族領ではそれが当たり前だった。
なんというか、盲点だよな。人類領の僻地や秘境に行く必要はなかったわけだ。
大要塞を越えることさえできれば、それは簡単に見ることができる。
ただ、大要塞を越えることが僻地や秘境へ向かうよりもはるかに難問なわけだが。
「……ラーナがその気になれば世界を支配できそうだ」
「お前はしたいと思わないのか?」
「おれはその器じゃないな。おれの嫌いな貴族の仲間入りをするのかと思うと、吐き気がしてくる」
「わたしには協力するのにか?」
「そこに感情以上の理由を見つけられないからこそ、おれは支配者になれないんじゃないか?」
「わたしの考えを読めるのに……ルナークはきっと良い支配者になれると思うぞ」
「そんなことを考えている暇があったら、今夜はどうやってラーナのベッドに潜り込むかを考えた方が建設的だ」
「いつでも来れば良い。そんなことで悩む必要はない」
そうしておれたちは唇を重ねると、城へと帰還するために【飛行】を使った。
ルニルたちはまだ戻っていなかった。
夕食までには戻ってくるだろうということだし、ラーナは少し片付けることがあるといって執務室に入ったので、おれは自室でイルヴァンに血を与えるために影獣を呼んだ。
指から零れる血をたっぷりと楽しんだイルヴァンは不思議そうにおれを見た。
「……今日はなさらないんですか?」
「うん? ああ、今日は良い」
「あら……では、ルナーク様はいま、満たされているのですね」
「まぁ、満足してるといえばしてるけどな」
「そういう意味ではなくて」
そう言った吸血鬼の意図がわからず、おれは満足げに牙を舐める彼女を見た。
「心が満たされているのでしょう? 血の味でわかります。いままでは酸味の強すぎる柑橘類で作った果実酒のようでしたのに、今日はじっくりと寝かせた蒸留酒のように強い力を感じましたもの」
「精神状態で血の味が変わるのかよ」
「変わりますよ」
健康状態でならなんとなくわからないでもないが、まさか精神状態まで関係してくるとは。
「寝ている者の血は砂糖水のように単調な甘さで、死の恐怖に引きつった者の血はその者の命全て滲み出たかのような極上の深さがあります。このように、血の味というのは状況で簡単に変わってしまいます」
「その違いがわかってもなんの参考にもならんなぁ」
「ルナーク様の血はそこにご自身の強い魔力が加わるので、さらに特別な味がするのです」
「……他の吸血鬼には目を付けられないようにしないとな」
「ええ、本当に。この血はわたしだけのものですから」
「いや、おれのものなんだけどな」
呆れつつ、おれはイルヴァンを影獣に戻した。
それから久しぶりに無限管理庫の整理をして、見つけた本を読んだりしている内に夕食の時間となって呼ばれた。
食堂に行くとルニルたちがいた。
「よう。どうだった?」
「…………」
とおれが聞いてもルニルたちは上の空だった。どうやらかなりのショックを受けたらしい。
しかし、これぐらいショックを受けたのなら五分の条件での和平などありえないと理解できただろう。
こんな状態なら、ラーナが考えている方策を受け入れさせるのは簡単かもしれない。
「少しよろしいですか?」
食事の最中、珍しくナズリーンが声を上げた。
「ニドリナさんが戻ってこないのが気になります。できるならわたしも戻って状況を確認したいのですが?」
「エルフ族が集まっての会議は明日だぞ。待てるのではないか?」
ナズリーンの提案にラーナは問い返す。
「いえ。本物と影武者のお二人ともがいないのです。塹壕帯にいれば時間稼ぎに問題はないと思いますが、そちらのルナークさんが暴れた一件で本部から状況確認の使者など来ていたら少し揉めていることになるかもしれません」
「ふうむ?」
と頷いてみたが、さすがにラーナも人間側の指令系統などくわしくわかるわけもない。
ちなみに、おれもちゃんと理解しているわけではない。
突然の申し出というわけではなく、ルニルも事前に聞かされていたのだろう。驚いてはいなかったが、それどころではないという雰囲気だった。
ナズリーンの申し出は許可された。
ただ、彼女の護衛としてケインたちが三人とも同行したのが少し気になった。
おれがいれば十分だろうといえば、確かにそうなのかもしれないが。
まぁ、そういうわけで、食事の後でルニルはラーナに呼びだされ説得を受けることになるのだが、彼女はそれを一人で受け止めなければならなくなったわけだ。
「わたしは、どうすればいいと思う?」
部屋に呼びだされた時点で自分が思っていたこと以上のことが起こると予想しているのだろう。ルニルの表情は憔悴していた。
「ラーナは人類側の損になることは考えていない……と思う。まぁ身内びいきしたいが所詮は為政者だ。油断をしてると損を食わされるかもしれないから、気は抜くなとは忠告しとく」
「はぁ……」
「なんだ?」
「ラーナリングイン……大魔王……ダークエルフのあの方をあなたは身内と呼ぶのですね」
「……たった一回とはいえ、命を何度すり潰しても足りないような戦いを共にしたからな」
それが日常の中でただ顔を合わせるよりも濃い付き合いであったのは確かだ。
「もちろん、それがそいつの全てだとは思ってないが、信用するに足る、とは思ってる」
「……わたしは、不安だ。わたしが思っているような平和は訪れないことがわかってしまった。いや、わたしは自然と人類の方が優位にいると思っていた。だが、現実はそうではない。いつのまにかわたしは、人類が一方的に瓦解しないための交渉をしなくてはいけなくなっていた。この恐怖と不安がお前にわかるか?」
「わかるわけがない」
おれはその立場にいないからな。
「だけどまぁ、ここまで来たんだ。お前の命はおれが保証するし、絶対に無事に国へ帰らせてやる。こいつは冒険者としての矜持みたいなもんだな。だから、思う存分に戦ってこい」
大要塞に来るために利用した形ではあるが、そもそもおれはルニルの影武者としてここにいるのだ。
ルニルを守ることを考えるのは当たり前だ。
なにより、今夜のラーナとの話し合いは、明日に向けての予備戦に過ぎないのだ。
そんなもので腰が引けていたらどうするのか?
「ここまで来てなにもせずに帰る方が悔しいだろう? ただ力を見せつけられただけで済ますわけにはいかないだろう? 弱者なら、弱者の意地を見せてやれ」
「そうか。……そうだな」
おれの説得が聞いたのかわからないが、ルニルは自分の足で歩き、ラーナの部屋に向かった。
ただ、ドアの前に立つまで彼女はおれの手を握っていた。
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