71 魔族領へ 4
しかしそうなってくると、必要なのはルニルの意識の改革だろう。
彼女は戦争を止めるために、魔族との長い交渉を始めようとしていたのだ。
それなのに、戦争を止める気はない。むしろ続けた方が平和のためになるから協力しろ、なんて言われて納得するだろうか?
ルニルはおれのように持たざる者とは違う。最初からいろいろと持ちすぎている者たち貴族の一人なのだ。
そんな彼女の意思を変えるのは簡単なことではないだろう。
「では、どうすればいいと思う?」
「見せてやればいいだろう、現実を」
ラーナの問いに、おれは簡単に答えた。
もしも本当に魔族と人類との間で国力や技術に差が生まれているのならばそれを見せればいいのだ。
「ルニルの考えとしては、『こっちが苦しいのだからあっちも苦しいに違いない』っていうのがあるはずだ。そいつを覆してやるしかないだろう。『苦しいのは自分たちだけだった』っていう風にな」
「なるほど……」
まぁしかし、どれほどの国力差があればルニルがそれを痛感するのかはおれにもわからない。
短いながらも一冒険者としてタラリリカ王国に住んでいたが、そこまで貧しそうと思ったことはない。
だが、ルニルは国の運営に携わる王の娘、王族だ。庶民にはわからない部分で国の危機を感じているのだろう。
その部分をうまく刺激できればいいのだが。
「それなら、彼女が望む場所を見学できるようになんとか考えてみるとしよう」
というわけで翌日にはルニルたちの魔族領都ゼルベニア見学が決まっていた。もちろん、素顔を晒すわけにはいかないので大魔王専用の馬車を使ってそこから見学をするというものだ。
ラーナによって設置された転移門を使えば、ゼルベニアへの移動は簡単だという。
転移によって魔族領内の移動をかなり短縮しているのだとしたら、それだけで人や物の流通速度にかなりの隔たりが生まれているということになる。
ルニルの意識改革はどれだけ劇的なものになるだろうか?
おれはそんなことを考えながら出発する馬車を見送った。
「で? お前は行かないのか?」
「そんな暇があったらラーナに時間を使いたいな」
「ふふ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
ラーナの腰に手を回すと、彼女は嬉しそうに応えてくれた。
「だが、一つ確かめたいことがあるんだが?」
「なんだ?」
「お前……あの姫様が女王になったら愛人にしてくれと言ったそうじゃないか」
「おおう……」
暑くもないのに汗がダラダラ出てきたぞ。
「ん~まぁ、そうなったら面白いなってぐらいだけどな」
「さらに、女冒険者を相手に浮き名を流しているそうじゃないか」
「おおう……」
「さらに、スペンザという街の冒険者ギルドの美人受付嬢と仲がいいとか?」
それまでばれているとは……。
じっと見つめてくるラーナにおれは引きつった笑みを浮かべるしかできない。
あまり怒っているという雰囲気ではないが、眉の間に皺を作っていて、次に出てくる言葉がなんなのか思わず身構えてしまう。
「ちなみに……それは誰から?」
「ナズリーンとかいう姫のお付きだ」
あの神官めが。
接触してくる前にこちらの身辺調査もしていたのだろうが、それにしてもそれを全てラーナに教えるとはどういうつもりなのか。
「…………」
「…………」
さて、どうしたものか?
と、悩んでいると、いきなりラーナが表情を緩めた。
「ふふ……冗談だ」
「え?」
「お前が別の女と遊んでいても別にかまわないさ」
「い、いいのか?」
「ああ」
なんだろう。そんなにあっさりと認められてしまうとそれはそれで悲しいものがあるような気がするのだが。
「心配せずとも、どうせわたしたちには……な」
「うん?」
「いいや、なんでもない。気にするな。それで今日はどうする気だったんだ?」
「許してもらえるなら、魔族領の戦神の試練場に行ってみたかったんだが」
「ふむ……見つからない自信はあるか?」
「誰に言ってるんだ?」
「そうだな。まぁ、いいだろう」
そういうわけで、ルニルたちが街見学に向かっている間に、おれはラーナの案内で魔族側の戦神の試練場に向かった。
【飛行】と【透過】を利用して空を行くこと一時間、戦神の試練場に辿り着く。
試練場は街と一体化していた。
神殿風な造りの入り口が街の西側に位置し、試練場に挑戦する冒険者たちが集っている。
エルフにドワーフ、ゴブリン、コボルト、オークにオーガ、トレントにドライアドにナーガ、もしかしてあれはハーピィか? 民族色が豊かすぎて眩暈がしそうだな。
ラーナの先導で着地し、試練場へと入り【透過】を解除した。
このままだとなにも襲ってこないからな。
戦闘なしだと地下迷宮に入ったって気がしない。
無限管理庫をあさって見つけた黒鬼眼之鎧というのを着ることにした。
これなら兜付きの全身鎧なので素顔が出ることもない。
鎧に合わせて焔刃紋戦太刀と風刃十字槍も出す。
これで重武装戦士のできあがりだ。
「過剰戦力」
と言って笑うラーナにおれは大仰に肩をすくめた。
「わかってるが、これより弱いのだといまいち趣味じゃないんだよな」
「その気持ちはわからないでもないけど」
「まぁ、のんびり攻略したいわけでもないしな。さっさと行こう」
「はいはい」
戦神の試練場と同じ名前を戴いていてもやはり違う場所にある違う地下迷宮だ。
あの頃の気分を味わいたいわけではないが、昔を思い出せないことが少し残念だった。
やはり頻繁に冒険者が入り込んでいるためか、野生の魔物はいない。住み着いて共生関係を作る暇もなく倒されてしまうためだ。
なので、試練場で作られた魔物が出るばかりだ。
見映えのしない魔物たちを倒しては、その存在を取り込んで紋章を確保していく。
ああ、もちろん違いはある。
ゴブリン、オーク、オーガ、コボルトなど、魔族領内で市民として認められている類の連中は魔物として出てこなかった。ガス・クラウドなどの擬態系の魔物が姿を利用してくることはあったが、本物は姿を見せなかった。
代わりに、人間が魔物として登場したのは驚いた。
だがまぁ……そうだよな。
魔物の定義が生活に害をなす動物であったのなら、魔族にとって人間は魔物だろう。
驚いたが、納得してしまえば気分も切り替えられる。人類領では手に入らない希少な紋章だ。ありがたく確保させてもらう。
そんな感じで出会うを幸いに薙ぎ払い、紋章を確保することを繰り返していけば最下層である十五階層にあっという間に辿り着いた。
十五階層の最奥には試練の最後を飾るボスがいる。
「そういえば、こいつとはやったことがなかったな」
「え? そうなのか?」
ボスがいる部屋の前での呟きにラーナが驚いた。
「こいつと戦う前に落とし穴に落ちたからな」
「わたしの場合は、こいつに勝ったらいきなり落とされた」
「へぇ? 一人で?」
「ああ。なんというか、ちょっと維持になっていてな。一人でここを攻略してやるってがんばって。ようやく倒したと思ったら落とされて……あのときは絶望したな」
「そいつはご愁傷様」
やはりおれとは落ち方が違うんだなと思いつつ、ドアを開ける。
そこで待っていたのはハイドライドと呼ばれる魔物だ。
見た目はローブを纏った古めかしい魔法使い然としているが、その中身は水のような不可思議な流体だ。
そしてそこから無数の魔物を生み出す。
「こいつか……」
たしかに試練の総決算としてはこいつほど相応しい存在もいないかもしれないが、おれはすでにこいつを知っている。
おれが接近すると、ハイドライドはローブを揺らめかしてその中身を露にする。
中にある黒い流体が渦を巻き、そしてその中から魔物たちが現れる。
戦神の試練場で出てきた魔物たちばかりだ。
その数は凄まじいが、全ての魔物の対処法を心得ていればなにも怖くはない。さらにいえば、いまのおれと装備なら相手の攻撃を気にすることなく槍なり太刀なり振り回しているだけで倒すことができる。
焔刃紋戦太刀はその名の通り刃の紋に焔を宿し、風刃十字槍もその刃部分には風属性が宿っている。
二つの武器を左右で操り、炎と風が舞い踊る。
大量の魔物を生み出しその質量で押し切るのがハイドライドの戦法なのだが、おれの殲滅力の方が圧倒している。
おれの歩みは一度も止まることなくハイドライドを間合いに捕らえ、その胸に槍を埋め込むことに成功した。
ハイドライドの紋章はすでに持っているので吸収もしない。
崩れ行くハイドライドを見送り、戦いを傍観していたラーナがおれの背後に近づく。
おれたちはしばらくそこに立って様子を見た。
だが……。
「なにも起きないな」
「そうね」
期待していたこと……地獄ルートへと再び招かれるかと思ったが、そんなことはなかった。
「もう行く事はないのか?」
いや、もう一度行きたいわけでもなかったのだが、あのときのことが誰にでもあることなのか、それとも違うのかを自分で確かめたかった。
これで検証終了とはいかないが、同じ場所へと戻ることはできないのかもしれない。
そのことはわかった。
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