70 魔族領へ 3
ルニルにとっては重要な案件だし、おれにとってもラーナとの再会をもっと楽しみたい。
だが、おれもルニルも戻らなければタラリリカ戦士団の立場がないだろう。
塹壕帯にいる間は誤魔化せるだろうが、その間、帰りを待つ将軍たちの心労はとんでもないことになるだろう。
そういうわけで、ニドリナにルニルの手紙を持たせて戻らせることにした。
戻ってきても待機するのも好きにしていいと言うと、ニドリナは微妙な表情をしてから転移の部屋へと案内されていった。
はて? あれは一体、どういう感情なのだろう。
エルフ族の会議は三日後と聞かされた。
つまり、それまでは暇ということになる。
外をうろつくこともできないし、かといって城の中も他のエルフたちの目があって見て回るのはためらわれる。
というわけでやることがない。
そういえばラーナはどういった経緯で大魔王になんて呼ばれるようになったのだろう?
「それほど難しい話ではないぞ」
執務室に遊びに行くとラーナは気軽にそう言った。
周りにいるエルフたちの迷惑げな視線は相変わらずだが、そんなことを気にしているとこちらの暇が極まってさらに余計なことをしてしまいそうだ。
ラーナが拒まないのだからいいかと、おれはその場に居座った。
「へぇ、どんな?」
「むかつく奴全員ぶん殴ったら「お前が大魔王だ」って言われて城をもらえたんだ」
「…………」
あれぇ、なんだろう?
書類をサインする姿は「できる女」なのに、おれを見ながらちょっと鼻を膨らませて「ドヤッ」って雰囲気を出す姿は、なんていうか、幼い。
いや、幼いっていうか……あれだ。
ちょっとあれだ。
それに気が付いたのか、ラーナは急に顔を赤くして、「ち、違うぞ!」と叫んだ。
「むかつくっていうのもちゃんと理由があるぞ」
「へぇ……」
「信じてないな!」
「いや、信じてる信じてる」
むかつく奴ってたくさんいるからな。
そいつらを好き放題に殴っていけたら楽だろうなとは思う。
とはいえ、そんなことをしていたらどうなるか?
特におれの場合、むかつく奴というのは貴族が多い、連中をはっきりと敵に回したらどうなるか?
以前にニドリナに言われたように徹底的な孤立作戦を採られて自滅してしまうだろう。
だが、ラーナリングインはそれをした。
「ルナークもそうしたらいいんじゃないか?」
「そうだなぁ……」
と、おれは言葉を濁したが、ラーナと同じことをすることはないだろう。
おそらくそれは魔族だからこそうまくいったのだろうというと予想したからだ。
そういうことを説明したらラーナが「なるほどな」と納得した。
「人間は国という囲いの以前に人類という種で結託することもできるからな。大陸一の大規模種族全体が敵になると考えれば、そこで生きていくことは不可能になるか」
天井を見上げてラーナが言う。
「それに比べれば、魔族は人類という敵に対抗するために結託した寄り合い所帯だ。そこで重要視されるのは力ということになる。わたしが大魔王と呼ばれるようになったのは当然のことということか。……いや、いまはそこまで単純でもないが。わたしは単純だった時代にうまく駆け上がれたということだな」
「おお……」
「なんだ?」
「いや、なんでもない」
普通に賢いことも言えるんだな……なんてことを口にしたら一体どうなるんだろう。
幸いにもラーナがおれの考えに気付くこともなく、別のことに目が向いた。
「ところで、その剣はゾ・ウーの黒号だという者がいるんだが、本当か?」
「うん? ああ、本当だ」
それからおれは、ドワーフの魔太子とどういう経緯で顔合わせし、その武器を奪うことになったのかを説明した。
「なるほど、地下か」
ゾ・ウーを手玉に取った話に他のエルフたちは驚いた顔をしているが、ラーナの興味は別にあった。
「以前から地下から人類領に攻め入るという話はあった」
「へぇ」
「トレントがいたということは悪樹王もこの件には関知しているか。あいつは植物のくせに好戦的だから困る」
「悪樹王?」
「トレントたちの王だ。魔王ではないが魔族の中でも最古の存在であり、そして強い」
「戦争大好きなのか?」
「戦争大好きだ。自らの根を伸ばした森で大量の魔物を育て、それを手下のトレントたちに使わせている。連中は生まれついての優秀な魔物使いだ」
たしかに古代人の迷宮であったトレントは洞から大量の魔物を吐き出していた。
「同時に誰よりも気の長い種族だが、それでも大要塞での戦いには飽いてしまっているのだろうな。さらなる混乱を求めて、戦場を人類領に移しかったのだろう」
「ろくでもないな」
「ああ、ろくでもない連中だ」
ついでなので、おれは疑問に思ったことをぶつけてみた。
「ところで、ラーナなら大要塞を一人で抜くことも可能だよな?」
「……まぁ、できるだろうな」
「どうしてしなかったんだ?」
大魔王になって何年なのか知らないが、三百年も生きてきたのならそういう誘惑に狩られたことだって一度や二度ではないだろう。
「わたしは、これでも魔族の中では穏健派なんだ」
それはなんとなくだが想像できる。
そうでなければラーナが人類と魔族との戦いに終止符を打っていたことだろう。
「人類という共通の敵がいるからこそ魔族は結託している。種族間を超えた協力関係もできあがっている。お前に見せられないのは残念だが、エルフの都はかつてないほどに繁栄しているぞ。魔族全種族で共同開発した魔族領都ゼルベニアは人類側にさえもないだろう特異な光景を見ることができるだろう」
それを語るラーナの姿は誇らしげで、さきほどよりも幼く見えた。子供が自分のおもちゃを自慢するような雰囲気がある。
「それなら、どうしてルニルたちと交渉する?」
「魔族を結託させておくためだ」
「うん?」
「人類側に自覚があるかどうかはわからんが、我々魔族は技術において人類を超えたという自負がある。数年の内に大要塞を抜くことが可能だろうと」
「そいつはたいした自信だ」
「むかつくか?」
「いや、そうでもない」
おれのその反応に、ラーナは微妙な笑みを浮かべた。
困っているような、ほっとしているような……なんとも言い難い笑みだ。
「だが、この戦いに覇者は必要ない。灰色の戦況が永遠に続くことこそが望ましいんだ」
「なぜ?」
「勝者を作れば、やがて敵を失った勝者側は内部崩壊していくことになるからだ。魔族が勝利すれば、人類という敵を相手にするという理由を失って内部分裂を起こすだろう」
「……人類なら、それぞれの国での戦争が激化することになる」
「そういうことだ」
しかしでは、そのこととルニルたちとの交渉はどう繋がる?
ルニルが望むのは停戦だ。
だが、ラーナは戦争の継続を望んでいる。
二者の望みは反している。
しかしでは、どうしてラーナは対話に応じた?
そこにはなにか意味があるはずだ。
灰色の状況が望ましい。
魔族は技術的に優位に立ったと確信している。
「……そうか」
導き出された結論は意外に簡単なものだった。
「敵が弱いなら強くしてしまえばいい」
おれの言葉にラーナが微笑む。
「そして、人類側でも共通の意識を持つバランスメイカーが欲しい。代わりに魔族が開発した技術の供与を行う……とかか?」
その微笑みも続いたおれの言葉で少し引きつった。
「そこまですぐに思いつくとは、さすがね」
「で、問題になるのはどうやって技術供与を行うか」
「……ええ、そう」
「あの転移装置は使えない?」
「あれはわたしでなければ設置できない」
「紋章術だからか?」
「ええ、何度かエルフたちに教授しようしたけどできなかった」
「だけどいまはおれがいる?」
「……あなたに使えるの?」
「配列を見たが知らない紋章はなかったな」
「へぇ……やるわね」
「戻ってきてからしばらく古代人の迷宮を調査していたからな」
そこまで確認し合い、おれたちはにやりと笑った。
だけどすぐに、ラーナの表情が曇る。
「わたしたちが揃えば不可能はない。だけど、あなたはそれでいいの?」
「うん?」
「やっていることは結局、戦争を止めないという選択よ?」
「そうだな」
「罪の意識を感じたりはしない? 自分たちが勝手に考えた平和論で他人が死んでいくのよ? 起きてもいない戦争を心配していま死んでいる人たちに情けをかけないということよ?」
なるほど。
ラーナは根本的なところが善人なのだな。
自分がの考えが最善なのだと思いつつ、しかしどこかで落とし穴があるのではないかと怖れる。
いまの考えよりももっとすごい、誰も傷つかない策があるのではないかと思って怖れている。
傷つく人々からの怨嗟を怖れている。
自分の失政を怖れている。
いや、善人ではなく臆病なのか?
しかしその弱気はおれには好ましい。
戦いの中だけでは見られないラーナの一面という奴だ。
「……おれがずっと悩んでいることを教えてやろうか?」
「え?」
「こんな世界、ぶっ壊してしまいたいっていう気持ちが消せないことだ」
貴族の都合がおれを地獄に落とした。
その恨みのままに暴れ回りたい。貴族たちを皆殺しにしたい。その考えが頭から長く離れたことはない。
だが、後に残るのはニドリナにも指摘された緩やかな自滅だけだ。
誰も幸せになれない。
「貴族にだって良い奴もいれば悪い奴もいる。貴族には貴族の悩みがあるだろう。同情する余地なんて探せばいくらだって出てくるだろうさ」
おれの立場は、どちらかといえばラーナが行う施策によって死んでいく一兵卒だろう。自分たちの死が政治の都合でしかないと知って、はたしてそれをどう受け止めるのか。
「だけど、そんなものは個人それぞれのことで、どうやったって全部を解決するなんて無理なんだ」
おれがやってきたことは、貴族たちにとって解決不能の問題なのだ。和解を受け入れない、ただのおれの恨みを知って報復を受け入れろなんて、貴族側からしたら聞けるはずのない言葉だ。
貴族たちは貴族たちの使命を持ってやるべきことをやっている。その過程で多少のミスがあったからといって、うかうかと転げるわけにはいかない。
ならばおれは、そんな貴族の都合に納得いかないと叫ぶだけなのか?
そこに居続けるだけで終わっていいのか?
これはおれへの試しでもあるのか?
「完全な解決策がないなら。やるべきと思うことはやればいいんだよ。おれにとってそれはラーナへの協力だ。それが少しぐらいいままでのおれと違うことだからって、協力を拒む理由にはならない。おれはラーナのやることを信じよう。なぜなら、おれとお前の間には誰にも裂くことのできない繋がりがあるからだ。おれは、あのときの信頼が偽物だったとは絶対に思わない」
「……ルナーク」
「ラーナ、お前がやろうとしていることは誰にも気付かれないまま世界を変えることだろう?」
その言葉で、ラーナはハッとした顔でおれを見、そして微笑んだ。
「さすがだ。ルナーク」
「おうよ」
そうしておれとラーナは手を握った。
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