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54 夜と思い出


 ルナークとセヴァーナがダンスへと向かう姿を見送るのが、なぜかきつかった。

 どうして胸が痛むのかわからないが、二人の背中からそっと視線を外す。


 ここ最近は静まっていた苛立ちが不思議といま浮上していることに戸惑った。


(なにを感じている?)


 会場の壁際に移動してルニルは思う。

 苛立ちの正体は知っている。

 それは解放への希求であり、ルニルの心の中にずっと抑圧されているものだ。


 だがいま、この場面でなにを解放したいのか……それがわからない。


 女として生まれながら、男として生きなければならない。

 その精神的齟齬の苦しみから目を背け続けるのがルニルのこれまでの人生だった。


 事情を知っているナズリーンが側にいてくれなければ、きっと自分は早くにおかしくなっていたのではないかと思う。


 そして彼女の顔を見る度に、おかしくなんてなっていられないと誓い直していた。


 彼女の傷だらけの顔にはわけがある。


 上位の回復魔法を使えば傷跡なんて簡単に消すことが出来るのに、ナズリーンがそれをしない理由。


 それはルニルだ。


 ルナーク王子として生きる自分の側に常に控えているのが、神官とはいえ女性というのは風聞が悪い。

 それが建て前。


 では本音は?

 悩みを吐き出す存在を必要としていながら、その相手が女として生きていることをどうしようもなく許せないと感じてしまったからだ。


 いまでも、そのときの手の感触を覚えている。

 ペーパーナイフを振り下ろした感触。肉を裂き、骨を擦った感触。

 血に汚れた顔に手を当て、呆けたようにこちらを見る目。


 きっかけはなんだったか。


 ああそうだ。


 彼女の胸に花が飾られていたのだ。

 季節の白い花だった。


 少し頬を染めるようにしてこちらを見る顔に、どうしようもなく女を感じてしまった。窮屈な男の服に身を締め付けられている自分の前で、ナズリーンは戦神の神官でありながら女を見せたのだ。


 それが許せなかった。


 もちろん、ただの八つ当たりであることはわかっている。

 愚かなことをしたのも理解している。


 だが、数日後に訪れたナズリーンの顔はそんな自分の罪を極大化させるものだった。


 傷だらけだった。

 ルニルが与えた傷はペーパーナイフのもの。額を切ったために出血は多かったが、傷そのものはたいしたものではなかったはずだ。


 それなのにナズリーンの顔にはそんな傷を隠してしまうような激しい傷が幾つも増えて、色素の抜けた白く荒々しい線を擦りつけていた。


「訓練をがんばりすぎました」


 そう言って笑うナズリーンがルニルには不思議でならなかった。


「変わらず。お側にお仕えさせてください」


 そう言った彼女をどうして拒むことができるだろう?


 だからルニルは誓ったのだ。

 彼女がいるならば、彼女のために、自分は自分の役割を務めきって見せようと。


 それでも貯まっていく不満に振り回されるルニルに、ナズリーンはケインたちを見つけ出し、女冒険者としての仮初めの姿を与えてくれたりもした。


 そして来る大要塞行きと戦場観戦に向けての影武者を捜す役目を彼らに託した。


 そうして見つかったのが、あのルナーク。

 死んだはずの勇者アストだった。




 どうしてこんなことをいま考えているのか?


 ふと我に返った瞬間、自分が暗闇にいることに気付いた。

 揺れている。

 肩に担がれて運ばれているのだと気付いたときには戦慄した。


 またか。

 そして、またも。


 ルニルの真なる性別に疑いを持ち、それを世間に晒そうとする者がいることはわかっている。

 最近、その動きが活発化していることも。


 今回の戦場観戦への同行をルニルが強行したことに意味があることを察して、それを妨害しようとしている者たちがいることも。


 そのために身の安全には気を使っていたつもりなのだが、それでもルナークとの交渉中に攫われかけた。


 そして、いままた、またも攫われようとしている。


 中央王宮殿内にいたはずにもかかわらず攫われたという事実に、今回のことに魔導王が関わっていると予想した。

 彼女にとっても、父王とルニルの画策していることは妨害したいことなのかと知り、愕然とする。

 わかってはいたが、それでもだ。


 なぜ、どうして、戦争をなくそうとすることをこんなにも拒まれなければならないのか?


 女であることを拒まれ、政治的立場でも孤立する。


 わたしに一体、どうしろというのか?


 嘆きを吐き出したい気持ちになっていると、どこに下ろされ、そして顔を覆っていたものを外された。


「ようこそ」


 その男はその場に似合わない優しい声でルニルに話しかけてきた。

 室内だというのに帽子を被っているは気になったが、身形の良い男だ。

 貴族というよりは商人の雰囲気を感じる。


 だが、この男がなにを扱って商っているのかその想像がルニルにはできなかった。


 縛られたままのルニルは革張りのソファに寝転がされていたので、がんばって身を起こした。

 屋敷の中のようだが、どこの屋敷なのかはさすがにわからない。

 厚いカーテンに仕切られているので時間さえもわからない。


 会場にいたはずの時間からはたしてどれだけ経っているのか。

 全ての答えは目の前の男が持っているはずだ。


「お前は何者だ」

「雇われ者ですよ」


 男は笑みのままでルニルに答えた。


「とある組織に下ろした暗殺任務と、とある組織に下ろした誘拐任務があるのですが、その二つともが失敗してしまいましてね。わたしはそれを調べるための調査員なのです」

「調査だと?」

「ええ」

「……どっち側からの調査だ」

「さてさて、それは雇い主の側からだとしかお答えできませんね」


 つまり、口に出せない立場……裏稼業側からだと言ったも同じだ。


「対象の名前はどちらもルナークなのですよ」


 続いたその言葉に、ルニルは顔を強ばらせる。

 予想はしていたが男の言い方が気になりもした。


 女の姿のルニルを本物のルナーク王子だとわかった上で攫ったのだろうとは思ったが、しかし暗殺任務という言葉とどちらもルナークというのがひっかかった。


 つまり、あちらのルナークを暗殺しようとしたことがあったということか?


 どうして? と考えてすぐに彼が勇者アストであることが理由だろうと理解した。

 ……したのだが、訝しげな顔を作ったままにしておく。


「おそらく、あなたが誘拐される方のルナークさんだと思うのですが、どうですか?」

「……なんのことかわからないな」

「困りましたね」


 ため息を吐きつつ、彼は帽子を脱いだ。整髪料で丁寧に撫でつけられた髪が露になるが、それよりも男が手慰みのように帽子の中に手を入れたのが気になった。

 次にその手を出したとき、その手には工具のような物が握られていた。

 その全てが細い金属の先で様々な形を作っている。

 鋭利な刃、ワインコルクのようなねじれた物、挟む物、抉る物、突き刺す物……それらの物を指に挟み、もったい付けた見せ方をする。


 それらは工具のようにも見えるが、その用途が工作に限られているとは思えない。


「本当は、こういうのは使いたくないのですよ。だってめんどうじゃないですか。いろいろ汚れるんですよ。いろいろ。それを片付けないといけないと考えると、億劫でたまらない」

「…………」


 ルナークなら軽口ぐらい言えたかもしれないが、ルニルにできることは沈黙を守ることだけだった。


 ただ、男がいま嘘を言ったことぐらいはわかる。

 めんどうだ億劫だと言いながら、唇の端を緩めて笑うのはおかしいではないか。


 だが、その運命がその身に降り注ぎそうなこの場面でそれを指摘するほどルニルは剛胆にはなれない。


 だから、これを言ったのはルニルではない。


「なら、それは自分の体でやればいいんじゃないか? なんならおれがやってやるぜ」


 と。


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