53 夜と疾走
再び昇降機で下りていくのがめんどうだったので、すり抜けて出ていくことにした。
紋章展開・連結生成・打刻【魔性粘王】
膨大なる魔力をその粘体に溶かしたスライムをその身に宿し、おれは不定形種のように体を柔らかくして昇降機の換気口から抜けだし、さらに風の流れを読んで外への抜け道を探し、飛び出す。
即座に解除、天翔疾走の紋章へと切り替えて空を走って向かうのは、ザンダークの城壁を越えた南。
ルニルを攫った裏稼業の連中は、閉門のこの時間でも利用できる隠し通路を使って彼女を外へと連れ去るということだ。
そんなものがあるというのは問題ではなかろうかと思うが。その情報を利用して相手を罠にはめるという作戦も取れるなと思いもする。
戦争というのは騙し騙されしながら殴り合うものなのだろう。
夜を疾走するおれの姿は誰にも見られることなく城壁を越える。
さて、目的の物は……と。
あった。
こんな時間にザンダークから離れていく馬車がいる。
屋根付きの立派な馬車だ。
おれは静かにその馬車の屋根に乗る。さすがに勢いが付きすぎていたため無音で着地というわけにはいかなかった。
ゴウンという音が響く。
御者は気付かなかったようだが、中に乗っている者たちはさすがに聞き逃しはしなかった。御者に通じる小窓を開けて指示を出す声が聞こえ、それからゆっくりと速度が落ちていく。
止まった馬車から出てきたのは三人。以前にも見た格好の男たちだった。
タラリリカ王都でルニルを攫おうとした連中だ。
ブラックドラゴン、だったか?
なんだろうな。
ニドリナの村の連中もそうだったが、暗殺者は同じ格好をしなければならない決まりでもあるのだろうか。
運営する者としては装備を揃えた方がいろいろと都合がいいのかもしれないが、なんというか、裏稼業の人間のくせに制服があるという感じが……もにょる。
さて……そういえばザンダークに来てからイルヴァンに食事を与えてないな。
そう考えて、影獣を呼びだした。
地面で牙を揃えた長い口が開いたのは、一瞬。
白い影が飛びだし、暗殺者の一人がその影とぶつかって吹っ飛んだ。
驚く暗殺者たちは、仲間が首を齧られ血を吸われる場面を目撃することになる。
その後、悲鳴とともに吸血鬼と暗殺者たちとの戦いが始まる。
その戦いを背に、おれは馬車の中を確認する。
簡単すぎるし、気配の動きが気になったのだ。
扉を開けて中を覗くと同時にナイフが飛びだしてきた。
目の前を通り過ぎる毒付きの刃を見送って、その手を掴み、握り潰す。
一人が残って奇襲をかけようとしていたのだ。
悲鳴を無視して馬車の中を確認したが、他には誰もいなかった。
やられたか。
「さて、お前には聞きたいことができたから簡単に殺せなくなった」
いまだ握っていた暗殺者を馬車の中に押し戻し、むりやり座らせる。さらになにかしてこようとしたので流れるように両膝を破壊して立てなくした。
続く悲鳴を無視して首を押さえつけ、さらに残っていた腕も破壊する。
これで無駄な抵抗はできない。
「お前らが攫った奴、どこに運んだ?」
「知らない!」
「知らないことはないだろう」
泣きそうな声で叫んだ男に優しい声をかけながら、紋章で嗅覚を引き上げる。
「あいつのにおいがお前の服に残っている。お前らが攫ったのは確かだ。どこで誰に渡した? さっさと吐けば楽に殺してやる」
「……交渉しようってんなら……ぎゃっ!」
おれは男の腹に指を突き刺して、黙らせた。革装備で守られた腹の肉に穴が開き、おれの指は臓物に触れている。
「面倒くさいからお前の口から聞きたいだけだ。聞くだけならいくらでも方法はある。脳以外を生きたままミンチにした後で情報を引き出してもいいんだぞ。それとも自分の臓物スープを食いたいか? 時間がないからレバーを生でいいな」
「あ、あああ! あああああああ!! わかった! わかった!!」
指をゆっくりと下に動かして穴を拡張してやると暗殺者はすんなりと情報を吐いた。
やはり、ニドリナの部下に比べれば根性がない。あいつら手足を切り落とされても叫び声一つあげなかったぞ。
涙目であえぐそいつの首を持って馬車の外に放り投げる。
「あら、おかわりをいただけるんですね」
うっとりとした声はイルヴァンのものだ。
血に寄った目で四肢を砕かれ、腹に穴を開けたそいつを見つめる。
馬車に取り付けられていた角灯が弱い光で惨状を照らす。
自分の仲間が血を流すことなくその場に倒れ、それなのに辺りには濃密な血臭が残っている不可思議の理由を、そいつはすぐに察した。
イルヴァンの口の周りは子供が口紅で遊んだように真っ赤に汚れている。
それが本当に口紅だと信じるほど、そいつは鈍感ではなかった。
「ヴ……吸血鬼」
「ええ、その通り」
血に汚れた優しい笑みから逃げようとするが、四肢を砕かれているそいつはまともに動けない。芋虫のように這おうにも、腹に開けた穴の激痛がそれを阻む。
それでも逃げようともがくそいつのがんばりも虚しく、イルヴァンの腕が愛し子を撫でるように胴に回された。
「いただきます」
「やめっ!」
絶命の悲鳴はやがて消え、恐怖は命を吸われる冷たさと射精に似た絶頂へと変わっていく。
それは命を手放す感触だ。
「楽には死ねたろ?」
呆けた顔で動かなくなったそいつに語りかけ、おれは他になにか役立つものはないか調べた後で影獣に処理を任せる。
馬車と馬も、しばらく考えてから影獣に喰わせた。罪のない馬を食うのは少し哀れな気もしたが、確保しておいて後で売りに出す暇もないし、ここで放っても朝までに狼か魔物にやられるかだろう。
野生ならまだしも、人の手で育てられた馬は狩りに長けた狼や魔物たちの良い餌だ。
それなら影獣に喰わせておいた方がいい。
影獣はただの攻撃手段や吸血鬼をストックしておく便利道具ではない。そいつが腹に収めた活力は術者であるおれへと流れてくるようになっている。
元より影獣は吸血鬼の能力なのだ。全ての技能に吸精が存在しているのは、彼らの飽くなき生存本能が関係しているのだろう。
死体の方はすでにイルヴァンに吸い尽くされた出し殻のようなものだからたいしたものではないが、馬の方は十分な精力となっておれを満たす。
傷を負っていれば瞬く間に癒えただろうし、そうでなければ魔力や気力へと変換される。
「それで、これはどのような状況なのです?」
影獣の中にいたイルヴァンは前後の事情がわかっていない。
おれはルニルが攫われたことと、それを追いかけていること、そして陽動にひっかかってしまったことを伝えた。
「それで、どうなさるのです?」
「たすけにいかないとな」
「どうしてです?」
「うん?」
「このまま行方をくらましても問題ないのではないですか? もとより乗り気ではない依頼だったのですし、また名前を変えて他で暮らせば良いじゃないですか?」
「むう……」
たしかにイルヴァンの言う通り、身分を再び変えて別の街で生きるというのもありかなとは思う。
だが、と止める手がおれの中にある。
「……たしかにめんどうだが、ここで逃げるのは癪だな」
できればばれたくなかった相手、セヴァーナとユーリッヒにすでにばれているのだ。
あいつらに逃げたと思われるのは特に気に入らない。
それにやはり、ここまで来たのだから大要塞や戦場は見ておくべきだろう。
そのためには、おれはまだルナークでなければならない。
「では、たすけに行かれるのですか?」
「実は、お前が嫌なんだろ?」
「あまり強い方がたくさんいらっしゃる場所だと、わたしが殺されてしまうかもしれませんし」
「お前の都合じゃねぇか」
呆れつつも、それも仕方がないことなのかもしれないと納得してもいる。
吸血鬼の行動は人間から見れば快楽殺人的に見えるかもしれないが、吸血鬼当人にとってはただ生きるための糧を得ているに過ぎない。
食欲を満たす際に起きる快楽中枢への刺激が人間よりも強いために異常性を強く感じてしまうのだ。
腹が減ったから飯を食うなんて、普通の人間が日常的に行うことである。
イルヴァンは吸血鬼だが、元々は太陽神を信仰する神官だったというし、貴族の娘でもあったのだから戦いなんて本来は縁のないものなのだろう。
やる必要のない戦いをしようというおれの精神の方がおかしいに違いない。
だが、おれはルニルをたすけると決めたのだ。
「おれといたら大概の相手には負けないよ」
しぶしぶと言った感じのイルヴァンを影獣に戻し、おれは追跡に合った紋章を選ぶと走り出した。
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